ぼやき日記


8月11日(日)

 今日は「げきだんHOCUS POCUS」という小劇団の公演、「シネマイム2〜駿に挑戦〜」というのを見に行く。パントマイムと最低限の小道具で「スタジオジブリ」の映画を再現しようという試み。「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「風の谷のナウシカ」をそれぞれ30分くらいでやってしまうという大胆なパフォーマンスやった。とにかくあの重いテーマを凝縮してるわけやから、精神力と体力がないとでけへんかったやろうなあ。
 会場は天満橋近くの「ドーンセンター」というところ。帰りに天満橋の松坂屋に行き、妻とともに「ジュンク堂書店」に寄る。転居してからヤングアダルト文庫やコミックのコーナーが充実してる書店とは縁遠くなってたんで、二人して乾きを癒すように書棚を見てまわり、何冊か出てることすら気づいてへんかった本なんかを買う。やっぱり行動半径にそれなりの広さのまっとうな書店はほしいなあ。転居して1年たつけど、こと書店に関しては前に住んでいた大阪府パナソニック市内のO駅前のようなところにいまだ出会わない。現在は地下鉄の最寄り駅前にあるほんまに小さい書店によく寄るけど、売り場面積が狭すぎて品揃えに不満が残る。そこはそこなりに工夫している書店で好感はもってるんやけどねえ。
 というわけで、演劇と書店行きで帰ったらけっこうへろへろ。明日から本格的な盆休みにはいるから、疲れはとっておきたいところやけどね。

8月12日(月)

 我が家もとうとうブロードバンド方式でネットにつなげるようになった。いやいや、めでたい。昨晩日付がかわったところでマンションのサーバが稼動を始めたので、私のノートパソコンにさっそく接続。さくさくどころではありませんな。これまでむやみに重たく開く気が起こらなかった企業のホームページなども接続したら一瞬で全画像が表示される。びゅん、という感じか。妻のマシンは私のノートほどやないけれど、それでもさくさくさくというくらいの感じでページを見ることができる。これで私もしばらくはノートパソコンを使うて快適なネット生活を送ることができるぞ。
 あとは愛機Macintosh4400/200のネット環境を整備すること、かな。夏休みが終わったら、ノートパソコンは職場でフル稼動させんといかんしね。いやその前にベランダの片付けか。祖母の初盆もあるな。原稿書きもある。
 今日は疲れがたまってたせいか、昼寝をしたりだらだら過ごしてしもうた。せっかくネットがさくさくいってるんやから、私も毎日の課題をさくさくこなさねば。

8月13日(火)

 今日の新聞広告を見ていたら、「真珠夫人」のDVDが発売になるという。昼の連続ドラマがそんな形で残るというのは実に珍しいケースやそうな。うむ、確かにテレビ欄を見てたら毎日何かしら連続ドラマをやってるけど、それらのタイトルをレンタルビデオ店で見たことはないなあ。原作の菊池寛の小説も新潮文庫と文春文庫から復刊されたり、放送されたドラマのノヴェライズ版も出るとかいう。それにしても、こういう絶版になっていた小説を掘り起こしてドラマ化するというのはなかなか面白い試みではある。フジテレビの「火曜時代劇」では白井喬二の「盤嶽の一生」をとりあげていて、あれは面白かったんで、書店で原作の復刊本を見かけた時には私もつい買うてしまいました。
 ところで、その「盤嶽の一生」を買うた時に実は「真珠夫人」も見つけたんでちょっと手にとってみた。それはコスミック・インターナショナルという架空戦記をようけ出している出版社が復刊したもんやったんやけど、奥付の前のページを見たら、現在の読者には理解しにくい部分は割愛し、用語もわかりやすいものに変更したと書いてあった。そしてその用語変更の一覧がつけられている。
 これはひどいなあと思うた。それならそれで表紙にはっきりと「改訂版」とでも書く必要があるやろう。著作権や版権の問題はクリアしてるからそういうことができるんやろうけど、それにしても読者をあまりにも馬鹿にしてへんか。「あんたらには基礎知識がないんやから、こ難しいところは変えといたったデ」という姿勢が見える。むろん、それでええという読者もいてるんやろうけど。それでもわざわざ原作を読もうというような視聴者やったら、多少難しいところはわからんでも雰囲気を味わうなりなんなりするやろうと思うけどね。
 しかしこうなると、テレビの原作になる絶版小説を求めるテレビ関係者が増えるかもしれへんなあ。それが出版業界を活性化させる、というふうになればええんやけど。

8月14日(水)

 お盆のお供物を買いに梅田へ行く。出かける前に梅田には家電量販店だけやなくパソコン専門店も開店していたことを思い出した。そこで、百貨店に行く前に中央郵便局の隣にある専門店に寄ることにした。8月10日の日記に書いたように、私の古いMacでもなんとかブロードバンド化に対応させんといかんからねえ。寄るというても歩いていったらけっこう距離がある。ここまで歩いたんやからなんとしても目的物を入手したいぞ。で、そこでMacのOS8.5がないか探すことにしたというわけ。なかったら店員さんにきいて日本橋まで原チャリをとばすくらいの気持ちであります。探しました。もちろんありません。予想通りやね。今どきそんな古いOSを並べて売ってるわけないわな。LANボードも念のため探してみる。
 あった。「対応OS:Mac8.0〜9.XX」と明記してあるLANボードがあった。私は箱を手にしばらく感動にひたったね。これで白黒テレビでハイビジョンが見られる! 
 よう考えてみたら、LANボードなんていうもんは古いOSに対応したもんやなかったら意味がないわな。そうかて搭載してるOSが新しければ新しいほど、そのマシンにはLANケーブル用のジャックもUSBポートもあって当たり前。わざわざそんなもんを別に買うて対応せんなんということは、それだけマシンが古いということで、つまり搭載されてるOSも古いといことやないかいな。家電量販店の場合は、新しい品物を大量に仕入れんなん関係上、LANボードには別にそれほど力を入れる必要はないわな。というか、LANボードは自分でパソコンを組み立てたりする人のための部品として売ってるということやろうしね。それやったら古いOSに対応してる必要はないよなあ。
 というわけで、愛機Macintosh4400/200のカバーをはずし、中の埃をかんたんに掃除し、スロットにボードをはめこむ。再びカバーをしめ、ソフトをインストールし接続設定を変更し、LANケーブルを差しこんでネット接続をした。つながってくれよ、頼むぞ、手を合わせながらモニターを見ている。あら、なんやつながらんぞ。あ、そうか、設定を変えたあと一度再起動せんなんのやった。ああめんどうくさい。パソコンのスピーカーから「気になる鑑定結果は再起動の後で!」と銀河万丈の声がする。私のMacはようしゃべるようにセットしてあるのです。
 つながりました。私の愛機はメモリも少ないし読み込み速度も遅いんでさくさくとはいかんけど、画像データが送られてくる早さが違うから、さく、ぐらいの早さにはなった。なにより、これで早い時間に長時間つないでも電話代を気にせんですむぞう。ノートパソコンを職場にもっていっても大丈夫やぞう。
 というわけで、我が家のブロードバンド化はこれにて一応の完成を見たのでありますね。よかったよかった。

8月15日(木)

 今日は祖母の初盆で滋賀に行き、その帰りに京都の先祖代々の墓に参る。例年お盆の墓参りは日が照って熱射病になるかと思われるくらいなんやけど、今年はちょうどお墓に手を合わせたくらいの時間帯に雨が降り出したりして涼しいとはいわんまでも比較的過ごしやすかった。とはいえ、自宅から大阪駅、JRで滋賀へ行き、帰りは京都駅からバスで祇園まで行き、途中で雨宿りのために喫茶店に入ったとはいえ、そこから四条河原町まで歩き、阪急で梅田に戻って地下街をうろうろしてから地下鉄で自宅にもどり、とちょっとした日帰り旅行ですな。ポロシャツは汗でべとべと。
 ところで、京都駅から祇園までバスに乗ってて気になったことが一つ。バスの停留所紹介のアナウンスがおかしい。「七条」という通りのことを「ななじょう」と呼んでいる。京都市営地下鉄もたしか「ななじょう」と呼んでいて昔抗議がいったはずやけど、まだ変わってへんのやな。あれは「しちじょう」と読むのです。京都弁やったら「しち」を「ひち」と読み、音がつまるので正確には「ひっちょう」となりますねん。まあ、アナウンスのテープは共通語の発音やから「次はひっちょう京阪」てなことをいうとけったいなことになるから「しちじょう」でええんやけどね。
 一説には「しちじょう」と読むと「四条(しじょう)」とまぎらわしいから「ななじょう」と変えたというんやけど、そんなもん、地名をそんな勝手に変えたらあかんがな。それやったら「しじょう」も「よんじょう」と読まさなあかん理屈になるし、「一条(いちじょう)」はどないすんねんと思う。「かずじょう」とでも読ませますか。
 京阪電車は「しちじょう」とちゃんと呼んでるのに、その駅を示すバス停が「ななじょう京阪」ではおかしいでしょう、だいたい。
 結局京都市交通局の見解は20年以上変更なしか。ひさしぶりに七条通を市バスで走ったわけやけど、観光客が間違えておぼえて京都の人間に田舎者扱いされ、二度と京都なんか行くもんかと思うたりしたらどないしますの。京都観光をして間違うて「ななじょう」とおぼえた方、正しくは「しちじょう」ですぞ。そうやって地方の人をだまそうというんやから、京都市交通局もいけずやなあ。

8月16日(金)

 扶桑社版の社会科教科書が愛媛県の教育委員会で採択されたからというて大騒ぎになっているけれど、中学校での教科書採択が地域で一括しておこなわれているのは別に愛媛やなくてもどこでもいっしょ。
 私は中学校で3年間常勤講師を務めたけど、よい教科書にしても悪い教科書にしても現場の意見が反映されへんという意味では、教えてる者としてはいっしょです。学校ごとの採択にしたらややこしいトラブルは防げると思うけどね。
 実際、大阪府の高等学校では各社の持ちこんだ教科書のサンプルを吟味して学校ごとに教科書を選んでますからね。知的障害の養護学校の高等部やったら、文部省検定教科書なんか使われへんから小学校の副教材みたいなものやら絵本やらを自分で探してきて教科書として購入させてた。一番よい教科書というのは、教師が実際に教える時に使いやすいものをさすと思う。都道府県や市町村の教育委員会が地域全体で統一した教科書を使わせるというところに問題があると私は思うね。
 それに使いにくい教科書が指定されてたら、自分でプリントを作って教えたらええし、副読本を選ぶ際に工夫したらええことでしょう。一番ええのは教科書や教師が生徒に史観を押しつけるんやなくて、生徒自身が考えるヒントを提示できるようなものやないかと思う。
 てなことをいいながら、私自身がそういう授業をできているかどうか。問題はそこにありますな。この日記を読んでる生徒のみなさん、「はは、先生あんなこと言うて、えらそうに。9月からの授業が楽しみやなあ」と鼻で笑わんといてね。

8月17日(土)

 昨日から3日間、大阪市内の区民ホールで「円谷英二特集」と称して東宝制作の古い特撮映画の上映会をしている。3日間で10数本一気に上映するという企画で、さすがに体力がもちそうにないんで私はパスした。「ゴジラ」はもちろん「海底軍艦」「緯度0大作戦」「サンダ対ガイラ」「ガス人間第1号」「美女と液体人間」「マタンゴ」と、まあこのマニアックなラインナップ。極めつけは「エノケンの孫悟空」。本多猪四郎監督のものは即ち円谷英二映画というように結びつけて考えられるけど、戦前のエノケン映画まで含めてしまうところに主催者側のマニアックな姿勢がうかがえる。
 私は昔UHFのテレビで3分の2位は見ているからえやと思っていたけど、通し券を買うて見にいっている妻は東宝特撮映画は今回初めてということで、家に帰ってきたたら興奮して映画を語るんですな。で、私は細部なぞほとんどおぼえてへんもんやから、しもた、やっぱり見に行くべきやったか、とも思うし、いや、とにかくこの盆休みは疲れをとるための休みやと考え直しもするし。
 とにもかくにも妻はこれで東宝特撮映画に開眼した様子です。しからば今回のラインナップにはいってへん「モスラ」「ラドン」「キングコングの逆襲」なんちゅうところもビデオを借りるなりなんなりして見てほしかったりする。私は特に東宝特撮映画に対する深い思い入れはないんやけど、妻の興味がそっちにむいている時こそ自分が見て面白かった映画を勧めるというチャンスやからね。しかし連日3〜4本の映画(しかもほとんどモノクロ)を立て続けに見るというのはしんどかろうなあ。妻は明日も映画行き。私は明日は「たちよみの会」で京都行き。御用とお急ぎでない方は、「たちよみの会」にご参加下さい。待ってます。

8月18日(日)

 「たちよみの会」に行くために京阪京橋の駅前を歩いていると、「こいや祭」という祭のテントが出ていた。例会でわあわあと盛り上がった後、京橋まで戻る。ちょうど「こいや祭」の終りがけにぶちあたった。
 お揃いの黒い衣裳をつけた人々が音楽に合わせて踊っている。全身を使うた激しい踊りや。見ていてそれはそれで面白いけど、この祭、大阪で定着するんかいなと思うた。北海道の「YOSAKOIソーラン祭」そのままなんやもんなあ、結局。なんでも若者が自分たちでプロデュースしたものとかいうことでニュースでもとりあげられてたけど、つまりは「YOSAKOIソーラン祭」を自分たちもやりたいということであって、正直あの祭のコピーでしかない。
 あれは札幌という新しい町で若者が作り上げたというところに意味があるんであって、天神祭やらだんじり祭やらの伝統があるところでそういうものを真似することにどれだけの意味があるんかなあと思う。
 どうせやるんやったら、大阪の昔からある祭ともよその年で始まった祭とも違う誰も思いつかんような祭をやったらどないだと思う。私は京都生まれの京都育ちやから、祭というと祇園祭やね。または氏神さんの祭でおばちゃんが作ってくれた鯖鮨の味か。新しくできた時代祭が祇園祭とは全く違うことをやって成功し、定着した。しかもそれは他の地域ではでけへん京都ならではの内容をともなったものやねんな。
 新しい祭をやるんやったら、何かの真似しやなく独自のものをしてほしい。運営に関わる人たちの努力は認めたいし、それを完全に否定するわけやない。ただもっとここだけでしか見られへんというものやないとその努力の値打ちも違うものになってしまうのやないかなと感じた次第。そやないと、いつまでたっても天神祭もだんじりも超えられへんぞ。

8月19日(月)

 メーリングリスト招待のメールがきた。差出人のアドレスに心当たりはなし。ただ、「世相落語ML」とあり、そこに書かれてあるURLのサイトを見るとどうやら演芸ファンのメーリングリストらしい。特に金をとられるわけやないし、きっとこのページで私が落語ファンやということを知って、どなたかお好きな方がお誘い下さったんやろうから、登録してみることにした。
 昨日の晩に手続きをして、さて今日メールをチェックしたら、2通ほどメールがきてる。どんな話題をしてるんやろうと期待して開いてみたら……。
 なんじゃこら。1通はわけのわからん健康食品販売の宣伝、もう1通は意味のないIT関係者のジョーク。世相とも落語とも関係あらへんやんか。つまり、私はだまされたということか。ええかげん自分の人のよさにあきれる。さっそく解除の手続きをとることにした。
 それにしても実害がなかったらええんやけどなあ。こうやって自分のサイトをこしらえてメールアドレスも公開してるから、わけのわからんDMはようくるし、あまりにもあまりなものはこの日記でも紹介したりしてる。迷惑というたら迷惑やけど、幸いウイルス感染などの被害にはおうてへん。今回のメーリングリストはどうなんやろう。
 教訓。知らん人についてったらあかんよ。私は5つの子どもか。まあ、ネット歴5年やから、5つの子ども程度でしかないんかもしれへんけど。

 明日は所用のため更新はお休みします。次回更新は水曜深夜の予定。


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