「サマー/タイム/トラベラー 1」の続巻で、完結編。
夏祭りの花火の日、悠有は消えた。タクトたちは彼女を探した。タクトの前に突然現れた悠有は、自分の意志でタイムトラベルができるようになったことを告げた。そして、彼女の力を使い、ささやかながら大きな冒険を彼らはする。そしてその結果、涼の秘密が明らかになる。響子は念願だった辺里市からの脱出に成功し、悠有は、自分の意志でもっともっと先へ「進む」ことを決心する。タクトと悠有はプロジェクトで毎日走った道に行く。そこでタクトは悠有の旅立ちを見送ったのだ。悠有の行き先には「未来」はあるのか……。
ほろ苦い青春を中年男が振り返る、という構成は間違いではないのだけれど、本当の中年男から言わせてもらえば、この思い出話はその時の事柄を誇張しなさ過ぎる。日記をつけて記録していたとしても、高校1年の夏休みなんて時期のことは細部まで思い出すことはできず、甘い思いはより甘く、苦い思いはより苦く、極端な形でしか再現できないのだ。しかも自分に都合のいいようにしか。
しかし、苦くも甘い青年期の一部分を鮮やかに切り取っているという点では、この物語は本巻にはいってからがぜん面白くなった。逆にいうと、前巻はもっともっと切り詰め、1冊にまとめてしまってもよかったのではないかと思うのである。
タイムトラベルの理論を涼がとうとうと述べる部分の饒舌さも、前巻で羅列されたタイムトラベル小説の講釈も、未消化のまま書き連ねられているので、有機的にストーリーにからんでいない。別に必要ないのではないかと思える。これだけシンプルなラブ・ストーリーに、理屈はいらない。ましてや少女のタイムトラベルがファンタスティックな展開を見せるのだから、饒舌な講釈はその流れをせき止めてしまっているように思う。
若書き、というのだろうか。あるいはSFにしようと肩に力が入っているというべきなのだろうか。ネイサンやヤングの模倣と思われたって、それはそれで別にかまわないと思う。そういうものが書ける人は今いないといっていいのだから、模倣できるだけでもそれは凄いことなのじゃないかと思うのだ。
今後この作者にはもっとシンプルでリリカルな作品を望みたい。ええかっこしてペダンティックになる必要はなかろう。
(2005年8月27日読了)