「僕はイーグル3」の続刊。シリーズ第4巻である。
謎のスホーイを操縦する〈牙〉との戦いで傷ついた風谷修。彼の目の前に現れた国籍不明機は、北朝鮮からの亡命者を乗せていた。保身ばかり望む指揮官たちは亡命機を海上に着水させようとするが、修は事故による被害を最小限に食い止めるために、小松基地に亡命機を誘導する。そのため修と部下の矢島は処罰として戦闘機パイロットから追われ、ヘリコプター操縦を命じられる。一方、亡命機のパイロットは愛国者であり、北朝鮮への帰国を希望していた。かたくななパイロットはなぜか修にだけは口を開く。パイロットに亡命をすすめるよう命じられた修だが、パイロットは帰国を望むばかり。説得の場面はマスコミによって隠し撮りされ、テレビで公開される。その結果、世論に押されてパイロットの帰国が許された。国境までパイロットを送るためにイーグルへの騎乗が許された修だったが、その行く手には罠が待ちかまえていた……。
前巻が発行されたのがちょうど1年前。この間に現実は大きく動き、日本と北朝鮮の関係は大きな変化を見せようとしている。しかし、小説の世界にそれを反映させるわけにはいかない。戯画化された野党が北朝鮮を擁護する姿や北朝鮮のために嘘の報道をしようとする「進歩的」なテレビ局員の言動は、ますます現実から乖離してしまっている。もっとも右寄りとされるテレビ局ともっとも左寄りとされる新聞社が協同で拉致被害者の娘に北朝鮮でインタビューをするという現実の前に、作者が批判しようとしている「進歩的」なものはどこかに消え失せたようにも思える。
だとしたら、本書で作者が批判しているもう一つの対象、官僚的な上司についてはどうだろうか。こちらはイラク支援法のおかげで小説以上の混乱状態に置かれているように思える。
だとしたら、本書で描かれている世界はもうすでに前世紀の遺物であるのかもしれない。とすれば、本書の指向するのと正反対のテーマをもつ田中芳樹の「創竜伝」と、結局は同じこと。構想がたてられた段階では有効だった風刺は、もう既に終ってしまったことをいまだに批判する時代からずれた批判者の戯れ言に過ぎなくなってしまうのではないだろうか。
だから、主人公の孤独や苦悩もなにか大時代的になってしまうように思える。主人公が想いつづける初恋の女性は、一児の母になり、事故で夫をなくしたというすごい経験をしたとは思えないほど「女学生」的である。私にはわからないが、出産という大事業を成し遂げた女性がここまでいつまでもお嬢様でいるというのはかなり不自然なことではなかろうかと思うのだ。
それだけに、戦闘機を操縦する場面の描写の迫真ぶりだけが浮き上がってしまう。実力のある作家だけに、早く本作は完結させ、新しいテーマで、そう、「戦うニュースキャスター」のようなナンセンスさとディティールの正確さのバランスの取れたものを書いてほしいのである。
(2002年9月15日読了)