「最果ての銀河船団 上」の完結編。。
核兵器を所持し、国家間の対立を深める蜘蛛族人類。エマージェントの支配者トマス・ナウはその文明を利用して自分の帝国を築き上げ、宇宙に君臨しようという計画を少しずつ実行に移し始める。彼は蜘蛛族をほとんど殺してしまい、利用しやすいものだけを残そうとしていたが、蜘蛛族に親近感を抱くものが多いため、その計画は隠して蜘蛛族と協同で文明水準をあげる計画を表向きには発していた。一方、トマスを倒して自分が集中化人間を使い自分の理想の世界を作ろうとしていたファム・トリンリは唯一の協力者であるエズル・ヴィンと葛藤する間に集中化人間の解放を考えるようになっていた。しかし、トマスの忠実な奴隷となっている集中化人間のアン・レナルトは、ファンが隠密裡に進めている打倒トマスの準備を見破ろうとしていた。いよいよ蜘蛛族を攻撃する段階にいたったトマス、そのタイミングを狙って妨害工作を実行しようとするファン、ファンの行動を探るアン。おりしも蜘蛛族の間ではスミス将軍が和平案を敵勢力に対して提出しようとしていた。最後に勝利を得るのはいったい誰なのか……。
前作の「遠き神々の炎」を読んだ時にも感じたのだが、作者の描き出すドラマは日本人の心性にフィットする要素が強い。本書でも、圧政者に対してその身分を隠して辛抱し、昼行灯をよそおいながら最後にその素顔をあらわにして劣勢を大逆転するという、大石内蔵助や水戸黄門に通じる要素がふんだんに含まれている。特にトマスという敵役が悪辣で狡猾なだけに、大逆転を期して活動するファンたちに対する感情移入もしやすいということになるだろう。
もちろん、小説の構成の上でも読者を驚かせるような大逆転を設定してあり、その巧みさには舌をまく。長々と描写してきた一見不要なものも最後には生かされるという塩梅だ。
しかし、それでも本書は長過ぎる。小説の仕掛けの上で必要なのかもしれないけれど、ここまで蜘蛛族側のエピソードをはさむ必要があったのか、疑問に思う。
前作「遠き神々の炎」も含め、作者の長編は日本人の感性に訴えかける面白さがある。大衆文芸の面白さにSFの魅力が解け合った作品、という感じだ。こういうものは日本作家が書いた方が面白いものができそうに思うのだが、どうだろうか。
(2002年8月13日読了)