「宮本武蔵 三」の続巻。
吉岡清十郎を破った宮本武蔵は、吉岡一門の追っ手から逃れる途中で本阿弥光悦とその母の妙秀尼の知遇を得、遊廓での遊びを教えられる。遊びのさなかに遊廓を抜け出した武蔵は、三十三間堂で吉岡伝七郎と試合し、勝利した。遊廓に帰ってから出会った吉野太夫から、武蔵は道というものの奥深さを教えられる。遊廓に潜伏していることを吉岡一門に知られ、武蔵は迷惑をかけないようにと店を後にする。吉岡一門は幼い源次郎をたてて武蔵と決着をつけようとする。場所は一乗寺下り松。門弟たち七十名が武蔵を待ち受ける。立会人は佐々木小次郎。武蔵を待ちかまえていた小次郎は奸計を用いて吉岡一門の居場所まで連れていこうとするが、武蔵はその心を見抜いてまいてしまう。下り松に急ぐ武蔵の前に現れたのは、ずっとすれ違いになっていたお通と城太郎であった。武蔵はお通に愛を告白し、それ以上に剣の道が自分には大切なのだと言い切る。吉岡一門について武蔵を待ち受けていたお杉と又八であったが、又八は朱実を口説いてその場から逃げ出してしまった。そして、武蔵と吉岡一門の最後の決闘が始まる。
2巻あたりからかなり説教臭が強くなってはいたが、本巻では説教モード全開である。人の心の奥深く響くはずのそれらの言葉は、類型的な悪役たちやあざとい再開のシーンなどのせいか、なにやら薄っぺらく感じられる。何よりも、主人公の宮本武蔵の個性というものが本巻あたりから妙に弱くなっているのである。武蔵というキャラクターが成長したからそのギラギラした個性が薄くなってきたのだとも考えられはするが、これが武蔵だ、とアピールできる何ものかを感じとることができなくなってくるのである。
説教臭がなければ、本書は講談調の痛快活劇として無条件に楽しめるのだろうに。時代の要請でそうなったのだろうとは思うけれど。
(2003年1月18日読了)