ぼやき日記


6月11日(火)

 今日は、今の勤務校での初めての体育大会。昨年度までは知的障害の養護学校で「運動会」やったんやけど、例えば予行やと前任校やったらプログラム全てを一回通しでやる。そやから予行の日は授業を一日なしにしてしまう。教師の動きなども一応事細かに決めておき、予行で一通りやってみて、本番ではスムーズな動きを保護者に見せる。
 現任校は普通の高校やから、「予行」は2時間ばかり。それも開会式の生徒の並ぶ場所を確認する程度。あとは練習の必要な競技をそれぞれのクラスでやってみる時間なんかが取られたけれど、そういったものはほとんど生徒の自主性にまかせてしまう。
 この違いはどこからくるのかと考えてしまう。
 つまり、知的障害というものの本質に関わる部分やないかと思う。知的に遅れている生徒にとっては、行事などは非日常のもので、見通しが立たないものなんですね。たとえば同じ「山あり谷あり」と名づけられたいわゆる「障害物競争」(こういう読み替えについては私なりに異議はあるんやけど、それはまたいずれ)でも、現任校の生徒の場合、置かれている障害物を見ただけでだいたいどうすればええか見当がつく。でかい布袋が置いてあったら、そこに両足をいれて走るんやなとわかる。わからんでも一言説明すればそれで理解する。ところが、知的障害児にとっては、その袋が何を意味するのかがわからん生徒もいてるし、言葉で説明してもそれを具体的にイメージすることがでけへん生徒もいてる。そやから、練習や予行で何度か実際にやらせてみて具体的なイメージをつかませんとあかんのやね。
 それをせんですむ分だけ、一般の高校の行事は楽やということになる。準備にしたって、全てを教師がやらんならん養護学校に対し、高校では生徒に支持を出したり、あるいは自分たちで考えさせたりして教師が手を出さずにすませることができる。
 同じ教育というても、やっぱりそこには大きな隔たりがあるなあと感じる。そして、ノーマライゼーションというても一般の生徒の中に数名の障害児を参加させただけでは、この隔たりを埋めたことにはならんのと違うかなと思うたりもする。それこそ、養護学校の高等部まるまる一つと高校一つを合併させるくらいやないとお互いに理解しあうということはでけへんやろうし、それはそこで指導する教師も同じことやろう。
 こうやって、現任校で新しく行事などを体験することによって、逆に障害児教育について養護学校にいてはわからんかったことが見えてくることもある。逆に高校の教師が養護学校に勤務することで高校での指導というものについて考え直す場面もあるやろうね。

6月12日(水)

 ナンシー関さんの訃報に接する。自動車に乗ったとたん倒れてそのままという急死やったそうだ。享年39。同世代やないか。あまりにも若すぎる。
 関さんの名前を初めて見たのは「噂の真相」やったか「週刊プレイボーイ」やったか。当初は消しゴム似顔版画という物珍しさが勝っていたと思うんやけど、そのうちその鋭い人物評でがぜん売れっ子になった。テレビの画面に登場する「有名人」の言動をとらえ、私なんかも感じているうまく言葉にでけへん違和感やなんかを的確に表現してはった。単なる毒舌というのやない。それは人間観察の鋭さであり、テレビというものを媒体とした現代日本の大衆文化そのものへの批判になっていた。本質をしっかりとつかむから、それが言葉としてうまく表現できたんやろうと思う。
 テレビには、まだまだこれからもいろいろな人物が登場し、消費され、そして消えていくことやろう。その虚しさや悲しさを関さんは同時代の証人としてこれからも描き続けていったはずで、来週からそれが読めなくなると思うと、これはもう大きな損失やないかと思う。今週の「週刊朝日」では辻仁成さんと中山美穂さんの結婚について書いている。最後の一節を引用する。
「『婚姻届が受理された』って主語をあいまいにすると一気に物語感が生まれるもんだな。翻訳すると『婚姻届を出した』ってだけなんだけど」。
 この一言で辻仁成という人の使うレトリックがみごとにあばきたてられていると思いませんか。これからは関さんのこういった見せかけのかっこよさみたいなものをはぎとった視点から見た文明批評を読まれへんようになるやなんて。なんということやろうね。
 まったく、この死は早すぎる。どこか「ナンシー関全集」を出す出版社はないものか。20世紀末から21世紀初頭の時代像があらわにされることは間違いない。これはほんまに実現してほしい企画やね。
 謹んで、哀悼の意を表します。

6月13日(木)

 連日蒸し暑いですねえ。私は職場にコンビニで買うた麦茶の紙パックを持っていき、ペットボトルに詰め替えて飲んでおるのですが、麦茶というのは香ばしくてのどごしがええもんやから、ついついがぶがぶと飲んでしまう。汗かきの私にはとにかく水分補給が必要なんですな。そやけど、麦茶はあまりにも飲みやすくてついつい飲み過ぎてしまうもんやから、これではいかんと思い、緑茶にかえてみた。緑茶やったらそんなにがぶがぶ飲まんやろうと思うたわけですね。
 結果は、同じことやったね。これが緑茶やろうとミネラルウォーターやろうと、とにかく汗をかいた分だけ水分補給したくなるわけで、まあつまりそれだけ体が水分を欲しているわけですわ。それやったら、飲み心地のよい麦茶の方が、この蒸し暑い気候には合う。
 しかし、今からこんなに麦茶をがぶ飲みしてたら、本格的に夏がきたらどないするんやろうなあ。去年の今ごろは引っ越しの準備であちこち走り回り、休みの日にはだらだら汗をかきながら本を箱詰めしていた。家でのお茶の消費も多かった。今年はそれに比べると比較的快適な日々を過ごしてるわけやけど、それでも気がついたらお茶を口にしている。ううむ、お茶を飲むから汗が出るのか汗が出たからお茶を飲むのか。
 ま、どっちにしても麦茶がうまい。世の中にこんなにうまい飲みもんがあるんかというくらいうまい。ビールやと、こうのべつ飲むわけにはいかんからねえ。

6月14日(金)

 サッカーW杯、日本代表決勝リーグ進出おめでとうございます。おかげでまだしばらくスポーツニュースでプロ野球が片隅に追いやられるんやなあ。うーむ、あんまりサッカー一色に染まるというのは、私は好かん。

 それにしても「ウルトラマンコスモス」放送打ち切りの決定の早さにはびっくりした。ウルトラマンに変身するムサシを演じる杉浦太陽の旧悪が露見して、それが暴行と恐喝という兇悪なもんやったから、確かに放送中止というのは妥当な線なんやろうとは思うけどね。それでも今日の夕刊に報じられ、その翌日の放送から中止やから、これは早い。子ども向けの番組ということで、その影響の大きさに対して敏感になるのは当然のことやろう。ウルトラマンコスモスが怪獣を守るという立場をとるという設定やから、よけいに反動は大きいよな。
 それでも物語は佳境にはいり、もう少しで完結というところで放送中止というのは厳しいなあ。スタッフや他のキャストの方たちの無念さはいかばかりか。もしかしたら、コスモス自体がしばらく再放送も何もないということになるかも。私は一応全て録画しておいてあったから、まあええけど。となると、ほとぼりがさめて再放送をした時に、本放送できなかった残りの分を放送するという手を取るかもしれんな。
 それはともかく、朝日新聞大阪版の夕刊には「ウルトラマンコスモス 主役俳優を逮捕」という見出しの横にウルトラマンコスモスの写真を掲載しているのはいかがなものか。これやったらコスモスが暴行と恐喝をしたみたいやないか。コスモスに罪はないぞ。俳優になる前は不良少年やった杉浦太陽に問題があっただけやん。この仕打ちに円谷プロは抗議すべきやないかと思うね。
 しばらくは旧作の再放送でしのぐらしい。できたら「ウルトラマンティガ」をやってほしいな。「ティガ」は録画し損ねたもので。

6月16日(日)

 昨日は「日本芸能再発見の会」。本日は「たちよみの会」。昨日の会は会場の冷房がききすぎていて、体が冷えきってしもうた。二次会でいった居酒屋でも冷房がきつく、今朝はちょっと風邪気味。今日の会の喫茶店は冷房がいつもきついんで、薄手のブルゾンを着ていく。これは正解やった。いやもう、ふだん冷房のない生活をしていると、ほんまにこれからの季節、体温調節に気をつかう。今日、京阪の駅で肩を丸出しにした服を着ている若い女性がいてたけど、冷房のきいたところで平気なんやろうか。冷房のおかげで人間は弱くなったという人もいてるみたいやけど、私は逆やと思うね。自然の暑さに順応したものは、人工的な冷気に弱い。あんな格好をして冷房のきいたところにいけるというような人の方が、体は強いのと違うか。それが体にええかどうかは別にして。

 先般お亡くなりになった村田英雄さんの葬儀の会場が、私たちが昨年7月末まで住んでいた団地の近所でびっくりした。そない大きな会場やないのは、同じ団地の人が亡くならはった時に行ったことがあるんで知っている。前の道も狭い。あそこに多数の芸能人が参列しはったわけですな。
 妻曰く「まだ住んでたらベランダから見えたかもしれへんね」。そらそやけど、引っ越してから10ヶ月半もたってるんやから、そこまで引っ越しはのばされへんでしょう。
 それにしても、そこで葬儀をした理由というのが、村田さんの自宅がつまり大阪府パナソニック市にあったということやそうで、それにもびっくり。そんなん全然知らなんだ。パナソニック市在住の有名人というたらテコンドーのメダリストである岡本依子さんくらいやと思いこんでたからねえ。「市民だより」にもそんなことは書いてへんかったぞ。
 ということは、今私が住んでるマンションにも実は意外な有名人が住んでるかもしれへんし、同じ区内に大物がいてるかもしれへん。もっとも、この区内選出の市会議員にかつて人気のあった芸人さんがいてたりはするんやけどね。
 それにしてもテレビの画面や新聞の写真にこういう形で毎日見慣れていた風景が突如現れたりするというのは、なんか変な感じやなあ。違う場所みたい。

6月17日(月)

 どうも体調が今一つ。タイガースやないけど、4月から緊張を続けてきたので今が疲れのピークなのかな。土曜にクーラー負けしたのが響いている。こういう時はシャワーで汗を流すだけやなく風呂を沸かしてゆっくりつかり、体の芯から汗をかくといいかもしれん。これを書いたらさっそく入浴する予定。とにかくまだ1週間は始まったばっかりやからね。

 ムラタヒデオさんが亡くならはったら、すぐさまムロタヒデオさんが亡くならはるというのは偶然とはいえなんか悪い冗談みたいで気持ち悪い。ううむ、こういうこともあるんですなあ。
 昔、室田日出男さんが大麻の回しのみで逮捕されたのを知り、家族にその話題をふったら、母は村田英雄さんと思いこんで話が噛み合わずに困ったことがあった。もし今でも実家にいたら「室田日出男さん死なはったって」、「なに言うてんの。村田英雄さんが死んだことも知らへんかったん」、「そら知ってる。今度は室田日出男さんが死んだんやて」、「村田英雄さんが死なはったんはもう3日も前のことやないの」てなやりとりをえんえんと続けていることでしょう。

6月18日(火)

 サッカーのW杯決勝トーナメントで日本代表チーム敗退と速報で知った。中身は見てへん。選手のみなさんにはご健闘お疲れ様とねぎらいの言葉をかけたい。私がそんなものをかけても大きなお世話といわれそうやけど。
 いやしかし、スポーツ新聞だけ読んでたら、日本チームは破竹の勢いでベスト4までいくように書いてあったから、世界の壁というのはそんなに薄いもんなんかいなと疑問に思うてたんやけど、実際はそうでもなかったということなんやね。
 そういうスポーツ新聞の書き方ににわかサッカーファンが踊らされるのを見るのは滑稽ではある。とはいえ、報道機関がそんなあおり方をするのを見ているとちょっと気持ち悪かったりもした。まあ常に突き放したシニカルな視点で報道せよとはいわん。そんなことをしたら駅で新聞は売られんやろうから。それにしても、ちょっと程度というものがあるんやないかなあ。真珠湾攻撃が成功してこれで戦争に勝ったようにあおりたてた戦時中の新聞記事というものを思い起こしたりもした。
 以前にも書いたけど、私はナショナリズムが前面に押し出されたりするのはあんまり好きやない。オリンピックの報道も、それがあるから好きになられへん。何度も繰り返すけど、私は関西地方限定のナショナリスト、うーむ、ナショナリストというのとはちょっと違うなあ、ローカリストてな言葉はないけど、まあローカルなものに愛着のある人間でありますね。そやから例えばサッカーを応援するんやったらJリーグの大阪や京都、神戸のチームということになるやろう。
 そういう思いがあるから、よけいに「日本強いすごい国民全部応援している」的報道に反発を覚えるのかもしれへん。野球は好きやけど、オリンピックの代表チームには関心を持たれへん。たとえ野球にW杯があっても、きっとさめて見ているのと違うかな。で、タイガースやバファローズやブルーウェーブの選手が活躍した時だけなんか嬉しくなってにまにましてる、というような気がする。
 ま、開幕7連勝した時点でタイガースがぶっちぎりで優勝するようにファンをあおりたてるスポーツ新聞のことやから、今回のW杯報道の過熱ぶりもそれといっしょではある。要は、そういうものに乗せられてオーバーヒートせんことですわ。ここらへん、長年タイガースファンをやってると、喜ぶ反面、内心ではどこかで「このまま順調にはいかんぞ」と警戒信号が発令されてしまう体質になっている。
 ま、これでオーバーヒートしたにわかファンも少しは冷静になるやろう。てなことを思うてたら、負けても道頓堀に飛びこんだ奴がいてるらしい。こういう手合いには近寄らん方がよろしいな。

6月19日(水)

 「ウルトラマンコスモス」は、しり切れとんぼな終り方では子どもにどうにも説明しようがないという親の苦情が毎日放送に大量に届き、杉浦太陽の出演シーンを抜いた総集編を2回続けて放送することで決着をつけるらしい。そんなんできるんか? あと16回ほど放送する予定やったのを2回にまとめるというところでかなり無理が出てきそう。なんかもったいないなあ。

 山本直純さんの訃報に接する。享年69。死因は急性心不全。
 山本さんというと「森永エールチョコレート」のCMで「おおきいことはいいことだ、おおきいことはいいことだ」と真っ赤なタキシード姿で気球に乗って歌うているというのやとか、「特ダネ登場!」というテレビ番組のレギュラー回答者で大げさな拍手と馬鹿笑いをする人というのが子どもの頃の印象やったけど、テレビの音楽番組「オーケストラがやって来た」の司会をしているのを見て、ただのにぎやかしのおっさんやないと認識した記憶がある。
 ほんまに「オーケストラがやって来た」は面白くて音楽がようわかる番組やった。「題名のない音楽会」の黛敏郎さんとは好対象。両方ともたぶんレナード・バーンスタインがアメリカでやっていた「ヤング・ピープルズ・コンサート」に刺激を受けて作られた番組やったんやろうと思うけど、音楽性の豊かさでは双璧やったと思う。
 私は音楽性の豊かさでは山本直純さんは小澤征爾さんや岩城宏之さんを超えていたんやないかと思うている。それは、山本さんの作曲した映画音楽の楽想の盛り上げ方などを聴き直してみても感じる。ちなみに私は大河ドラマ「風と虹と雲と」のテーマを聞き返してその雄大さに改めて山本さんの音楽性の豊かさを確信しているところです。大河ドラマのテーマ音楽はそうそうたる作曲家が名を列ねているんやけど、ドラマのテーマであるというポイントを外したものもけっこうある。
 新聞では「1万人の第九」を16年間指揮し続けたということを強調していたけど、そういった企画ものやなしに、海外の有名オーケストラを指揮させてみたいと私は思うていた。おそらく、タイプとしてはユージン・オーマンディのような音楽を派手に響かせる指揮か、気合い一発のシャルル・ミュンシュのような演奏になっていたのやないか、なんて想像も、今では虚しい。
 タレント山本直純が、音楽家山本直純を食うてしもうたのかもしれへん。質の高い映画音楽も、他の作曲家のようには評価されへんかったわけやし。その才能の割に評価は低かったのと違うかな。思えば残念なことやね。
 謹んで哀悼の意を表します。

6月20日(木)

 鈴木宗男代議士が逮捕された。国会議員には会期中の不逮捕特権というものがあるのに、わざわざ国会で逮捕許諾決議をやってまでして逮捕したわけやね。私は、これにはちょっと納得がいかんのですよ。鈴木代議士のやったことは不逮捕特権を剥奪までして逮捕せんならんことやろうか。
 あのリクルート事件の藤波元内閣官房長官でも在宅起訴やった。あのじけんこそ当時の政界全体を巻き込こむ大事件の一端で、不逮捕特権を剥奪し徹底的に調査することで政界全体を浄化するチャンスやったのに、当時の竹下内閣はそれをやらんかった。
 確かに鈴木氏は収賄の容疑はあるやろう。そやけど、藤波氏と比べると小物の印象は免れん。これは明らかに、国会審議をスムーズにして健保法案と郵政法案を通そうとする意図的な逮捕許諾決議としかいいようがない。つまり、小泉内閣の意図は見え見え。こういう自分の都合のいいように法律を使用するという姿勢がさらに政治不信を生むと、そう感じる。
 まあ、政治家のやるこっちゃからそんなもんやろうと覚めた目で見ていてもええけど、ここで通そうとする法案が穴だらけの有事法制や個人情報保護法案やったらどうなるか。正直なところ、鈴木氏こそトカゲの尻尾であり、見せしめであり、生け贄であろう。そして、先日までその力を頼みにしていた男をこんな形で切って捨てるという小泉内閣の体質に、ものすごく危険なものを感じる私だけやろうか。
 鈴木氏は在宅起訴で十分やったと思う。自分に都合が悪くなると、国民ですら切って捨ててしまうのやないかと、そういう危惧を私は抱いているのでありますね。なんともたまらん逮捕劇ではある。

 明日は所用で遅くなるので、更新はお休みします。次回更新は土曜深夜の予定です。


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