「悪名高い皇帝たち[三]」の続巻。
暴君として知られる皇帝ネロの実像を描く。ネロはその治世の初期には家庭教師でもあった哲学者セネカの補佐もあり、それなりの善政をしく。ただ、戦場の経験がないため、東国のパルティアやドーバー海峡を渡ったブリタニアなどとの戦いには必要以上に時間をかけてしまったのだけれど。ネロの評判を落すのは、政治的な部分ではなく、その幼児的な性格からくる行動が原因となる。愛人と結婚したいがために、結婚に反対する母アグリッピーナを、そしてついに正妻オクタヴィアまでも殺してしまう。歌手になりたいがために皇帝の正装を脱いでコンサートを開いてしまう。自分の評判が落ちたことからそれを挽回するためにキリスト教徒に冤罪を着せて虐殺し、市民の目をそらせようとする。そのひとつひとつが皇帝にふさわしくないとみなされ、ついには「国家の敵」とみなされて自決を要求され、若い命を散らすことになるのである。
後世に伝わる暴君ぶりは、ただ一度のキリスト教徒虐殺が、カトリック協会のかっこうの標的になっただけであるという指摘などは傾聴に値する。成熟しないままに母の力によって皇帝となった若者は、ただ単に自分が好きなことをしたいだけだったのである。しかし、皇帝という威厳の必要な地位にいる以上、それを抑制しなければならなかったのに、ネロはあまりにも無防備すぎたのである。しかも、皇帝という地位のおかげで自分のやりたいこと(歌手デビューなど)を容易にできる立場にあったのが、ネロの悲劇だったのだ。
皇帝といえども人間である。しかし、アウグストゥスやクラウディウスのように人間味を表に出してはならないのが皇帝の要件でもあるのだ。だが、アウグストゥスのように抜群のバランス感覚で人間味と皇帝としての威厳を保つことは常人にはできない。ネロの過剰な感情の発露は、そのバランスを取りそこなうのに余りあるものがあったのだといえよう。
かくして、アウグストゥス以来続いてきた「ユリウス=クラウディウス」時代は幕を閉じる。
果たして歴史家による悪評が先にたつこれらの4人の皇帝は、そういわれるほどひどい皇帝であったのだろうか。歴史そのものと歴史認識の違いというものについて、著者はこれらの皇帝の実像を明らかにすることによってそれを示したといえるのではないだろうか。
(2005年9月12日読了)