ぼやき日記


6月11日(水)

 今日、所用で難波まで行き「ジュンク堂」に次いでに寄ったら、拙作「おどりじいさん」が収録されている『5歳のお気に入りえほん集』(これが正しいタイトル。昨日は間違うた書名を書いていたんで、そっちも訂正しておきました)を店頭で発見。手に取ると、無事に「おどりじいさん」は掲載されていました。実は嘘やったというオチがついてたらいややなあと思うてたんで、これで一安心。いずれ送られてくるとは思いつつも、その手でレジに持っていく。昨日たずねた関係で梅田の旭屋書店で買うべしかなあとは思うたけど、梅田までいってまだ入荷してへんかったらあほらしいから、とにかく現物があるところで買うしかないよね。
 帰宅後、「なんか『おひさま』の増刊号みたい」と思いつつも、単行本に自分の作品が収録されている喜びをしみじみと噛み締める。こうなると、新作を書きたくなってくるね。モチベーションがわいてくる。元横綱の某親方のようにどんな……な童話でも無条件で出版してもらえるわけやないからね。
 おもしろいもんで、その気になりかけると、アイデアもいろいろと浮かんでくるもんですな。できたらちょっとナンセンスで調子のええ話を書きたいな。
 本には「よみきかせCD」なるものがついていて、声優さんが朗読してくれている。こちらもさっそく聞いたけど、BGMや効果音つきで読み上げられている「おどりじいさん」は自分の書いた作品やないみたい。残念なのは声優さんの名前がクレジットされてへんこと。ベテランの男性らしいんやけどなあ。
 単独の著作やないけど、私にとっては記念すべき初の単行本掲載。まだ自宅には自分の分も献本分も届いてへんのがちょっとじれったい。編集さんに催促した方がええのかな、こういう場合。
 というわけで、小さなお子さまがいてはる方は、一度書店で手にとってみて下さい。お気に入らはったら、お買い上げいただくとさらにありがたいです。ただ、bk1では扱うてへんみたい。検索したけどヒットせんかった。アマゾンその他はまだ調べてへんけど。

6月12日(木)

 正直なところ、岐阜長良川球場に催涙ガスを持ちこんだ「ドラゴンズファン」や、試合終了後グランドに入ってはしゃぎまわったあげく「ドラゴンズファン」を挑発しけんかを引き起こした「タイガースファン」などという輩に対して、「ファン」などとカッコつきでも呼びたくない。あまりの質の低さに唖然とする。私は子どもの頃からのタイガースファンで、負けても負けても負けても負けても応援を続けてきた。そやから、タイガースが勝つと嬉しいけれど、相手チームのファンとけんかをしたいとは思わん。というか、タイガースは今年は強いけど、去年までは2位以下の団子集団と同じ立場にいてたわけや。そやから、「タイガースファン」を名乗るんやったら昨年までの自分らと同様にたとえ負けても好きなチームを応援しつづけるファンには敬意を表すべきやと思う。
 少なくとも、こういう連中を「タイガースファン」の代表やと思わんでほしい。ああいうことをする輩に「ファン」を名乗ってほしくない。彼らは自分らのそういう行為が、日本の一流選手を失望させ大リーグに目を向けさせてしまう原因の一つやと理解してるんやろうか。してるわけないから、ああいうことが平気でできるんやろうなあ。

6月13日(金)

 昨日の日記で書いた「催涙ガスを持ちこんだファン」は新聞報道によると「タイガースファン」らしい。まあどっちのファンであろうと、野球が好きなんやなく勝った負けたと騒ぎたいだけのつまらん人間であることだけは確かやけどね。

 今朝、通勤途上、近くのマンションの敷地内にある植え込みや小さな池のところで、小学生の男の子たちが騒いでいた。毎日そこで集団登校の待ち合わせをしている子どもたちや。先日も同じように騒いでいて、通りかかった年配の紳士にしかられていた。今日も私の前を歩いていた年配の方が注意をしている。子どもたちはその場は謝ったけれど、その人が通り過ぎるとまた植え込みを踏み荒らし始める。思わず声が出た。
「こらそこ、何してる!」。
 子どもたちは一瞬凍りつく。
「君ら、どこの小学校や!」。
 一番大きい子が「××小学校です……」と答える。私が「何年生や?」とたたみかけると「5年生と、3年生と、1年生です」。逃げもせず正直に答える。「5年生やったら先輩やないか。1年生の見本やないか」。
 言いながら、私は思うた。
(まるで先生みたいや……)。
 いや、先生は先生なんですけどね、高校の。自分の学校の生徒を指導してるんやないんやからね。通りがかりの近所のおっちゃんやねんからね、今は。そない思うとだんだん恥ずかしくなってきた。だいたい子どもたちかて、近所のおっちゃんになんでこないな注意のされ方をされんなんかと不信に思うんと違うか。で、ついつい正体を明かしてしまう。
「おっちゃんは、高校の先生やねん」。
 この話を妻にすると、叱り方が教師やなあと感心していた。普通は「何してる」やなく「そこに入ったらあかん」と注意するやろう、と言うんですな。続けて学校をきいたり学年をきいたりも普通はしないと言われた。
 私は、学校についてからかなり努力して教師に変身しようとつとめてるつもりやった。通勤途上なんて、自分が教師という意識をもたれへんでいると思うてた。そやけど、もう無意識のうちに教師をやったりしてるんやなあ。
 そういう自分が、ちょっと嫌になった。

6月14日(土)

 土曜日でも生徒がクラブをするとなると、顧問は付き添いで出ねばならん。本来休みやねんから、職員室で本でも読んでたらええ、てなもんである。あ、この場合、休日出勤手当てなもんは出てませんからね、念のため。試合の付き添いなんかやったら、出張手当は出たりはするけど。
 で、今日は昼から付き添い。本を読もうとしばらくページを繰るけれど、結局片付いてない仕事を片付けたいという気持ちが先に立ち、パソコンを立ち上げてあれやこれやと仕事をする。職場はやっぱり職場。ゆっくりのんびりという気持ちには、ならんな。

6月15日(日)

 今日のたちよみの会には、1時間ほど遅刻してしもた。それでも誰も来てへんかってどないしようと思うたら、京フェスの今年の実行委員長と京大SF研会長が来てくれて、ほんまに嬉しかった。星雲賞の話やらSF大会の企画の話をする。

 「鉄腕アトム」第11話は「ロボットサーカスがやってきた」という話。お茶の水博士が保養にやって来た町でロボットサーカス団が興行を打っている。ロボット嫌いという町の有力者がこのサーカス団をつぶそうとする。サーカス団が人間の子どもを養うていたため、これを逆手にとって子どもを誘拐した上に所有者の死亡で未登録になってしまっているサーカス団のロボットたちを廃棄処分にしようとする。アトムがサーカスを助けようと大活躍、という筋立て。
 有力者が「ロボットは人間の召し使いでいいのだ」と主張するのはこのシリーズのコンセプトからいうて全く不自然やないけど、それとサーカス団をつぶそうとするという行動がどう結びつくのか私には理解でけへんかった。サーカスというのは人間を楽しませるためにあるもので、人間にとってかわる野心があるわけやないんやから、そんなに目の敵にする必要はないやん。彼が人間のサーカスのオーナーで、客を取られた恨みがあって、というわけでもないみたいやし。それと、第1話から再々お茶の水博士が「アトムは心を持ったロボットなんじゃ!」とそのすごさを喧伝してるけど、電光、フランケン、そして今回のロボットサーカスの面々、みんな「心」を持ってるやないかと思う。アトムだけやないやん。なんか最初の設定が無視されるなら、そんな縛りを作らなんだらええのに、と思う。
 私は毎回あら探しばっかりしてるみたいやけど、「手塚治虫の鉄腕アトム」が好きやから、つい点が厳しくなるという感じかなあ。でも、堺三保さんがSF設定や脚本を担当してる「宇宙のステルヴィア」なんかと比べたら、心から納得できるという気にはとうていなれん。「ステルヴィア」は細かいところまで目が行き届いているといつも感心してる。うーむ、「アトム」をSFと思うからいかんのかなあ。

6月17日(火)

 昨日はザ・シンフォニーホールへ行き「上原彩子リサイタル」を聴く。久しぶりのクラシックコンサートやなあ。上原彩子といえば「チャイコフスキー・コンクール」のピアノ部門で日本人女性としては初の1位に輝いた逸材。テレビでその迫力のあるピアノは聴いていたけれど、生となるとそらもう凄い。最初に弾いたモーツアルトのピアノソナタ12番ではここまで感情がむき出しになるモーツアルトがあるやろかという感じやし、ショパンのスケルツォ3番にいたっては、その激情たるやすさまじいばかり。こんなショパンは初めて聴いた。コンクールでも高い評価を得たラフマニノフはもちろんのこと、メイン・プログラムであるチャイコフスキーのグランド・ソナタは完全に何かがとりついているというような没我の演奏。テレビで聴いたチャイコフスキーの協奏曲でも気になったけど、ミスタッチはちょいちょい出る。そやけど、そんなことは最終的にはどうでもよくなってしまう。
 弾いている姿も特徴的で、背中を丸めて鍵盤にとりついていたかと思うと、今度は背を反らして天を仰ぐ。足踏みの音を鳴らしながら弾いたりもする。およそCD向けの演奏家やないね。CD録音のためにミスはないが迫力もない演奏なんかしてほしくない。
 また大阪でコンサートがあったら、聴きに行きたい。どのような演奏家になっていくのか見届けたい。これまでの日本人ピアニストにはない強烈な個性の持ち主やということは間違いない。久々にひいきにしたいピアニストが現れたぞ。

6月18日(水)

 就職試験の選考の際に喫煙者を採用しない団体というのがあったと新聞の報道で知る。確かに喫煙は体に悪いし副流煙の害もいわれている。そやからというて、法的には別に禁止されているものではないし、そこまでするのは人権侵害やないかと思う。明らかに差別やないか。にもかかわらず新聞では喫煙者に対する差別やとは一切書かれてへん。喫煙者がいかなんだら飲酒者はどないなる。
 非喫煙者が煙の害をこうむらんようにするということとは全く別次元の問題のように思うけれど、あまりにもひどいやないかと思う。喫煙者=悪、非喫煙者=善みたいな風潮は、危険な兆候やないかと思うんやけど。

6月19日(木)

 台風である。
 ベランダに出ると、強いけど湿気をたっぷり含んだ風がうねっている。
 風のうねる音にまじって、びいいいいいいいいいむ、という音が聞こえてくる。
 電線が震えているんか。
 どこかの柱が共鳴してるんか。
 風向きが変わると、時々音がふっと消える。
 それでも、ねっとりした風は体にまとわりつくようにふきつけてくる。
 気持ち悪い。体が重い。
 ほんまに大阪は湿気の多い町やなあ。

 明日は所用で、明後日は「日本芸能再発見の会」例会で遅くなるので2日連続して更新できません。次回更新は日曜深夜の予定です。

 「日本芸能再発見の会」次回6/21例会には狂言師が登場! くわしくはこちらをご覧下さい。


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