ぼやき日記


11月21日(木)

 いろいろあって家に帰ってから本も読めず。今度の土日でなんとかしたいんやけどね。
 ともかく昨日の日記の続きです。
 受付に立っていたのは、GAINAXの武田さんやった。お子さんのゆきのちゃんを連れてはる。遊び相手がいなくてもゆきのちゃんはソファの角のスペースを使うて独り遊び。私は林譲治さんとお喋り。そこへ京都中を取材してて遅れてきた三村美衣さんが現れる。私たちが話していると、ゆきのちゃんは三村さんをさして「だれ?」ときく。さてどない説明しようか。そうそう、ゆきのちゃんのお母さんの菅浩江さんと三村さんは高校生の頃からの友だちやったっけ。「あのね、お母さんのお友だちやねんで」と説明すると、「だれのお母さん?」と逆に問い詰められてしもうた。ううむ、なかなか鋭いツッコミやないかいな。大きくなったら、より手強い存在になるやもしれん。
 さて、最後の企画は「非英米圏SF」を紹介するパネル。中国SF、ロシアSF、スペイン語圏SFのエキスパートが並び、それぞれの国のSF事情を語る。ロシアにしてもスペイン語圏にしてもやはり翻訳SFが優勢らしい。日本かて柴野拓美さんや福島正実さんというような人たちが人材発掘をしてへんかったら同じようなものやったんやなかろうか。それでも各国のオリジナルSFのストーリー紹介を聞くと、なかなか楽しそうではある。もっとどしどし翻訳してほしいというところやけれど、翻訳されたかて私は読まれへんのやろうなあ。日本SFでもカバーし切れてへんのにね。
 企画終了後、「十両」という寿司屋で夕食。私は井上剛さん、吉川良太郎さん、bk1のFさんと同じテーブルにつく。店の人が「かんぱち定食ができます」というと、次々とかんぱち定食を頼み始める。私は最初はばら寿司を頼んだんやけど、時間がかかるというので結局刺身定食に変えた。えー、こんなことを細々とレポートしてどないなるねん。
 会話も弾み、食事も進む。そこへ私の携帯に突如メールが届いた。そのメールの送り主はなんと!
 というところで、続きは次回の日記に。こんなんばっかし。

11月23日(土)

 週末を家で過ごすのはなんと3週間ぶり。そら疲れもたまります。
 京フェスレポートもだらだら続けていたらまるまる1週間費やしてしまいました。今日で終りにしましょうね。
 さて、私の携帯にメールを送ってきたのは小林泰三さんであった。合宿から参加の小林さんが合流先を求めてメールを送ってきたんですね。おかげで無事合流でき、いよいよ合宿。こでは私は今年も「喜多哲士の名盤アワー」と称して所蔵する音源から面白いものを選んで人に聴かせるという企画を行った。今年のテーマは「中年よ泣け!」。30代後半から40代の人々をノスタルジーにひたらせてやろうというコンセプトで選曲した。関西人なら涙なくしては聴かれない「パルナス」のCMソングを4曲、「およげ!たいやきくん」をオリジナルの子門真人ヴァージョンのほかに池田鴻、水木一郎ヴァージョンで続けてかけ、「ウルトラ母のバラード」はオリジナルの藤田淑子ヴァージョンと、本編でウルトラの母を演じたぺギー葉山がカバーしたねじれヴァージョンを聴きくらべる。イブニング親父。の「夜の街へレッツゴー。」と宍戸留美の「地球の危機」「宇宙の危機」という珍品を並べた後は「サンダーバード」から「三国志」までの人形劇テーマを立て続けに披露する。「新八犬伝」や「真田十勇士」のテーマではいっしょに口ずさんでいる人もいた。その中には倉阪鬼一郎さんやおがわさとしさんの顔も。私の隣にいた冬樹蛉さんも感無量の面もち。「プリンプリン物語」では高野史緒さんがいっしょに歌っていた。ラストナンバーの上條恒彦「だれかが風の中で」を聴いて感激しまくっていたのは浅暮三文さん。その他、一般参加の人の中からは「記憶していたのと印象が違いますねえ」という反応もあり、まずは成功。なに、私も選曲し編集している時は胸いっぱいになっていたのさ。
 その後は麻雀部屋に行ってみたり、小林泰三さんの企画で「奇跡の詩人」のビデオをちょっとだけ見たり。正直、養護学校で仕事をしていた身としては、ルナくんの母による虐待としか感じられへんかった。障害児に親が自分の希望をこめたい気持ちはよくわかる。9年間の障害児指導で、私も保護者の生の気持ちを知り、いろいろと教えられるところはあった。たいていの保護者たちは、自分の子どもの障害をきちっと受け入れ、そこからどれだけ自分でできることを増やしていくかを考える。我々はその手伝いをするようなもんやね。ルナくんの母親は、子どもを自分の腹話術人形に仕立て上げているんと違うかな。それは母子ともに不幸なことといわねばなるまい。
 今月末に芝居のある北野勇作さんも合宿に合流。大広間であることないことお喋り。結局4時過ぎには睡魔に勝てずごろ寝。6時頃に起き、北野さんや小林さん、冬樹さんのお喋りを聞く。エンディングの後、「からふねや」で朝食。野尻抱介さんたちと同じテーブルに。ゆっくり過ごしてから京阪の駅で散会。
 さて、ここから私は家に直行することなく京都の街を徘徊するのでありました。
 それについてはまた明日。今日フェスレポートは終わったものの、まだ私には家に帰られへん事情があったので日曜日のレポートも続けて書くことにする。
 いやもうこんな日記でええんかいや。

11月24日(日)

 思わせぶり日記も1週間続くと自分でもあほらしなってきます。テレビ局の人は毎度毎度思わせぶりな引きをしてるわけで、ああいうの、自分でやってて嫌にならんかと思うぞ。

 というわけで、先週の日曜日は三条京阪で作家、レヴュアーの人々と別れた後、河原町かいわいをうろつく。書店によって久しぶりにたっぷり本を物色したりしてから、喫茶店に。昼食をとったけど、腹の皮が突っ張ったら目の皮がゆるむというわけで、書評用の本を読み始めたけど結局居眠り。「たちよみの会」の直前までうとうととしてたことになる。
 13時より「たちよみの会」。大学で試験監督をしてきたというおがわさとしさん、レヴュアーの林哲矢さん、細井威男さんらが来てくれはった。みんな京フェス参加組。ありがたいことです。
 散会後、しばらく河原町をうろうろしたあと、19時頃、先斗町へ。菅浩江さんの日本舞踊の発表会の打ち上げだけに参加。メーリングリストにも入ってへんくせにそういう催しにだけ参加するというのはいかがなものかと思うが、お誘いには弱いのです。K書店の編集者の方も来ていらして、名刺交換をしたりする。こういう席でそんなことをしていてええのか。菅さん、ごめんね。非常に和やかなオフ会で、楽しく過ごす。会場についてですが、先斗町にあのラーメンチェーンの「天下一品」が料理屋をだしているというのがびっくり。私の高校時代には、まだ屋台をひいてはったわけで、この勢いはすごいなあ。と、妙なところで関心。
 さてそれからの1週間。あまり思い出したくない。こんなに本が読まれへん週というのも近来なかったことかもしれん。昨日と今日の連休をどれほど心待ちにしたことであろうか。というわけで、今日は本を久しぶりに読了。そのあと昼寝。だいぶ頭が働くようになったぞ。
 でも、できたらもう1日休みたい。ええい、もう二度とこんな日程は組まんぞ。原稿も書かれん本も読まれんような疲れ方は嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ。

11月25日(月)

 ここのところ、「週刊現代」と「週刊ポスト」の突っ張りあいが面白い。以前から「現代」はタイガースを持ち上げる記事を書き「ポスト」はタイガースを叩く記事をよく書くが、このオフは特にそれが激しい。しかも同じできごとを全く別の角度からとりあげるんやから読み比べると実に楽しい。例えばこのオフシーズンの選手補強については「現代」は星野監督の構想がぴったりはまり選手間に競争意識が芽生えると歓迎しているのに対し、「ポスト」は生え抜きと外様の間に感情的な溝ができお家騒動が始まったとする。今日発売のを立ち読みしたら、「現代」はバファローズの中村選手がタイガース移籍に傾いたという記事を書いているのに対し、「ポスト」は解雇された湯舟投手コーチの恨み節と称してインタビュー記事を掲載している。
 どちらに分があるかというと「現代」ですな。「ポスト」はお家騒動の果てに桧山がFAでドラゴンズに移籍すると明言していたけど、みごとに外れてタイガースに残留した。それに対し、「現代」の予測した補強計画は着々と現実化していっている。「ポスト」の今週の湯舟氏へのインタビューも恨み節とは程遠く、淡々としたもの。他からコーチを招聘したら、誰かが解雇されるのだから仕方ないと割り切り、生え抜きの外様のというがファンは野村監督や星野監督を歓迎したではないかと「お家騒動」説をやんわり否定している。唯一恨み節らしいのは、タイガースファンの極端なヤジについてだけ。これでは「ポスト」の期待するインタビューにはならんなあ。
 しかし、「ポスト」がこうまで執拗にタイガースを叩くのはなんでやろう。タイガースがうまいこといったらいかん理由でもあるんかな。だいたい10年もBクラスのチームに対して何を叩く必要があるか。それとも東京のジャイアンツファンはタイガース叩きの記事が載ると喜んで週刊誌を買うんやろうか。編集長がよほどタイガースを嫌っているみたいやね。
 どうせならマリーンズやファイターズ、ブルーウェーブあたりの記事をがんがん書いていただきたい。これまで記事にせんかったチームをとりあげて読者の目をパ・リーグに向けるようにしてほしいものです。それでこそ公正なメディアの役割を果たせるというものやないか。「セギノール激白! 石毛はオレのプライドをずたずたにした!」でもええし、「ヒルマン新監督は日本野球を変えられるか!?」でもかまへん。「地味さなら伊原には負けん! 山本功児監督怒る!!」でもええやないか。タイガースを叩くよりもよっぽど意味のある記事ができると思うぞ。

11月26日(火)

 食玩にはなるべく手を出すまいと思うておるのだが、つい「福神根付」なるものをコンビニで見つけて買うてしまう。以前「妖怪根付」を買い鞄にずっとつけてるんやけれど、餓鬼のマスコットてなもんはさすがに気色悪い。もう少しゲンのええもんの方がええのになあと思うていたところ、七福神のマスコットならば運もついてくるやろう。ちょうど携帯電話を買い替えたところで新しいストラップもほしかったし、ちょうどええわいと思うて購入した次第。
 ついていたのは大黒さん。こらもう金運がつくわいなあ。さっそく携帯につける。重い。ぶらぶらしてもちにくい。しかも、福の神やのになんか怖い。まあ大黒さんがでてきたんやから、ここにこうやって書いておいたら長屋の若い衆がお祝いを言いに来てくれるかもしれん。あ、来たらごちそうせんならんか。もっとも、黄金の大黒やなしにプラスチックの大黒ではあまりめでたいことはないか。落語のもとネタを知らないかたにはなんのことやらわかりませんか。すまんすまん。
 これは全部揃える気にはならんなあ。ついているラムネが紅白ラムネというあたり、こだわりを感じて好感を持ったりはしたんやけどね。大黒さんだけでは寂しかろうから恵比寿さんが当たるまで買う、てなことを思うと結局揃えようと必死になってしまうかもしれん。いかんいかん。せめて弁天さんが当たるまで……いやいや、それはならんぞ。できたら布袋さんほしいところ……そやからそんなことを考えなというに。宝船は必須やなあ……ああもう、頭から離れんぞ、どうしたものか。

11月27日(水)

 結局「福神根付」をもうひとつ買うてしまいました。うまいこと恵比須っさんが当たったんで、もう打ち止め。妻にもお土産に買うて帰ったら、それは毘沙門天さんやった。勝負せえという辻占かな。どんな勝負をするかは知らんが。さて、これで金運がまわってくるか。明日から原稿依頼がどしゃどしゃくる、とかいうことはまあないやろうけど。

 昨日テレビで昨年末に見た映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」をやっていた。金子修介監督自らテレビ用に編集したというふれこみやけれど、一度見た記憶だけではどこをカットしたんかわからん。それにしても、金子監督が自分から編集したというのに感動するね。テレビは放送時間やコマーシャルの関係で平気でオリジナルを切り刻むからねえ。私が高校生の頃、夏休みに東映動画の「どうぶつ宝島」をテレビでやっていて、東映動画黄金時代のファンでもある私はカセットデッキをテレビにつないで(音声を録音するため。ホームビデオなんて上等なものはその当時一般庶民の手にはいるものやなかった)ブラウン管を注視したもんです。ところがですね、秀逸なギャグのシーンがカットされていてがっくり。いやいやそんなことはよくあることとあきらめてたら、なんとラストで主人公たちが意気揚々と船にのって帰るあとを仇役が筏で追いかけるという部分がすぱっとカットされている上に「終」というクレジットをわざわざくっつけていた。これには激怒したね。どういう判断でそんな処置をしたか知らんけれど、ラストシーンに残されただめ押しのギャグをぶった切るとは。お子さま向けの「夏休みまんが劇場」であっても、あまりにも作品をバカにしていると憤慨したもんです。
 金子監督に同様の苦い思い出があったかどうかはわからんけど、自分の作品を他人に切り刻まれるくらいやったら自分でやったるという気持ちがよくわかる。まあ、ノーカット版が見たかったらDVDを買うべし、ではありますが、監督自ら編集したテレビ放送版もある意味では貴重なものかもしれへんな。DVDはいまのところメイキング・ビデオなどと組になった3枚ものしか売ってへんので、私は映画本編だけの1枚ものが出るまで待ってるんやけどね。
 今後も何度もテレビで放送されることになるんやろうけれど、願わくば今回の監督編集版を使用していただきたいと思うのみであります。

11月29日(金)

 「劇団虚航船団パラメトリックオーケストラ」の公演『モドキドモ』を見に行った。そう、北野勇作さんが毎回出演している劇団であります。今回は「扇町ミュージアムスクエア」さよなら公演。企業メセナが激減している中で、小劇団に利用されてきた劇場がなくなるのは寂しい限り。
 さてその『モドキドモ』やけれども、こんな話。「田中さん」なる人物を探して不思議な人々が一軒の家に集まってくる。彼らは実はS教授によって人間と化した動物たちだった。ところが、その目的の田中さんはおらず、親戚だという家族が住んでいた。もと動物のモドキどもはS教授からの指令を果たさなければならないが、肝心の「田中さん」がいなければなんにもならない。モドキどもはやむなく代わりにその家族と同居し、「田中さん」が帰るのを待つことにするが……。
 なんでS教授が動物をモドキに変えたのか、「田中さん」になぜ奉仕しなければならないのかなど、大事なことがわからないという難点や、客演の役者さんがセリフを覚えきっていなくて芝居の流れが悪くなったという残念な部分もあったけど、それぞれの役者の持ち味を生かした舞台はいつもの通り楽しいもの。初日ということもあって、こなれが悪かったのかな。
 北野さんはシロクマの役。前回はギターをひいてはったけど、今回はウクレレ。芸達者ですねえ。
 芝居がはねたあと、北野さんは例によって著作を並べて販売。演技で疲れてはるやろうに。ご挨拶をしにいったら、なんと案内の手紙は奥様が直接うちのマンションのポストに投入しに来てくれはったそうな。ありがたいことです。

11月30日(土)

 前任校の学習発表会を見に行く。昨年の今ごろはあの舞台の上で生徒たちに合図を送ったりなんかしていたんやなあ。それを一観客として見ているのが不思議な気持ちになった。そして、障害児教育の現場を一旦は離れた身としては、かなり客観的に見ることができるのにも驚いている。よく野球解説者が現役を離れてネット裏で野球を見るのは勉強になるというけれど、その心境がわかるような気がしたね。養護学校での舞台発表はどうあるべきか、なんて事が頭に浮かんだりもするわけで。
 こまごまとした専門的なことをここに書くような真似はせんけど、劇の完成度よりも出演者一人一人の存在をアピールさせることが必要やないか、そのためには台本なんてものも作らんでもええんやないか、いや、筋立てみたいなものもなくてもええんやないか。特に重度障害の生徒をストーリーにはめこむことはいらんのと違うか。劇をするんやったら、物語を進行させていくのは軽度障害の生徒にまかせ、ストーリーと関係ない部分で大きく重度障害の生徒と遊ぶ、そんな感じで進めてもええんやないか。
 さらに、普通の高校生との比較で考え、普通の高校生にもこういう形で真剣に人前に出る機会をもっと作った方がええんやないか、なんて事まで考える。もっとも普通の高校生はクラブ活動などで自己をPRする事ができるわけやから、養護学校の舞台発表みたいな機会を必ずしも作らんならんとは思わへんのやけどね。
 短い時間やったけど、ええ勉強をさせてもろうた。これが実際に現場に生きるかどうかはわからんけどね。なにしろ現任校では目の前の事で手一杯の状態が続いてるからなあ。


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