「義経(上)」の続巻。
木曽義仲を倒した鎌倉軍の次の標的は西国に逃れた平家である。しかし、その追討作戦について、総大将の義経と軍監の梶原景時は激しく対立する。奇襲を基本とした戦術をとる義経と、個々の武士が相手の首をとって恩賞をもらう証拠とするような当時の戦の常識を墨守する景時とでは、戦いというものに対する価値観が違うのであった。奇襲また奇襲で平家を西に西に追い込む義経。ついに壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしたが、兄の頼朝は、勝手に都の官位を受けた義経に対する怒りを解こうとはしない。義経が兄の怒りを解くために平家を滅ぼした功績を訴えれば訴えるほど、鎌倉の御家人たちは自分たちの功労を認められなくなると思い、義経に反発する。頼りとしていた後白河法皇もまた、義経を自分の政権を保持する道具としてしか考えてはいなかった。ついに都落ちするにいたる義経たち……。義経はなぜ断罪されなければならなかったのか。
義経が都落ちするにいたる過程が、当時の政治の仕組みと、それに相容れない義経の思考法、また頼朝の目指す政治を理解できない義経のひずんだ理解力などをていねいに示すことによって浮き彫りになっていく。
ここでわかることは、作者が義経という人物にほとんど好意らしきものをもっていなということである。義経のことを「一種の痴呆」とさえ書いているのである。ここまで主人公に対して冷ややかな小説というのも珍しいのではあるまいか。
さらに、時代の動きというものに対し、戦国や幕末、明治時代にかけるほどの情熱が感じられない。
面白くないわけではない。作者独特の歴史観や人物評価は他の作品に勝るとも劣らないほど発揮されているし、悲劇のヒーローとして国民的人気を誇ってきた主人公について再考するというテーマは貫かれている。
ところが、作者は途中でこの人物に飽きてきたらしい。義経が都落ちしてから非業の死を遂げるまでの部分は省略されてしまい、物語そのものが尻切れになってしまっているのである。このまま書き続けても同じことの繰り返しと感じたのだろうか。
作者は資料がそろっていたり、多数の人々によって描き出されている時代の作品は多く書く。これは、歴史を作者独自の視点で再評価してみるというジャーナリスティックな視点であるように思われる。反面、誰にも書かれていない人物について自由な想像力をはばたかせて想像するという作業は苦手だったのではないかと思われる。義経の伝説というものに対して新たな物語を紡ぎ出していくことは、作者の苦手な分野だったといえるのではないだろうか。
(2005年9月3日読了)