ぼやき日記


1月11日(金)

 今日は暖かい一日。なんでも3月下旬の気候やったそうな。2日ほど前までは日中の気温が10度に達しないでがたがた震えてたのにね。同じように厚着をしてでていったら汗をかいた。
 午前中は障害の重い生徒たちといっしょに河原へ散歩。目を離すわけにはいかへんから教師の方はゆっくりのんびりはでけへんけれど、生徒たちは川風に吹かれて気持ちよさそう。いや、実際に気持ちよろしい。仕事とはいえ、散歩を楽しむというような時間がもてるというのはありがたいことやね。冬休み中は時間が自由になってるはずやのに、風邪ひきなんかもあったりしてとても散歩というようなことはでけへんかったけど、逆に時間にしばられているはずの勤務にはいったところで散歩の時間ができるというのも面白い話やね。
 障害の重い生徒は家庭でなかなか外を出歩くことのない子どもも多い。保護者の方からの連絡帳を読むとなるべく外出させるように心掛けてはるんやけれど、家にいてることが多い子どももけっこういる。
 散歩も立派な学習やなあと思う。外の空気に触れる。自動車に気をつけて歩く。それが刺激になって発達が促される。あまり豊かな自然に囲まれた環境やないけれど、近くの公園に行くと四季折々の草花や樹木の変化を感じることもできる。実際に経験することが、最高の学習やないかと思う。
 ふだんの生活でも散歩を楽しむくらいの余裕がほしいんやけど、どうしても休みには読書をしたり書き物をしたりという時間が必要になる。教師と文筆とふたつの仕事をしているからしかたないことなんやけどね。
 そのわりに夜に外出してることが多かったりするなあ。遊びで外出することもあるんやけど、そうでない場合もあるのです。なんかもっともっといろんなことをする時間がほしいなあ。

 明日も夜に外出いたします。次回更新は日曜深夜の予定です。

1月13日(日)

 昨晩は京都の居酒屋「ビストロ薬研掘」にて北野勇作さんの日本SF大賞受賞をお祝いする飲み会に参加した。出席者は北野夫妻の他、我孫子武丸さん、小林泰三さん、塩澤快浩さん、菅浩江さん、田中哲弥さん、田中啓文さん、谷口裕貴さん、野尻抱介さん、林譲治さん、藤原ヨウコウさん、冬樹蛉さん、堀晃さん、牧野修さんという顔触れ。関西在住の作家、画家、レヴュアーがずらりと顔をそろえる。
 実はこの店は「丸善京都店」の裏手にあったんで、集合時間まで少し間があったんでそちらに入って本を探したりしてたら、下りのエスカレーターで牧野さんに声をかけられ、入り口で菅さんに挨拶し、そこへ野尻さんと林さんがやってくるというような感じでありまして、そらまあ結局われわれが時間をつぶすというと書店ということになるわなあ。
 座敷では、私はなんとなく座ったら北野さんの正面。妻からことずかっていた質問をいくつかしたりする。ちゃんこ鍋をつつきながら、歓談。鍋の出し汁が煮立ってきたら、野尻さんや林さんがハードSF的解説をはじめたりする楽しい鍋であります。
 まあSFの話と馬鹿話でもりあがって、いちいち書き上げていくのもなんなんですが、例えば北野さんが冬樹さんに「葉月里緒菜の離婚をどない思たはります」てなことをきくと、「彼女は『パラサイト・イヴ』でミトコンドリアの役をしましたからねえ。もう一回結婚して〈ニドコンドリア〉になってほしい」と答えるというような心あたたまる会話が交わされたことを記しておいてその雰囲気を想像していただくことにしましょう。
 北野さんはほんまに嬉しそうやった。それを見てると、こっちも嬉しくなってくる。いい宴会やったなあと思う。こういう宴会は何度でも参加したい。
 二次会はスナック「秘密結社ショッカー」に移動。ここでも会話に花が咲く。わざわざ携帯で某掲示板を見てはそれを肴に飲む小林さんの姿を見て、そこまで情熱を燃やし続けられるのは凄いと思いました。
 私と大阪のホテルに宿をとっている塩澤さんは大阪行きの京阪電車最終急行に乗るため、23時過ぎに失礼する。電車の中で塩澤さんにべらべらとしゃべる。なんかわあわあとしゃべってしまい迷惑をかけたなあ。塩澤さんごめんなさい。
 実は今日は大阪で林さんといっしょに塩澤さんと原稿の打ち合わせをしたりしててですね、明日は某SFJ誌の座談会の司会をすることになっている。この三連休は完全にものかきモード。火曜日から教員モードにうまく切り替えられるか不安やなあ。私、スイッチの切り替えがへたやから。

 というわけで、明日の夜は座談会の関係で更新はお休みです。次回更新は火曜の深夜の予定です。

1月15日(火)

 昨日は京都の中華料理店「東華菜館」で「SFJapan」誌の座談会。「作家たちが山田正紀ファンクラブ結成」というお題で、我孫子武丸さん、菅浩江さん、田中啓文さん、西澤保彦さん、牧野修さんが山田作品について熱く語り合うという内容。私は一応司会と構成という役回り。もっとも、実際の進行は徳間書店のOさんがやったみたいなものですが。
 なかなか中身の濃い話を聞くことができて、私は楽しませてもろうた。もっとも、このあとテープ起こししたものから読み物として構成しなおすという作業があるわけで、私の仕事はこれからということになるんやけどね。内容については3月発売予定の「SFJapan」誌を読んでもらえばええというか、今からその内容をばらすわけにはいかんからここでは書かへん。あたりまえやね。
 こういった座談会の現場に立ち会うのは初めての経験やから、かなり緊張した。司会どころやおまへん。三村美衣さんのアドバイスで、メモをとっておいてそちらを中心にして構成したらよいと言われていたんで、メモをとりながら話を聞き、話を聞きながら料理を食べ、料理を食べながらビールを飲み、ビールを飲みながらタバコを吸う。いや、話を聞いてるだけやったらあかん。話がそれかけたら、流れを大切にしつつ本題に戻さんならん。そのタイミングが難しい。頭はフル回転。ほんまにええ経験になった。
 二次会は居酒屋「ウシノツノ」。我孫子さん、田中さん、牧野さんのゴーストハンタートリオの会話が面白く、大阪行きの最終急行を逃してしまう。途中終点の普通列車に乗り、タクシーで帰る。今日仕事がなかったら、京都に泊まりたいくらいやったんやけどね。
 細々ながらものかきを続けてきたおかげで、こういう楽しい時間を過ごすことができたわけで、ほんまに私は幸せもんやと思う。
 今朝は教師モードに切り替えられるか不安やったんやけれど、さすがに校門をくぐるとスイッチが入りました。そやけど、もうしばらくものかきモードのままでいたかったなあという気もする。
 ああでも、今月は『SFが読みたい』の原稿とbk1の原稿と座談会の構成を半月の間に書いてしまわんならんわけやから、家に帰ったらものかきモードに切り替えんとあかんのやな。四の五のいうてられんわけです。さあ、書くぞお。

1月16日(水)

 町中で見かける『UFJ銀行』という看板を見て、銀行に入ったら恐竜やサメが出迎えてくれたりスヌーピーといっしょに記念写真をとれたりしそうに思うてしまうのは、私だけやろうか。
 三つの銀行が一つになったから『三和銀行』やったんやから、それに一つ加わったら『四和銀行』にしたらええのにと思うたんは、私だけやろうか。
 こんな舌をかみそうで、かつ簡略化して呼びにくい名前の銀行はすぐに改名されると思うのは、私だけやろうか。「ウフジェ銀行」とも呼びにくいし、「ユーエフジェー」というと長過ぎる上にやっぱり遊園地とまちがえると思うな。
 名前をきめる前にマーケットリサーチをしたんやろうか。はなはだ疑問であります。

1月17日(木)

 今日は職場で避難訓練があった。もちろん、阪神淡路大震災のあった日なのでこの日に避難訓練をやるんである。これは、震災の翌年から必ずやるようになっている。私が避難訓練を担当していたから、はっきりとおぼえてる。
 サイレンが鳴り「地震が発生しました。机の下に体をかくして下さい」というアナウンスを聞き、生徒といっしょに机の下にもぐりこむ。すると、不思議なことになにか揺れているような感覚に襲われてきた。ほんまに揺れてたわけやないやろう。体があの揺れを思い出すんである。
 毎年書いているように、うちの被害はそれほどでもなかった。それでも当時住んでいた団地は蓮根畑を造成して作られた土地にあったから、地盤が柔らかく団地のコンクリートの階段のところどころにひびが入っていた。団地の水道管はどこかで亀裂が入り、漏水をした。どこに亀裂が入っているかわからへんから、水道局は漏水の存在を認めず、使うてもない水道代を団地の自治会の共益費から払いつづけることになった。ちょうど私が自治会長に選ばれてしもうた時で、水道局との交渉やらなんやらでえらい苦労した。
 その程度の被害ですんだから今こないして書けるけど、知人友人同僚の被災者も多かった。どれだけ苦労しはったやろうと思う。いや、今も昔の生活に戻られへん人はようけいてはる。
 小学部の1年生はたいてい震災のあとに生まれた子どもたちなんやそうです。時の流れは早いなあ。そやけど、地震に対する事後処理は終わったわけやないし、過去のものにしてしもうたらあかんと思う。
 しつこいようやけれど、私はこの日がきたら毎年この日記に地震のことを書く。そして、地震で被害にあっても、行政はもとの生活に戻れるような十分な保障をしないものやということも書き続けておきたい。

1月18日(金)

 私がパソコンを前にうんうんうなっている時に、京都では放送局に男がたてこもって刃物で脅して人質をとり、声明文を読み上げるように要求したりしてたんですなあ。ニュースを見ていた妻から教えられてびっくりした。
 男が自分の考えを発表するのにこういう方法をとらざるをえんかった理由はようわからんけれど、暴力という手段が有効やと思うたんかもしれへんね。なんでも声明文はテロ事件に対する小泉内閣の対応を批判するものやということらしいけど、戦争批判を暴力でもってするというナンセンスを男が理解でけてへんというのは喜劇的ですらあるね。
 自分の考えを発表するのには、現在ではインターネットという便利なもんがあって自分のサイトを開設したり掲示板に書きこんだりすることができる。そのなかにもこの男のようにどこか喜劇的な人物はけっこういるように思う。掲示板をあらしたりむやみに個人攻撃をしたりする人なんかはそういうたぐいの人物やないかと感じるね。言論による暴力というものはあるのです。それがわかってへん。
 しかしまあ、自分の気持ちを人に伝えるということはなかなか難しい。発表の場を作るのはさらに難しい。ちょっと考えたらなんとかなることでも、考えることができずに短絡的な行動に出る人間がいてもおかしくはない。要はそういったことがらについて学ぶ機会がなかったということなんやろう。こういう手合いには、理屈は通じんからやっかいではあるね。

1月19日(土)

 昨日の日記で書いた放送局にたてこもった男は、右翼の人やったんですね。日記を書いた時点ではどんな人かわかってへんかった。が、「右翼」というキーワードが彼に与えられ、「暴力によって自分の主張を通す」という固定観念で見られることになってしまう。言葉によって物事は規定されていくわけやけど、こう単純化されやすいキーワードでくくられてしまうと、ことの本質が見えにくくなるのと違うやろうか。言葉というのは便利屋けどやっかいなものでもありますね。

 今日、梅田のA書店に寄ってレジに並んでいたら、年輩の上品そうな婦人が店員さんにたずねていた。
「あの、『ハリー・ポッター』はあの大きさのものしか出てませんの? 小さい本はありませんの?」。
 あれ、版形が大きいから手軽に手にできるというようなものやないからねえ。できたら文庫で出してほしいというように思うやろうな。もともと児童書やから、ああいう大きさなんやと思うんやけどね。ま、ベストセラーになった本は文庫サイズでも手にはいるというような感覚があってもおかしくはない。「五体不満足」なんかすぐに「青い鳥文庫」という同じ版元の出している児童向きの文庫になったしね。サイズは新書やけど。
 ところで、「ハリー・ポッター」のシリーズは文庫化されるんやろうか。「岩波少年文庫」みたいなものに入るということになるんかなあ。版元は小出版社やからそうかんたんに文庫化権を大手に与えるというようなことはないやろうなあ。意地でも手放さへんと思うぞ。しかし、文庫化のために版権争奪戦が繰り広げられることはあるやろうね。いやもう水面下では動いているかもしれへんぞ。とにかく旬のうちに文庫化したいやろうからね。関連本が各社から次々と出ていることを考えると、ブームに便乗したいという出版社の気持ちが伝わってくるね。
 くだんの婦人は「1800円のしかないんですか」と力なくいうと、平積みになっているコーナーのところにいってしもうた。様子からみると、価格は関係ないような感じやった。安くで手にいれたかったら新古書店に行けばええわけやし、図書館で借りるという手もある。そうやなくて、小さい版形のものがほしかったんやと思うね。果たして彼女は「ハリー・ポッター」を買うたんかあきらめたんか。
 私はハードカバー3冊を買い求めました。確かに3冊もハードカバーが入ってると重いわなあ。

 明日は「たちよみの会」例会です。ご参加をお待ちしています。今月は新年会も予定してますんで、ひとつよろしく。というわけで、明日の更新はお休み。次回更新は月曜深夜の予定です。

 「日本芸能再発見の会」の2月例会は日本舞踊の家元に話をききます。くわしくはこちらをご覧下さい。


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