ぼやき日記


4月1日(火)

 妻のジンマシンは幸い快方に向かうているとのこと。よかったよかった。
 今日から新年度。体制も整い、今日は一日中会議。前任校の同僚が転勤してきた。まだ若いから私よりも順応するのは早いやろうと思うけど、昨年の自分を見ているようですな。
 職員室も席がえ。生徒にクラスがえや席がえがあるように、教員にもあるんです。新しい学年に入るのはクラスがえみたいなものですな。職員室というのはどこの学校でもだいたい所属学年ごとにかたまるように席を決めるので、学年が変わると席も大幅に移動する。毎日見る景色が変わり、隣に座る人が変わると、同じ職員室でも新鮮に見える。こうして教員は生徒よりも早く新学期の気分を味わうわけやね。
 受け持つ授業も決まった。校庭や学校周辺には桜が咲いている。去年の今ごろは早くも散り始めていたけれど、今年はちょうどいい具合に咲き始めた。定期券も新しいものに買い替えた。
 ものかきの方もそろそろ再開。タイガースは3連勝。気分は高まってきている。これで花粉症がなかったら最高なんやけどねえ。

4月2日(水)

 レスリー・チャンが自殺をし、香港の俳優の中でもっともレスリー・チャンを好きだという妻はかなりショックを受けていた。
 働き盛りの自殺。他人事やない。もっとも、私の場合は購入したまま未読になっている本を全て読むまでは生きていたい。そうなると、むちゃむちゃ長生きせんならんのと違うかな。

4月3日(木)

 私も妻も携帯電話のメール設定はドメイン指定受信にしている。こうしておかんととにかく出会い系サイトの宣伝メールが嫌というほどくるからね。ところが、最近はそれでもその手のメールがようくる。ドメイン指定受信にしておいたら、ドコモやらJフォンやらAUやらのドメイン名でも携帯から送られたメールでなかったら受信せんのですね、ほんまは。パソコンから一斉に発信したメールははねられることになる、ほんまはね。ところが、それやのにくるんですな、パソコンから一斉に送ったとしか思われんメールが。PHSのドメインのものは、これは受信してしまうかもしれへん。というのは、ドコモやらJフォンやらAUやらのものは特にドメイン指定をしなくてもええのに対して、PHSのドメインのものはドメイン指定をしておかんと受信せんようになっている。ということは、PHSのドメイン名のものはパソコンから一斉に送信したものであっても、携帯電話会社のサーバでフィルターにかけられへんのかもしれへん。ところが、ドコモやらJフォンやらAUやらのドメイン名の宣伝メールが送られてくるとなると、話は違う。業者がわざわざ1件ずつ携帯から送信してる、とは考えにくいから、携帯電話会社のサーバのフィルターをかいくぐるようにしてメールを送れるソフトができてるんやろうなあ。ということはそれなりの設備投資はせんならんわけで、それでもそれだけメールを送った分の効果があるということなんかなあ。こうなるといたちごっこやなあ。
 どっちにしてもうっとしいことには違いない。ああ、また妻の携帯のメール着信音が鳴っている。これまた「どうせ迷惑メールや」とばんばん削除したりしていると、実は中に知人のメールがまじっていてうっかりそれも削除したりしてしまうんや。そういう意味でも迷惑ではあるね。

4月4日(金)

 今日、府会議員と市会議員の選挙が公示された。出勤途上で選挙カーに出くわす。「おおきに、朝からお騒がせしてます。すんまへんなあ。おおきに、おおきに」。もと芸人さんの市会議員候補であります。さすがに人気がある。沿道のおばちゃんたちがみんな手を振っている。大阪の市会議員なんやから、大阪弁で話しかける方が自然やなあという気がした。街頭演説にしても選挙カーからの呼びかけにしても、なんでもっと大阪弁でやらへんのやろうと思う。一所懸命政策を訴えてるのはわかるけど、それよりも道行く人を笑わせながら語りかけるというようにした方がええのになあと、いつも思う。政治家の選挙運動がただうるさいだけになるのは、なんか「素」でしゃべってへんからと違うかなあ。大阪という土地柄を考えたら、難しいことを汗かいて熱弁するよりも、「今の政治、どない思います? いっしょに考えましょや」くらいの調子でやってほしいなあ。政策も大事やけど、それを伝える工夫がないとあかんのと違うやろか。

4月6日(日)

 新作アニメ「鉄腕アトム」の第1回を見る。絵柄が外国売りをかなり意識したものになっていて、気になる。それに設定が変やね。アトムを復活させるのにお茶の水博士の独断でシティへ送るエネルギーを一時的に科学省の研究施設に振り替えたりするんやけれど、そこでシティが停電になる。そうなったら、いくら一時的であろうとシティ全体が大パニックになるやろうと思うんやけど、それに関する描写は田鷲警部が翌日に博士に抗議に行く場面のみ。アトム周辺の描写は細かいんやけれど、大きな設定の部分でアラが目立つ。
 制作には手塚プロとフジテレビだけやなく、電通とソニーがからみ、CMを見たらアニメに出てくるのと同型の自動車を(玩具やない!)発売したりするらしい。つまり、この「鉄腕アトム・プロジェクト」にはそうとうな利権がからんでいるという感じ。となると、スタッフもあまり自由な発想でアトムを動かすことはでけへんのやないかと予想される。かなり息苦しいのと違うやろうか。
 しかも、新しい時代の「鉄腕アトム」にしようという意気込みが強い分、かえって原作の持っていたおおらかさが消されているのに、テーマはいわゆる「手塚ヒューマニズム」を全面に出したものになっていてなんか中途半端な印象を与える。例えば「サイボーグ009」が石ノ森章太郎の原作にかなり忠実に(絵柄も含めて)リメイクされたのとは好対象。どうせなら第1シリーズの脚本をそのまま使うてそれを最新のアニメ技術で表現するというような試みの方が面白かったやないかな。
 このアトム、なんかコケそうな気がする。根本的なところで何かが違う。そやけど、これがコケたら各方面に与える影響も大きいのと違うかな。このアニメは必ずしも「鉄腕アトム・ビジネス」とでもいうべきものの中心ではないんやろうけれど、目に見える部分では影響は大きいはず。さて、どないなりますやら。
 私個人としてはその直後に見た「デジキャラット」の方がスタッフが楽しんで作っている感じがして好感が持てた。「鉄腕アトム」に関わるスタッフに対するプレッシャーの大きさばかりが感じられる第1話やった、というところか。

4月7日(月)

 世間はアトムの誕生日で盛り上がっている。そやけどなあ、1980年に手塚治虫さん自身がリメイクしたアニメでは誕生年を30年後にずらしてんねんで。原作のアトムが書かれたのは1952年。その28年後に、原作者自身が本当にアトムのようなロボットが誕生するには2003年ではまだ早いと考えたという事実を無視してええもんかと思う。
 タマちゃんをまもれやとかハッピバースデイ、アトムやとかいうてる間に、中国では肺炎が流行し、イラクではフセインが風前の灯、北アイルランドではブッシュJr.がブレア首相と祝杯を上げようとしている。ブッシュの次の標的は、偉大なる将軍様やねんからね。
 そう、アトムがうまれるにはまだ早い。手塚さんが30年後にずらしたということを、現状を見つめながら考える必要があると思うんやけれど。
 まあ、「アトム・ビジネス」がこんだけ動いてたら、ここで私がぼやいても、今年はアトムアトムで明け暮れるんやろうなあ。実は、今年の京フェスの「名盤アワー」はアトム特集でいったろかとひそかに考えてたんやけれど、なんかもうそれはやめにしようという気分になっている。
 アトムがうまれてええ年やないんです、今年は。まだ早すぎるんです。

4月8日(火)

 昨日の日記で1980年版アニメ「鉄腕アトム」でのアトムの誕生年を300年後などと書いてしまい、掲示板で小林泰三さんからご指摘をいただきました。正しくは2030年なのです。知っていたはずやのに、確認せんと書くという毎度おなじみの失態でありまして、訂正をしておきました。もっとも、文章の主旨からは外れてないんで、それだけは救いやけれどね。小林さん、ありがとうございました。

 今日は始業式と入学式。今年の入学生は、入試の日も合格発表の日も入学式も雨が降っている。誰か雨女か雨男がいてるに違いない。しかもかなり強力な力の持ち主ね。せっかく桜がええ具合に咲いてるのに、気の毒やなあ。
 今年は新たに「なにわ研究」なる授業を受け持つことになった。まあ郷土史というくくりの勉強になるんやろうけれど、私が担当するからには単純な郷土史にはしたくない。というわけで、まずはもちろん上方の演芸史から始めることにした。むろん教科書はない。自分でプリントを作る。落語、漫才、喜劇について、まずだいたいの流れをコンパクトにまとめ始める。この作業がなかなか面白い。喜多流「大阪学」みたいなものになりそう。むろん、私が所蔵しているビデオやCDで落語や漫才や新喜劇をたっぷり見せようと企画している。ああ、私はこういう授業がしたかったのです。
 なんちゅう高校教師やとあきれる方もいてはるかもしれませんが、1年間演芸だけをするつもりはもちろんない。大阪といえば阪神タイガース。タイガースの歴史もばっちりと……。趣味に走っていてはいけません。関一の大阪都市計画や小林一三の私鉄戦略、なんてのもやる予定やし、松下、日清食品、ダイエーなどなど大阪から出発した企業や商都大阪の歴史なんてのもやる予定。
 ただ、問題は私ばっかり楽しんでいて生徒がついてきてくれるかどうか。授業はなまものやからね。同じことを毎年やってるつもりでも、生徒によってかなり雰囲気が変わる。私の気合いが空舞いせんようにしたいなあ。

4月9日(水)

 野球を見ていると、「試合の流れ」というものを意識せざるを得ない。リズムがひとたび乱れると、それまで順調にきていたものがあっさりとひっくり返されてしまう。流れをつかんだ方が勝つんやね。
 この「流れ」をなんとか理屈づけたい。例えば、エラーで流れが変わる時なんかは、選手の精神的動揺という理屈がつけられるやろう。そやけど、1本のヒットで流れが変わる時もあれば、3本ヒットが続いても流れが変わらん場合もある。この流れというものは外から見ているだけではわからんみたいやね。ただ、プレーをしている選手は肌で感じるかもしれへん。
 どうも、人生もそうやないかという気がしないでもない。流れに乗っている時は逆らわずにいき、流れが変わりかけたと感じたら、そのタイミングをしっかりつかむ。すると人生が変わるのやなかろうか。私なんか、ここ数年で流れが変わったと実感している。なかなか思うようにいかんかったのが、あっちからチャンスが転がりこんでくるようなことが多いと感じたりする。ここでその流れをがっしとつかまんとあかん。そういう感じがしている。
 「流れ」は運ともちょっと違うみたいに思うし、タイミングというのとも違う。タイミングは流れが変わる時の分岐点でしかないんやないかな。この「流れ」の不思議をなんとかうまいこと理屈づけられたら、「人生の『流れ』を変える本」かなんかを書いてもええなあ。ハウツー本としてベストセラーになること間違いなし。そやけど、ちゃんと理屈づけられてへんもんやから、本も書かれへんし、ベストセラーでぼろもうけもでけへん。うーむ、つまりは私はまだ「流れ」はつかんでおらんのやろうねえ。

4月10日(木)

 本日、新学期最初の授業。めちゃめちゃ緊張した。もっとも、生徒も新1年生なんで、高校生活最初の授業ということになり、私よりも緊張してたやろうな。そういう記念すべき授業の担当が私やったなんて、運がええのやら悪いのやら。なんにせよ、現在へろへろ。授業というのは、いわば舞台ですからな。ものすごくエネルギーを消費する。

 バグダッド陥落とかいうことで、フセインの立像が倒されている写真が新聞各紙の1面を飾ってるけれど、どう見てもソ連崩壊の時のレーニン像を倒す群集という映像と同じ効果を狙うたものですね。妙に嘘臭い。と思うたら、なんやいな、イラク人が叩き壊そうとしたけどでけへんだんで、米軍がロープで引き倒したんやそうですな。早い話が「やらせ」やないかいな。この映像のあざとさが今回の戦争の全てを物語ってるような気がするんやけどね。
 それにしても、このあとイラク国内から大量破壊兵器がほんまに出てこなんだらアメリカもイギリスもどないするんやろう。フセインを殺してイラクを解放するという開戦理由の裏づけとして、イラクが国連の査察に対し虚偽の報告をし、大量破壊兵器を所持しているということがあったはず。もし、イラクが真っ正直に国連の査察に応じてたてなことやったら、米英の攻撃は理由なき殺戮ということになる。
 大量破壊兵器を所持し、他国に難癖をつけて戦争を仕掛ける。これを「ならず者国家」と呼ばずしてなんとしよう。
 本日現在、イラク国内からまだ大量破壊兵器は見つかってへんのであります。

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