「僕はイーグル2」の続刊。
スホーイをあやつり日本海沿岸の原発を爆撃しようとするパイロット〈牙〉。彼の正体はフィリピン生まれの日本人との混血孤児で元自衛官という過去を持ち、日本に対する復讐心の塊となった見城教一であった。彼は再度の日本攻撃に備え、日本に潜入している半島北部の独裁国家の工作員を動かすために東京を訪問する。しかし、その本部ではそんな〈牙〉を疎ましく思い彼を白昼の路上で銃撃する。一方、〈牙〉を取り逃がした漆沢と鏡の両女性パイロットは、彼女たちを追い出そうという上官の思惑など知らぬまま、空戦の訓練を続けるが、二人の相性は悪くなかなかうまくいかない。旅客機事故の犯人に仕立て上げられようとしている風谷はなんとか病院から自衛隊基地に戻ることができたが、イーグルに騎乗しようとすると圧迫感を感じて操縦することができない。なんとか日本攻撃のチャンスを与えられた〈牙〉は巧妙に日本海に突入する。自衛隊機に原発を守るための攻撃命令は下るのか。そして、漆沢たちと〈牙〉の再度の対決の結果は……。
作者は本書ですぐれた戦闘機乗りになるために苦慮する若者たちの群像を描こうとしているのか。自衛隊をとりまく困難な状況を極端に誇張して笑いをとろうとしているのか。私には、それが両立しているとは感じられない。若者たちを善の立場に立たせるために、悪を際立たせようという狙いはわかる。しかし、やり過ぎである。この誇張から読み取れるものは、作者の左翼的なものに対する悪意と権力を私欲に使うものへの嫌悪感のみである。本巻では特にそれが際立っていて、笑いにつながるどころかもうやめろとまで言いたくなる。例えば左翼的言辞を繰り返す大新聞の編集委員や教職員組合の教師たちはなにかというと「ニホンはアジアに謝罪し、自衛隊と原発は廃止されれば日本はすばらしい国になる」とヒステリックに叫び続けるのだが、今どきそんな人物はいないだろう。新聞社は小説用に名前を変えておいて教職員組合やNHKは実名というのもいびつであるように思われる。
本書は現在もしくは近未来の日本を舞台にしているはずである。少なくともパラレルワールドの「もう一つの日本」であるという説明はここではされていない。で、あるならば、作者が本シリーズで批判したいものの実態は、作者の頭の中にだけある観念的な「左翼」であり「権力」ではないのか。そして、主人公たちを絶対的な善の立場に置くためにそれらをどうしようもない悪として描いてみせる。それが必ずしも成功しているとは言い難いと、私は思うのだ。
いじめに耐えて耐えて耐えぬいた主人公やそれを支援する人たちが最後に勝利するカタルシスを狙っているのだろうが、これは大映テレビ的な陳腐なお約束でしかない。そういう意味では「トンデモ本」として読むしかないのかもしれない。作者の目論見がそこにあるというのなら、ここで私が書いた感想には何の意味もないわけであるけれど。
(2002年7月27日読了)