ぼやき日記


1月1日(火)

 あけましておめでとうございます。今年も「ぼやいたるねん」をご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

 なんでお正月の演芸番組はこうもおもろないんかな。やっぱり年末に「おめでとうございます」てなことを言うてキンキラキンのセットを前に漫才や落語をするのは気がのらへんのかな。
 かというて生放送の演芸番組は顔見せ程度でなんか大量の芸人さんをベルトコンベヤーに乗せて短時間で次から次へと消費していくみたいな作りのものばかりやし、それもいややな。
 というわけで、ひたすら読書。テレビはウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見たくらい。今年は小澤征爾が指揮台に立つ。スタンダードなニューイヤーコンサートという感じでBGMには最適かも。なんかカラヤンの時のニューイヤーコンサートみたいにおなじみの曲が次々と演奏される。アーノンクールやムーティーみたいにあまり聴いたことのない曲を次々と繰り出してくるのも面白いけど、こういう安心感のあるニューイヤーコンサートこそ本来のコンセプトに合うてるのと違うかと思うた。そういう意味では、安全運転のマエストロ小澤はニューイヤーコンサートにはぴったりの人選なんかもしれへん。楽団員がかなりリラックスして演奏してるのが印象的。早いテンポの曲が多くて、ノリはよい。まあ、ウィーンフィルのお祭りやからね、これでええんやね。
 というわけで、今年の正月のテレビは「ニューイヤーコンサート」が当たりでありました。

1月2日(水)

 妻の実家に里帰りする途中で、百貨店の初売りに寄る。1月2日から初売りをせんならんというのも不況のせいかな。バーゲンもだんだん時期が早まってたいていの百貨店では1月4日からはじまるみたいやね。今に歳末大売り出しと同時にバーゲンがはじまるのと違うか。
 紳士服売り場に用事があって、買物をすませたあと、ふと「福袋」なるものを買う気になった。というても百貨店の店頭で売っている開店前から列が並ぶものと違う。紳士服売り場だけの福袋であります。こういうものを買うのは生まれて初めて。
 袋の隙間からのぞいたらいい色のワイシャツが入っていたんで、ええもんを安くで買えるんやったら、と思うたんやけど、家にかえって開けてびっくり。ワイシャツだけやなく、紳士もののパジャマや靴下なんか、ブランド品で感じのええものが入っている。買うた値段の2倍以上はしそうな感じか。ううむ、福袋というのはうまいことあたるとほんまにお得なもんなんやなあ。列を作ってまで買いたがる人がいてるのもわかる気がする。きっと最初に買うた時にものすごく得をした気分になったんと違うかな。
 ふだんあまりおしゃれしない私やけれど、ユニクロばっかり着てるのもなんやからと思うて手を出した福袋、これ、毎年お正月に買うというような気になるかもしれへんぞ。
 正月そうそう得した気分になった。それだけでなんとなくうきうきでありますね。

1月3日(木)

 桂歌之助師匠の訃報に接する。享年57。死因は食道癌。
 歌之助師匠の落語を初めてきいたのは大学の学園祭で、演目は「看板の一」。博打を打っている仕草や雰囲気が生々しく、なにか笑いにくかったのを覚えている。そのあと、「しびんの花活」を京都市民寄席できいたりしたあと、1987年頃に太融寺での勉強会をききにいった。その時私は足を骨折していてコルセットをはめていた。打ち上げに寄せてもらい、梅田の居酒屋で「か×わ」を連発した上にコルセットを持って大喜び、さんざんおもちゃにされたのが妙に楽しかったのが思い出として残っている。この時の演目は「代書屋」の全編通しと自作の「古事記」やった。
 そのあとはずっとご無沙汰してたんやけれど、一昨年に林譲治さんのお誘いで15年ぶりに師匠の会に寄せてもろうた。演目は泥棒ネタばかり。打ち上げには体調がもうひとつで参加せえへんかったけど、久しぶりに歌之助師匠のじんわりとした味を堪能した一夜やった。
 人呼んで「災厄の歌さん」。独演会を開くとなにか大事故が起きる。どちらかというと暗く地味なキャラクターやから、米朝師匠がせめて芸名だけでも明るくと「歌之助」の名を与えたという。実際、独特のいかつさがあったりして、いわゆる華のある芸人ではなかったかもしれへんけれど、逆にそれを個性として他の人の手掛けへん落語を持ちネタにしていくという努力をしてはったんやと思う。
 地道な活動を続け、闘病記を朝日新聞に連載したりして注目されたこともあった。おそらく、もうあと10年くらいしたらその値打ちがぐっとあがるタイプの落語家やなかったかと私は思うていた。それやのに、60にもならんうちに死んでしまうとは、なんとも寂しいやないか。
 他の落語家にはない得難い存在感のあった歌之助師匠。そのぼやくような語り口を二度と味わうことがでけへんのはほんまにつらい。
 謹んで哀悼の意を表します。

1月4日(金)

 縁は異なものというけれど、今年きた年賀状を一枚ずつあらためていて、驚いたことがある。ある年賀状の添え書きに「SFマガジンは妻も絵を描いています」というのを見つけたんです。
 この方はT先生というて私が定時制の高校で講師をしていた時にお世話になった方。学校の教師をしながら能の仕舞をやり、学校では演劇の指導をやり、その上野球部の監督をしてチームを何度も神宮球場に連れていくという私からしたら超人みたいな方であります。それでいて人づきあいもきちんとやる。私には真似でけへん。私たち夫婦の結婚披露宴では謡をしていただいたけど、それ以来お会いしてへん。
 私の教員生活も講師時代を含めると13年を数えるけど、こういう自分の世界を大切にしつつ教師としてもきちっと仕事のできている人というたら、今の職場にいてはる美術のI先生くらいか。こういう方たちを手本としたいといつも思うている。
 で、Y先生の奥様のホームページを見てみると、ミル・ヨウコさんという方でありました。おお、この絵は知っているぞ。確かに「S−Fマガジン」で見たおぼえがある。私は奥様とは面識はないんやけれど、T先生、そして「S−Fマガジン」というところで不思議につながりがあったというわけですな。いや、こういうことってあるもんなんですねえ。
 こう、稼業以外にいろいろな世界を広げていくと、どこかで意外な人とつながっていく。こういうのっておもしろいなあ。これからも自分の世界を広げていったら、またもっと思わぬ人とつながっていくかもしれへん。それを楽しみに今後もあれやこれやと活動の幅を広げていきたい。
 一枚の年賀状でそのように思う。ほんまに縁は異なものでありますね。

 明日は出かける予定があり更新はお休み、次回は日曜の深夜に更新する予定です。

1月6日(日)

 昨日の夜は京都に行き「ショパン倶楽部」で飲む。NHKエンタープライズにつとめている高校時代のS先輩が里帰りしていて、1年ぶりくらいにゆっくりと話をする。NHK製作のアニメの裏話をきいたり、見にいった映画の話をしたりと楽しい時間を過ごす。それはええねんけれど、ついつい飲み過ぎ、今日は体調を崩してへろへろ。
 胃がものを受けつけへんのです。おなかは空いてるんやけれど、食べられへん。夜に妻が作ってくれたおじやをいただいたんやけど、よくかんでも茶碗の4分の1くらいしか食べられへん。どうやら風邪をひいたみたい。
 体調が悪いと頭がはたらかん。今日は日記もここらで終りにして、風呂にゆっくりつかって体をぬくめ、早く寝るようにします。
 そやけど、ものが食べられへんというのは辛いことやね。

1月7日(月)

 昨日の状態は最悪やった。なんぼ布団にもぐりこんでも体はぬくもらへんしものは食べられへんし。で、昨日の「ぼやき日記」を書いたあと、風呂にはいる。
 最初は熱い湯やというのに、さぶいぼが立った。あ、鳥肌の方がわかりよいか。まあ、関西ではさぶいぼです。そのうちにじんわりと体がぬくもってくる。風呂からあがったら、どくどくと汗がでてきた。日記を更新してさあ寝ようとしたら、猛烈に空腹感に襲われた。あれだけ何も食べてへんでも食欲がわかへんかったのに、飢餓感とでもいうんやろか。とにかく腹が減ってなにか食べたい。いやしかし、ここはがまん。弱った腹に突然なにかいれたらまたおかしくなる。腹減った腹減ったと思いつつ、就寝。
 今朝は夕べのおじやの残りを軽く一膳食べて胃をならす。お昼にはおじやの残りをさらえる。どちらも胃が拒否反応を示さへん。夜は普通の夕食を食べられた。ちょっとした買物のために近くのコンビニに出かける。ちょっとばかり歩いただけで汗だく。
 代謝機能がはたらいてへんかったんが、入浴したことで活発になり、体調を戻そうとはたらきはじめたという感じかな。いやあ、風呂は偉いなあ。風呂ほど体にええもんはないぞ。
 というわけで、明日は始業式。なんとか出勤できそうやし、夜に出かけんなん用事があるんやけれど、そちらもいけそう。これすべて風呂のおかげか。ありがたやありがたや。

 で、明日は更新できません。次回更新は水曜深夜の予定です。

1月9日(水)

 結局、田口外野手はセントルイス・カージナルス入りか。たぶん阪神タイガースには入らへんのやろうと予想してたけど。ドラフトの時とFAの今回と、2回も田口にはふられたことになるな、タイガースは。これもまた縁というものやろうね。まあ、私は坪井もいるし赤星もいるし桧山もいるし濱中もいるし曽我部もいるし松田もいるからいまさら田口に来てもらわんでもかまわんと思うてたからそれほどがっかりしたわけやないけどね。

 この前の土曜日に飲みにいった帰り、べろべろになってタクシーに乗ったら、本やなんかをいれた鞄を置き忘れてしもうた。なにしろ深酒してましたからね、どこのなんというタクシーに乗ったんかおぼえてへん。普通ならあわてるところやけれど、今回はわりと平静でいられた。
 というのも、幸か不幸か鞄の中に医者でもろた薬が入ってたから。その医者は医薬分業で、薬の袋には薬局の名前と電話番号が書いてある。そのうえ私の名前も書いてある。もしタクシー会社が忘れ物の持ち主を探そうと思うなら、手がかりはある。
 月曜日、その薬局から電話があった。ここはプライバシー保護をきちんとしてくれるところで、私の家の電話番号を直接タクシー会社に教えるようなまねはしません。ありがたいことです。もっとも、電話を受けた妻によると薬局の方はなんか笑いをこらえたようなしゃべり方やったみたい。ああ恥ずかしい。次から薬を受け取りにいかれへんがな。
 タクシー会社と連絡をとり、昨日の夜ぶじ鞄は手元にかえってきた。失せものが見つかるほどうれしいことはないね。実はこの鞄にはちょっと値のはる本も入っていたんで、よけいうれしい。
 もうひとつ、年末から探している失せものがあって、こちらはいまだに見つからへんで難儀してるんやけれど、ひとつ見つかったんやから、この勢いで見つからへんかとちょっと期待しいる。失せものは勢いでは見つからんかな。見つからんわな。
 しかしなあ、やっぱり深酒はいかんよ。自分なりにちゃんとセーブせんと。失せものはする体はこわすとほんまに今回はこたえたよ。みなさんも気をつけてください。

1月10日(木)

 某SFJ誌の仕事で、以前は手塚作品を大量に再読したわけやけれど、今度の号では山田正紀さんの作品をいくつか再読することになった。新刊書に追われる私にとっては、こういう機会でもなかったらわざわざ再読の時間をとろうということにはならへんかったわけで、これは実にありがたい。
 で、書棚でうまった部屋にもぐりこみ、十代の終りや二十代のはじめに買うた古い文庫本を引っぱり出す。その感想はここに書いてるから日記には書かへんけどね。
 で、ページを開いて驚いた。活字というのはポイント数が小さいんやねえ。字が細かいし行間がつまってる。現在電算処理で版組みされた本を読み慣れている目には最初はほんまに見にくかった。そやけど、読んでいるうちに気にならなくなってきた。というか、写植で版組みされた本をスカスカで読みにくいと感じていた昔の感覚に戻りつつある。
 講談社文庫やとか集英社文庫は、それ以外の文庫にくらべると字が大きく行間があいていてなんか間が抜けたように感じてた時期があった。ところが、角川文庫やら新潮文庫も活字から写植に切り替えはじめ、新聞まで電算処理で製版されたものになると、私の目はもうすっかりそれに慣れてしまうようになった。慣れというのはおそろしいもんですな。
 たぶん、古書店で古本を買い集めている人たちはいつも同じ思いをいだいているんやろうなあ。
 なんとなく、昔の活字の本の方が内容があるように見えてくる。そんなことはけっしてあらへんのやけど、視覚情報というのはあなどられへんもんですぞ。今はもう活字時代には戻られへんし、今さら字の小さい字間行間のぎっしりつまった本は多くの読者が手にとってぱらぱらとめくっただけで書棚に戻すやろう。そやから昔に戻せとはいいません。
 ただ、今回昔読んだ本を手にとって、自分のしてきた読書を追体験しているというところかな。読書に追われる中で忘れていた感触がよみがえってきた。それは、自分なりに大切にしたいものといえるかもしれへんね。


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