読書感想文


マヂック・オペラ 二・二六殺人事件
山田正紀著
早川書房
2005年11月30日第1刷
定価2000円

 「ミステリ・オペラ」に続く〈オペラ三部作〉第二弾。
 元特高警察の刑事である志村恭輔は、戦後の昭和34年に阿部定のもとを訪れる。23年ぶりの再会であった。彼は昭和11年2月に彼女と関わりを持ったことがあったのだ。志村が彼女に尋ねたのは、その年の2月26日、雪は降っていたのかやんでいたのかということであった。彼にとってはそのことは重大な問題なのだ。昭和11年、志村は上司の命令で〈検閲図書館〉黙忌一郎と出会い、奇怪な映画を見せられた。江戸川乱歩の小説「押絵と旅する男」を映画化したものなのだが、そこに現れる役者は乱歩と芥川龍之介そっくりの人物たちであった。黙が志村に依頼したのはこの2人の役者のことを突き止めてほしいということ。志村が黙と出会った刑務所には一冊の帳面が置いてあり、そこには「乃木坂芸者殺人事件」に関する詳細な記述が殺人事件の被害者に恋をしていた男の手によって綴られていた。志村はその刑務所で映画では芥川龍之介に扮していた男、遠藤平吉と出会う。遠藤を取り調べようとした志村であったが、遠藤は脱獄してしまう。黙によると、遠藤という男は自分が変装した人間と心まで同化してしまい自分という存在まで消してしまうという特異な能力の持ち主であった。さらに黙に見せられたニュース映画では、乱歩に扮していた男が元陸軍大臣の真崎甚三郎を演じていた。志村が捜査を続けていくと、貴族子弟によって構成されている憲兵特別班の〈狐〉につかまり暴行を受けてしまう。そして発覚していく陸軍「青年将校」の決起計画。それを煽る謎の人物の影。はたして偽物の乱歩と龍之介は、「乃木坂芸者殺人事件」や「青年将校決起計画」の2つの事件でどのような役割を果たしているのか。そして決起をきっかけに帝都を破壊しようとする黒幕の陰謀とは……。二・二六事件の朝、黙がとった行動は……。
 悪役として描かれることの多い特高の刑事を狂言回しとし、〈検閲図書館〉黙忌一郎を二・二六事件の謎を解明する探偵役として描かれる壮大なミステリである。単に歴史の真相をあばきだすというのなら、歴史小説として書けばよい。作者は密室殺人事件や芥川のドッペルゲンガーの正体などの謎を並行して読者に投げかけていきながら、気がつけば本丸である二・二六事件の真相に肉迫しているという二重三重の罠を張りめぐらせる。
 しかも、二・二六事件の真相そのものが作者が緻密に作り上げた幻想的なフィクションであったりするのである。しかし、その何層にも積み重ねられたディティールのために、この奇想天外な〈真相〉が不思議なリアリティを保っているのである。驚異的な想像力というほかないだろう。
 「怪人二十面相」のアイデンティティーとは何か。ドッペルゲンガーが映し出すものは何か。大義名分の意味とは何か。様々な問いかけが本書には含まれている。ただの謎解きでは終らない深みがこのシリーズにはあるのだ。そして、このシリーズの主人公である〈検閲図書館〉黙忌一郎に課せられた使命の重さが、本書では特に強く意識されている。歴史というものは虚と実の積み重ねで作り上げられていくのだ。ならば、黙が守ろうとする〈歴史〉とはいったいどういう意味を持ったものなのか。
 前作よりもいくぶん地味な印象はあるが、読みごたえは変わらない。いや、黙という登場人物の性格がはっきりしてきた分だけ、〈歴史〉を扱うことの意義というものがより深く、そして重くなってきたと感じられた。完結編「ファイナル・オペラ(仮題)」がどのような着地点をしめしてくれるのか、興味は尽きない。

(2005年12月27日読了)


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