常にわかりやすい言葉で哲学を語る哲学者による「死」についての考察。
著者は「死」を社会における人間関係から読み解こうとする。出産時にも臨終時にも病院で医師が処理をするようになり、現代人にとっての「死」は実感を伴わないようになったと著者は見る。また、葬儀会社がパックにして葬儀から法要までを取り扱うようになり、死者の近親者が「死」に対するショックから日常に戻る時間を取ることができなくなってしまったのではないかと考える。そこには、京都ではまだ残る「御逮夜」の風習を著者自信が経験し、その効用を実感したという裏づけがある。「死」だけではなく、人間同士のコミュニケーションの変容が身体感覚を希薄にさせてることを指摘し、「死」というものをもっと自分に引きつけて考えるべきだと提案する。
人間が他者に意識された時にはじめてその人物の個性が認知されるという指摘や、人間は「only
one」であると同時に「one of
them」でもあるのだということを自覚すべきだという主張には説得力がある。そして、それらの考え方は著者自身の経験だけでなく、デリダなどの思想家の考え方と照らし合わせることにより、論理的な裏づけがなされる。
著者のあとがきによると本書は著者の話をライターがまとめた「口述筆記」であるという。そのために、語りかける口調でわかりやすく噛み砕いた論考になっているという長所がある。これは推測でしかないが、文章に起こされたものに著者はかなり手を加えているのではないか。あるいは語り始めるまでに文献などをしっかりと調べて事前の準備を入念に行ったのではないだろうか。思いつきで話があっちこっちにいくこともなく、明晰に「死」への考察がなされているのだ。
ちょうど同時期にベストセラーの「死の壁」が刊行されていて、同じような内容をより緻密に説いた本書はわりをくってしまったかもしれない。本書で出典を明らかにされている論を「死の壁」ではまるで養老孟司の独自の考えであるかのように書かれていることが、明らかになる。そういう意味では内容は似通っているが、本書の方がていねいに作られているといえる。もっとも、ここまでやるのが当たり前なのではないかと思うのではあるが。
(2004年4月24日読了)