ぼやき日記


4月1日(月)

 東京から小学校低学年の甥っ子が妻の実家に遊びにきていて、昨日の昼はそちらにいっていた。なんでもただいま亀の飼育にこっているそうです。妻の実家の近くにあるため池で食用がえるのおたまじゃくしをとってきた。これも飼育するんやそうです。小さいころからかめくんや蛙が好きやということは、もしかしたらSF者に育つかもしれん。ちょっと短絡的ですか。
 それにしてもマンションで食用がえるを育てるとは、大胆な。彼は食用がえるの声を聞いたことがないんやろうね。私の実家の近くにある公園の池には大量に食用がえるが棲息していて、夜なんかにその池の近くを通るとちょっと気色悪いぞ。
 ぼーぼーぼーぼーと地の底からわいてでたような声で鳴くんや、あれは。それをですな、薄暗い街灯しかない人気もない夜の公園で聞いてごらん。ぞっとするよ、ほんまに。
 マンションの水槽の中で、人が寝静まったころにぼーぼーぼーぼーと鳴くわけやね、きっと。寝ながらあの声を聞いてたらうなされるんと違うかな。そやからというて、彼のマンションの近くに食用がえるを放す池があるとは思われへんしなあ。絞め殺して皮をはいで焼いて食べる、ということも多分でけへんやろう。
 私も町の子でしたからね、小さいころそれほど自然に親しんでたわけやない。それでも家の近くの田んぼにはザリガニがいてたし、梅雨時になると裏の庭であまがえるがくけくけくけけけと鳴いてるのを子守歌に寝たもんです。そやから、どういう生き物は家で飼うもの、どういう生き物はそこらへんにいてるものと自分なりにラインをひいていたように思う。
 しかしなあ、育てるんやったらもう少し愛らしいものにしたらええのになあ。よりによって食用がえるですか。子どもというのは時として大胆になるもんですな。実際のものを知らんだけやから、ということなんやろうけど。

 明日は所用で更新できません。次回更新は水曜深夜の予定です。

4月3日(水)

 いやまあもうタイガース開幕4連勝で心ここにあらずでございます。これ、実力やね、星野さん。信じてええんやね。それにしても、こうなると気の毒なのは野村前監督ですな。今年のタイガースは選手が生き生きしているであるやの去年までとは違うやのと言われるたんびに、野村さんはどんな思いなんかなあと、妻と言うている。移籍選手はともかく、若い選手たちを辛抱強く使い続けたんは去年の野村監督なんやということだけは忘れたらあかんと思うぞ。今年の快進撃は野村・星野合作であると私だけでも強調しておきたいところですな。

 入学式まではまだ間があるのに、もう桜は半分くらい散ってしもうたな。前任校やと明後日、今度の勤務校では月曜日。今日の夕方の雨でさらに散ったやろうから、入学式には葉桜ということにもなりかねん。
 こういう時にほしいのは旧暦を併記したカレンダーやね。旧暦というのは、日本の風土にあわせて何度も改定されていて、実際の季節に即したものになっている。正月を「初春」というのは、正月がほんまに春にあたるからやし、立春にはちゃんと暖かくなってるし、立冬にはちゃんと寒くなっている。ここらあたりは新暦に変に旧暦の節気をあてはめた現在のカレンダーではちょっと無理がでてくる。
 まあそれはそれとして、5月なみの陽気が続いてたと思うたら急に平年並みに下がったりするというこの気候にはまいったね。一昨日に新しい職場にいってまだ3日目というのに、なんかもう1週間くらいたったみたいにきついぞ。まあ、未知の環境に順応するまでは精神的にはかなり疲れはするやろうけれど。おかげで新たに入った某誌の原稿になかなかとりかかられへん。まあ、週末は休みやからそこまでぼちぼちいくしかないかな。
 しかしこの気候、来週くらいから梅雨入りしたりしそうな気がする。そのあと寒の戻りがあったりしてね。そこまでにはならんですか。

4月4日(木)

 ここのところ小説を読まんと学問の解説書みたいなものばかり読んでいる。なんでかというと、まあいうたら頭のリハビリをしてるんですな。なにしろ久しぶりに講義らしいことをせんならんのでね。しかも高校社会の「倫理」の教師として再出発するわけですからな。もうしばらくそのたぐいの本ばかり読みつづける予定。いまのところ、新しい環境に慣れるのに精一杯というところ。なにしろ1週間が長く感じられる。時間というものが私の主観では実に密度の濃いものになっている。人間というものは実に主観でいきているのであるなあと実感している毎日であります。
 ところで、新しい環境にはいるということは、私という人間がいかなる人間であるかということをまわりの人にまだ知られてへんということではありますね。その場合、わざわざキャラ作りをする必要はないとは思うけど、どう見られるであろうかと配慮はせんならん。現時点では「私は長らく養護学校に勤務していたんで高校に慣れるのには時間がかかります」ということをPRしている。多少の失敗には目をつぶってねとまではいいませんが、少なくとも新任教師なみであると認識してもらいたいという気持ちはあるね。
 だいたい社会科の教師と話をすることが多いんやけど、その中では「熱狂的なタイガースファン」という認知が完全にできあがっております。なにしろ毎日浮かれてますからな。そうなると、「タイガースファン」という共通項でくくられる人がほかにもいてて、とりあえずタイガースの話題をしておけば話の間は持つわけでありますね。これはありがたい。「私、SFファンですねん」というても、そうかんたんに「いや私も実はSF好きでねえ」てな人にはめったにお目にかからんからね。もっとも、今日はウルトラマンの熱狂的なファンという人がいてることがわかり、小中千昭がどうした吉本多香美がこうしたというような話題で盛り上がったりしたけど。まあそういうことはなかなか早期には判明しません。前の勤務先でいっしょやったアニソンファンのAさんという人と意気投合したのは、彼が赴任してきた翌年からやったからね。それまで彼は巧妙にアニソンファンであることを隠しておったのです。
 どうやらこのページを読んでる人は新しい勤務先にはいてへんかったらしく、今のところ正体はまだばれてへんみたいやぞ。ふふふふふ。
 さていつ化けの皮がはがれるか、あるいは生徒たちからどういう先生と認知されるか。そういうのも楽しみにしておきたいとは思うね。

 明日は夜中に外出、更新はお休みします。次回更新は土曜深夜の予定です。

4月6日(土)

 映画「ミスター・ルーキー」を見にいった。そう、長嶋一茂がタイガースのユニフォームを着て虎の覆面して優勝に導くという、あの映画であります。記憶のよい方は「あ、うそつき!」と言うかもしれへんね。はい、私は去年の夏になにがあってもこの映画は見ないと宣言しておりますね。変節漢とののしられるかもしれませんが、無料招待券が手に入ったとあらば、使わねばもったいない。
 まあ、映画を楽しむというよりは、ちょいちょいと出ている朝日放送のアナウンサーやタイガースのOBを見つけては喜んでおったりなんかしたんですが。いやいや、広澤克実選手や宮根アナウンサーなんか、ちゃんと芝居してるやないか。道上洋三アナウンサーはラジオで宣伝してた通りたった一言「八木、男になれ!」だけやのにね。ほかにファンの中にまじって仲田幸司さんや福間納さんがちらりちらりとワンカットだけ出てくる。あれはタイガースファンやなかったら気がつかんのと違うやろうか。
 ストーリーは心あたたまるホームドラマという感じのもの。せっかくむちゃくちゃな設定を考え出しながらなんでこういうホームドラマにするかなあ。鶴田真由がかわいかったから許すけど。「本格的な野球映画」というふれこみやったけど、確かに野球のシーンは本格的なもので臨場感もあったとはいえ、ストーリーの軸が主人公の家庭ですからね。オール甲子園ロケというくらいやないと、「野球映画」とは認めたくないなあ。
 ここという場面でバースを出すのもたいがいにしてほしい。せっかく八木や桧山を出演させてるんやから、現役選手のホームランで決めてほしかったよ。新庄をアメリカから呼び戻して出演させてもよかったんでは。いつまでもバースの幻影にしがみついていたくない、というのが本音。それに藪と矢野のバッテリーが出演してるんやから、一茂がマウンドに上がった時に藪からボールが手渡され、矢野が一茂を激励するというシーンがあってもよかったと思う。つまり、現役選手を出演させているメリットがないんやね。これは実にもったいない。
 私は映画を見ながら涙を流していた。いや、ほんま。勝手に目から流れ出すんです。なんでやろう。これはもうはっきりと理由はわかってる。こんな形でしか優勝を味わえん現役選手たちを見てると、なんか切なくなってしもうたんです。ほんまに優勝してほしい。謎の覆面ルーキーの活躍やなしに、バースの復活やなしに、今、現役で活躍してる選手の力で優勝をしてほしい。そう思うと、胸が苦しくなってきたんです。
 ただこれだけは断言しておきたい。長嶋一茂がタイガースのユニフォームを着てGのマークのついたチームをやっつけた、これはつまりあの長嶋一族をタイガースに屈服させたということなんである。タイガースが強かった時も、ことごとく優勝を妨害してきたにっくき長嶋茂雄の長男がタイガースのために戦ったというこの事実は、映画であったとしても、実に重い意味を含んでいると思うのである。
 この映画をきっかけに、長嶋茂雄とGのつくチームの時代は終り、タイガースの時代がやってきたという、そんな気がする。そういう意味では長嶋一茂に主演をさせた井坂監督のこめた暗喩は大きい。星野監督の阪神タイガースが開幕から7連勝したのも何の不思議もないのであります。

4月7日(日)

 ここしばらく小説を読んでへん。頭のリハビリと称して教養新書のたぐいばかり読んでるわけやけど、そうなると小説が読みたくてうずうずしてくる。禁断症状みたいな感じかな。もう少し読みたい新書があるんやけど、ガツガツと読まんとかなりたまってる新刊の小説にも手をつけようかな。こうやって少し小説から離れると、自分が小説を読むのが好きなんやということを再確認させてくれるね。

 「みずほ銀行」が失態を繰り返している。自動引き落としがでけてへんかったり、逆に二重引き落としをしてたり。実は、昨年の転居までは私は第一勧業銀行をメインバンクにしてたんです。一切合財を一勧でまかなってたんですな。それどころか住宅ローンまで一勧でやろうと考えたこともある。結局別の銀行の方が条件がええんでそちらでローンを組むことにし、その関係でメインバンクもそちらに移した。
 移しといてよかったよ。そやなかったら、今ごろおおあわてやったんと違うかな。こんなふうになることを予測してたわけやないからまったくの偶然なんやけど、ラッキーではある。
 それにしても、例えば「三井住友銀行」が合併後も旧「さくら」と旧「住友」の支店でいまだにシステムを統一できてへんかったりするということもあるし、大きな銀行の合併というのはトラブルがつきものみたいやね。要は利用者のことを考えて合併したんやなくて、不良債券をかかえた上でのペイオフ解禁に備えて倒産をせんようにというような理由でとりあえず合併するというようなことやから、こうなるんと違うかな。準備が不十分やったりするのも、まず合併ありきでことを進めたというのが理由やないかという感じがするね。
 合併すると銀行の名前は変わるしシステム上の不備は続くしと利用者にとっては不都合なことが多いみたいやね。合併せんなん事情というのはそれぞれにあることは十分承知の上でいうけど、利用者あっての銀行でしょ。私みたいに「メインバンクから外しといてよかった」なんておもう元顧客(小口預金者ではあるけどね)がいてるということやと、不良債券よりももっと大変な問題をかかえてることになるよ。それはつまり「信用の喪失」。金融というのは「信用」があるから成立するもんやということくらい、私のようなもんでも知ってるよ。こんなことが続いたら、多数の利用者が預金を引き上げるようなことにもなるやろうしね。
 合併というのはメリットが大きいんか知らんけど、リスクもかなり大きそうな感じがするなあ。

4月8日(月)

 今日は始業式と入学式。転任者は壇上で紹介される。転勤したんやなあと実感する。やはり生徒たちと顔合わせしてへんうちはなんか不安ですな。どんな感じの生徒かをつかむと、気持ちもいくぶん安定する。もっとも、授業がはじまるまではまだ落ち着かんのやけどね。
 それにしても最寄り駅にちゃんとした書店がないのは痛いなあ。今日は乗り換え駅で途中下車して書店を探したんやけど、参考書や問題集は申し訳程度に置いてあるだけ。教材研究のためにいろいろと参考書を取り揃えようかと思うたんやけど、ちょっとむりか。明日は離任式で前任校に行くから、帰りに梅田に寄って大きな書店で探すことにしよう。
 転居する前は最寄り駅に小さいながらも品揃えがしっかりした書店があった。店長さんが常に目配りし、棚をチェックしていた。転居してからは満足のいく書店が近くにない。郊外型のブックストアは本の冊数はそこそこあるものの新刊と話題作の品揃えのバランスが悪かったり、特定のジャンルにかたよっていたりで本が探しにくい。都心の大型書店はかえって本を探すのに時間がかかる。程よい大きさでバランスのよい品揃えをしている書店がほしいんや。
 転居して半年、いろいろと環境の変化があり、それにはかなり慣れてきたけど、書店に恵まれんのだけはなんとかならんかと思う。

4月9日(火)

 ビデオデッキのリモコンの具合が悪い。録画予約をするために〈予約・決定〉というボタンを押すんやけど、これがいくら押してもスイッチに接触しない。指先で強く押しこんだ上に、もう一方の手をそえてさらに力を加えへんとあかん。これはおそらくボタンをくるんでるゴムが破れかけているかどうかしてボタンがバカになってるに違いない。
 かなり昔、実家のファミコンのコントロールボタンが同じようにバカになったことがあった。初期のファミコンというのはかなり簡単な作りやったから、コントローラのねじを外して開けてみたらすぐに原因がわかった。ボタンを支えるゴムが破れかけてたんですな。おもちゃ屋にいったら、交換用のゴムがちゃんと売ってあったんで、すぐにつけかえた。
 今回も原因は同じやろう。妻がようやくドライバーを出してきてねじを外した。ところが、ねじを外してもリモコンは開かへん。リモコンを覆う扉状になっている部分のちょうつがいにあたるところと、ビデオに向けて光線を発する部分が食いこむようになっていて、がっちりと閉じたままなんである。何のためのねじなんやようわからんが、ようは素人では開かへんようになってるんやね。下手にいじるとよけいにいたむからというところやろう。
 むりやりひっぺがして壊してしまうのも嫌なんで、リモコン解体は断念。そやけど、ちょっとした故障でさえ素人にはいじらさせへんようになっているのは困るね。このリモコン、もう5年以上使用してるけど、〈予約・決定〉ボタン以外はまったく不都合はあらへん。それだけに新しいのを買いにいくのももったいない。ましてやそれだけのために修理に出すのはなおさらあほくさい。しかしなあ、家電というものはもうほとんどが「魔法の箱」になってるんやなあと実感するね。原因もわかってるような故障でも自分で直されへんようになってるんやもんね。昔のテレビみたいに接触が悪いとばしばしとどついて直す、なんて荒っぽいことはもちろんでけへんしな。
 しかたなくこれまで通り指先で押した上に力を加える方法を取り続けんならんことになると思うけど、それでもスイッチに接触せえへん場合はどないしたらええんやろ。修理よりも新たに買う方が安くつくのかもね。ボタンがバカになっただけでそんなことをせんならんというのは資源の無駄遣いというかなんというか。

4月10日(水)

 今朝朝刊を開いたら、一面トップに「阪急、宝塚ファミリーランドとポートピアランドを閉園」という記事が目に入った。
 いや驚いた。ポートピアランドはともかく、宝塚ファミリーランドというといわば阪急グループの顔のひとつやからね。90年の歴史がある遊園地を手放すというのはよほどのことがあるんやろうね。
 これはいわば時代の変化をはっきりとあらわしてるものかもしれへんな。USJの登場で近畿各地の遊園地は軒並み入場者数を減らしていて、ファミリーランドもそのうちのひとつやったわけやけど、遊園地というもののあり方が今までのものではどうしようもなくなってるんやろうね。
 ファミリーランドは阪急の創業者、小林一三の打ち出した新機軸のひとつやったという。何もないところに電車を走らせ、その沿線に住宅地を作り、中流家庭という層を形作る。その家庭は阪急に乗って梅田の百貨店で買物をしたり、宝塚温泉に行楽にいき、子どもは遊園地で遊び、大人は宝塚少女歌劇を楽しんだり宝塚野球協会(日本で2番目のプロ野球チーム。東京巨人軍が設立されるのは宝塚野球協会解散後である)の試合を楽しんだりする。新しい時代のライフスタイルを電鉄の発展とともに提示したんが小林一三という人物やったというわけである。そして、そのライフスタイルは定着し(野球だけは失敗した。阪急はその後もブレーブスを持つがこれも経営権を手放すことになる。阪急にとって野球だけは鬼門やったようや)、他の電鉄会社もそれにならう。これは近畿だけやなしに関東の私鉄各社も踏襲している。
 ファミリーランドがUSJに敗れたのは、つまりは時代が遊園地にもストーリー性を要求するようになったからなんかもしれへん。東京ディズニーランドしかり。絶叫マシーンがはやった時代もあったけど、刹那的な刺激を与えるだけのものは極限までエスカレートさせて行き着くところまで行ったらそれ以上発展はない。そやけど、ストーリー性のあるものは、そのストーリーに様々な工夫を加えることにより、新たな楽しみを生み出すことができる。ファミリーランドは結局そのストーリー性を生み出すことはでけへんかった……。
 たぶん閉園反対の声が多くあがることやろうけど、阪急の場合はけっこうシビアやからね。くつがえることはないやろう。
 ホワイトタイガーはどこにいくんかな。神戸王子動物園かな。いやそんな心配をしていてもはじまらん。宝塚は歌劇と手塚治虫記念館だけの町になるんかな。それは寂しいことやね。
 小林一三やったらこういう場合どうしてるやろう、てなことも考える。おそらくUSJ開園前から既存の遊園地に対する危機感を強め、新たな娯楽を提供しようと工夫するやろうな。
 それにしてもなあ、ファミリーランド閉園か。実は私、一度も入ったことがない。閉園するなら一度くらい行っとこうかなあ。あ、そしたら梅田の阪急百貨店の外側にかかってるピエロの絵の看板も撤去されることになるんやな。あの絵、レトロな感じが好きやったんやけどなあ。


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