ホークスが優勝したら甲子園前のダイエーはどっちを応援するんやろう、てなことが話題になったことがあったけど、まさしくそういう事態になりまし
たな。
私は今日は仕事帰りにダイエー系列のスーパーによって買い物をしたんやけれど、「わかたーかぐんだんー」という歌が繰り返し流れてて「六甲颪」を忘れて
しまいそうになったくらい。実はあの「もえろーもえろー」という歌のメロディラインはなんかド演歌調であんまり好きやないんやけどなあ。
で、ハリー・ホークの書いてある値札が並び、ホークス缶のビールが山と積まれている横においてあるおつまみの袋の柄は……縦縞に虎の顔。タイガースマー
クの便乗商品であります。つまり、関西地方のダイエーではホークス優勝セールをやりながらタイガースマークの商品を並べざるを得ないという珍妙な具合に
なっている次第。
甲子園前のダイエーはどないなってるんか、わざわざ調べに行く暇はないけれど、なんとなく同じようなことになってるんと違うかなあ。まあ、もしファイ
ターズが優勝した場合でも、ダイエーには日本ハムの優勝記念商品が並ぶに違いないけどね。
妻が懸賞に応募して当てた「怪談狂言 牡丹燈籠」を見に行っていかに面白かったかを教えてくれる。私も見に行きたかったなあ。野村万之丞さんと渡
辺美佐子さんの主演で、柳家さん喬さん、神田紫さんといった異色の共演者が出演している。狂言と演劇と落語と講談のコラボレーションなんやね。しかも舞台
は能楽堂。
このチケットが届いたのは昨日。もちろん「当選は発送をもってかえさせていただきます」というやつで、当たったとわかったのが昨日、ということ。昨日の
今日ですよ。しかも公演は昼間。平日の昼間! 仕事をしているおっさんは見にこんでええということかいな。そんな殺生な。
もちろん主催者にも事情はあったんやろうけれど、こういう面白い出し物を平日の昼間にやるというのは、本気で客を呼ぶ気があるんかいなとさえ思う。やっ
ぱり大人の観客を呼ぶ場合は公演は夜やないとあかんやろう。
もっとも、夜に公演があっても、食事をする時間がとられへんかったり、公演が終わったあと開いてる店を探しても居酒屋やらファーストフード店ばっかり
やったりするのは困りものではあるけどね。フェスティバルホールでも、ザ・シンフォニーホールでも、梅田コマ劇場でも、近鉄劇場でも、一心寺シアター倶楽
でも事情はいっしょ。夜でもアルコール抜きで食事のできるレストランが何軒かほしいと何度思うたことか。
それはともかく、昨日チケットが当たったことがわかって、今日の昼間に仕事を休むというのはいくらなんでもでけへんわいな。ああ、なんで夜の公演やない
んや。ほんまに行きたかったなあ。
昨日の深夜、更新をした後もトップページをいじくってプロバイダのカウンターサービスにちゃんとリンクできるようにし、なんとかカウンターを復活
させる。パソコンの電源を落としてから立ち上がると、背中が張って少し痛かった。背中を丸めて作業してたから、肩がこったかなと思い、そのまま寝る。
さて、今朝のこと。起きると背中はまだ張っている。張っているどころか痛い。キリリと差し込むような痛さやない。メリメリミシミシときしむような痛さ。
筋肉痛見たいや。伸びをすると息がつまるような感じになる。こらあかんかなと思いながらもなんとか着替えて出勤の用意はしてみたものの、今週は前期末試験
週間で、試験監督をせなならん。背筋をしゃんと伸ばして生徒の前に立つことは、ちょっと無理やろう。結局あきらめて欠勤の届けを電話で職場に伝え、しばら
く寝転ぶ。寝転んでると、背筋の痛みも幾分楽になる。
ただ、この痛みというのが曲者で、たぶん風邪やないかとは思うものの、もし重病が発症している兆しやったらどうしようという心配もする。40歳をこえる
と、そういう弱気な、いや慎重な姿勢にもなりますよ。というわけで9時になるのを待って近くの内科に。
開院時間すぐやというのに先客がもう何人もいて、40ほど待つ。持っ
ていったミステリ小説も読み終えてしまい、やむなくラックに入っていたパパラッチ写真誌をぱらぱらとめくる。あんまりおもろないなあ。
お医者の先生はまだ若く、病状について問診したあと、背中を押して「ここらあたりですか、痛いのは」「いえいえ、もっと下ですわ」てなことをしてから
「風邪でしょうね」と見立てる。なんでも発熱を引き起こす菌が血中にまわらずに背筋に集まっておるというようなことらしい。私は医学には無知なもんやから
はいはいと素直に聞いている。
抗生物質やの胃薬やの咳止めやの鼻薬やのと処方をしてもらい、帰宅後は昼寝。薬も効いたか、背中の張りはわりかし楽になる。明日は休日出勤やねんけど、
こちらは出られそう。
いや、それにしても朝背中が痛んだときはほんまに重病やったらどうしようという気にはなった。41歳まだまだ若いと思いつつも、体は少しずつ老化してる
ということを実感させられた一日ではありました。
今日、テレビの「情熱! ブロードキャスター」の「お父さんのためのワイドショー講座」をちらりと見たら「夢路いとしさん逝く」と言うている。こ
の発音がへんやねん。「ゆめじいとしさん」と太字にしたところにアクセントを置いている。大阪やとどこにもア
クセントを置かんのですね。というか、大阪の芸人さんなんやから、アクセントを置かへんのが正しい発音ということになる。そやから妙なところにアクセント
を置かれると背中がむずがゆいような気になってしまうね。
関西弁の圏外の人にしたら、このアクセントというやつはかなり難しいんかなあ。大阪を舞台にしたドラマでは、関西人かそうでないかはアクセントですぐに
わかるもんね。大阪弁もどきの気色悪い発音の「大阪人」が登場するとスイッチを切りたくなってくる。ちゃんと方言指導の人がついているNHKのドラマでさ
えそうやもんな。
もっとも、偉そうなことを言いながら、私も正確な大阪弁の発音はでけへんのですけどね。どこか京都弁の発音が混じってしまう。京都弁の発音というのはこ
れまた癖があり、河内出身である妻からよく指摘を受ける。京都出身の落語家さんはこの発音の癖をなおして大阪弁にするのに苦労するらしい。昔、「エキスタ
寄席」という番組の公開録画を見に行ったときに京都出身の桂文太さんがそない言うてはった。
もっとも、京都弁を大阪弁になおすのが難しいのは、発音のベースがいっしょやのにアクセントやイントネーションが微妙に違うから起こることであって、発
音が全く違う関東のお方が大阪弁を習得するほうがやさしいのと違うかと思うんやけれど、そうでもないんやなあ。
以前「アベノ橋魔法商店街」というアニメではほとんどネイティヴ大阪人の声優さんを起用してたけど、唯一ベテラン声優の青野武さんだけが関西弁圏外の人
やったらしく、むずむず大阪弁を話してはった。あのベテランにしてそうやねんからね。劇場版の「じゃりン子チエ」では上方の漫才師、落語家、喜劇俳優を起
用してたし、テレビアニメ版ではアクタープロという大阪のプロダクションの俳優さんが声の出演をしていた。ここらあたりが完全主義者の高畑勲監督らしいな
あと今でも思う。
それにしてもなあ、「ゆめじいとしさん」はやめてほしかったなあ。まあ、東京のアナウンサーの方では無理な
注文なんかもしれへんけどねえ。
今週から「鉄腕アトム」の主題歌が変わった。なんとオープニングはラップミュージックやないか。いったいぜんたいこのアニメが対象としている視聴
者層はどこにあるのやら。子どもどころか大人も口ずさむことのできそうにない主題歌を使用する意味がどこにあるのか。CDの売り上げしか頭にないスポン
サーのやりそうなことじゃ。しかも、エンディングは昔の「鉄腕アトム」の主題歌をバラード調にしたものをZONEに歌わせている。それやったら最初から
オープニングテーマを新しく作ったものにせんでもよかったんやないか。私は、主題歌を新たに作った時点で新スタッフは今回のシリーズを「昔のアトムとは別
なもの」やという意思表示をしているのかと思うていた。ところが、エンディングテーマで「そらをこえて」とやり、画面には手塚治虫の原画が使われていると
なると、この「鉄腕アトム」は手塚の「アトム」を引き継いだもんやという意思表示と、私はとらんといかん。
となると、ですな。ますますぼやきたくなってくるぞ。これまでは別物やと思うて目をつぶってた部分についても、「こんなん手塚のアトムとは違う」という
言い方でぼやかなならん。ああ、この言葉はなるべく使いたくなかったなあ。
さて、第26話は「青騎士登場」。原作でも重要な役割を果たす青騎士だけに、どういう描き方をするのか。物語は「反ロボット主義者」が旅客機ミネルヴァ
号に開発中のワープ装置を設置して、それをロボットのせいにしてしまおうとし、アトムもその一味と一般の者に信じさせ、アトムの動きを封じようとするとい
うもの。
いつもと同じで、反ロボット主義者のやり口は穴だらけの稚拙なのもの。にもかかわらず、アトムを陥れるための一枚の写真だけで、反ロボット主義者の煽動
に乗せられてしまう民衆という図式を今回も使うている。今まで反ロボット主義者の稚拙な煽動はことごとく失敗し、民衆ももうだまされることはなかろうと思
うたが、それでもだまされるということは、このメトロシティの住民たちは自分の頭で考えるという教育を受けてへんのやないかと推察される。つまり、子ども
のころから与えられるだけで自ら探求したり推理したりという経験が皆無なんやろうね。そやからランプがテレビの画面でいつも同じことを繰り返してても、無
反省にそれを受け入れてしまうんやろうね。
そうとでも考えんと、この話し自体が成りたたんやないか。ああもう。
しつこく書くと長くなるんで、今日はこのくらいにしときます。
演劇部員の女子生徒の人間関係が悪化し、ごたごたしている。
顧問としては収拾を図りたいところやねんけれど、女子同士のトラブルに巻き込まれると一番しんどいのはあいだにはいった男性であるというのは、かつて中
学校で講師をし、担任を持ったときに味わっているので、今回はあくまで相談に乗り、最終的なバックアップのみ行うという方針を貫いている。
ジェンダー論の観点からいうとまた違う結論が出るのかもしれんけれど、現実問題としては女性同士のトラブルは男性のそれとは違い、かなりややこしくな
る。男性やったら教師が「ええかげんにせい!」と怒鳴るだけですんだりする場合もあるけれど、女子の場合は反発してすねたりなんやかんやあって尾を引く場
合がけっこう多かったりする。それだけになるべくソフトランディングとなるように気をつかわなあかん。
そういうわけでまだ風邪ひきから体調が戻ってへんというのに、精神的にかなりしんどい思いをした。
こういう時は散財して気を晴らすか。というわけで、買い物のために梅田による。買うたのがCDとDVDですからね。散財というてもかわいいもんです。ヤ
ケ買いで最新のMacintoshに手を出す、というような散財をいっぺんしてみたいねえ。
今日、タイガースとジャイアンツの今季最終戦が甲子園であり、テレビ中継を見ていた。サンテレビは消化試合でもちゃんと最後まで中継してくれるん
やからありがたいなあ。仕事が早く終わったら見に行きたいなあとも思うたけれど、結局行けへんかったから、よけいにありがたい。
試合終了後、ジャイアンツの原監督に星野監督から花束贈呈のセレモニーがある。おまけに何とジャイアンツの監督やのに原監督にマイクが渡され、甲子園の
ファンに最後のあいさつをさせるという、なかなか味なことをやるもんやねえ。これも星野監督のアイデアかなあ。
しかも、スタンドの阪神ファンは負けたにもかかわらず多くが残って「はーら、チャチャチャ」と原コールや。なんて度量が大きくなったんや、タイガース
ファン。まるで千葉ロッテマリーンズのファンみたい。これも全て優勝した効果かしらん。
原監督のあいさつも堂々としていて、実によかった。「ここまでやってこれたのは、ファンの皆様方の、皆様方の、皆様の……」と皆様をしつこく繰り返して
いたのは、ナベツネ氏のためにやってこられたんと違うわいという意思表示かもね。星野監督に何かささやかれ、涙ぐんでたのが印象的。
よう考えてみたら、原監督は東海大相模高校時代に甲子園で活躍したのがきっかけで爆発的な人気を得たんやったよなあ。その思い出の甲子園でこういう最後
を飾れたんやから、涙腺がゆるんでも仕方ないよね。
それにしても、いわば敵地でこういう引退試合をした監督がかつていたやろうか。前代未聞と違うか。星野監督がプロ野球界すべてのことを考えているという
パフォーマンスの場にもなったという気がする。こういうことができるチームを球界の盟主というのやなかろうか。盟主の座がジャイアンツからタイガースに
移った記念の日として今日の日付はプロ野球史に刻み込まれるやろう。とは、ちょっと大層かな。
昨日はあれやこれやで仕事が忙しく、めずらしくお持ち帰りをしてしもうたりしたので、更新ができませんでした。まあ、こういう日もあります。
文部科学省の官僚は、学習指導要領をいじるのが好きですねえ。教育基本法はいじられへんけれど、指導要領は自分たちの裁量でいじれるからね。「ゆ
とり教育」を標榜して週5日制にしたはいいけれど、授業時間数は確保せいというわけで高校からは「試験休み」が消え、学校によっては45分授業7時限とい
う時間割を組むところもけっこうある。「ゆとりの時間」というものを設けてみたり、「総合学習の時間」というものを設けてみたり、教える内容を削減してみ
たりしたはいいけれど、「学力低下」が叫ばれると今度は「この内容は教えない」と表記していたものを教えてもええことにした。
そのたびにふりまわされるのは現場の教師であるけれど、それ以上に大変なのはその時々の生徒たちやないか。今はもう社会に出始めている20代前半の人々
は「ゆとり教育」を受けてきている。ところが、これは間違うていました、これからは学力重視でいきます、ということになると、その間違うていたとされる教
育を受けて育った世代はどないなるねん。何年かに一度の学習指導要領いじりのたびに、それぞれ異なった価値観の教育を受けた世代が地層のように積み重なっ
ていく。
私らはいわば「つめこみ教育」の世代かな。「落ちこぼれ」という言葉も使われたし「新人類」とも呼ばれた。私の通っていた中学校は校内暴力が幅をきかせ
ていた。その後の世代は校内暴力を抑えるために徹底した「管理教育」が行われていて、今でも中学校ではあほらしいほどに校則が細かく厳しかったりする。あ
れは私らの世代の校内暴力に過剰反応した時代の名残やろうね。その次はゆとり教育」で管理教育のせいで不登校や引きこもりが続発したから、ということにな
るらしい。で、現在は「総合学習」となる。これは知識偏重が弊害をもたらすから、というのが理由やそうです。次にくるのは「学力保障教育」かねえ。
一貫性はないけれど、つながりはある。つまり、ある世代で問題が起きたらそれを次の世代への教育で解決しようとするというような形やないかな。
文部官僚の方針が、実は国家の行く末を左右するものやというのに、選挙の争点にもならんのはどういうことか。利権とは関係ないからかな。政治に求められ
ているものは現状の問題点の解決だけやなく、長期的なビジョンやと思うんやけれど、ねえ。とにかく、学習指導要領を文部官僚の玩具にしておいてええんか、
と問題提起をしておきたいのでありますね。
明日は都合で更新できません。次回更新は土曜深夜の予定です。
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