いまやティーンズ文庫の老舗となった「集英社コバルト文庫」であるが、「小説ジュニア」誌の時代、ありていにいうと氷室冴子のデビューするまでは、富島健夫、川上宗薫、佐藤愛子などなどベテラン作家による「少女小説」のころは同世代の作家が読者に向けてメッセージを送るというようなものではなかったのだ。著者は「集英社文庫コバルトシリーズ」時代にデビューし、氷室冴子、正本ノン、田中雅美、新井素子らとともに「ティーンズ文庫」の新しい時代を作り上げていった一人として、その時代のことを綴ってくれた。
驚くべきことに、この当時、「コバルト」の編集者も若い作家たちも戦略として方向性をしっかりと持っていたわけではないのである。著者は、自分が読者の立場となって好きな漫画家のイラストをカバーに使用することを提案したり、読者のお便りへの対応を考えファンクラブのようなものを作ったりというようなことをし、後の作家たちへの道を拓いていったのである。これとて戦略というほど綿密に練られていたということではない。
花井愛子の「ときめきイチゴ時代」と読み比べると、両者の意識の違いがわかってくる。久美沙織は「小説家」で、花井愛子は「コピーライター」だということが、ここまではっきりと出るとは。
ただ、面白いのは編集部の考え方がコバルトもX文庫もそう変わらないというところ。なにか新しいことをしようとしているという意識もなければ、読者のレベルをはかりかねているところまで同じである。
いわゆる「文学史」とは無縁のところで起こっていたできごとが、こうやって形として残されることがいかに重要なことか。しかも本書は「ライトノベル」のサイト運営者からのメールがきっかけで書き始められたという。出版社の企画としてもあげられたことがなかったのである。忘れられないうちに書かれなければならないことは多いのではないか。「スニーカー文庫」「電撃文庫」の草創期の話など、水野良あたりに書いてもらいたいところである。
(2006年1月20日読了)