ぼやき日記


4月11日(火)

 昨日の日記に書いた「雨をかぶると禿げる」都市伝説に対しててなもんや伝言板にさっそく反響をいただきました。私、こういうネタは大好きですんで、さらなる書き込みをよろしくお願いいたします。

 同僚にクラシックファンの人がいて、今日、ついついCDを買うてしまう話をしていた。二人してうんうんそうやなあと言うていたのが、CDショップで鳴らされているとものすごく名演に聞こえてしまうので迷ってるときには結局それで買うてしまうということ。よう考えたら、再生用のオーディオなんか、店ではけっこうええものを使うているはず。私の持ってる貧弱なCDMDラジカセではスピーカーが小さかったり、住宅事情の関係であんまり音量を大きくでけへんかったりするから同じCDでもそのよさが伝わってこないんやね。もちろん買わせるために店でCDをかけてるんやから、それにまんまとひっかかってるといえばそれまでなんやけど。
 最近は専門店やと試聴用のプレイヤーが置いてあって、ヘッドホンで聴けるようになってる。そやけど、ほんまに買うのを迷うてるようなCDはそういう機械には入れてなかったりするんやね。レコードの時代やと、頼んだら売ってるレコードを店でかけてくれたりしたんやけれど。CDの場合、密封されてるものの包装をむいてしまうともう売られへんから、そういうわけにはいかへんのやろうね。もっとも、ヘッドホンで聴いたものとスピーカーで再生したものとではかなり印象が変わることも確かで、試聴機もあてにならへん場合がある。
 専門誌を読むと、実はポータブルCDプレイヤーが一番いい音質の再生をするらしい。しかも電池でかけた方がええんやて。ほんまやろか。もっとも私の場合、ヘッドホンが安物やから、あんまり意味がないように思うんやけれど。
 これはCDと生演奏の差というのと近いものがあるかもしれへんね。どんな名演とされてるものでも、生演奏には勝たれへんような場合もあるし。生演奏で退屈やったコンサートのライヴ録音がCDとして発売されたらめちゃめちゃ名演に聞こえる場合もある。いやほんま。
 で、店でいい音量でかかってるCDにだまされる場合もでてくると思うね。せっかく買うてわくわくしながら家でかけたら、なんやこれというものもあるしね。
 人の耳はだまされやすいというけれど、こういう時にそれを実感するね。今でも「CDの音はキンキンする。アナログの方がいい」ということを書いたものを読むことがあるけれど、アナログの音の方がデジタルの音よりいいという思いこみがあったら、聴き比べる前に答えが出てるということもあるんと違うかな。

 あったら恐い。納豆の香りの入浴剤。

4月12日(水)

 だいたい「三国人」てな言葉はもう死語やと思うてた。いや、私らの世代やと、もう普段に使う言葉やないね。
 たぶん私が初めて「三国人」なる言葉を目にしたのは、小林信彦著「日本の喜劇人」やったと思う。藤村有弘(ドン・ガバチョの声で有名)に触れた部分で「日活アクション映画で怪しい中国語をあやつる三国人役が似合う」とあった記憶がある。その時は「三国人」の意味はようわからんかったんやけど、藤村有弘がチャイナ服を着て「あなた、それ、いけない、あるよろし」というような演技をしている場面が浮かんできたんで、そういうイメージがあった。東映動画の「サイボーグ009」で藤村有弘が006の声をあてているのも、そこらあたりからきているんやろうね。
 現在は知事であるとしても、もともとは作家なんやから、言葉の意味はようわかった上で使うてるんやと思うし、むろん外国人をいい意味で言うている文脈やないね。どういう反応が返ってくるか、全く考えんと言うたんやろうか。それやったら想像力が欠如しているとしかいいようがない。作家としたら致命的やないかね。
 日本に勢力を伸ばす外国系の暴力団を排除するつもりやったら、もっと他にやり方があったんと違うか。
 正直なところ、ノック元知事よりも危ないおっさんやと思うね。ただ、議員たちはこういう知事に対して問責決議や弾劾決議を出すかどうかということやけれど、おそらくださへんやろうなあ。
 なんでかというと、在日外国人には選挙権がないから、どんなにがんばって知事を辞職に追い込んだとしても次の選挙には何の関係もないからね。大阪みたいなことにはたぶんならへんのと違うかな。
 それにしても「三国人」ですか。とても現代人とは思われへん言語感覚やなあ。そういう言葉を知らへん若い人が聞いたら「『三国志』となにか関係がある言葉ですか?」とかきかれるんと違うか。死語となってるものがいきなりこういう形でクローズアップされると、その言葉はまた蘇ってくるわけやね。こういう言葉は「亡霊語」というたほうがええかもしれへんね。

 あったら恐い。両肩をフォールしてくる掛け布団。

4月13日(木)

 休み時間に生徒がゲームの攻略本を読んでいる。なんのゲームかと見たら、「ドラゴンクエストIII」。なんで今さら。スーパーファミコンように再開発されたものやそうですが、中古ソフト屋ででも買うたのかな。
「なつかしいなあ。僕も10年以上前に毎日夢中でやってて、なんとかゾーマを倒したんやで」と言うと、「先生はどれくらいかかったの?」ときいてきた。「1ヶ月はかかったかなあ」「なあんだ、僕だったら2週間でクリアしちゃうよ」。
 ぬぬぬぬ。言うてくれるやないか。「あのなあ、あの頃は攻略本も公式ガイドブックもなかったんやで。全部自力でクリアせんとあかんかったんやで」と半分本気で反論してしもうた。
 そう。今でこそゲームとは疎遠やけど、かつての私は「ドンキーコング」も「スーパーマリオブラザーズ」も「ポートピア連続殺人事件」もやってたんです。「攻略本」なるものを初めて買うたのは「スーパーマリオブラザーズ」やったかな。隠し金貨のありかやとか、より高く空中に飛び上がる方法とかが書いてあって、その通りやったら確かにそれまでよりも奥のステージまで進むことができた。そやけど、面白くなくなってしまうたんで、攻略本なんかに頼るのはやめることにした。
 「ポートピア連続殺人事件」にも攻略本はあったと思うけど、買いもしてない読んでもいない。そやから解決するまでめちゃめちゃ苦労した。なんかアイテムを一つ取り忘れただけで次の場面に進まれへんのやからね、あれは。何回後戻りして虫眼鏡で部屋を探しまくったか。解決したときはへとへとに疲れてた。「ドラクエ」もそう。「ドラクエIV」になると攻略本やら公式ガイドブックがないとラストまで行かれへんのと違うかという感じになってしもうたんで、こらもうあかんとRPGはほとんどやらへんようになってしもうた。
 だいたい仕事しながらゲームにのめり込んだら、読書の時間がとられへん、というのもあったけどね。
 今の子どもは「攻略本」や「ガイドブック」込みでゲームをすることが当然になってるんかなあ。そんなんで面白いんやろか。私にはわかりません。それって、「SF文学総解説」であらすじを読んでからSF小説を読むみたいなもの……ちょっと違うか。
 しかし、攻略本なし徒手空拳で同じゲームをしていた者が、攻略本を読みながらゲームをする子どもから「なあんだ、僕だったら2週間でクリアしちゃうよ」と言われたないね。そんなことで向きになるのは大人げないですか。私もそう思う。

 あったら恐い。着信時電撃ショック機能付き携帯電話。(かなりネタが苦しくなってきた)

4月14日(金)

 落語界の案内がきたので、見に行こうとチケットを買う。今は便利ですな。わざわざ前売り券を買わんでもコンビニで買えるからね。「米朝小米朝親子会」と「立川談志独演会」の両方とも「ローソンチケット」で買えるんで近くの「ローソン」の端末で申し込む。日付と会場がわかってたら、タッチパネルの画面から検索して買えるのがありがたい。ところが、「親子会」のチケットは買えたけど、「談志独演会」の方は売り切れ。案内が送られてきたときに主催者に電話で問い合わせたら、確か「ローソンチケット」にはあまり席をまわしてないようなことを言うていたんで、「チケットぴあ」で買うことにした。こちらは「ファミリーマート」に端末がある。
 これが便利なようで実に不便でね、「ファミリーマート」の端末ではあらかじめ「Pコード」なる数字を調べておかへんと画面に目当ての公演の案内が出てこない。コンビニの端末やから、雑誌のコーナーで「ぴあ」を立ち読みしてPコードを調べんならん。まさかその「ぴあ」を持ったままコードを入力するわけにはいかん。私はそこまで図々しくない。そやからというて、そのために「ぴあ」を買うのもあほくさい。コードを暗記せんならん。しかたないなと思いながら、「ぴあ」のページを繰ってみた。
 「談志独演会」の案内は載ってて「チケットぴあ」で買えるというマークもついてる。そやのに、Pコードが書かれてへんやないか。来月の催しには全部Pコードが書かれてるのに。結局次の日に「チケットぴあ」に電話して予約番号をもらい、それを「ファミリーマート」の端末に入力して、なんとか券は買えたからよかったけどね。しかし「ローソンチケット」と比べると、なんとも手間がかかる。「チケットぴあ」はこの調子やったら「ローソンチケット」に負けるのと違うか。実は、インターネットに「チケットぴあ」のページがあるんやけれど、そこで予約しようと思うたら、「ぴあ」の会員にならんとあかん。面倒くさいこときわまりない。こういう大名商売をしてたらあかんぞ。なんのためにコンビニに端末を置いてるのか。その意味があまりないように思うね。確かに、わざわざ「チケットぴあ」や「チケットセゾン」に行かんと券が買えへんかった時代と比べると便利にはなってるけれど、もっと便利なものが出てるんやから、お客はそっちを利用するよ。
 とはいえ、こんな文句をつけられるようになるとは。時代は人間をどんどん無精にしていくなあ。

 あったら恐い。火をつけるとむせて咳をする煙草。

4月15日(土)

 1000円で本屋やらスーパーの店先で「バーゲン」と称して売ってあるCDがあるでしょう。ビートルズやらカーペンターズやら有名な歌手のCDがあると思うたら、クラシックではカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏とか。版権切れかなんかしらんけれど、マスターテープを持ってる会社とは全然関係ないところから出ているものです。いわゆる「海賊盤」とでもいうのかな。
 私はなるべく正規のレーベルから出てるものを買うことにしてて、めったにこういう海賊盤には手を出さへんのやけど、今日は違うた。江坂にある本屋に寄ったら、中古CDと海賊盤CDが売られてて、中古CDに掘り出し物がないか見てたら、海賊盤のコーナーにあったんですな。「昭和の漫才」「昭和の演芸」と題されたCDで、漫才ではエンタツ・アチャコの「早慶戦」をはじめとして、てんや・わんや、桂子・好江、捨丸・春代、千代若・千代菊、Wけんじが、演芸では桜井長一郎の物真似、古川ロッパの漫談、坂野比呂志の香具師口上、柳家三亀松の都々逸といった具合。今、CD屋に行って探しても、入手でけへん音源ばっかりやないか。通販のCDセットにもない。エンタツ・アチャコはLPで持ってるけど、CDでは持ってない。即、買いました。
 しかし、どこの音源から流用してるのかな。レコードからダビングしたらしく針の音がシーシーパチパチと聞こえる。それでもかまわん。たとえ海賊盤であっても、こういう流用は大歓迎やね。ちゃんとしたレコード会社が貴重な音源を死蔵してるのにはかねがねいらだちを感じてた。たとえば、ビクターから2枚組で出てた上方漫才のLPなんか、小学生の私には手が出なんだ。あんなんちゃんとCD化してくれへんのはひどいと思う。ソニーが出してた「ダイマル・ラケット・アンコール」もまだCDにはなってない。なんでやねん。それやったら海賊盤でもかまわん。正規のレーベルが出さへんのやから、しかたないよ。
 海賊盤のCD会社さん、こういう企画、どんどん立ててえな。私が許す。私が許したからというてどうということはないけど、でも許す。正規のレーベルがやらへん事をやってこそ海賊盤の面目躍如というもんやないですか。キングレコードなんか、まとまった音源があるのに「お笑い百科事典」とかいう題をつけてちょっとずつCDに入れたものを出してそれでよしとしておるんやからね。それやったら海賊盤で出てるものと変わらへん。がんばれ海賊盤。
 正規のレーベルは、文句は言われへんぞ。文句があったらちゃんと出してくれい。

 あったら恐い。わさび味の歯磨き。

 明日は「たちよみの会」です。興味がおありの方はのぞいてみて下さい。

4月16日(日)

 今日は「たちよみの会」の例会。会が終わった後、三条京阪にある「ブック・オフ」に寄る。100円均一のコーナーのところに、ハルキ文庫の小松左京や眉村卓の作品が何冊かまとまって並べてある。新品同様の美本。偶然にもいっぺんに同じ数だけ売る人が集中したとは考えにくいから、これは書店か取次の在庫処分かなんかかもしれへん。
 せっかく復刊したのに、実数ではそれほど売れてないのか、それともハルキ文庫が岩波文庫みたいに書店の買い取り制にでもしてるのか。後者はちょっと考えづらいから、取次から「ブック・オフ」に売れ残った在庫が流れてるというようなことでもあるのやろうか。流通の経路が不明やから、どうしても憶測でしか語られへんのやけどね。
 はっきりしていることは、新刊同様の文庫がまとめて古本屋に出ていたということやね。SFの名作が復刊されるのは喜ばしいことで、書店でそれらを入手できることを読者としても歓迎しているんやけど、こういうものを見ると手放しで喜ばれへん状況があるのかなあと思うてしまう。どうにも気にかかる。
 他の「ブック・オフ」や古本チェーン店ではどうなんやろう。そういう店にまめに足を運ぶ方やないから、実態がわからへん。もし全国のチェーンでかなりの在庫をこういう形で売りさばいているとしたら、今後復刊のペースが鈍るというようなこともあるかもしれへん。やっと名作の復刊が進んできてええ感じになってきているというのに。杞憂に過ぎなければええのやけれど。

 あったら恐い。かけると殴る度つきサングラス。

4月17日(月)

 同僚と話をしていて、大平かつみが奥さんの尾崎小百合と夫婦漫才コンビを結成するという話題になった。その人は特に笑芸にくわしいというわけやないんやけど、話の流れでそういうネタになってしもうた。すると、その人は「夫婦漫才というのは難しいのと違うの」と言う。何を根拠にそう言うのかというと、現在成功している夫婦漫才は宮川大助、花子しかいないからやそうですな。申し訳ないけれど、半可通というか知ったかぶりというか。こういう人を相手に話すのが一番困る。
 なんで夫婦漫才が少なくなったかというとこらあたりの事情というものをいちいち説明しないといけない。それが面倒やね。兄弟漫才や夫婦漫才が少なくなったのは、最近の漫才コンビがたいてい吉本や松竹の養成機関出身であったりするからとか、地方を回る漫才の一座というものがなくなってきたから、ということやと思う。
 大助、花子かて最初から夫婦漫才やなかったんですよ。そこらあたりの事情も知らんとしたり顔で「夫婦漫才は難しい」と言われても、ねえ。それでいうなら、兄弟漫才かて難しいことになる。他人漫才はやりやすいということになる。それはもうコンビの相性というもので、「もと夫婦漫才」でも息が合うておもろかったりするやないですか。たとえ私生活ではうまいこといかへんでも芸の上では別、ということなんです。実は他人漫才の方がコンビ別れの率は高いんやから、そちらの方が難しいに違いない。
 そういうようなことを延々話しても、平気で知ったかぶりをする人には通じへんかったりするからね。そやから説明はしなかった。一言だけ「どんなコンビでも呼吸が合うようになるのには時間がかかるし、難しいもんですわ」と言うてその話題は終わりにしたけれどね。私かてつい知ったかぶりしてしまう危険はあると思うから、よほど自信のある話以外はやめといた方がええなあと自戒しておくことにしよう。

 あったら恐い。注ぐとすぐに乾燥するドライビール。

 明日の夜は落語を聞きにいくので更新はお休みします。次回更新は水曜深夜の予定です。

4月19日(水)

 昨日は「シアター・ドラマシティ」へ「立川談志独演会」を聞きに行く。
 談志師匠が今年いっぱいで活動を休止するとスポーツ紙に書かれてたんで、それまでに一度生で家元の落語を聞いておきたかったんです。なにを演じるかは、事前にはわからない。実は談志師匠ご本人も高座に上がってから客の反応を見て演題を決めるらしい。 長々と放送でけへんようなネタをふりながら、客がどこで笑うか確かめてる。その間に少しずつテンションを高めているという感じ。中入り前には「粗忽長屋」。これが聞いててぞくぞくしてきた。というのも、家元はこれを単なる滑稽噺としてやらなかったから。シュールでナンセンスな味わいがある。こんな「粗忽長屋」は初めて聞いた。
 中入り後の「品川心中(上)」では心中しようという場面の描写にひきこまれる。それまでどちらかというと訥々と演じていたのが、この場面にくるとぐっと気合いが入り、迫力満点。サゲのあと、幕が下りかかったと思うたら、途中でまた上がり始めた。アンコール、というわけやないんやけれど、「品川心中」の残りの段をダイジェストでやったりする。お客に対するサービス精神の非常に旺盛な人やなあと思うた。
 談志の落語は聞きに行かないとその真価がわからんと誰かがどこかで書いてたけど、確かにそうかもしれへん。割と軽い気持ちで行ったんやけど、行ってよかったなあと思う。
 ところで、中入りの間に一服つけに行ったんやけど、そこへテレビ用にビデオを録画しにきたとおぼしき人たちが現れた。私の横でタバコをすうてる若い男性にインタビューをし始める。おもしろそうなんで、ちょうど1本吸うたところやったけど、もう1本火をつけてインタビューの様子を聞くことにした。
 「落語はお好きですか」「はい」「立川さん以外の方ではどなたの落語をよく聞かれますか」「いえ、立川談志さんしか聞きません」「立川さんの落語のどういうところがお好きなんですか」「談志さんの人間性とか、そういうところがいいと思うんです」。
 横で聞いてて実に恥ずかしくなってきた。「立川さん」はないでしょう。「立川」は亭号やから、ここは「談志さん」やないとあかんと思うね。志の輔も談春もみんな「立川さん」ですよ。勘九郎を「中村さん」、庄之助を「木村さん」、米朝を「桂さん」と呼ぶのでしょうな、このインタビュアーは。答える方も答えるほうやね。談志師匠の落語しか聞かへんというのは「落語が好き」なんやなしに「談志が好き」なんと違うかなあ。東京落語の面白さと上方落語の面白さを聞き比べてみるもよし、志ん朝やら小三治やらいろんな落語家で同じ話を聞き比べるもよし、いろいろな楽しみ方をしてから「落語が好き」というてほしいなあ。「人間性」というのも、ねえ。傍若無人に見える言動も、これ全て芸のうち。本人に会うて話でもしたんならともかく、高座の姿だけで「人間性」はわからんと私は思うんやけど。
 それはともかくいい気分で会場を出る。携帯用のラジオを聞いたら、ちょうど福原がジャイアンツを完封した直後やった。ますますいい気分になった。
 さあ、来週は「米朝小米朝親子会」やぞ。

 あったら恐い。当たりくじつきのふぐ茶漬け。

4月20日(木)

 妻が録画したNHK教育テレビの「4年の理科」を見る。オープニングタイトルのCGが凄い。ロボットが空を人力飛行機みたいなものに乗って飛んでいるんやけど、そこにへちまがぶら下がっていたりする。そのギャップが笑える。うん、確かに小学4年生でへちまを栽培したなあ。今でも4年生はへちまを育ててるんや。バックに流れる音楽はプロコフィエフの「三つのオレンジの恋」の行進曲。こういう使い方もあったんか。選曲が渋い。
 ぼさぼさのかつらをかぶった「博士」が登場して助手の「セイコ」とロボットに指令を出す、というパターンらしいんやけど、この「博士」を演じてるのがなんと納谷悟郎。この人がショッカー首領やったり、銭形警部やったり、ジョン・ウェインやったりするなんて、学校の教室でこの番組を見てるよい子たちは知らへんのやろうなあ。実は出演者の名前を見るまで、妻も気がつかへんかったそうです。私は前もって妻から聞かされてたからそう思って見てたけどね。ベテランの声優さんを顔出しで使うのはNHKの得意とするところやけれど、ショッカー首領がマッドサイエンティスト風のかっこうで出てくるというのは、これはスタッフの趣味に違いないと私はにらんでいる。オタクはどこにでもいるはずやからね。
 いやしかし、NHK教育の番組はいつも面白いし授業でも利用してるんやけれど、思わんところに仕掛けがしてあって、なかなかあなどれんもんです。くだらんバラエティ番組よりもよっぽど楽しいぞ。

 あったら恐い。嘘つきが手を入れると噛みつく郵便ポスト。


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