読書感想文


素浪人宮本武蔵 十 無常の篇
峰隆一郎著
光文社時代小説文庫
1995年3月20日第1刷
2002年11月10日第3刷
定価514円

 「素浪人宮本武蔵 九 牙狼の篇」の続巻。最終巻である。
 小田原藩の国家老に剣技の披露を望まれた武蔵は、かつてのように人を斬るのではなく、水に浮かべた紙を斬ることでその技を示した。400人以上の人を斬ってきた武蔵は、人を斬ることに意味を見いだせなくなっていた。技を見せた代償に国家老の妾、幸を抱く。町の茶屋で休んでいた武蔵に助けを求めた料理屋の仲居、牧は、家老の娘の不義密通を知っていたため斬られようとしていた。それを助けた武蔵だったが、幸の所に預けたため、結局は家老の知るところとなり、殺されてしまう。家老の娘、お帖が武蔵のもとを訪れ、自らの体を武蔵に捧げた。口止めということなのか。不動明王を彫りつづける武蔵は、買い付けに来た商人大友屋の娘、利久を抱く。小田原城下で再開したのは、彼に「宮本武蔵」の名を与えた武芸者であった。今は竹村武蔵と名乗る彼は、長年断ってきた女と酒に手をつけ、武芸者としての迫力を失ってしまっていた。竹村武蔵から佐々木小次郎の必殺技について知らされた武蔵は、小田原を去り一路小倉へ。途中、間男をした武士に助太刀を頼まれ、その女を尾張まで連れて行ったり、尾張で犬山城主の姫が山賊にさらわれたのを助けたりし、その都度その女や姫を抱く。とうとう500人斬りを達成してしまった武蔵は、最後の決闘を佐々木小次郎に求め、舟島へ。小次郎に対して武蔵がとった戦略とは。
 最終巻にして、武蔵は人を斬ることに懐疑的になる。彼にとって仕官とは、単に武芸者をやめて安定した生活をするという意味しかない。本シリーズにおける武蔵は、常人の感覚を持ち合わせないものであり、常人になることをひたすら恐れる人物である。常人でないことが彼のアイデンティティーであり、常人にしようという力がはたらくと、それを拒否するために人を斬る。吉川版武蔵の否定という形で書かれている本シリーズでは、だから決して武蔵が剣を通じて自らを磨くようなことはないのである。したがって、佐々木小次郎との対決は形ばかりの添え物でしかなく、武蔵と小次郎が戦う必然性を一つも感じさせないものになってしまってるのだ。いっそのこと、小次郎の性格を吉川版の宮本武蔵そのものにしてしまえばラストの決闘が引き立ったと思うのであるが。
 ところで、本書は全10巻の大河小説であるが、各巻ともよく似た展開をひたすら繰り返すので、最後の方になるといいかげん飽きてしまう。物語を通じて登場するのは主人公の武蔵だけであり、いい味を出しているキャラクターも巻が変われば姿を消してしまう。小説として、どこが佳境になるか判然としないのである。作者は故人であるが、生前は結局B級の作家という印象をぬぐうことができなかった。ここらあたりの小説作法の拙さに原因があったのかもしれない。せめてこの半分の分量であればもう少し高い評価を与えることができるのであるが。

(2003年3月19日読了)


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