諸葛孔明の前に赤壁の戦いで大敗を喫した曹操は、倭の邪馬台国を統治する女王卑弥呼の噂を聞き、彼女を連れてきて諸葛孔明の術を破ろうと考える。倭では中国系の奴国や朝鮮系の末盧国が邪馬台国と対立していた。蛮族である倭人と渡来系の人々が混合している国、そして女性が統治するという国を奴国も末盧国も一段低いものと見下していたのだ。奴国の王子、難升米は、中国人である父王が倭人の女に産ませたというため、長男ではあるが王位継承権はなく、もっぱら外交のために諸国をめぐるという役割を与えられていた。邪馬台国に潜入した難升米は卑弥呼にとらわれてしまうが、そこで彼はなぜ邪馬台国が発展していっているかを感じとる。それでも奴国にこだわる難升米は卑弥呼の誘いを蹴って故国に戻っていく。やがて魏や呉から使者が訪れ卑弥呼を孔明と戦わせるために同行を求める。卑弥呼は孔明と戦うのか。その戦いの行方は……。
小松左京賞受賞作の「今池電波聖ゴミマリア」では近未来の少年たちの姿を描いた作者だったが、本書では日本古代史と三国志を舞台にした作品を書いた。ここらあたり、一筋縄では行かない作者である。
本書の面白さは、古代日本の描写にある。渡来系の国と土着系の国の間にある差別意識、卑弥呼が使うとされた鬼道の真相など、従来のものとは違うが説得力のある描写なのである。べらんめえで喋る孔明には驚いたが、冷静な軍師というよりは山っ気のある軍略家という設定はなかなか魅力的である。
本書は、この設定でまず成功していると言える。ストーリー展開は流れもよく読ませるけれども設定ほど大胆とはいえず、狂言回しである難升米がなぜ卑弥呼にこれほど重んじられているかについても、中国系の王子であり倭人との混血であるということ以外にもうひとつ何かほしい。難升米に何かもうひとつ大きな魅力や特技を持たせることができていたら、ストーリー展開ももっと大胆なものになっていたかもしれない。
あり得たかもしれない孔明と卑弥呼の対決というアイデアと、古代日本のユニークな設定。これだけでももちろん魅力的な作品となっている。次にはどんなものを出してくるのか、目が離せない作家である。
(2002年10月12日読了)