ぼやき日記


1月12日(日)

内宮へ向かう人々
 昨日と今日は伊勢参り。上方落語の「東の旅」ですな。落語では喜六と清八の二人連れが伊勢路を歩いて狐にだまされたり軽業に拍手したり大津の宿で土壁を食らう男に会うたり三十石船で淀川を下ったりするんやけれど、私と妻の二人連れは近鉄特急でいけるわけでほんまにありがたい。伊勢市駅で降りて、まずは外宮へ。駅前でタクシーの運転手か誰かが「外宮なんか誰も行かへん」てなことを言うてるのを耳にする。ほっといてくれ。わしらはちゃんとお作法にのっとってお詣りしたいんじゃわい。ほんまに誰も行かへんのかというとそうでもない。ちゃんと団体客もカップルも家族連れもおるやないかい。赤外線を出してるらしい柱を見つけた妻が若い警備員に「あれは警備用のものなんですか?」とききにいったら、「でしょうね」という答えが返ってきた。以後、我々はその手のものを〈でしょうね〉と名付ける。内宮にも〈でしょうね〉はあった。内宮ではどういう答えが返ってくるかと楽しみにしていたんやけれど(〈たぶんね〉という答えを期待したりしていた)、内宮は参拝客が多すぎて〈でしょうね〉の近くには警備員はいてへんかった。残念。私らは何を見にいっておるのか。
伊勢の注連飾り
 伊勢の街を歩いていると、写真のような注連飾りが家の軒先に飾ってある。「笑門」の意味がわからんかったんで妻が観光案内所でシルバー人材センターから派遣されたような感じの案内員さんにきいてみると、これは正式には「蘇民将来子孫也」と書くところを省略した上に縁起のよい言葉に置き換えて「笑門」としているんやそうです。旅の楽しさは、こういうものを見つけるところにあるわけなんやけど、こういうものにめざといのは妻なんですな。妻といっしょに歩く楽しさはこういうところにある。これは正月だけやなく年間通じて飾ってあるそうな。
 伊勢市駅から近鉄に乗って五十鈴川駅へ。ここから内宮まで歩いたんやけれど、予想した以上に距離もあり時間もかかり(変なもんを見つけたら妻が喜び私が写真を取るからさらに遅くなるという事情もある)、猿田彦神社の近くで「伊勢うどん」を食べる。太いうどんにだし醤油の味がしみてこれがなかなかいけます。さらに歩いてやっと内宮に。こちらは変なものを見つけて遊ぶ余裕なし。とにかく人が多い。決まったコースをひたすら歩く。そのかわり、神宮やないと売ってへん「おいせまいり」の絵本やら写真集やら「伊勢まいり」というガイドブックを買えて、私としては満足。特にガイドブックはかなり細かいことも書いてあって、小説を読んだり書いたりする時の資料に最適。
 おかげ横丁などをひやかして歩く。イメージの統一がはかられているのか、フランクフルトの屋台などはなく、そのかわりに「イカ天」「エビ天」「明太子天」「チーズ天」など揚げ物のスティックをフランクフルトのように食べ歩きしやすいように棒に刺して売ってあったりする。和風を大切にしてイメージを崩さんようにしているところに好感を持った。
 歩いて駅に戻るのは大変なんで、バスに乗る。五十鈴川駅から鳥羽駅へ近鉄で移動。この続きはまた明日。こういうネタを1日で使い切るのはもったいないからねえ。出し惜しみしてるわけやないけどね。

1月13日(月)

なぜパンダ?
 妻はいわゆる「トマソン」を発見するのがうまい。右の写真は五十鈴側駅から内宮に行くまでの歩道に描かれていたもの。私も面白がって写真を撮る。そんなことをしてるから道がはかどらんのやないですか。
 しかし、それにしてもなぜパンダなんやろう。実は道を走っていたごみの収拾車にもパンダの絵が描かれていた。伊勢市にパンダのいる動物園があるという話はきいたことがないしなあ。市役所にパンダが大好きで大好きでたまらんという黒柳徹子みたいな人がいてるのかしらん。謎やね。それはともかく歩道のパンダは尻尾が黒いぞ(ほんまもんは白い)。どうせ描くならそういうところに気をつけてほしいもんです。正確に描いたからどうやということはないんやけど。
 さて、昨日の続きですね。鳥羽駅についた私たち二人は、答志島へ行く船を待つ。1時間に1本しかないのに、船着き場の場所を探して観光案内所に行ったりしてたら、わずかの差で乗り遅れてしもうた。金色の浦島太郎が舳先に乗っている遊覧船を発見してわあわあ騒いでたりしたあと、ちょっと休もうと船着き場に行く途中で目をつけていた「赤福茶屋」に向かう。ぜんざいを食べたくなったのです。ところが、子どもみたいにはしゃいでたおかげで遅くなってしまい、注文しようとしたら「すみません、もう閉店なんです」と断わられてしもうた。間が悪いのが妻にも写ったか?
 答志島行きの船に乗り、迎えにきていたワゴンで目的地の民宿へ。ここで妻の実家の家族と合流。さすがに海鮮料理はおいしい。8つになる東京の甥っ子は「かいとうゾロリ」という絵本のシリーズにハマっていて、その双六やらトランプやらで遊ぶ。私のことを気に入ってくれていて、私や妻とその双六をするのが楽しみやったそうな。私もまた子どもと遊ぶのが好きなもんやから、大人と話をするよりもそっちばっかり楽しんでいる。
鳥羽の海の朝
 夜は寒かった。エアコンをずっときかせていたんやけれど、空気が乾燥するので寝る前に切る。宿に備え付けの浴衣を着ていたせいもあったし、布団が薄かったのもあったし、とにかくスースー冷気が入ってきて布団を体に巻きつけていた。
 朝は妻や私や義姉の携帯電話を目覚まし時計代わりにする。私はアラーム音を「NHKのど自慢」の合格の鐘の音にセットしてた(有料サイトからわざわざダウンロードしたのだ)んやけど、受けるかと思うたら、妻に「脱力してしもた!」と言われる。せっかく起きようとしたのに脱力されてはいかんわなあ。
 夜明けは実に美しい。朝日が海面に照り栄えている。朝日も写した写真かてあるんやけど、窓の前に電線があって見苦しく、海面だけ写真で御披露。
 朝食に出た小鰺の塩焼きが、ほんまにおいしい。宿では特に工夫した料理というわけやないんやろうけれど、海の近くやからこそ食べられるおいしさですな。
 前の晩から甥っ子は手で拳銃の形を作って「バキューン」と私を撃つ。私は関西人の習性で撃たれたら苦しむ(これは「探偵ナイトスクープ」でも実証されている習性です)。面白がった甥っ子は立て続けに撃ってくる。私は撃たれて死んでしもうたので、倒れたもままびくともしない。殺しては面白くないと思うたのか、今度は「念力だ! びびびびび」と両手をこちらに向けてくる。私は印を組んで「臨兵闘者戒陣列在前!」と返したけれど、これは向こうが理解でけへんかったらしい。あほなおっさんである。
 島の船着き場で干物や瓶詰めを買いこみ、鳥羽駅へ。義兄たちと鳥羽の「赤福」へ行き、念願のぜんざいを食する。いやいや、さすがに「赤福」。あんこの味がなんともよろしいな。
 というわけで、伊勢参宮をするという義兄たちと別れたあとは近鉄特急で上本町へ一直線。さすがにあれだけ撃たれて死んだら疲れたと見えて、電車の中では爆睡した。それどころか帰宅してからも熟睡。私たち夫婦の「東の旅」は初詣という厳粛なもんやなく、落語みたいな道中になったのでありました。

1月14日(火)

 「週刊朝日」は毎週買うているけれど、今週号はもう買う前から楽しみで楽しみで仕方なかった。北朝鮮から帰国した地村夫妻への「独占インタビュー」が掲載されてるわけやけれど、夫妻は単なる雑談のつもりでインタビューとは考えてへんかって、掲載した朝日新聞社に抗議しているわけですな。下手したら回収騒ぎになるやもしれん。
 読みました。本音がもろに出ていて面白い。北朝鮮での生活なんかかなりはっきりとしゃべってるし、これを記事にせんかったら記者としては失格、かもしれへんな。NHKテレビのニュースを見てたら、朝日新聞社から地村夫妻へおわびに行ったという報道をしていたけれど、そやからというて特に今週号を回収しようという意志はないみたい。いやもう、これで朝日新聞は拉致家族のところに取材に行ってもこれからは応じてはもらわれへんことになるんやろうなあ。それがわかってるから、よけいに回収はせんのやろうなあ。
 楽しみはそれだけやないぞ。来週の「週刊文春」が朝日新聞社をどう叩きにかかるか、それも見ものやねえ。私はふだんは「週刊文春」はめったに買わへんのやけれど、どんな風に朝日を叩いているかじっくりと確かめるために買うてしまうやろうなあ。
 拉致家族に関してはあんまりそういう形で騒いだりしたくないんやけれど、こと今回に関しては「朝日VS文春」という下世話な興味で盛り上がるのを野次馬的に楽しんだりするのでありますね。我ながら人間が俗でいかんわい。

1月15日(水)

 大河ドラマに触発されて、宮本武蔵をきちっと読んでみたくなり、何冊か買いこむ。むろん、国民的大衆文学である吉川英治版ははずされへんし、剣豪小説の雄、五味康祐、津本陽もおさえておきたい。女性から見た宮本武蔵ということで澤田ふじ子、吉川英治以前の武蔵像も知りたいので立川文庫版も読む。SF作家の書く宮本武蔵ということで書庫から光瀬龍のものも引っぱり出してくる。よう考えたら、私は宮本武蔵について書かれた小説は光瀬版のものと富樫倫太郎しか読んでへんかったんですな。まあ、SF書評家であるから、読む時代小説というたら伝奇ものが中心にはなるわけやけれどね。
 これでも一時は司馬遼太郎に凝って『竜馬がいく』をはじめとして片っ端から読んだ時期もあった。山岡荘八の『徳川家康』は学生時代に全冊読破した。あまりおもろなかったことくらいしか記憶にないけどね。ただ、SFと比べたら時代小説は読んでる量が少ないからきちっとした評論を書くというようなことはでけへんけどね。
 SFの新刊をほったらかして、しばらくは時代小説づけになるかも。ただ、宮本武蔵ばっかり立て続けに読んでたら飽きてくるから、もちろんSFもちゃんと読みはするやろうとは思うけれど。
 それはともかく、同じ人物をいろんな視点で書かれているのを読み比べるのは面白いねえ。クラシック音楽を聴く楽しさと似ているかも。同じ曲でも演奏家によって全然別物に感じられる、あの面白さと同じものを感じるね。

1月16日(木)

 いやいやさすがに「週刊文春」は早いなあ。本日発売の今週号でさっそく一昨日の日記に書いた「週刊朝日」を叩いておるぞ。関係者のコメントもきっちり載せている。「週刊朝日」の記事の引用がちと多すぎて人のふんどしで相撲をとっているというようなところがなきにしもあらず、ではありますが。しかしこう早く記事が書けるというあたり、なにか裏があるような気もせんでもないねえ。うがち過ぎかな。
 ところで、地村氏側は今後記者クラブの会見から朝日新聞社を閉め出すようなコメントを出している。さあ、どうする朝日新聞社、と言いたいところやけれど、この際やから、いっそのこと朝日は記者クラブから脱退したらどうかなあ。記者クラブ会見で一斉に与えられる均一な情報ではなく、独自の取材で報道をしていくとなると、これまでとは違った紙面になること受け合いやと思うんやけどね。
 実際、新聞記事がいかに取材の裏づけをとらんと記者クラブ発表のものを垂れ流していることか。かつて私の教え子がある事件で犯人扱いされた時、新聞の報道がいかに一方的なものであるか嫌というほど感じてしまった。それは警察担当の記者が記者クラブ向けの会見をそのまま記事にしているからなんやな。今回の件で記者クラブ向けの会見に参加でけへんということになったなら、そういう報道の垂れ流しはでけへんようになる。
 そういう意味では報道というものの原点に戻るということを朝日にはぜひやってもらいたいところやね。それでこそ、今回の「スクープ」の意味はあったんやなかろうかと思うんやけど、さてどうやろう。

1月17日(金)

 また今年も1月17日がやってきた。毎年地震のことを思い出し、ここに書く。地震の直後に荒巻義雄さんが「旭日の艦隊」で大地震のシーンを描き、首相が迅速に対応して被害が少なくすんだなどというエピソードを作ったのを読み、無性に腹がたったことまで思い出す。北海道在住の荒巻さんは「要塞」シリーズで本土の人間には「北の脅威」はわからないだろうと明言していた。そういう人であっても、地震に関しては実際にあの揺れを経験していないのに被災者の神経を逆撫でするような小説を書いた。地方の友人からかかってきた電話を妻が受けた。私は不在やった。その友人はジョークのつもりかなんか知らんが「被災地にやってきた自衛隊に対して、自衛隊反対派が妨害のデモをしたらしい」などと言うた。妻は「被災者にそんな余裕があるか!」と怒ったという。
 神戸の知人に義損金を送ろうというSF仲間の呼びかけがあり、私が旗ふり役を引き受けたんやけれど、2月にインフルエンザで倒れて結局何もでけへんかった。それが今でも悔いとして残る。
 来年も、再来年も、この日には地震のことを書くやろう。私自身があの日のことを忘れへんようにするために。

1月18日(土)

 テレビで相撲を見ていたら、朝青龍が仕切っている時に「アッサショーリュー、アッサショーリュー」とシュプレヒコールを始める一団がいたり、貴乃花が仕切っている時に三本締の手拍子を始める一団がいたりして、興をそぐ。だいたい仕切りというものは制限時間前やってもいつでも立ち合いをしたってかまわんものやし、制限時間に向けて力士が少しずつ精神を統一していくものやねんな。ただ塩を取りにいってにらみ合っているだけやないんです。もちろん、土俵に集中している力士はあまり気にはならんのかもしれへんけれど、それでも国技館というのは室内の上に天井は場内のざわめきなどの反響効果をあげるために鉄骨をむき出しにしている。個別に力士の名前を呼んで応援する分にはかまわんけれど、ああいう団体で一斉になんちゅう応援をするもんやないのです。
 貴乃花の時の三本締をしていた一団は、中年女性が枡席で立ち上がって後ろを向き、音頭をとっていた。応援団の盛り上げ役のつもりかもしれんが、相撲見物というもののなんたるかを知らんにもほどがある。こういう人は歌舞伎を見にいったら役者が見栄を切るときに「カンクロー、カンクロー」とシュプレヒコールをしたり、狂言を見にいって主人が太郎冠者を「やるまいぞやるまいぞ」と追いかけたら「太郎冠者、がんばれーっ」と声をかけたりするかもしれんな。え? 相撲と古典芸能は違う? そんなことあらへんのです。相撲は西洋のスポーツとは全く別物、古典芸能により近いものやと思う。そやから見物する時のマナーは古典芸能に準じたもんやないとあかんのです。そういうもんなんです。
 ああいう野球場と国技館の違いもわからん輩には、ちゃんと場内放送で注意すべきやないかと妻がふと漏らした。全くその通り。相撲協会は観客に作法を教えるべきでしょう。

1月20日(月)

 貴乃花引退の報を聞く。それについてはこちらに書いたので、参照していただきたい。

 昨日は「たちよみの会」。新年会はなんとか4人。人数的には寂しかったけれど、わあわあと盛り上がってよかった。さすがに最初2人だけの時はどうなるかと思うたけれど。

 今日の午後は授業で大阪城に行く。生徒の引率とはいえ、高校生は事故がないように気配りをしてさえいれば、後は自分たちで考えて動くので、ある意味では気は楽である。
 大阪城についたら、「観光ボランティア」というハッピを着た年輩のガイドさんたちが待ってくれていた。きくと100人以上いて、平均年齢は64才やとか。年輩の方に案内してもらうと、高校生たちも孫が祖父母に甘えるような感じでなんか微笑ましい。こういう人材活用法もあるんやねえ。
 私もぽつんと立ってはったガイドさんに大阪城が受けた戦災の話などを聞く。大阪アパッチ族がだいたいどこらへんにいてたか、なんて話も聞いた。話は戦災から幕末の戊辰戦争の話、江戸時代の落雷火災の話とどんどん続いていく。おかげで私もにわか大阪城物知り博士状態。風がきつくて寒かったけど、お城を見上げてるとなんか元気になってくる。城というのは神社仏閣とはまた違う力をもっているように思う。
 それはそうと、観光客には中国や韓国から来たとおぼしき団体さんが非常に多かった。国内旅行やと、梅や桜の頃がピークなんで、この時期は海外からのお客さんが多いんやそうですね。聞きなれない言葉の響きもまたよし。おお、あの人たちの言葉も響きが違うぞと思うてよくよく聞いたら関東弁やった。私の耳には関東弁も外国語に聞こえるらしい。


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