「それからの武蔵 四 島原篇」の続巻。
松山主水は、ついに由利姫をわがものとしようとし、そのもとを訪れる。しかし、由利姫はかれをきっぱりと拒絶。由利姫をさらって逃げようとした主水は、細川家の家人たちに討たれてしまう。細川忠利の誘いで、客分という条件により細川家に仕えることになった武蔵は、自分に足りなかった人の愛情を受けるという心を身につけようと、由利姫と夫婦になろうという決意をする。しかし、敬愛する忠利が病臥し、その快癒を待つことにする。ところが、その思いは裏切られた。忠利は病没、武蔵は由利姫の愛情を結局は受け入れられなかった。由利姫は熊本を去り、細川家を継いだ光尚は側近である林外記の甘言に従うのみ。武蔵はただひたすら孤独の道を貫こうとしていく。
武蔵や由利姫が「自由」や「愛情」という言葉をしきりに口にするのは気にはなる。これらは明治以降の価値観であり、特に戦後に強調されたものである。作者はおそらく武蔵の生き方を通じてそういった戦後的な価値観を描こうとしたのだろう。その気持ちはわかるが、ここまであからさまにしてしまうと、かえって時代小説としての興をそぐことになるのではないか。
ただ、自由人として武蔵を描くという試みは評価されるべきものだろう。自らの道徳法則にのっとって、強い克己心で自分の道を選びとっていく。カント的自由を武蔵の姿に見ることができるのである。
次巻でいよいよ完結。作者が描き切りたかった武蔵像は、どのように表されるのだろうか。
(2003年2月16日読了)