「空海の風景(上)」の続巻。
日本に帰国した空海は、東大寺の後ろだてもあり、また嵯峨天皇にその教養と達筆が気に入られ、次第に頭角をあらわしていく。本巻では、空海よりも先に帰国した最澄が、自分の意図とは関係なく密教を持ち帰った者として朝廷に認定されてしまったことから起こる空海との齟齬など、当時の仏教の展開などを背景にしたドラマが繰り広げられる。作者はスーパーマンとして空海を描こうとはしない。極めて合理的に空海の事蹟を解明し、等身大の人間空海を描き出す。驚くべきは、作者の冷静な筆致をもってしても、空海のスケールの大きさは少しも減じないことである。唐から新しい思想を持ち帰り、インドでも中国でも達することのなかった高みに密教を完成させていく。そうしながら土木工事の指揮や教育機関の建設など、空海の業績は多岐に渡って積み重ねられていく。
本書の題名である「空海の風景」は、空海を囲む当時の風景でもあり、また空海の目に映った日本の様子でもある。唐の都長安のもつスケールの大きさ。そして比較すればどんどん小さくなっていく日本という未開の国。その狭間で空海が何を思い、どう感じたか。作者の想像力はどんどん広がっていく。
一見すると、夢枕獏の描く超人空海とは対極にあるように見える。おそらく夢枕獏は本書を意識せずに空海を書くことはできなかったであろう。しかし、作者のような手法をとろうと、夢枕獏のような手法をとろうと、空海という存在のスケールの大きさは等質なものとして浮かび上がってくる。歴史上、空前絶後の人物かもしれない。両者の描く空海を比較してみれば、それが理解できるだろう。中途半端な力量では描き出すことのできない人物、それが弘法大師空海なのである。
(2005年11月15日読了)