ぼやき日記


7月11日(木)

 昨日の日記に書いた「パルナスCD」は廃業を期に作成されたものやそうで、関係者にだけ配付された非売品らしい。ううむ、パルナス関係者に知人はいてへんからなあ。残念残念。

 今朝のスポーツ紙で知ったんやけど、某予備校の人気講師が生徒をしばいて保護者から予備校に抗議がきて謝罪したとかいうことやそうです。なんでもこの講師は元暴走族で「タイマン熱血授業」というのが売り物やそうですね。授業の最初にちゃんと授業を受けると約束せよ、破れば殴ると宣言し、生徒もそれを受け入れているということです。それやったら、注意されてもいうことをきかんかったという理由でしばかれたのに抗議するのはおかしいわけで、まあ、この講師の方にはお気の毒というほかない。
 ただ、私は自分の経歴をウリにしてそれをもとに暴力を肯定するような行為に対してはあんまりええ気分がせん。真剣やから手を出すというのは詭弁やと思う。だいたい予備校なんていうところは本人たちが本気で勉強するためにきてるわけやから、ある程度の教授技術さえ身につければ当の講師の実力以上に生徒の勉強は進む。私自身塾で2年間講師をしてたんやから、生徒が授業を受ける態度が学校とは違うことくらいわかっている。そんなところで生徒をしばいて「真剣な授業」と評価されるという状況が異常やと思う。もし彼が、困難校と呼ばれる授業が成立せん学校でそれだけの成果をあげてるというならば話は別やけど。
 それにしても予備校の講師というものは大変やなあ。いわばタレントにならんと高給は取られへんわけやからね。中にはキンピカ先生のように勘違いして国会議員の選挙に立候補する人も出てくる。この講師も元暴走族と鉄拳授業という看板を作り、そのイメージを大切にするために35才でなお頭をリーゼントで決めて授業するという付加価値を売り物にしているわけやからね。ご苦労さんなこっちゃね。
 まあ高校と予備校ではその存在意義も違うし教員のあり方も違う。障害児教育となると全くの別世界ではありますね。それを承知の上で、それでも暴力を売り物にするのが賞賛されるのは、私は嫌やね。それは教育とは別次元のものであると思うし、それを教育と思いこんでいるというのなら、この講師も、そして生徒も何か間違うてるとしか思われへん。まあいうたら「教育ごっこ」かな。もっとも彼らが合意の上で教育ごっこをしているのを止める気はないけどね。その教育ごっこに口をはさんだ親は野暮というものでしょう。

7月12日(金)

 先日、角川書店の封筒でDVDが送られてきた。中をあけてみると、映画「玩具修理者」のDVDであった。小林泰三さんが贈ってくれはったんでありますね。ありがたいことです。さっそくプレイヤーに入れて見てみる。本編は後回しにして、舞台挨拶などの特典映像を先に見てみる。あの、本を読む時に本文の前にあとがきを読むような、そんな感覚ですね。
 制作者、主演女優、監督の挨拶のあと、小林さんが花束を持って登場。主演の田中麗奈さんに嬉しそうに渡している。そして、そのあと小林さんのスピーチ。話している間、ずっと田中麗奈さんと並んで写っている。ここで私たち夫婦ははたと手を打った。
「小林さん、これを見せたくて送ってくれはったんと違うやろうか!」。
 そう思って再度その部分を見返してみる。うむ、確かにいわゆるツーショットという感じでえんえんと写っておるやないか。肝心の田中麗奈さんはその前の大晦日のカウントダウンの疲れからか「早く終わらないかな」というような表情で立っている。小林さんは緊張してはるのか最初は京都弁のイントネーションでスピーチを始めてるのに、途中で東京弁に変わってる。いやまあ、面白いんでつい何度も繰り替えして見てしまう。
 結局本編はまだ見てません。SF大会から帰ったらじっくり見よう。え、贈ってもらったのにそんな見方をしててええんか、ですか。そらあなた、贈ってくれた当人が一番見てほしいところを繰り返して見とるんやから、それでええんですよ。ほんまか?
 それはともかく、小林さんありがとうございました。みなさんもぜひお買い上げ下さい。舞台挨拶だけでも価値ありでございますよ。本編も面白そうやし。ごめんなさいちゃんと見ます。

 明日はSF大会参加のために島根まで行きます。喜多を見かけたら、気軽に声をおかけ下さい。あ、ヒゲはそってますからお間違えなく。よって、次回更新はできたら日曜……疲れてたら月曜の深夜になります。

7月15日(月)

 週末は島根の玉造温泉で1泊。「第41回日本SF大会『ゆ〜こん』」にゲストとしてご招待いただいた。13日の明け方、大阪は激しい雨と雷。これで4時頃たたき起こされ、中途半端な寝方で出かける。いや、あの雷にはまいった。
 ひかり号で岡山へ。そこからスーパーやくも号で玉造温泉へ。岡山の駅で電車に乗ると菊池鈴々さんが妻を見て「あら、喜多さん?」。菊池誠さんは売店で買物をしてはった。と、思うたらその売店に同じように立ってるのは小林泰三さん。3組が同じ車両に乗り合わせる偶然。これもSF大会ならではやね。その前の車両に喫煙しにいったら、早川書房の阿部毅さんと「SFマガジン」編集長の塩澤快浩さんがいてた。なんかいかにもSFファンという風体の人々も大量に乗りこんでいる。大会はもう始まっておるのじゃのう。
 玉造温泉の駅に降り立ったら「日本SF大会参加の皆様はこちらへどうぞ」とバスが待っていた。SFファンを護送するシャトルバスは「ホテル玉泉」へ。
 部屋に落ち着いて一息つき、15時からオープニング。司会は陰山琢磨さん。ちょっと去年よりも元気がないので心配する。ここで星雲賞の受賞式。野尻抱介さんが「ふわふわの泉」で長編賞を、田中啓文さんが「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で短編賞を受賞。お祝いの言葉をかけたいと、続いて始まったファンジン大賞の受賞式はパスして小林泰三さんとともに大広間から出た。そこに立ってはったのは北野勇作さん。田中さんたちは最前列に座ってるので抜けにくいということがわかったところで、菅浩江さんが通りかかる。結局、北野さん、小林さん、菅さん、私と妻という顔ぶれで1階のラウンジに。あとから田中さんも加わり、また大森望さんとさいとうよしこさん、森岡浩之さん、松浦晋也さん、武田康廣さんと入れ代わり立ち代わりラウンジに現れ、まずはゲスト同士の交歓で始まった感じ。妻は一足先に温泉に。私は菅さんのお誘いにのってお部屋にお邪魔をする。
 夕食の時間になり、妻と合流して大広間に。いやとにかく料理は豪華版。これでもかこれでもかと出てくる。ダイエットおっさんも今日だけ解禁日、今日だけ解禁日。
 腹一杯になって部屋に戻ると、もう動きたくなくなる。というのも、ゲストでありながら私には全く出番があらへんのです。ご招待を受けて参加を申し出てからずっと連絡もなくほんまに参加してええんか問い合わせたくらい。私がずっと昔にSF大会のスタッフをした時、「ゲストとしてきてもらうからには、とにかく企画に出ていただく」というのを叩きこまれた。これまでゲスト参加したコンベンションでは、まず企画がありそこで私を呼んでくれはるという形やった。それだけに、こんなんでええんかと思うてやってきたんやけど、他のゲストの人たちとの話でもやっぱり企画出演の声がかかってへんという。
 プログラムで企画を眺めていると、どうも自主企画のようなものばかりで目玉がない。せっかくゲスト・オブ・オナーに豊田有恒さんを掲げているのに、その豊田さんをメインにした企画もない。実際、私が見かけた豊田さんは「ゆ〜こん亭」という座敷で石飛卓美さんたちと麻雀をずっとしていた。それでええんか。「宇宙開発の部屋」というのが面白そうなので、妻といっしょに歩いて「松乃湯」というホテルまで出かける。ところが、ここは人でいっぱいで入られへん。「玉泉」に戻って「古代出雲の部屋」をのぞくがここも既にいっぱい。あとはあまり興味のない企画ばかり。菊池さんがテルミンの演奏をしていたんで昼にいったラウンジに降りる。そこには行き場のなくなったゲストのみなさんが集まってくるという感じで、水鏡子さんとさいとうよしこさんが話をしてたり、そこに田中啓文さんと大野万紀さんが加わったりしている。私は津田文夫さんと少しおしゃべりしてから、妻とともにディーラーズ・ルームにいったりするが、ここは開店が遅く、準備中。京大SF研の大澤さんから「アンサンブル」の会誌を買うたりする。キッズコンで子どもたちと遊ぼうかと思うが、その子どもが少ない。することがない。困った。困っているのは私だけやない。森岡浩之さんが手持ち無沙汰でうろうろしている。おかしい。森岡さんがうろうろしているのに一般参加の人たちは気にも止めん。これはほんまにSF大会なんか。
 妻とともに部屋に戻ろうとしてたら、野田令子さんと小林泰三さん、北野勇作さんにばったりでくわし、缶ビールを買い求めてもとのラウンジに舞い戻る。そこでの話は確かに楽しかった。「ゆ〜こん亭」に場所を移し、田中啓文さんも現れ、だらだらと飲む。それはそれでいいんやけど、これやったら「京都SFフェスティバル」とかわらへんやんか。それどころか、京フェスは講演や座談会の企画をちゃんとしてから合宿をするわけで、これだけのメンバーが暇をもてあますようにしているというのはSF大会という器であることを考えると、なにかおかしいんやないかと思う。これやったら、なにも旅費と時間を使うて島根まで来んでもできることやないか。
 私はいったいここまで何をしにきたのか。ゲストとして何も求められてへんのに、本業がテスト直前でかなり忙しいのに、書評用にゲラも読まんならんのに、なんでここにいるんや。
 他のゲストの方たちはどこにいてるんや。ちらりとごあいさつだけした井上剛さんとも話がしたい。プログラムに掲載されている参加ゲストにいっぱい会いたい。そのゲストの方たちは何をしてはるんや。リゾート型の大会でファンと作家が楽しく交歓するとかいうてる割には、そのための場が少ないんと違うの。ここにいてるのは北野さんと小林さんと田中さんやぞ。気がつかんのか、コスプレをした男性はゲスト作家の前に置かれた皿のつまみに手をのばすだけ。まわりの参加者はたいてい「デンキネコ」というビデオに見入っている。
 これはほんまにSF大会やろうか。妻が部屋に戻ると立ち上がった。そのあとしばらく酒をすすっていた私も結局戻ることにする。石飛さんが麻雀に誘ってくれはるが丁重にお断りをして、鍵を持ってきてくれた妻とともに部屋に戻った。
 朝起きて、一番風呂に入る。朝食も実においしい。中庭を妻と散策する。気持ちがいい。そやけど、これはSF大会の楽しさとは別種のよさであって、大会に来たという満足感がない。エンディングは見送り、観光をすることに決めた。駅へ行くバスを外してしまうなどしてだんだん疲れていく。それでも電車とバスを乗り継ぎ、出雲大社へ。正門前のそばやさんに入り、出雲そばを満喫。出雲大社は清浄な雰囲気でとてもよかった。お参りをして、帰路に。
 帰りのスーパーやくも号では、私は爆睡。松江あたりで寝て、はっと気づいたらもう岡山。ひかり号で大阪に帰ると、ねっとりとした空気が私たちを出迎えてくれた。
 島根でSF大会がなかったら、私たちは玉造温泉に入ってないし出雲大社にも参ってへん。そやけど、それは副次的な楽しみであって、SF大会の持つ特別な高揚感を感じることがでけへんかった。この大会を楽しんだ方ももちろんいてはるやろう。でもねえ、あれだけの人数のゲストをほったらかしにしておくという大会って、何なんやろう。
 帰宅して、ホームページ更新の気力もなく、寝た。疲れた。
 ゲスト招待して下さった大会スタッフのみなさん、ありがとうございました。そやけど、ゲストというのは参加費を免除されるかわりに体で払うもんなんです。夕食の大広間で、あるファンの方が「作家の方の顔がわからないんですよ」とこぼしてらしたが、それがこの大会を象徴するものやったかもしれへん。

7月16日(火)

 台風一過、暑い。試験監督をしていて、生徒のほとんどが早々とテストを終えてだれ切っている中で時間いっぱい待っていると、よけいにその暑さが身にしみる。帰宅して書評用のゲラ読み。早くこの仕事をあげてしまわんと、次の仕事にかかられへん。そっちはそっちで旧刊を読み直したりする必要があるんでそこそこ時間が必要やしなあ。
 ところで、最近CD屋で「元ちとせ」という名前をよく見るんで今はなにかと思うたら、「元」と書いて「はじめ」と読むんやと今日「週刊朝日」を見て初めて知った。「元ちとせ」というくらいやから昔は「シュビドゥバッヤー、イエー、昔俺が夕焼けだった頃、弟は小焼けだった」てなことでもいうてたんかと思うたら、若い女性やった。こうしておっさんは世間から取り残されていくんやろうか。
 さあ、ゲラの続きを読むのだ! 今日はこれにて失礼!

7月17日(水)

 妻に「元ちとせも知らんかったん」とあきれられてしまったのは、私です。
 それはさておき、今朝のスポーツ紙に「オタク狩り」とでかい見出しで書いてあった。何のこっちゃと読んでみると、コミケに参加するために会場前で徹夜で並んでいた若者を狙って金品を奪い取る連中が現れたという。
 「オヤジ狩り」の時ももの悲しさを感じたけれど、「オタク狩り」も悲しい響きやね。コミケに参加する奴は金を持っていて、なおかつケンカに弱い。そやから金品を狙いやすい。ついにターゲットがここまで広がったか。
 暴力をふるって金品を強奪する愚連隊とマンガやアニメのファンは、住むテリトリーが完全に違うていたはず。愚連隊諸君にとっては、マンガ・アニメファンなど関心外やったはずや。学校でいじめやすい奴、程度のもんやったに違いない。しかし、「オタク」が市民権を得、「コミケ」がテレビニュースで報じられるほどのものになった今、愚連隊諸君にもマンガ・アニメファンの存在が目にはいるようになったということやろう。
 全ての「オタク」が腕に自信がないとは限らん。とはいえ、たいていは弱いもんです。そして、愚連隊諸君はこういう弱い者を見つけるとすぐに餌にしたがる。強いやつに刃向かう気概なんかないのと違うかな。哀れなのはマンガ・アニメファン諸君やね。そういう者の近寄らんはずの自分たちの世界に入ろうとして、その入り口でとっつかまってしもうたんやから。
 「狩り」という言葉にこめられた、無力なものに対する一方的な攻撃という、なんともやりきれん響き。自分の好きなことに没頭していたいという者に対して突きつけられた現実。
 いや、この社会を動かしているのは、もしかしたら大勢の「オタク」かもしれへん。そして、愚連隊たちは自分たちを知らぬ間に支配しようとしている「オタク」に脅威を感じているのかも。実際そこまで気がついているかどうかはわからんが、無意識のうちに察知しているのか。そこまでたいそうに考えることはないですね。だいたい「オタク」自身にも自分たちが社会を動かしているという認識があるかどうかわからんもんなあ。
 なんにせよ、オタクの成れの果てとしては「オタク狩り」という響きにやりきれん辛さを感じてしまうなあ。

7月19日(金)

 今日の夕刊を読んでいたら、風物詩というか、終業式の写真が掲載されていた。生徒は夏休みにはいるんですな。私の勤務校は今日までテストをしていて、補講もあるし、部活もあるしで、夏休みという気分にはなれません。まだテストの採点やらなんやらいろいろと仕事はある。
 一方で、文部科学省が「自宅研修」に関してチェックを入れるよう指導していくというような記事もあった。つまり、夏休みに教師が「自宅研修」を休暇のように使うているからそれがいかんということですな。教師の「自宅研修」は法律で定められた権利で、それをどう使おうと教師自身の良識を信じてもらうしかない。まあ、職場にまでいかへんのやから、家でゆっくりする感じにはなる。
 そやけど、本音を書くと、あんまり細かく引き締めをするならば、教師側も反撃したくなる。例えばクラブ活動の引率などで休日出勤をしても特別手当が出るわけやないし、就業時間を過ぎてクラブ活動が終わるまで学校にいていも残業手当が出るわけやない。クラブ指導は「奉仕活動」という位置付けになってるわけです。熱心な活動をしているクラブの顧問はそれだけ休みを返上したり帰宅時間を遅らせたりしている。「奉仕活動」という割には、当然のように教師全員が何かクラブ顧問をするようになっている。自分の専門外のクラブの顧問をする場合もある。こういうことはたいていの方はご存知ないことやと思う。
 こういう実態には目をつむって、「自宅研修」にばかり厳しくあたるというのは現場にいてる者としてはなんか困るわけですよ。例えばクラブ指導で休日出勤をしたら、特別手当を出すかその分は夏休みに振り替えられるとか、そういう措置をちゃんとした上で「自宅研修」にメスを入れるというならともかくね。そして、新聞も文部科学省の発表をそのまま流すだけやなく、ちゃんと現場の状況も把握して報道してほしいもんです。

7月20日(土)

 今朝の朝刊にも「あなたの原稿を本にしませんか」という広告が載っていた。文芸社かなと思うたら、違う会社やった。他にも文春の子会社で同様の広告を掲載しているところがあったのを記憶している。
 自分の書いたものが本になり、多くの人の手に渡り読まれたら……という願望については、私もわかる。私自身、長年ものかきをしてきて1冊でええから著作がほしいと思う。ただ、それは自費出版でええから、やとかそない売れへんかってもええから、というようなものやない。あくまで出版社の編集サイドが私の本を出したいと思い、営業サイドがそれを売りたいと考えた結果であってほしい。というか、出版というのはだいたいそういうものやからね。
 つまり、自費出版でもええから本を出したい。あわよくば出版社が金を出してくれたら、というような人が多いということなんかなあ。そうか、ベストセラーで一獲千金、なんてむしのいいことを考えてるんやあるまいな。出版不況もあるけど、もともとベストセラーとそれ以外の本のとは売れる量が格段に違う。しかも、ベストセラーになるかならんかは、ベテランの編集者でさえもよみにくいらしい。
 それにしても、複数の出版社が参入し、こうちょくちょく広告をうっているということは、それが商売になるということではあるやろうね。それだけ「本を出したい」客は多いというわけやね。
 出版の仕組みや業界の裏の話をきいたりしていると、本を出すということがいかに大変かがわかるし、それが売れるなどとは考えたらあかんとも思うてる。「本を出したい」人はそこが根本的に理解でけてへんのかなあ。単に自分の考えを人に読んでもらいたいんやったら、私のようにこうやって自分のサイトを作ればええことやしね。「本」というかたちでないといかん理由というものがあるはずやろうとは思うけどね。

 明日は「たちよみの会」例会です。ぜひご参加下さい。


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