ぼやき日記


9月21日(土)

 お彼岸なので墓参りに行く。いやはや京都は暑かった。私ゃお盆かと思うたよ。ミンミンゼミが鳴いてるんやもんなあ。いやほんま。
 汗だくになった帰りに月見団子を買う。そう、今日は中秋の名月なんですね。嘘やろ。南座の敷地に小さな店を出している和菓子屋で買うた。実はその近くに百貨店にも出店している有名な和菓子屋があったんやけど、そういうお店は工場で大量に生産しているやろうから、味は落ちると判断。南座に店を出してるということは、観劇慣れしている京都の人たちが手みやげに買うて帰るような店に違いない。そういう人たちの舌を満足させるようなものを置いてへんかったら、すぐにつぶれてしまうやろう。そう考えて、その店にした。
 正解でした。あんこはしつこくなく塩がうまくきいていた。団子は張りがあるけど硬くない。京都の場合、かえって百貨店に出してないほうがおいしかったりするからね。客が店を選ぶんやなしに、店が客を選ぶ、みたいなね。ここらあたり、京都以外の人には理解でけへん世界かもしれへんけど。
 今年の中秋の名月は朧月夜でした。予報によると、今日で真夏日はおしまいやそうな。いよいよ秋がくるんやな。

9月22日(金)

 9月16日の日記でお願いしたはやしうたについて、メールをいくつかいただきました。わたしは現役の教員ですんでいわゆる「差別用語」をそのまま掲載するわけにはいきません。人権に配慮した書き方で引用することになりますので、そこらあたりはご容赦のほどを。
 大阪市阿倍野区で生まれ育ったという平田陽一さんは『生まれたばかりのばあさんが、八十五、六の孫連れて、底なし沼へ飛び込んで、それを〈目の見えない人〉が目撃し、〈くちのきけない人〉が〈耳の聞こえない人〉に電話して、ひとりの警官ガヤガヤと、二丁拳銃三丁持ち、黒い白馬にまたがって、前へ前へとバックした』というフレーズを昭和50年頃に聞かはったそうです。
 黒川憲昭さんの覚えているフレーズは『生まれたばかりの婆さんが、七十五、六の孫連れて、陸から海へと飛び込んだ。それを〈目の見えない人〉が発見しすぐに〈耳の聞こえない人〉に伝えたよ。一人の警官ぞろぞろと曲がった道を一直線』というもの。
 いつもメールを下さるまなせさんは、愛知県知多郡ヴァージョン。『生まれたばかりのバアさんが、85.6の孫連れて、水無し池に飛び込んで、豆腐の角で怪我をして、それを〈目の見えない人〉が発見し、〈くちのきけない人〉が〈耳の聞こえない人〉に電話する。〈足を失った〉医者が駆けてきて、〈手を失った〉看護婦治療する。それでもダメだと判ったら、正義の味方の悪人が、黒い白馬にまたがって、前へ前へとバックする』。1970年代前半の流行というから、平田さんと時期的にも一致しますね。
 冬樹蛉さんはわざわざ検索をかけて調べてくれはりました。このせいで日記の更新がまた遅れたかと思うと申し訳ない。ここに放送禁止用語使用ヴァージョンが掲載されているとご教示下さいました。「『黒い白馬にまたがって』あたりはどこでも共通らしく、このフレーズで検索すると、いろいろなヴァージョンがヒットします」ということですんで、次に検索したらこの日記にぶちあたることになるでしょう。
 結局、正反対のものを羅列するというところに子どものツボを刺激するおかしさがあるということなんでしょうね。こういうものは口コミで広まっていくものですから、地域によって微妙にフレーズが違うてくる。はたして最初にメールをくれはったKさんはどのヴァージョンに近いものを記憶してはるんでしょうか。それにしても、えげつない文句ですなあ。原文のまま引用したら、私は教育委員会から訓告を受けてしまいますぞ。
 みなさん、ご協力ありがとうございました。

9月23日(月)

 ハンガリーの「ジプシー・ヴァイオリン」の名手、ルビー・ラカトシュの4枚目のCDを聴く。もともと民族音楽の弾き手なんやけれど、ラカトシュの場合はクラシックの曲に挑戦したりジャズバンドとのコラボレーションがあったりと、CDを出すたびに新しいものを聴かせてくれる。今回のは「ラカトシュ・オン・ムービー」。映画音楽をバリバリバリと弾きまくる。ソ連映画やら東欧映画が入っていたりするので、耳になじみのない曲もあるけれど、そこはまるで即興音楽のように聴かせてくれる。有名な曲でも「第三の男」なんかまるでダンス音楽のように高速のテンポにアレンジし、全く違う曲のよう。
 ジプシー・ヴァイオリンの音色は好きやね。高速で技巧的に弾いたかと思うと、なんともやるせない奏で方にもなる。ハンガリーという東欧と西アジアの文化の接点という文化が生み出したものなんかもしれん。
 あのサラサーテの名曲「ツィゴイネルワイゼン」はハンガリーのヴァイオリンの曲を自分が弾くために編曲したもの。その原曲はハンガリーのヴァイオリン楽団のCDで聴くことができる。聴き比べるとサラサーテがいかにハンガリーのジプシー音楽を愛していたかがわかる。
 ラカトシュのCDは外れがない。どのCDでもヴァイオリンならではの音色を楽しませてくれる。一度生で聴きたいものですね。

9月24日(火)

 読売ジャイアンツの優勝が決定した。マジックナンバー1として迎えた今日、タイガースに勝って胴上げといきたかったはず。2位のスワローズが敗れて、既に優勝は決まっている。あとは9回の裏を0点に抑えたら、おなじみのダグアウトから選手やコーチがマウンドに駆け寄ってきて抱き合って喜ぶバッテリーを中心に原監督を胴上げできる。
 ところがですな、濱ちゃんがやってくれたやないかいな。同点ホームランですわ。さあこれで延長戦。それでも引き分けでええからとにかくマウンドに駆け寄って胴上げしたかったと思う。延長12回、この1回を抑えたらそれがでけるという時に、リリーフの前田は満塁で暴投。タイガースのサヨナラ勝ち。
 優勝してるのに選手は呆然としてダグアウトに引っ込む。タイガースのナインはホームベース付近で大喜びしてさっさと帰ってしもうた。そしてここは甲子園。タイガースファンは六甲颪をここぞとばかりに歌う。それから選手のヒッティングマーチを打順通りに全て歌い、最後に六甲颪で締める。これはお約束ですからな、止められん。その間、ジャイアンツファンは原監督の胴上げをぼーっと待っておる。
 タイガースファンが騒ぎ終わったあと、ジャイアンツナインがグランドに出てきてレフトスタンドのファンに挨拶をし、それからマウンド付近で原監督を2・3回胴上げ。いやもうなんか優勝した喜びというものはあるけど、それを爆発的に表現でけへんだという感じ。こんな気のぬけた胴上げを見たのは初めてやね。というか、いつもやったらジャイアンツの胴上げなんか腹が立って見てられへんのやけど、今日はなんか無性におもろい。ジャイアンツの胴上げがこんなにおもろかったというのも生まれて初めてですな。
 タイガースは優勝でけへんだんで、公約のオフ会は来年に延期です。来年こそはタイガースの胴上げを心ゆくまで楽しみたいもんです。

9月25日(水)

 朝、地下鉄の駅にはいっていこうとしたら、駅前のところで某政党の市会議員がなにやら演説をしている。朝の忙しい時間やから、立ち止まる人もいてへん。あれは誰に向かって演説してるんかなあ。
 前に住んでいたところでは、最寄りのバス停の前で金曜の朝になったら必ずある政党の議員が演説をしていた。バス停の場合、バスが来るまでは待ってんならんから、否応なく演説を聞かされた。頭には入ってへんでも、それなりに聞かせようという工夫はしてたわけやね。
 地下鉄の出入り口の前というのは、場所が悪いと思うな。これが地上にある駅の前やったら、まだ改札に入っても聞こえてきたりするけど、地下鉄の場合、文字通り地下にもぐるんやもんなあ。一応ビラも配ってたけど、そんなもん受け取りを拒否されたらしまいやし。だいたい受け取りを拒否したらさっと手を引くんやからビラ配りの担当者も芸がない。京橋の駅前にいたテレクラのティッシュ配りの兄ちゃんなんか、こっちが手を引っこめてもすっと手をのばして無理から渡しておったぞ。しかも早業。一瞬のうちにティッシュは手の中にあったからなあ。あれは一つの芸やなかったか。
 つまり演説をしている議員もビラ配りの係も本気で人に自分の主張を伝えようとしてるわけやないと、そういうことなんかしらん。とりあえず自分はこれだけやりましたという自己満足に過ぎんのと違うか。そんなことでは政権は取れませんぞ、某政党。あの演説にどれだけの意味と効果があるのか、私には全くわからんねえ。

9月26日(木)

 私は新聞連載小説というのはあんまり読まへん。毎日ぶつ切れでええかげんいらいらしてきませんか。これまでに毎日熱心に読んだ新聞小説というと、子どもの頃に京都新聞に連載されていた和久俊三「蜘蛛の家」(「死体の指にダイヤ」と改題して文庫化された)と朝日新聞に連載された筒井康隆「朝のガスパール」くらいか。
 まあ「朝のガスパール」は、新聞連載の時点で読まなんだら意味がないというくらい、ドキュメント的な小説で、あとから単行本になったものについては文庫化されるまで買わなんだし、買うたからというてさあ読もうという気にもならなんだ。
 そんな私が最近毎朝楽しみにしているのが、朝日新聞連載中の奥泉光「新・地底旅行」。楽しみにしているというても、やっぱりちょびちょびと小出しにされてるような感じでいらいらはする。そのいらいらを抑えて読んでいるのは、これは単行本化された時には書評でとりあげることになるかもしれへんという予感があるからですね。まあ、単行本にまとめる際には加筆訂正はあるやろうから結局読み直すことにはなるやろうけれど、一度連載で読んでいると単行本で読む時の読み方も変わるやろうと思うしね。
 あんまり純粋な動機やないけれど、毎日読むことに決めると、読むのを忘れかけたらなんかものたりんような気分になるから不思議やね。新聞小説というのは、そういう習慣になってしまった人のために存在するのかもしれへんなあと感じた次第ではあります。

9月27日(金)

 実は今日は職場でものすごーくストレスのたまるようなことがあってもうどにもこうにも。妻には愚痴をこぼしてしまうし、そんなものでストレスをはらすこともでけんし、この日記でぼやけばすっとするかも。
 実は(中略)で、その時私は(中略)やというのに(中略)というわけ。そやから(中略)やったんです。ああ、全部書いたはずやのに全然すっとせんぞ。

 鮎川哲也さんの訃報に接する。享年83。私は鮎川さんの熱心な読者やなかったけど、復刊されたデビュー作「ペトロフ事件」を読んでこういう推理作家の著作がほとんど絶版なのはもったいないと思うたことだけは書いておきたい。幸い、そのあと再評価がなされて本格推理の重鎮として重んじられた。鮎川さんの存在なくしては東京創元社からあれだけたくさんの優れたミステリ作家がデビューするとはなかったやろうと思うと、その晩年の存在感の大きさを感じるのですね。
 謹んで哀悼の意を表します。

9月28日(土)

 ぱっばらっぱらっぱー。新聞によりますと、USJに「爆弾を仕掛けた」と電話してきたとされていた男性は、実は脅迫電話の直後に別件で110番したのを脅迫者と誤認逮捕されていたことがわかりました。ウルトラマンコスモス事件に続く大阪府警の初動ミスに今後も批判が集まりそ〜です。
 というわけで、なんともお粗末やねえ。この男性を逮捕した時点では、「むしゃくしゃしたのでやった」とまことしやかに犯行理由まで発表されてたぞ。私も交通事故で骨折した時にむりやり一時停止不履行を認めさせられたという経験があるけど、警察というのはこれが犯人と決めつけたら裏も取らんととにかく本人に犯行を認めさせるというやり方をするからねえ。
 捜査の様子なんかは報道されへんからわからんけど、私の経験も含めてその場面を想像するに、「な、むしゃくしゃしたからやったんやろう」「やってませんて」「いいや、ちゃんと証拠もあるんや。あとはこの供述書にサインしたらええだけや」てな感じで進められたんと違うかな。ところがちゃんと調べたら携帯電話の発信時間と110番の着信時間にずれがあったことがわかったというわけやね。
 なんというのか、確かに犯人逮捕は大事なことやろうけれど、状況証拠と供述だけでは裁判は支えきれへんということはわかっていながら、功を急ぐあまりこういうことをしでかしてしまうというのはなんでやろうね。
 ひったくり事件日本一やとかそういう不名誉な事実があるだけに、警察庁の大阪府警締めつけがきついんかなあ。昨年吹田で起きた放火事件で少年を逮捕したのも、私の知る限りでは誤認逮捕くさいんやけどね。あせっている警察というのは危険やね。自分もいつ誤認逮捕されるかという恐れを感じるからね。

9月29日(日)

 ううむ、おかしいなあ。今日は休日返上でテスト問題を作ってるはずやったのになあ。コニー・ウィリスの最新作『航路』(大森望・訳)のパイロット版というのをいただいて、それを読んでたら結局テストどころやなくなってしもうたのやなあ。感想は正式に発売されてからきちんと書くつもりやけど。途中でやめられへんかったという事実だけをここには書いておく。こういう時期にこういうものを送ってくるとは大森さんとソニー・マガジンズさんも罪作りではあるねえ。

 といいつつ、私は昼には梅田に出て本を買うたりもしてたんですけどね。帰り、単車に乗ってて信号が赤になったんで止まった時のこと。ちゃんと停止線で止まってるタクシーの後方でライトバンがしきりにクラクションを鳴らして前に行けとつっかかる。そのライトバンは用事でもあるのかそこに駐車したかったんやけど、タクシーが邪魔になったということなんやろうね。ただ、私が見るに別にタクシーにつっかからんでも駐車するスペースは十分にあった。自分が思うところに止まられへんというだけのことでこういうつっかかり方をするということは、ま、逆らわん方が無難というタイプの運転手ですわ。
 私の前に中型のバイクが停車していて、それに乗ってるお兄さんはこのライトバンの運転手をじっと見ている。ライトバンの運転手はというたら、なんやぶつぶつと口を動かしている。こら、知らん顔してよ。私が逆方向の信号に目をやったとたん、ライトバンの運転手らしき声が聞こえてきた。「おら、なんあ、いいたいおとあんっかい!」(こら、なにか、言いたいことがあるんかい、の意)。あ、怒ってる。バイクのお兄さんが答える。「何も言うてませんよ」。あわわわ、あんたそれ言うたらあかんわ。メンチ切った上に逆らうやなんて、ケンカを売ってるのといっしょやがな。
 さあ、案の定ライトバンの運転手はさらに怒ったね。「あんじゃい、おら。あえとったあ、ああっど」(なんじゃい、こら。なめとったら、あかんぞ、の意)。「何も言うてませんよ」。「ああらっしゃい、おら、はあし、あんやったあ、いゃんかい」(やかましいわい、こら、話あるんやったら、言わんかい、の意)。「なんもないですよ」。わあわあわあ。目の前でケンカすんなよ、あんたら。
 信号が青になった。バイクのお兄さんはすっと走り出す。私も流れに乗って走り出す。「おおら、またんかい!」(こら、待たんかい、の意)。後ろでライトバン運転手の声がする。これはいかんよ。下手したら追いかけてくるよ。とばっちりだけはかんにんしてよ。
 幸い、くだんのライトバンは追いかけて来なかった。それにしても見るからに危なそうな男がいかにもいらついていますという風情でいてるのに、じろじろ見るかなあ。ライトバン運転手は、まあ危険かもしれへんけどわかりやすい。わからんのはバイクのお兄さんやね。じいっと運転手を見てたけど、どういうつもりがあったんかね。まあ、世の中にはいろんな人がいてます。

 今日もようけ書いてしまいました。こんなん書いてる時間があったらテストを作ったらええんやね。そらまあわかってますけどね。

9月30日(月)

 今日、地下鉄の定期券を買い替えた。4月から半年使うた定期券は表面がすれ減り文字がかすれている。新しい定期券の文字の黒々したのを見ると、半年前に新しい気持ちで定期券を買うたのを思い出す。そうか、あれから半年たったのか。もう1年くらいになっているような感じがする。それだけ密度の濃い半年やったんやなあ。新しい定期券を買い替える時は、どういう気持ちになっているやろう。さあ、いよいよ後半戦、転勤当初を思い出しながら、元気出していこか。

 ただいま発売中の「本の雑誌」10月号の「極地小説」特集に私も寄稿しております。私の担当は「秘境小説」です。ぜひお読み下さい。


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