読書感想文


第九の日
瀬名秀明著
光文社
2006年6月25日第1刷
定価1700円

 「デカルトの密室」に続く連作シリーズ。本書は短篇の連作である。
 心理学者の一ノ瀬玲奈とロボットのケンイチが遭遇する一連の事件を通じ、ロボット工学者で作家でもある尾形祐輔とケンイチが、ロボットにおける知能とは何かという問題に直面していく。短篇という形をとっているため、様々な観点からのアプローチができ、長編であった前巻よりも学際的にテーマを追求できる上にストーリーの展開も速くてメリハリが効いている。「あしたのロボット」でも感じたのだが、作者の場合、長編よりもこのような連作の短篇集の方がより力を発揮するように思われる。
 「メンツェルのチェスプレイヤー」ではロボットにおける〈自由意思〉とは何かが問われる。チェスならチェスに没頭している時こそ、人にとってもロボットにとってもすべてのくびきから解き放たれた自由な時間ではないかという主張の正否が問われるのである。
 「モノー博士の島」では、身体障害者がより優れた義足や義肢などをつけることによって健常者を超える存在になるという設定のもとに、肉体と意識の関係を掘り下げていく。
 「第九の日」では、前巻では書き切れていなかった〈宗教〉についての考察が行われる。ロボットは〈神〉を認識できるのか。ロボットにとっての〈原罪〉は主人殺しに相当するのか。これは巻末の書下ろし短篇「決闘」に引き継がれていく。人間が人工的に知能を作り出すということにおけるキリスト教的な問題点を浮き彫りにするのである。
 これまでは作者の問題意識が深まるとともに、ストーリーが円滑に進まないという課題があったと思うのだが、本書はその問題意識がストーリーとうまく噛み合って進行していく。さらに、このシリーズは尾形祐輔がケンイチの視点で書いた小説という設定になっているのだが、この設定を通じて作者が長年課題としている「小説とは何か」という点についても一定の解答を出すことができているように思う。
 巻末の「決闘」は、新たな書き手が登場し、ケンイチや尾形祐輔を外から見るという形をとっている。これがそれまでの「尾形祐輔の小説」という設定とどういった形で整合性を保っていくことになるのか。新たな事件も発生しており、今後の展開に注目したい。

(2006年8月19日読了)


目次に戻る

ホームページに戻る