「陰陽寮 九 永劫回帰篇 上」に続くシリーズ第12作。とうとう完結編である。
刀伊軍に、京で流行している赤痘瘡が伝染する。刀伊の王ムンクは日本での戦いに嫌気がさし始めている。しかし、シヴァは刀伊軍を利用して大和に攻め入り、来流須の持つ聖杯を手に入れたい。次第に離反し始める2人であった。一方、道長に杏奈が抹殺されることを察した藤原信郷は、舟で摂津に向けて脱出しようとする。しかし、道中で刀伊軍につかまり、都の貴族であるという理由でムンクのもとに引きずり出される。ムンクは、この2人を神の生け贄に捧げて士気を高めようと考えた。それを知った晴明は、鬼道丸とむささびたちに2人を助けに行かせる一方で、内裏の穀倉に火を放って注意をひきつけ、一気にシヴァを滅ぼしてしまおうという策略をたてる。いよいよシヴァと晴明たちの最後の戦いが始まろうとしていた。
大団円である。ただし、前巻で細かく描かれた人間関係やら恋のもつれやらなんやらは、本巻の結末には一切かかわりがないどころか、その戦いの後にどうなったのかを示唆することもしていない。ここまで枚数を費やして描きたかったものはなんだったのか。
人の心の醜さか。
戦うということの虚しさか。
清らかな愛の美しさか。
せっかくこれだけの大作をものしたというのに、どうにも座りが悪いのである。
ここまでの枚数を書けるという力量には感服する。展開の激しさや、多数の登場人物の描き分け方、着想の面白さなど、見るべきところは多い。
だからこそ、大団円は大団円として全てのエピソードに何らかの形で決着をつけてほしかったのである。背景を同じくする作者の他作品で描かれるからよいというものではないのである。「陰陽寮」という独立した作品で決着をつけるべきものなのである。私は、それが小説というものだと思っている。
あとがきで作者は伝奇小説論を展開する。大風呂敷を広げないと面白くないという主張は、まさにそのとおりであるし、ちまちました「結末」に収束すべきではないという主張ももっともだと思う。しかし、だからといって、途中で書かれた話のしかも伝奇小説ではない部分についてまで「結末」はいらないという理屈にはなるまい。
あれこれ問題の多い作品だとは思うが、この長さと迫力には圧倒される思いである。だからこそ、真の意味での大団円で締めてほしかったと惜しまれてならないのだ。
(2005年6月8日読了)