ぼやき日記


9月11日(月)

 朝からじゃじゃ降りの雨。とうとう来ましたね。これは夏の雨やない。秋が来たー、秋が来た。こんどこそほんまに秋が来た。もう夏には戻ってくれるなよ。
 こういう日は原チャリ通勤は危険、というよりしんどい疲れる。非常に気を張って運転せんといかん。というわけで、バスと電車を乗り継いで出勤することにした。
 いやはや久しぶりにバス通勤なんてことをすると、ふだん目に入らへんものが見えて面白い。
 朝、満員のバスでうまいこと座った若い女性がおもむろに小さな鞄を出してきて何をするかというと化粧をするんだ。そんな濃い化粧やないけど、化粧を直すという感じやない。土台は家でしてきて仕上げはバスの中というところか。バスの中は人いきれと湿気でむんむんしてる。そこへ鼻先で化粧品の匂いをぷんぷんさせるんだ。たまりまへんなあ。なんというか、公衆の目前でおもむろに着替え始めてるみたいな気がする。時間の節約という意味でやってるんやろうけど、あんまり見てて気持ちのええもんやなかったね。満員バスの中で化粧なんかするなーっ。ところで、この女性、もし座られへんかったらどこで化粧するつもりやったんやろう。駅のホームかな。ますますもって見苦しい。
 帰り道、やっぱり座られへんかって吊革を持って立っていたら、私の目の前に立っている高校生の女の子が携帯電話を出してごそごそやっている。いわゆるメールを打つという場面でありますね。いやもうその指の動きの速いこと。今どきの高校生はテンキーですらすらすいとタイピングするんやね。満員やから、肩越しにのぞく形になり、見るつもりがなくても液晶画面が目に入る。両手の親指が素早く動いてたちまち文章がわいて出る。はっきり申します。今こうして私がキーボードで文章を書いているのよりも速い。あれに慣れたらパソコンで文章を書く方が面倒くさくなるんと違うか。私も携帯電話からショートメールというのを送ったことがあるけれど、文字を打ち出すのにめちゃめちゃ時間がかかった。慣れてないからそれまでと言われれば反論はでけへんけれど、あの速さにはびっくりした。
 世間知らずのおっさんには、なかなか目新しいものを見せてもろた。まあ常にバス通勤してる人にしたらこういう光景は常識なんかもわからへんけど。これも時代の最先端かなあ。おっちゃん、ようついていかれへん。

9月12日(火)

 えらいこっちゃ。あんだけ降らへんかった雨が、ここにきてえらい勢い。名古屋の方は大変なことになってるみたいやね。妻が名古屋の友人に電話をかけてみたけれど、回線が混んでてつながらへん。あの地震の時に神戸にかけたときもそうやった。あの時は公衆電話からかけた方がようつながったんやったっけ。東海地方のみなさん、大丈夫ですか? この日記みたいな呑気なページを読んでいられるなら大丈夫やと思うけれど。

 今日買うてきた「ベースボールマガジン」は外国人選手の特集。元タイガースのバースとダンカンが対談している。あ、ダンカンというても元ジャイアンツの選手でも元ライオンズの選手でもウルトラセブンに倒された宇宙人でもありません。そういう知名度の低いダンカンやない。熱狂的なタイガースファンで知られるタレントのダンカンです。
 で、読者プレゼントとしてバースのサイン色紙やサインボールが当たると告知されていた。バースのサイン! 欲しいぞ欲しいぞ。応募方法を読むと、「官製ハガキか電子メールのどちらかでご応募下さい」とある。むむむ、ついに出たか。
 これまでやと雑誌や新聞の懸賞はハガキ、ネット上の懸賞はメールと媒体によって応募方法が違ってたと思うんやけれど、ここでは併用されている。携帯電話からでも電子メールが送れる時代やから、当然といえば当然なんやけど、これまで私はこの二つが併用されているのは見たことがなかった。抽選の作業なんかは繁雑になるかもしれへんけれど、これからはこういう形で応募を受け付けることが当たり前になってくるかもしれへんね。そういう意味ではベースボールマガジン社はなかなか進んでるといえるかもしれん。
 というわけで、さっそく電子メールで応募することにした。色紙もボールも3名ずつにしか当たらへんからまず無理やと思うけれど、もし当たったら私は宝物にするぞ。
 ちなみに断り書きがしてあって、一人で何枚も応募しても当たる確率が高くなるわけではないので心をこめて1通だけ送るようにというようなことが書いてあった。確かに電子メールを使えば転送モードで何通も送ることができるからね。一人で100回くらいメールを送る奴が出てくるかもしれへん。それを未然に防止しようということやろう。ハガキやったら1枚50円は最低かかるけど、メールやったら電話代とアクセス料だけですむからね。どうせなら、一人1通に限ります、それ以上はいくら送ってきても無効になりますくらいの規定を作ってもよかったんと違うかな。
 私はもちろん心をこめてメールを1回だけ送信しますよ。当たればラッキー、はずれてもともと。そんな簡単にバース様のサインが手にはいるとは思うてません。
 けど、当たってほしいなあ。

9月13日(水)

 今日のタイガースとジャイアンツの試合で、江夏と田淵の黄金バッテリーが始球式をした。あの黄金バッテリーが甲子園に帰ってきた! 縦縞のユニフォームに袖を通して! 二人がバッテリーを組むのは四半世紀ぶりとのこと。江夏と田淵の時代にタイガースファンになった私としては感激してしまいましたよ。このまま田淵監督に江夏投手コーチで帰ってきてくれへんかな。それやったら私はなんぼタイガースが負けてもかまへんぞ。あ、そうか。ジャイアンツファンがいつまでも長嶋監督にいてもらいたがる気持ちが今やっとわかった。そうかそうかそうやったんか。

 妻が図書館から本を借りてきてめくったら子どもの字の日記ともなんともつかない文章が書かれたノートの切れ端がはさまっていた。タイトルは「かんそう文とどろどろ」。なんか面白かったんで全文引用する。

1.土がどろどろでした。
2.はちや、カーや、青ムシがいました。
3.ちょームカつきました。
4.あとでウナクールをぬりました。
5.私は、にどといかないとこころにちかいました。
6.だんごムシがこうびをしていました。
7.かやはちや、青ムシやだんごむしは、しぜんだからしょうがないと思いました。

 一文ごとにノンブルがふってあったり「カー」と蚊のことをのばして呼んでいるところなど、全て原文のままであります。
 どこが「かんそう文」なんかようわからんけど、えもいわれぬ面白さがありませんか。蜂や蚊や青虫にむかついて二度といかないと心に誓っているかと思うといきなりダンゴムシの交尾が出てきたりする、その唐突さ。「自然だからしょうがない」と達観しているところなぞなんとも言われんね。
 これは「ビタミン剤の中身がわかる本」という本にはさまってたんやけど、子どもの作文(?)がなんでそんな本にはさまってたんやら。よりによって「ビタミン剤の中身がわかる本」。なんで「ビタミン剤の中身がわかる本」。およそ子どもの作文(?)には縁のない本やないか。親がしおりがわりにそこらへんに落ちてた紙をはさんだんかな。子どもの書いたものを勝手にしおりにするやろか。
 誰が書いたかわからない。誰が本にはさんだんかもわからない。それがなんと全世界に発信されてしまおうとは、書いた本人に想像でけたでしょうか。
 大阪府パナソニック市に在住でこの文章に心当たりのある方はいてはりませんか。著作権はあなたのものです。ぜひご連絡下さい。
 ほんまに連絡がきたらどないしょう。

9月14日(木)

 毎度のごとく最寄り駅前の本屋さんに寄る。今日はハルキ文庫の新刊をどさどさと買う。書評のためにゲラで読んだものはどうしようかと悩んでしまう。とりあえずそれらは読んだんやから今日は買わんとく。
 レジに本を持っていくと、前に並んでいた年輩の男性がNHKテキストの「今日の料理」と、その本屋さんの紙袋を持って店員さんに差し出した。その男性は紙袋から「今日の健康」のテキストを出してきて「実は昨日、間違えてもう買うてた本と同じ本を買うてしもうたんやけど。こちらを買うから換えてくれへんかなあ」てなことを言う。レシートもちゃんと持ってきて、店員さんに見せる。ちょうどレジのところに店長さんがいてはって、難しい顔をしながら「わかりました」と交換して差額をその男性に返した。
 そんなんありやったんかいな。本は返品や交換がきかへん商品やとばっかり思うていた。私なんか何回間違えて同じ本を買うてしもうたことがあるかわからんくらいやのに。買うてしもうたら返品でけへんと思うから、だぶったものは古本屋に持っていって買値よりもうんと安い値段で引き取ってもらうしかないとあきらめてるのに。それが通用するんやったら、買うてすぐに読んで次の日に「間違えました」言うて返品してもええんかと、こうなる。
 くだんの男性は別に強面でもなんでもないし、「本の返品は乱調落丁以外には受け付けていません」と断ってもよかったんやろうけれど、小さな街の本屋さんにしたら、ここで杓子定規に断るとその客を手放すことになると判断したんやろうなあ。この場合、よく似たテキストと交換するということやったから、まだ交換もやむなしとなったんかもしれへん。そら店長さん、難しい顔にもなりますわいな。
 しかしなあ、ああ堂々と当然のように自分の勘違いでだぶって買うた本の返品、交換を申し出るなんて、私にはできません。ゲラで読んだ本でもだぶり買いになるなあと悩んでいるというのに。世間一般の常識と私の意識は違うのやろか。
 どない思わはります?

9月15日(金)

 昨日はサッカーの予選、今日は開会式とオリンピックのテレビ中継に夢中になっている人は多いんでしょうね。私ですか。昨日は延長10回裏まで阪神巨人戦、今日は大相撲13日目を見ておりました。なんか世間に背を向けて生きているような感じやね。私にしたら自分の好きなものをいつものように見てるだけなんやけれど。

 今日、水戸泉関が引退を正式発表し、今後は錦戸親方として後進の指導にあたることになった。今場所限りで引退するやろうなと予想してたけれど、こうやって正式に発表されるとちょっと辛い。水戸泉関は、1962年生まれ。つまり私と同い年なんです。スポーツ選手は現役を引退するのが早いもので、同い年というたら元横綱大乃国、元タイガースの中西清起投手なんかはずいぶん前に引退してしもうた。私の知ってる同い年のスポーツ選手はタイガースの和田豊内野手、ベイスターズの駒田徳広内野手くらいになった。
 普通の社会なら中堅どころとしてこれから社会の中核をになっていく年頃ということになるんやろうけれどね。もっともスポーツ選手の場合、この年まで現役でいられるような選手は指導者になったり解説者になったりと引退しても新たにその世界で活躍する場があるわけやから、まあいうたら人生を2回やるようなもんかもしれへんね。水戸泉関の場合、将来高砂親方を襲名して部屋の後を継ぐことが決まってるから、引退後のことを心配せんと体力の続く限り現役でいられたということかもしれへんね。
 もし私が今教師を現役引退なんかしてみなさい。たちまち路頭に迷う。物書きとしての収入なんぞ微々たるもんやし、この年になるとだんだん脳みそが硬直してつぶしがきかんようになってきている。なんでも不適格な教師を校長が勤務評定して他業種に出向させる案が教育改革と称して出されてるそうな。私は自分ではちゃんと仕事をしているつもりやけど、校長がそう思わへんかったらどうなるか。ああ恐い。
 てなことを感じた水戸泉関の引退でありました。

 9月8日の日記に書いた「二代目福郎」やけれど、福三さんは「森乃福郎」を襲名するそうです。やっぱり「笑福亭福郎」やなかったんですね。まあ、一般的には「福郎」というたら「森乃」姓やわな。今日の新聞でわかりました。最初に報道したスポーツ新聞の記者も一般的に考えてたんで「笑福亭」か「森乃」かどちらかなんて気にもならなんだんでしょうな。そんなことを気にした私の方がおかしいか。

9月16日(土)

 ポニージャックスのCDを聴いていたら、妻が子どもの頃ポニージャックスのヒゲのおじさんに電車の中で頭をなでられたという思い出話になった。妻が有名人を見たもっとも古い記憶ということになる。
 私は誰やったかなあと記憶を掘り起こしてみると、幼稚園に訪問してきた阿部進やなかったか。教育評論家としてテレビやラジオに引っ張りだこで、カバゴン先生のニックネームで人気があった人。虫プロの劇場アニメ「クレオパトラ」ではアントニウスの側近カバゴニスという役で声の出演をしたり、特撮番組「スペクトルマン」では宇宙猿人ゴリによって怪獣カバゴンに改造されてしまう男の役でゲスト出演したりするほど本業の教育論以外にもタレントとして活躍してはった。
 もちろん幼稚園児やった私でもカバゴン先生はテレビで見てよう知ってた。その実物が目の前に立ってはる。その時に私がどう感じたか。なぜか明瞭にこれは憶えている。「このカバゴン先生は誰がぬいぐるみを着てるんやろう」。つまりテレビに出ている人というのはすべからく現実の存在やないとでも思うてたんやろうね。それやのにテレビそのままの姿が現実に目の前にある。「これはこの前のサンタさんがバスの先生やったみたいに、誰かが扮してるんや」と考えたんですな。
 テレビは今でいうヴァーチャル空間であると認識していたのかもしれへん。単に疑り深い嫌な子どもやった、ともいえる。よくよく見たらどこにもファスナーはついていない。ウルトラマンの怪獣みたいに背中にファスナーがついているのかと疑うたわけです。ふーむ、するとカバゴン先生は、いやテレビにでている人は実在するんやと、そこまで思うたかどうかは定かやないけれど、テレビの中のものと現実とについて何か考えるところがあったには違いない。そうやなかったらそんな感想を30数年たった今も記憶してませんわな。
 あの年頃の子どもの中にはテレビも現実もごっちゃになってるのもいてるやろうけれど、こうやって思い出してみると私はかなり醒めた生意気なガキやったことがわかる。園長先生が「テレビでおなじみのカバゴン先生ですよ」と紹介しても背中にファスナーがないか疑うなんて我ながらけったいな子どもやったんやなあと妙なところで感心してしまいましたよ。
 あなたの有名人目撃初体験はどんなでしたか?
 それはそうと今どきなんでポニージャックスのCDなぞ聴きたいと思うたんでしょうな、私は。学校で生徒の持ってきたキンキキッズのCDをさんざん聴かされた反動かしれん。

 明日は「たちよみの会」です。スケジュールのあう方は、一度きてみてくださいね。

9月17日(日)

 今日の「たちよみの会」の話題は「京都SFフェスティバル」の企画が中心。今年もいろいろと苦労しながら企画を立てているようやけれど、大物のゲストが予定されていて、これはまだ公式発表されてないんでここに書くのは差し控えるけど、例年とはひと味違う「京フェス」になりそうで楽しみ。
 散会後、「ブックオフ」に寄る。これといった出物もなく、トイレに行って用を足してからさて帰ろうとしたら、トイレの入口近くでアルバイトらしい若い女性が数人のやはり若い男女に呼び出されて立っていた。なんや物騒やなとちらりと見るとその女性は涙ぐんでるやないですか。ええ年していじめでもないやろうと通り過ぎようとしたら、泣きながら「そんなに優しい言葉をかけられたら……あたし……」てなことを言うている。なにがあったかしらんけれど、えらい愁嘆場ですわ。くだんの店員は友人らに対して何か失礼なことをし、非難されても仕方ない立場にあるんやけれど、友人らはそんな彼女をあたたかく許し、それに対して彼女は感極まった……てなところですか。なんや青春ドラマのひとこまみたいですな。それはええ。自己陶酔するのも別に好きにしはったらよろしい。そやけど、店のエプロンをつけたままお客のいるところでそれをするというのはいかがなものか。
 そのフロアにはちゃんとした上司がいてなかったみたいやね。普通、正社員か店長か誰かが注意すべき場面やないかいな。友人が呼び出した時点では注意しようがないとは思うけれど、エスカレーターの登り口で話をしているのを見たら場所を移すように指導するやろう、普通。
 そういう青春ドラマは三条の河原が近くにあるんやから、そこでやってよ。なんかしらんけれど、彼ら全員が安直な青春ドラマの登場人物になったつもりでいるみたいな感じがして、妙に落ち着かへんかった。
 ええい、人前でべしょべしょ泣くんやない! みっともないと思わんか。全員が自己陶酔してるから、人に見られてようがなにしようが平気なんかな。それにしても店のエプロンくらい取りなさいよ。恥ずかしい。
 しかしまあ、現実にああいうものを見せられるとは思わんかった。あるんですねえ、実際に。

9月18日(月)

 今日から運動会の練習開始。かんかん照りのもとで練習したのに、あれほどぼたぼたしたたるように出た汗が、今日はほとんど出ない。季節は確実に秋になってるんやなあ、と実感。暑さ寒さも彼岸までとはよういうたもんや。

 帰り、最寄り駅前の書店に寄って、店を出たところで興味深い光景を目撃した。
 ずいぶん前にこの日記に書いたことのある布教おばさん(勝手に命名するなよな)が主役。誰も立ち止まろうとしないのに神のありがたさを説き、一心不乱にキリスト教の別派らしき教えを早口で語っている女性であります。
 今日は珍しく彼女を取り囲む一団があった。自転車に乗ったまま降りようともしない高校生くらいの男の子が3人。いかにも遊び好きという感じの連中で、布教おばさん(他の人はどう呼んでるか知らん)をからかおうとして話しかけたといった様子。私が横を通り過ぎた時はそのうちの一人が「ノストラダムスの予言は当たらへんかったやんけえ」てなことを言うている。おそらく「世界が滅亡しても神を信じていたら助かるのです」みたいなことに対する反論なんやろう。
 これはどういう展開になるのか。実に興味がわいてきた。立ち聞きしてることがあからさまになると面倒なので、うまいこと近くに灰皿があったんで「ふとタバコをすいたくなった中年のおっさん」というふりをして一服つけながら耳を傾ける。布教おばさん(考えたら失礼な呼び方や)はノストラダムスの予言と聖書の預言には何の関係もない、しかし神はいったん人間を滅ぼし選ばれた者だけを楽園に住まわせるてなことを言うている。ちょっとした宗教知識があればやすやすと論破できる話やけど、いかんせん彼らにそれを論破できるだけの力量はあらへん。
 どないするんやとさらに聞いていると、彼らは得意の茶化しながら話をそらすという手に出た。彼らの仲間内では有効なその手段も、真摯に語り自説を曲げない布教おばさん(しかし他に適当な呼び方がない)には通用せえへん。「おばちゃん、誰かつき合うてるひとおるん?」と神の国とはおよそ次元の違う話題を振る。自分たちのレベルに相手を持っていこうという作戦らしい。布教おばさん(この日記ではこれで通そう)の声が聞き取りにくい。ちらりと見ると上方を指さしている。「マリアさんか?」と若者。こらこら聖母マリアは女やぞ。「イエス・キリストです」と今度は明瞭に布教おばさん(彼女のご家族の方が読んではったら、ごめんなさい)の声が聞こえた。つまり自分は身も心も神と神の子に捧げているということが言いたいのかな。
 最初はへらへらと薄ら笑いを浮かべていた彼らの表情がだんだん真剣になってくる。茶々を入れることなく疑問点を質問するような口調に変わる。
 ついに、一番へらへらしていた奴が「なんかおばさんの言うこと、信じられそうや」と軍門に下った。そいつにチラシを渡す布教おばさん(もしご本人が読んではったらどないしよう)。他の二人も自然に手を差し出しチラシを受け取る。いきなり渡されたなら読みもせんとほかすやろうそんなチラシをちゃんとたたんでポケットに入れる。
 恐るべし、布教おばさん。真摯に信心している者にとっては議論能力の訓練もしたことがなく知識もそれほどない若者など赤子の手をひねるように説き伏せてしまう。これはもう格の違いとしかいいようがない。
 いやいやなかなか面白いものを見せていただきました。きっと彼らの通っている学校ではこれほど彼らに聞く気を起こさせる教師はいてへんのと違うやろか。担任の先生に見せて参考にさせたいくらい。うーむ。恐るべし布教おばさん。

 明日は所用のため更新をお休みします。次回更新は水曜深夜の予定です。

9月20日(水)

 昨日は「春駒の会」に。桂春駒さんは「日本芸能再発見の会」の会員で、会のあとの懇親会でごいっしょさせてもらったりしている。その春駒さんの独演会で、今年で17回を数えるという。昨年は日程があわへんかったんで行かれへんかったけど、今年はなんとか忙しい時期と重ならへんかったんでぶじ聞きに行くことができた。
 演目は春駒さんが「禁酒関所」と「仔猫」。他に新野新さん、桂きん枝さんとのトーク。海原はるか・かなたさんの漫才。桂梅團治さんの「寝床」。前座の桂福矢さんの「時うどん」というプログラム。はるかさんの髪の毛をかなたさんが吹き飛ばしてはるかさんが頭を振ってもとに戻すネタは、実は生で見たのは初めて。うまいこともとに戻るもんですなあ。
 面白かったのはきん枝さんとのトークで、実は春駒さんときん枝さんは高校時代の同級生で、いっしょに落語研究会に入っていたという仲。同級生が同じ業界にいてるわけで、ほんまに長いつきあいやないとああいうフランクな会話はでけへんなあと感じた。
 私の場合は、おがわさとしさんがそれに近いものがあるかな。なにしろ高校時代に同じクラス、同じクラブでつるんで遊んでた間柄。彼は漫画家、私は書評家と業種は違うけれど、SFという業界にいっしょに関わっていることになる。知名度では星雲賞にノミネートされようかというおがわさんとなんもあらへん私とでは比べものにならんのやけれどね。
 そやけど、もしローカルコンベンションなんかでもしおがわさんと私とがトークをしたとしたら(SF大会ではそんな企画はなかろう。もしあったとしても私がおがわさんにインタビューするような形のものになるかな)、俺おまえで話をするやろうね。で、そういう様子を見た人たちからしたら、やっぱりつきあいが長いんやなあと感じはるんやろうね。ここまでくると仲がええとか悪いとかいうよりもいわば腐れ縁とでもいうべき(おがわくんごめん!)関係かもしれへんね。
 そういう意味では同業にそういう友人がいる春駒さんときん枝さんはいろんな意味でおたがいを刺激しあいつつ仕事をし、遊び、とできるわけで、その楽しさがトークからも伝わってきた。私もおがわくんに負けへんようにがんばろ。
 まずは星雲賞の書評部門を受賞することからやね。そんな賞はありません。あっても私には回ってきません。しくしく。

 おがわさとしさんについて、新しい情報をお知らせしておきます。
 「
10月から京都新聞にマンガを描くことになりました。毎週月曜日の夕刊に掲載。この間の精華のHPマンガみたいなカラーマンガです」とのことです。
 残念ながら全国紙やないんで京都以外のおがわファンには入手しにくいものではあるけれど、入手できる人はお楽しみに。私もなんとか入手しようと方法を考えています。実家が京都にあるから、その点はありがたい。


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