ぼやき日記


3月21日(日)

備長炭ヘア
 今日は「たちよみの会」例会。木屋町四条の喫茶「フランソア」はえらく混んでいた。南座が近くにあり、今日は玉三郎公演の千秋楽やったから、公演帰りの人が多かったんやろうか。例会終了後、夕食をとるために三条木屋町の「王将」に行く。毎回ここで夕食をとるんやけれど、いつもはすいているのに今日はえらい混んでいて、別の店に行く。ところで、「王将」に入ると、いきなり左の絵のような頭の人がいてびっくり、スキンヘッドの上に備長炭を乗せたように見えたけれど、どうやら頭のてっぺんの部分だけ髪をのばし、油で固めているみたい。あれはなんというのかな。モヒカン刈りとも違うしなあ。「備長炭ヘア」と私は勝手に名づけることにする。そうかと思うと、三条通の高瀬川のへんには天狗のお面をかぶり赤い髪をなびかせている人もいてた。今日の京都はなんや知らん異常やったのか。春やねえ。いろんな人が出てくるもんやねえ。

 さて、「鉄腕アトム」も大詰め。今週は第49話「アトム復活」。先週のエピソードで破壊されてしもうたアトムを復活させるべく奮闘するお茶の水博士やけれど、どうしてもアトムは再起動しない。そこへ現れたのは天馬博士。最後の行程は自分でないとわからんと言うてアトムを自分の住まいにつれていく。アトムは再起動したものの、記憶を失っていた。と、ここまでは原作通り。よう考えたら、今シリーズの第1話でお茶の水博士がアトムを起動させるのにメガロポリスの電力を全ていったん切断させなあかんほどの電力量を必要としたのに、今日の話ではそういうシーンは全くない。第1話のお茶の水博士のやり方では効率が悪かったのか? 天馬博士ならそれをしないですむんか? 実は、原作ではアトムを起動させたのは天馬博士やから、破壊されたアトムをお茶の水博士が復活させられんのは当然なんやけれど、今シリーズではお茶の水博士は一度自分の手でアトムを起動させている。それやのに今回お茶の水博士に再起動させられんというのは、私としては納得がいかん部分ではあるんやけれど。
 さて、ここで今シリーズの天馬博士は、アトムにトビオとしての記憶を刷り込み、自分の手元に置こうとする。「アトムはロボットの王になる」などと大口を叩いていた天馬博士の望みは、実は幼児性の強い独占欲でしかなかったということになる。しかも、ケンイチやタマオがアトムとしての記憶を復活させ、お茶の水博士のもとにアトムが行こうとする時に、天馬博士はこんなことまで口走る。
「アトムはロボットなんかではない!」
 ここまでの48話で天馬博士が実現しようとし、そのためにロボットと人間が無用の争いまでしたのは、「ロボットは人間よりすぐれている」という主張があったからではなかったんか。それをここで完全否定するどころか正反対のことを口走らせてしもうた。いくらなんでもこのセリフは言わせたらあかんでしょう。物語全体を天馬博士の幼児的な独占欲に収縮、矮小化させてしまう。それでええんか。「鉄腕アトム」というのは天馬博士の生み出した幻想だったという結末としかとられへんやないか。青騎士は、アトムは、アトラスは、プルートウは、エプシロンは、何のために戦い、傷つき、ランプは何のためにAIロボットを一掃させるために非合法的な手段をとったんや。天馬博士のこのセリフ一つで、ここまでの物語の意味が吹き飛んだと、私には感じられた。
 最終回でこの致命的な矮小化をどう修復できるのか。これがぼやかずにいられますかね。

3月22日(月)

 ザ・ドリフターズのリーダー、いかりや長介さんの訃報に接する。享年72。死因はがん頚部リンパ節転移。
 晩年は俳優としての活躍が目立ち、映画での賞を受賞したりもしたいかりやさんやったけれど、私や妻にとっては「ドリフの長さん」やね。私は「8時だヨ!全員集合」の熱心な視聴者やったわけやない。私の好きな「笑い」は漫才の笑いやったり、ギャグ漫画の笑いやったりした。ドリフの笑いは確かに面白かったし、見ている時に爆笑はしたんやけれど、毎週楽しみに見るというほど熱中していたわけやなかった。あの頃、私は小学生。クラスの友だちの月曜の話題といえば、ドリフのギャグ。見ていないとついていかれへん。「失礼しました」というギャグでも、みんなが知っているのはカトちゃんの「スンズレイしますた」であって、若井ぼん・はやとの「しっつれいしました!」やなかったのですね。ただ、今思うと、やはりあれだけの舞台装置を使うたコントを毎週公開で続けていったというのはすごいことやと思う。『だめだこりゃ』という長さんの自伝を読むと、その裏の事情が細かく描かれている。
 長さんをさんざんからかうドリフのメンバに対し、「こらーっ!」と怒鳴りつける。そやけども、それは怒りというよりは、ツッコミやったんやろうなあと思う。そういう形のツッコミに私は結局慣れることはなかったんやけれど、あれだけの怒声でツッコミを入れられるキャラクターは希有やったといえるやろう。今、芸人は数多く出ているけれど、あれだけの迫力あるツッコミが入れられる者がいてるやろうか。その存在感は格別のものがあった。
 全国の子どもたちが最初に出会う芸、それがドリフやったのかもしれん。上方の漫才とはまた違う芸風を教えてくれたんやなあ、今になってそう思う。
 謹んで哀悼の意を表します。

3月23日(火)

 昨年に続いて、今年も大相撲春場所を見に行く。昨年は前売りで枡席のけんを購入したけれど、今年は休暇をとって平日にイス席の当日券を買い求めた。体育館正面席の一番上のところやったけれど、NHKテレビ中継放送席のブースの真横。つまり、一番見通しのよい席やったりする。妻も「去年よりも土俵から遠いのに、よく見えるような感じがする」という。ところで、NHKの放送ブースなんやけれど、テレビではきれいなセットしか画面に写さへんけれど、横手に座ってると、簡単なパーテーションで仕切られたものやとわかる。入り口にはドアはなく、パーテーションの隔壁をずらしてその隙間から出入りをしている。今日は幕下の取り組みの途中から入場したんやけれど、中入り後の取り組みからは武蔵丸親方が入ってきた。横幅の太い武蔵丸親方やったけれども、器用に隔壁の隙間から出入りをしている。親方に間に合うイスがないということで、踏み台みたいなものの上に座布団をあててイスのかわりにしている様子が見えた。ここらあたりはあの席に座ってないとわからん面白さですね。
 昨年は熱狂的な栃乃花ファンの女性が近くに座っていたけれど、今年は春日王、大碇、土佐ノ海を応援している熱心な女性ファンがすぐ近くにいた。前に座っていた年配の男性たちにいろいろと教えてあげたりしている。ああいうコミニュケーションのとれるタイプの人やねんな。幕内力士土俵入りの時など、「トサノウミー」と声をかけるだけではなく「トッチー!」とあだ名らしい掛け声をかけたりもしてった。「トッチー」ねえ。
 妻はひいきの力士はいてへんけれど、立行司の式守伊之助親方のファン。立ち姿がいいところが気に入った理由。さすがに「イノスケー!」と声をかけたりはせなんだけれど。だいたい相撲観戦の日程を10日目にあたる今日に決めた理由も、横綱土俵入りの先導を木村庄之助親方が奇数日に、伊之助親方が偶数日にするからやからね。双眼鏡で朝青龍の土俵入りを見ている妻の視線は、実は伊之助親方にいっていて、伊之助親方を隠すようにせりあがる横綱に対して「朝青龍、邪魔!」てなことを言うくらい。土俵入りの主役は横綱でしょうが。「行司のポスターはないんかなあ」。ありませんて。
 打ち出し後は、会場の近くにある「なんばPARKS」に始めて行ってみた。大人向けの店が多く、また、大阪球場の外壁をうまく利用した空間構成もうまく造ってある。再開発というのはなかなかうまくいかん場合もあるんやけれど、これは大阪には珍しいおしゃれな大人のスポットとして定着するかもしれんな。
 というわけで、今年も生の迫力、相撲場の雰囲気を堪能させてもらいました。前任校は春場所開催の時期が一番忙しかったんでなかなか本場所を見にいくことがでけなんだけど、現在の勤務校に転勤してからはこの時期が一番時間の余裕がある。来年もまた行きたいものです。

3月24日(水)

 今日発売の「手塚治虫マガジン」は、新連載として永井豪/ダイナミックプロの「魔人王ガロン」が掲載されていたけれど、ストーリーそのものはともかくとして、絵が永井さんのものとは思われん。ダイナミックプロによる作画部分が多いんやろうとは思うけれど、こうまで別人の絵が多いというのはちょっと残念。永井豪さんによる手塚トリビュートという面白い試みだけに、ちょっと残念。
 ところで「手塚治虫マガジン」は今月号で創刊1周年。つくりとしては再録中心でこれが1年間もつとは思ってもいてなんだけど、ページ数もどんどん増え、よう続いていると感心する。実はなんやかんやといいながら私は創刊依頼ずっと買い続けているんやけれど、単行本では小さくて見にくかった絵が雑誌掲載サイズになっているおかげでとても見やすくなっていたり、全集などでは削られている扉絵がちゃんとついていたりするのがありがたい。読者のお便りを読むとこの雑誌で手塚作品について初めて知ったというようなものが多い。全集を手に出すほどではない人たちにとっては、こういう雑誌形態というのが手頃なんやろうね。そういう意味ではマニアックやないこういうものがあるのはええことやねんなあと思う。人間がオタクにできていると、ついその物差しではかってしまうけど、もっと広い視野で見んとあかんなあと再認識させられるね。

3月26日(金)

 相変わらず送りつけられてくる携帯電話への「出会い系サイト」勧誘メールやけれども、この前きたのはちょっと工夫してあって面白かった。以下、引用します。

「『健康上の理由で登録する方、』
WHQの学会でアメリカコロラド州立大学ペニーイジリー教授が下記のように発表した。
月に4回以上の出会い系性行為により恒常性オナニー症候群の症状が軽減した。
症状のある方は下をクリック
↓↓↓↓↓
(サイトのアドレス)」

 もう少しひねりはほしい。コロラド州である必然性があらへん。別に州立大学にせんでも、なんとなくエッチなだじゃれになりそうな都市名は世界中にありそうなものです。WHQというのは一見WHOと見間違えてしまいそうやから、これは工夫してるね。
 こんなもんにそんなに細かいチェックを入れる必要はありませんか。そやけどなあ、ここまできたらもっと笑いを追求してほしいと普通は思うでしょう。私が普通やないのか。
 どっちにせよ、「ねえ、このサイトにいったら1週間で4人もやらしい女の子に会えたよ」みたいな何の工夫もないメールに比べたら、なんとかしようと考えている、その姿勢に心を打たれるものがあるね。私だけですか。

3月27日(土)

 今日は午後から高野史緒さん、「とべ!クマゴロー」管理人の大熊さん、妻と私とで会食。高野さんのご主人が芦屋で開かれている「ロシア絵本展」のスペシャル・トークにゲストとして招待され、高野さんも関西に来はるということで、ずっと以前から約束していたのです。ただ、ご主人はどうしても芦屋から離れられんということで、残念ながら欠席。大熊さんとはほぼ初対面。ほぼというのは、以前に草上仁さんのパーティーに参加したはって、私のことは覚えていてくれはったということ。もちろんこういう形でゆっくりお話するのは初めて。もっともそこはそれSF者同士ですから、話題が尽きるということはなかったけれど。
 ガイドブックで調べて阪急17番街に和風フレンチのお店があるのを見つけたんで、そこで会食をすることにした。エレベーターに乗り込んだらちょうど高野さんも同じエレベーターに乗っていたのでいっしょにお店に。ところが、あらららら、店がない! 「12月25日に閉店しました」と貼紙がしてある。うーむ、ショック。阪急32番街に移動し、大熊さんとも連絡を取り合う。ちょっとええ感じのフレンチのお店を見つけたけれど、満員で30分待ち。隣の洋食屋がすいてたんで4人でそちらに入る。がらがらなのには理由があった。メインは夜の居酒屋で、ランチタイムだけ別に開いているというお店で、メニューがしょぼい。高野さんたちを引っ張り回すかっこうになり、申し訳ない。こういう場合はちゃんと事前に電話するか下見するかしておかんといかんね。最近ではインターネットでお店を紹介したりしているから、検索という形で調べておいてもよかったかも。
 食事の後、梅田の地下街に行き、喫茶店でおしゃべりの続き。メニューに「小松菜パインジュース」というのがあったんで、どんなもんが出るんやろうと期待して注文した。緑色のジュースがやってきたのでわくわくしながらストローに口をつける。味は完全にパインが勝っている。へんちくりんな味やったらここで店の名前も紹介して「みなさん、いっぺん飲んでみて」と書くところなんやけれど、そこまでするほどのものやなかった。ネタ的にはおいしいと思うたんやけどなあ。
 とにかく予定してた店の閉店が痛かった。「東京ではよくありますよ」と高野さんに慰めてもろたんやけれど、その後に入ろうと思うた店もみんな満員。こと店に関しては失敗ばっかり。こういう日もあるんやねえ。

3月28日(日)

 今週で「鉄腕アトム」も最終回。第50話は「最後の決闘」。天馬博士が息子のトビオを失ったいきさつ、アトムを作ったけれどもその動きを停止させたいきさつが語られる。原作と違い、ここではトビオもアトムも天馬が本当に自分のことを父が愛していないと感じて反発したことを原因としている。これはこれで独自の展開としては面白い。しかし、最後の決闘でアトムが天馬を許し、天馬の仕掛けた爆弾で破壊されていく科学省から全員が無事脱出、議会でAIロボットに人間に準じる権利を与えるという展開は、このシリーズで出されたテーマを完全に解決できたといえるかどうか。AIロボットが開発された段階でされるべき法整備がたくさんの犠牲を出した上でなんとかなされたという、ただそれだけでいいのか。ロボットが「心」を持つということの意味をもっと突き詰めるべきやなかったか。また天馬博士の幼児的な支配欲がAIロボットを生み出したわけで、そのような個人的な事情が事をここまで大きくしたということに対して、その愚かさを前面に打ち出しているわけでもない。
 このシリーズにでてくる人間たちはあまりにも愚かすぎる。煽動にすぐに乗り、AIロボットに対する恐怖を弾圧という形でしか表現できず、法律も作らずに一体のロボットの罪を最高議会で裁く。ここまで人間を愚かに描きながら、それを断罪するわけでもない。あるいは笑い飛ばすわけでもない。シリーズの途中ではった伏線(ランプが自分が見捨てたAIロボットへに対する罪悪感からAIロボット排斥に動いたが、そのロボットが再生されたエピソードなど)をいつ生かすのかと思っていたが、ほとんど生かされなかった。
 1年間、ほとんどぼやき続けに終った。なんでここまでぼやいたか。このアニメと原作は別物やとわかっている者はええ。口直しに原作を読んだらええんやから。そやけど、多くの一般視聴者はこの「鉄腕アトム」は見ても、そこから原作を読もうとするかどうか。たいていはアニメを見たらそれきりやないか。それだけに、原作とは違うものを作るにしてももっと質の高いものを作ってほしいと思い続けてきたからやないかと思う。また、日本の視聴者よりもアメリカの視聴者を意識したつくりに対する反発もあったかもしれん。
 1年間、ぼやきにおつきあいいただきありがとうございました。いや、毎週毎週ぼやきつづけるのは実にエネルギが必要やったぞ。なくなったらなくなったで寂しいかもしれんけれど。

3月29日(月)

 今日は休暇をとって妻といっしょに映画を見にいく。わざわざ「休暇をとって」と書いているのは、春休みやから無条件に休んでるんやないよ、ということを書きたいがためであります。いろいろとうるさい昨今でありますからね。ここははっきりさせておきたい。
 見にいったのは、押井守監督のアニメーション「イノセンス」。梅田の三番街シネマに行ったら、昨日と今日は「字幕つき」やと注意書きがある。たしか海外にも公開するということを聞いているから、英語版やろうか、それやったら明日にしようかと迷う。窓口できいたら、難聴者のための字幕で、ちゃんと日本語版やということなんで、入場する。字幕のおかげで挿入歌の歌詞の意味なんかはよくわかってよかったけれど、つい字幕に目がいってしまい映像に集中し切られなんだところもある。痛し痒しというところかな。
 それにしても1時間40分という長さの中に中身がぎっしりとつまっていて、幕が降りた後は知力体力を使い切ったような感じ。そのまま帰るのもしんどい気がしたんで妻に「茶ァしばこか(註:喫茶店に入りませんか、の意)」と声をかける。妻もすぐに帰るのはきついと思うていたらしく、「そうしよ」という返事。ところが茶屋町界隈については二人ともあまりくわしくないもんやから会社員が仕事をさぼりにくるような喫茶店に入ってしまう。今までやとたいていは観劇などの後に喫茶店に入ると二人して感想を述べあうんやけど、今日はそれもできず。コーヒーを飲みながらクールダウンしていたというような感じになった。
 映画の感想についてはただ一言「凄かった」。子どもの感想文でももう少しましなことを書くかなあ。人はなぜ自分の姿に似せて「人形」を作るのか。その回答のひとつやねんな、この映画は。昨日最終回を迎えた「鉄腕アトム」が問いかけすら放棄してしもうたこの問題に真正面からぶつかる。そこに自分にとって最も大切なものを失った男の切ない愛の物語がからみあう。ほんまにこれは凄いなあ。

3月30日(火)

 アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズが来日し、開幕戦を行っている。公式戦の前にそれぞれのチームがそれぞれ阪神タイガースと読売ジャイアンツとオープン戦を行った。私はジャイアンツはどうでもええけれどタイガースがメジャーリーグとどういう試合をしてくれるか楽しみで、2試合とも中継を見た。
 ひどい中継やったね。やっぱり日本テレビやね。タイガースとデビルレイズの試合なんか、中継開始時間から30分もヤンキースとジャイアンツの打線がいかに凄いかという番組を見せられた。新聞では2時35分に「タイガース−デビルレイズ戦」と書いてあるのに、実際にその試合を見られたのは3時5分頃。それやったらテレビ欄に2時35分からは「原辰徳のメジャー取材特集」と書き、3時5分から「タイガース−デビルレイズ戦」と書いたらええんや。しかも試合の途中に清原とペタジーニの先発争いをまとめたビデオを見せられたりする。系列の読売テレビに抗議の電話をかけたけれど、話し中やった。かなり抗議の電話がかかってたんと違うかな。
 翌日のヤンキース戦など、アナウンサーがいかにヤンキースの打線が凄いかということばかり強調する。ところが打線がつながって大量得点したのはタイガース。ヤンキースは反撃したけれど敗れ去った。そうなるとアナウンサーもヤンキースをほめてばかりはいられん。だんだんトーンが落ちてくるのが面白かった。もっとも、ヤンキースの選手が特大のホームランを打つと狂喜乱舞していたけれど。その選手はアナウンサーがほめ倒していたレギュラー選手やなく、途中出場の控え選手。どこが最強打線やねん。
 今日のヤンキースとデビルレイズの試合も最初は見ていたけれど、アナウンサーの実況がヤンキースのことばかり必要以上にほめまくるのでしらけてしまう。途中から先日録画した「クレヨンしんちゃん」の映画をビデオで見ることにした。
 思うに、日テレは松井のいるヤンキースをジャイアンツに見立ててるんやな。日テレの野球中継を見ているのはジャイアンツファンだけという感覚でメジャーの中継をしているということやろうね。衛星放送のおかげでメジャーリーグの試合を楽しむファンが増えているこの時代に完全に取り残されている。一度できたスタイルは変えられへん。彼らにとっては「読売ヤンキース」やねんな。タイガースとデビルレイズなんか彼らにとってはおまけに違いない。
 それどころか原辰徳とアナウンサーが「いよいよ今日から球春開始です」てなことを言うている。おいこら、その前日にパシフィック・リーグは公式戦を開幕させてるねんぞ。ジャイアンツ至上主義の彼らにはパ・リーグなどないに等しいというわけか。この程度の人物たちに支えられる「球界の盟主」って、なんなんやろうね。

3月31日(水)

 六本木ヒルズの回転ドア死亡事故のあと、全国の自動回転ドアを使用しているビルが次々と使用を取り止めることを決定しているとか。自動回転ドアにはそれなりの利点もあったはず。バリアフリーの観点からはお勧めできたもんやないけど、ドアの開閉による風圧の急激な変化を防止するという利点があったからこそ使用していたんでしょ。そしたら何やね、子どもが死んだ事故は自動回転ドアが悪かったからということになってしもうたわけですか。違うやろう、と思う。センサーなどの安全措置を六本木ヒルズがおこたっていたこと、同様の事故があったのに形ばかりの侵入禁止ロープを張っただけで事足れりとしていた危機管理の甘さが問題なんやと私は思うてたんやけれどね。
 つまり自動回転ドアというのはとんでもない欠陥品であり、こいつを野放しにしておいたら同じ事故が必ず起こるという理由で撤去すると、そう考えられても仕方ないわな。そんな危険なもんを何の検証もせんと導入してたんか、導入した設計者、管理者の責任はどないなるんや、ということになる。
 違うやろう。利点があるから導入してたんやろう。それやったら自信もって使用を続けたらええやん。もちろん、万全の安全対策はとるべきやろう。そうした上で使用を続けるという選択もあるはず。
 死亡事故がでた。これは危険や。全部撤去したら非難はかわせる……。それでええんかなあ。それやったら極端な話、死亡事故がおきた時点で日本国中の自動車は使用禁止とせねばなるまい。
 自動回転ドアを撤去したからというて何の問題解決にもならんのやないやろうか。肝心なのは安全管理に対する意識を徹底させることやないのかな。すべての責任を自動回転ドアに押しつけてるような気がするのは私だけやろうか。


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