大学生の十朱春生は、自分を抑えて友人関係を作り、使い走りのような扱いに慣れ切っている。友人の御室聡に立ち入り禁止の山に入ることを誘われた彼は、そこに封じられていた媛神を解き放ってしまう。十朱と同化した媛神は、自分の両親を追い求め、彼は心の中から聞こえてくるその叫びに応じて、封じられた異界への扉を開けようと動き出す。それを察知した修験者の澄影、神を封じた山を守っていた御室忠行、ゲイバーに務めている裏綯い師の繰羽加賀彦、フリーライターの気綯い師である羽鳥暁彦らが解放された媛神を封じに、あるいは守りに現れる。媛神の両親である神をも解放した時に、古代には当たり前であった恐ろしい現象が復活する。神をめぐり、激しい戦いが始まろうとしていた。
古代の物部氏と蘇我氏の戦いに秘められた真相が、現代の若者の不信心がきっかけで明らかになっていくという筋立ては魅力的である。また、神をめぐり排斥されてきた血統を持つ者の悲しい定めの描き方も作者ならでは。手に汗握る攻防とその戦いを裏付ける呪術などの知識の量にはいつものことながら圧倒される。
ただ、それなのに何か物足りないものが残るのも事実である。それは例えば異物を排斥してきたのは古代大和朝廷であるのに、この物語は裏の力しか登場してこないというあたりにあるのかもしれない。同じ作者のテーマの似た「呪の血脈」と比較すると、本書は登場人物を押しつぶそうとする力が弱いと感じてしまう。世界全体を巻き込むような戦いが、個人的な戦いに収縮してしまっているように思われるのだ。
そういう意味では、力作ではあるけれど、作者のこれまでの作品と比べるといささか弱いのではないだろうか。ありていにいえば、登場人物のほとんどが理性的で、底に秘めた狂気が感じ取れないというところがその弱さの原因ではないかと思われてならない。むろん、エンターテインメントとしては高い水準の作品ではあるのだが、それ以上のものを作者には求めたいのである。
(2004年5月13日読了)