「現代SF1500冊 乱闘編1975〜1995」の続巻。
「本の雑誌」1997年3月号の特集「この10年のSFはみんなクズだ!」に始まる「SFクズ論争」は、著者が「読み返してみてうんざりした」と述懐するほど、百家争鳴という感じのSF論が展開された事件であった。私も当時「SFマガジン」に寄稿したわけだけれど、論争することで何かが生まれるというような感じではなかったと記憶している。そんな中で著者はSF時評を続け、「これもSF、あれもSF」と面白いものにとにかくSFのレッテルをはりまくる。それが著者の「論争」に対するスタンスであったわけで、結局は大騒ぎする者よりも地道に啓発運動を続けた者の業績は大きかったと再認識させられた次第。
そして「SF夏の時代」がやってくる。「SF」とレッテルをはったものは売れないという各社の編集者の認識を改めるように、「Jコレクション」「奇想コレクション」などがヒットし、著者の時評も嬉しい悲鳴をあげるようになる。
同時代史として、生々しい感触がまだある。ジャンルが一番しんどい時に書評ができることは何か、ということを本書は示してくれているように思う。そして、これから書評家は何をすべきかということを考えさせられた。とにかく読むことが先決、なのではあるけれど。
2冊合わせてほぼ20年分か。書評という行為は(特に連載の時評は)、その時々にどんな本があったのかを記録することでもあるのだなと実感させてくれた。このような同時代史をまとめて出版した編集者にもまた敬意を表したい。私も10年以上零細書評家を続けてきたわけだけれど、なかなか書評というものは正当な評価をもらえないものだと思っている。書評集の出版というのは、それだけで一定の評価を下したということになると思う。作家と比べたら書評家は何ものも生み出さないように思えるのかもしれないけれど、そんなことはないのだ。それは、本書を駆け足でもいいから読んでみればわかる。
それにしても、10年分の書評をまとめて一気に読むというのはなかなかしんどいことだったが、それは書評家としていろいろなことを思い出し、また考えながら読んだからなのかもしれない。私自身の書評活動の時期と重なるだけに、よけいその思いは強い。
(2005年11月3日読了)