「現代語訳 南総里見八犬伝(上)」の続巻。大衆小説の第一人者による「八犬伝」の抄訳の完結編である。
本巻では犬飼現八と犬村大角による化け猫退治、犬田小文吾の闘牛騒動、犬阪毛野の敵討ち等のエピソードから、犬江親兵衛と悪漢蟇田素藤や妙椿貍との対決、親兵衛の京都での虎退治を経て、関東管領軍対里見軍の最終決戦にいたる八犬士の活躍が描かれる。
さすがに親兵衛が主役となる後半部分は原作でもかなり冗長なため、駆け足で話を進めている。とはいえ、そこは名人芸で、話の端折り方がうまい。状況説明だけでよいところはとんとんと簡単な描写で話を進め、八犬士の知略をきっちりと書き込んでいる。
全巻を通じて感じるのは、本書が単純な勧善懲悪ものではないということだ。物語の発端である結城合戦が因縁となって、物語全てがなんらかの形でその発端と結びついている。こじつけめいた部分もないわけではないが、馬琴がこの長大な物語をただいたずらにふくらませるのではなく、二十数年もの間、一本の芯を通して書き続けていったという事実に驚嘆させられるのみである。善玉の因果も悪玉の因果も全ては結城合戦につながり、収斂していくのである。ここで馬琴は因果というものの根の深さを描き出したかったのだろうか。
名は体を表すという思想が貫かれているのも特徴で、判じ物めいたネーミングにそれぞれ意味がある。有名なのは伏姫で、人でありながら犬に嫁すのでにんべんに犬とつけている。しまいには奥利狼之介(おくりおおかみのすけ)、天岩餅九郎(あまいわもちくろう)などというたぐいの冗談としか思えないような名前も出てきたりはするのだが。ここらあたりは黄表紙も書いていた馬琴だけに、当時の戯作ではよくあるネーミングだったのかもしれない。ともかく、登場人物の命名にはかなり凝っているのだ。
原文は徹頭徹尾七五調で書かれているが、本書はそこまで講談調で訳されてはいない。しかし、音読するとわかるのだが、白井喬二も文章のリズムについてはかなり気を遣っている。原作の持つ特徴を失わせることなく、物語の面白さを表現し尽くしている。こういう作品が復刊されたことは喜ばしいことである。
(2004年3月1日読了)