「妖説太閤記 上」に続く完結編。
柴田勝家を倒した秀吉は、しかし、本当の狙いであったお市の方を手に入れることはできなかった。お市の長女、ちゃちゃを自分のものとしようとしたが、素直に言うことを聞いてはくれない。親友の前田利家の娘、おまあを自分の愛妾とし、その秘め事を見せることによっておちゃちゃの気持ちを動かし、なんとか側室にはした。が、自分を愛してはくれない。家康を屈服させ、関白となった秀吉は、高貴な娘を見ると次々と自分の側室にする。これに対して諫言する蜂須賀彦右衛門や黒田官兵衛らは遠隔地に追いやり、天才的であった頭脳にも衰えが見始められる。聚楽第や大仏殿の建立などで民の怨嗟の的となった秀吉は、その目をそらすために明国征服を思いつく。さらに、按摩の石阿弥によって性感を開発されたおちゃちゃが長子鶴松を出産、秀吉は自分の後継者と目していた関白秀次の排除に動き始める。泥沼と化した朝鮮出兵、しのびよる家康の影、おねねの巻き返し……。上辺の栄華とは裏腹に、秀吉の周辺にはかげりが見え始める……。
トリックスターが英雄を目指した時、その異才は逆に彼を苦しめることになる。特に、天下を取ってからのビジョンを欠いた秀吉には、治世者としての力はなかった。
秀吉の出世欲を女性へのコンプレックスがモチベーションとなっているというみごとな想定で進めてきた本作で、作者はそのコンプレックスの裏返しによる女あさりや、老化により頑冥になった姿の醜さをこれでもかとばかりに描き出す。読んでいるうちに、秀吉の死を願うようになってくる。
作者は本文中で秀吉の作戦をたびたび太平洋戦争になぞらえ、失敗の共通原因を明確にしてみせる。ここに、作者の虚無的な史観が明らかになる。大所高所から歴史を見つめるのではなく、人間の愚かさが作り上げてきた「歴史」の本質をみごとにえぐり出すのだ。
また、本作の展開は忍法帖のあとの明治ものを思わせる。つまり、本書は作者が新しいステップに踏み出す記念碑的な作品ということもできるだろう。そういう意味でも本書は作者の代表作の一つに挙げていいものではないだろうか。
なお、本書はしばらく絶版になっていたが、現在では講談社文庫から新装版で発行されてる。この傑作の入手が再びたやすくなったのは喜ばしいことである。
(2003年12月13日読了)