ぼやき日記


4月11日(金)

 今年は演劇部の顧問と、漫画研究部の顧問を兼ねることになった。もちろん、希望してのこと。演劇部の顧問としては生徒が書いたオリジナル脚本を読んで少しばかり助言する程度で、演劇そのものの指導はできないので、内心忸怩たるものがある。そしたら漫研やったら漫画を書く指導ができるのかというと、そうやない。それでも内心忸怩たるものがないのは、教師というよりはオタクなおっさんが、オタクな若者たちと情報交換できるのが楽しいからでありまして、なんか顧問という名目で若き日の楽しさをもう一度味わおうという実に個人的な欲求を満たすことができるからなんですね。どこが顧問やねん。少しくらい内心忸怩たるものを感じろよ、と自分でツッコンでみたりして。

4月12日(土)

 今日は従姉妹の子どもさんの就職祝でおよばれ。まあなんです、自分が成人してから産まれた子が20歳になって社会人として巣立っていくというのは、自分なりに感慨深いものがある。親となればなおさらやろうなあと思う。

 相変わらずNHK大河ドラマ「武蔵」を見続けている。先週放送の分を、やっと今日見た。いつになったらおもろなるんかなあ、このままでいくんかなあ。一乗寺の決闘という最大の山場もあんまり盛り上がらんかったしなあ。
 見てて辛いのは吉野太夫役の小泉今日子で、吹き矢で目をやられた武蔵が回復するまで介抱するんやけれど、「武蔵様が目を開けた時に、本当に美しいものを見てほしいのです」と言う。何を見せるんやろう、自分を見せるとかいうのと違うやろうなあと危惧していたら、案の定、着物を肩脱ぎにした自分の姿を見せるのでありますね。ところが、小泉今日子自身はすっかり年相応に老け込んでいて、醜いとはいわんけれど、美しいというのには苦しい。もっと若く、今一番旬の女優をもってきていたらこうは思わんのやろうけど。これは、小泉今日子には申し訳ないけれどミスキャストやろう。なにより、吉野太夫という人物にあふれているはずの自分への自信、そこからうまれる力強さというものが欠落しているのが辛い。そこらあたりをして、やはりミスキャストといわざるを得ん。小泉今日子よりもずっと年上のかたせ梨乃の方が(このドラマでは汚れ役を演じているけれど)、吉野太夫に必要な「美しさ」を感じさせるようにも思う。かたせ梨乃が吉野太夫を演じても、全く不足は感じんやろうと思う。
 大河ドラマを見ていると、味のある個性的な俳優がかなり不足してるのかもしれんなあ、てなことを感じる。いっその事、舞台中心に活動している脇役専門の役者を抜擢するくらいの事をせんとあかんのかもしれん。

4月13日(日)

 今日は「アバレンジャー」にはじまり、「仮面ライダー555」、「鉄腕アトム」、「デ・ジ・キャラット」をリアルタイムで見、録画してあった「ガンパレードマーチ」、「十二国記」、「100語ではじめる英会話(加藤夏希目当てであります)」、昨夜の「タイガース−ジャイアンツ2回戦」、夜にはリアルタイムで「タイガース−ジャイアンツ3回戦」となんかテレビばっかり見ていた。普段はあんまりテレビを見ない方なんでさすがに疲れた。
 ところで「鉄腕アトム」の第2話なんやけど、どうも手塚ヒューマニズムという縛りがかかっているのか、説教臭さがにじみ出てしもうて、ちょっときつい。確かに手塚作品にこめられたメッセージというものは物語には必要なんやけれど、手塚治虫さんのすごいところは、ストーリーの面白さとテーマの深さが溶け合っているところにある。ところが、今回のアニメではそこらあたりのバランスが悪くテーマを説明してしまいがちになる。さすがの小中千昭でも、「鉄腕アトム」となるとテーマ性を意識し過ぎるのかなあ。手塚さんが稀代のストーリー・テラーであったということを再認識させられた次第ですね。

4月14日(月)

 妻と話をしていたら、かつて妻が学生やった頃、同じ学校に高知出身の人がいて、ご飯の時に食べ物を下に落としたら、いきなり「1、2、3、4、5」とカウントしながら拾ってほこりを落として食べたんやそうです。なんでも、その人の住んでいたところでは、落ちてから5秒以内に拾うたら食べてもおなかをこわさへんのやという。これは、私は今まで聞いたことがなかった。
 そこで、久々にみなさんにお聞きしたいのですね。あなたのお住まいの地方では、この手の「下に落ちた食べ物を食べても大丈夫」というおまじない的なものはございませんか。これは地方によってかなりいろいろとありそうな気がするなあ。「うちでは3秒以内です」やとか。あなたの地方の風習を、掲示板か、メールでお知らせ下さい。よろしくお願いします。
 ところで、なんで5秒以内なんやろうね。何か根拠があるような、ないような。

4月15日(火)

 帰りに寄った書店で学研の「大人の科学マガジン」を見つける。もちろん買う。私たちは「科学の子」やったもんねえ。学研の「×年の学習」「×年の科学」、特に「科学」の付録がくれた喜びは何にも換え難いものがある。「ありのアパート」に砂を詰めたけど、ありは巣を作ってくれへんかった。「ダイオードラジオ」を作ったけど、雑音ばっかりでラジオ番組は聞かれへんかった。「卓上そうじ機」は吸引力が弱く、消しゴムのかすは集められへんかった。それでもかまへんかった。失敗しても、楽しかった。プラ模型を作るのは、私はあんまり好きやなかった。それよりも、「科学」の付録で作る道具は、魅力的やった。好奇心をくすぐる何かがあったんやろう。
 今日買うてきた「大人の科学マガジン」では、往年の学習漫画の大人向け新作やら、昔の「科学」が予測した未来像と現実を比較する企画、自分で作る駄菓子屋の玩具、というような記事が載っていて、夕食を妻が用意してくれているのに、本を手放されへん。「ご飯食べてからにしなさいよ」と、妻が母親みたいな口調になる。その妻も食後はくいいるように読んでいる。
 妻が言う。「次号には『アスガード7』を載せてほしいなあ」。これは知らん人もいてるやろうな。石森プロが描いていた学習漫画で、7人の科学の戦士たちが地球上の様々な現象を解明していくというもの。私が読んでいた「6年の科学」では、のちに人気漫画家となるすがやみつるさんが描いていた。妻は一つ下なんで、その年には「5年の科学」で、石森プロの細井雄二さんが担当していたという。細井氏のほうが絵のタッチが石森章太郎に近かったかな。
 付録の箱には「かならず家に帰ってから、はこをあけましょう」の表記が。そうそう、これがないといかん。私らが小さい頃は、学校に売りにきていて、集金袋をもって並んで買うたもんやったなあ。
 妻といっしょに完全に後ろ向きになってしもうた一夜であります。

4月16日(水)

 急に暖かくなった。そやけど夜はまだ寒い。こういう時に体調を崩しやすくなるんである。恥ずかしい話、今朝は寝坊。転勤2年目を迎えて仕事に余裕ができるかと思うたら、新しい仕事が増えてかなりきつい。今度の土日はなんとか文庫の解説に手をつけねば。手塚治虫がらみの仕事やから、絶対に手は抜きたくないしね。

 SF大会のプログレスレポートが届く。私は今年もゲストとして呼んでいただいていて、さる企画で司会をする予定になっております。
 プログレスレポートにはゲストも一般参加者もとりまぜて「参加者一覧」というのが掲載されている。私の名前もそこにある。私の次に並んでいるのが妻の名前なんやけれど、妻は「喜多 妻」で参加登録している。これが不思議なんですねえ。妻は「喜多妻」としたつもりやったんやけれど、「喜多」と「妻」の間にスペースが入っているために彼女の名前が「妻」という名前みたいに見える。一般人であるんで、妻はなるべく本名をさらしたくない。私の日記にたびたび「妻が」「妻は」「妻と」と登場するもんやから、SFのイベントに参加する時は、あえて「喜多妻」というハンドルネームを使用してきたというわけ。それが今回は裏目にでた。苗字が「奥」のために男性でも「奥さん」と呼ばれる人がいてるくらいやから、「妻」という名前の女性がいてても別におかしくはないけど、「喜多 哲士」「喜多 妻」と並ぶと私の妻は私の妻であることを誇示しているわけやないけど、むやみに目立つ。逆に本名にしておいた方が、私の妻なんか偶然同じ苗字の人なんかわからんかったのに、と妻は悔やんでおります。
 私は曲がりなりにもものかきやから、名前や顔をさらすことに関しては、仕方ないと思うている。そやけど、妻はたまたま夫がものかきやったというだけで(SFファン同士の結婚ではあるけれど)、妻自身が何かを書くというわけでもなんでもない。あくまで一般のSFファン。SFと何のかかわりもない人やったらともかく、SFファンであるという一点で、SF関係のイベントに行ったりする。そういうイベントにはたいてい私もいてる。夫婦同伴という形になる。作家の方たちからも声をかけてもろうたりもする。最近の流行言葉でいうたら「ビミョー」なポジションにいてる。それがハンドルネームに出てしまう。難しいところやねえ。

4月17日(木)

 妻が楽しみにしていたドラマ「動物のお医者さん」が始まった。私もいっしょに見る。
 これは、すごい。
 原作に忠実に、とはよう言われるけれど、ここまで忠実にやるか。俳優さんも、有名どころを起用してるにも関わらず、原作のマンガはこの人たちをモデルにしてたんと違うかと思うくらい。脚本は、セリフの一つ一つが原作マンガのものをそのまま使うているし、画面のカット割りもマンガのコマ割りとほぼ同じ。妻が本棚から原作本を引っ張り出して見比べてみたほど。アニメでは、昨年の「サイボーグ009」が、かなり原作に忠実な映像化を試みていたけれど、いじくらざるを得んかった。
 監督は佐藤嗣麻子さん。一昨年やったかのSF大会で、陰陽師の座談会に出たはった人ですね。そのあと、加門七海さんや霜島ケイさんとごいっしょに喫茶コーナーでしゃべったりしたんやけど、向こうは私の事は覚えてはらへんやろうなあ。まあ、あの監督さんやったらこれくらいはするでしょうな。
 最近はマンガのドラマ化が多いみたいやけれど、それは作り手が小説をあまり読まんようになったからやという話を芸能記者の方から聞いたことがある。企画段階で安易やったりするから、マンガの誇張した表現なんかを実写にして見るに耐えんものを作ってしもうたりする。スタッフに、作品に対する愛着みたいなものが感じられへんかったりもする。「動物のお医者さん」の徹底ぶりは、原作に対する愛着の強さを感じさせる。アニメやなく実写ドラマにした意味がある。
 とはいえ、ここまでしても、原作を読んでへん人にはどうかなあ、とは妻の言葉。確かにそれは言えるかも。とはいえ、手間ひまかけてちゃんと作ったものは、たとえ原作を読んでへんでも伝わるのやないやろか。

4月18日(金)

 ここのところ、教員の仕事がむやみに忙しい。かなり重要な役を任されることになり、プレッシャーもある。ここ数日、くらっとめまいがするようになってきた。一時的に重力を消失したような、そんな感覚になる。
 この感覚、以前にも経験したことがあるぞ。ここにあった! おお、5年半前と同じ状況に陥っていたんですな。6時間目なんか、教壇に立っていても、くらっとくる。教卓に重心を置いて授業をする。こらもうあかんわと思うていたら、現金なもんで、放課後になったらめまいが治まった。月曜日の準備も一応したし、明日は休みやし、で、プレッシャーから解放されたんかなあ。
 まあとにかくしっかり睡眠をとることですな。もっとも、休みの日にはものかきの仕事が待ってはいる。あんまりゆっくりも寝ていられんのです。夜は「日本芸能再発見の会」例会やしね(「必殺」のプロデューサーが登場します)。
 それにしても前回は学校全体が忙しい感じでかなりきつかったけど、行事自体はすぐに終わった。今回は1年間続くからなあ、実は。どないなるかなあ。

4月20日(日)

 昨日は「日本芸能再発見の会」、今日は「たちよみの会」と、休みというてもあちこちに出ております。原稿がいっこうに進まんのをこのせいにしてはいかんのやけれど。

 「鉄腕アトム」第3話を見る。宇宙基地でロボットが人間の命令に従わないので、お茶の水博士たちが調査に行く。そこへわけのわからんおっさんが登場して、人間の命令に従わんロボットはぶっ壊すという。実は基地の下に宇宙人が埋まっていて助けを呼んでおり、ロボットは人の命を助けなければならないというプログラムに従って宇宙人を助けようとしていた、という筋立て。
 いいたいことはわかるんやけれど、まず、ロボットが宇宙人を「人間」と認識しているあたりが、私にはなんかひっかかるわけよ。で、アトムが宇宙人を助けるために指から熱線を出して宇宙船の隔壁を焼き切るんやけれど、そういう能力を持っていることをお茶の水博士が初めて知って驚く、というのもひっかかる。お茶の水博士はアトムの性能をちゃんと調べもせんと「心を持ったロボット」として育てようとしてるわけで、これはまあなんと物騒なことか。調べる方法はないのんかいな。田鷲警部がアトムを危険視するのは当たり前です。宇宙船に乗っていた宇宙人が、アトムに助けられて自分の星に自力で帰ろうとするのには驚いた。それやったらなんにも宇宙船に乗ってんでもええやんか。お茶の水博士たちが宇宙人とコンタクトを取ろうとせんのも変です。
 ロボットと人間のコミュニケーションがテーマやとはわかるんやけれど、そこに宇宙人を持ってくる必然性が感じられんのやね。なんでこうなるかなあ。
 次回は「電光人間」の巻。やっと手塚治虫の原作をもとにしたストーリーが入ってきた。さて、ここで原作をどうアレンジするのか。勝負はここから、かな。


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