読書感想文


血脈 下
佐藤愛子著
文春文庫
2005年l月10日第1刷
定価800円

 「血脈 中」の続巻。
 洽六の死後も、佐藤家には狂気の血脈がとぎれることなく続いていた。八郎は次々と女を変え、2番目の妻のるり子が死ぬと、愛人の蘭子と入籍する。それでも八郎は詩人としての名声を得、童謡の研究会を主宰する。会の女性が気に入ると、なんとか自分のものにしようとする。まるで洽六がシナを一流の女優にさせてご機嫌をとろうとしたように、八郎も若い女性たちを賞賛し各方面に売り出そうとするのである。しかし、若い女性たちは八郎のもとから去り、結局彼は蘭子のもとに戻るしかないのである。愛子はもと軍人であった夫と別れた後、シナの勧めで文筆を志し、若い作家の佐々誠二(筆名・田畑麦彦)と結婚するが、夢想家の誠二は小説も事業もなりゆきまかせでものにならず、借金の山を築く。シナの家を抵当に入れていたため、類を及ぼさないようにと愛子とは偽装離婚をする。直木賞を受賞して売れっ子になった愛子のもとに、誠二は何かというと借金を申し入れ、多額の負債のために愛子は仕事を続けなければならない。八郎の子どもたちもまた、洽六の子どもたちと同様に仕事が長続きせず、何かをしたいが何をしていいかわからないという状況になるが、八郎は洽六のように子どものしりぬぐいをしなかったので、それぞれが身を持ち崩していく。シナが娘二人に見取られて死に、そして、八郎は叙勲が決定しその伝達式の日に急死した。八郎の息子たちのうち、長男と三男は勘当されたままみじめな死を遂げる。愛子の姉の早苗も晩年は佐藤家の血を体現するように、夫をほったらかしにして遊ぶという生き方を選ぶ。佐藤家の人々が次々と鬼籍に入り、残されたのは愛子と洽六の嫡曾孫にあたる恵だけとなった。残された恵を前に、愛子の胸に去来するものとは……。
 作者の書きようもあるのだろうが、佐藤家の人々は誰もが平凡な生き方を拒否するようになっていく。平凡な生活を望んだ者でも、ついにはそこから逃げるように自らの満足心を満たそうとする生き方に行き着くのである。作者はそのような「血脈」に真正面に向き合う。自分にもその血は流れているのである。
 作者はあとがきで「暴露小説」と思われるのを気にしているが、本書はそのような作品ではない。人気作家や詩人であった父や兄の不行跡を赤裸々に描いてはいるが、それは読者の興味をひくためではなく、自らのうちにひそむ狂気を投影したものに他ならないからである。
 まさに「業」としか呼びようのない数奇な運命をたどる人々の姿を通して、作者は人間の持つ弱さ、はかなさ、もろさを描こうとしたのではないだろうか。佐藤家の人々は、いずれも感受性が過剰に強いのである。それをなだめる才があれば、洽六、八郎、愛子のように名声を得ることもできる。しかし、他の兄弟や子どもたちはそれができないと、本書では描かれている。過剰なものは、もろい。そのもろさも含めて、作者は幾分の怒りを込めつつも、達観した筆致で描き出す。
 力作、傑作、そういう褒め言葉も無意味にしてしまう、強力な力を本書は発しているのである。

(2005年1月22日読了)


目次に戻る

ホームページに戻る