ぼやき日記


8月22日(日)

 第43回日本SF大会G−conに行ってまいりました。今日からしばらくは例年通り私的レポートということになります。しばらくおつきあいのほどを。
 特急しなので大阪から岐阜へ。今年の会場は岐阜の長良川にある国際会議場。同じ電車に古沢嘉通さん、牧野修さんも乗ってはった。大阪から行くにはこの列車が一番楽で速かったのですね。駅から牧野さんと私たち夫妻がタクシーに乗って会場へ。受付はかなり早くすんだので、ディーラーズルームで旧知の人と会っては立ち話。それから妻と隣接するルネッサンスホテルのレストランでゆっくり昼食をとる。
 会場に戻ったら大ホールでは既にオープニングが終り、柴野拓美さんからファン活動に尽力した人たちに対して賞を授与、という場面。ホールは9割がた埋まっていたので、私たちはホールの外でテレビに映し出されたものを見る。星雲賞受賞式などセレモニーが終り、ホールからたくさんの人たちが出てきた。ここでも旧知の人たちと顔を合わせてはごあいさつ。年に一度、大会でしかお会いしない人もようけいてる。ただ、今回の大会ではそういう人たちとあんまりゆっくり話ができなんだ。なんでかというと、会場がやたら広い。しかも構造が複雑で、たとえば1階から4階に上がろうとすると、1階ごとに階段の位置が違う。まっすぐ目標の場所につかれへん。設計は安藤忠雄さんやそうですが、斬新なデザインよりも使い勝手のええ作りにしてほしいものです。
 たいていの大会では、どこか一つの場所に座ってたら知り合いが通りかかってそのままおしゃべりということもけっこうあったりするんやけれど、今回はなかなかそういう機会がなかった。
 オープニングから次の企画までの30分、ディーラーズ・ルームをうろうろ。ファン活動が私の原点だけに、ディーラーズ・ルームというのが一番落ち着くのかもしれへんね。
 というわけで、続きは明日です。

8月23日(月)

菅浩江さん
 今日から新学期再開。今日は授業はなかったので、ギアをローに入れて発進するような感じで仕事ができた。さすがに疲れが取れ切ってなく、1日体が重かった。やらんならん仕事を淡々とこなしていったという感じかな。

 さて、G−con私的レポートの続きです。最初の企画は迷わず「菅浩江、博物館惑星を語る」に。これはほんまによかった。菅さんがユーモアたっぷりの語り口で、「博物館惑星」をどのように書いていったかを語ってくれた。それはそのまま菅さんの小説作法の公開ということになる。作家志望の人などはものすごく参考になったはずやし、私もものかきのはしくれなんで、おおいに刺激を受けた。特に菅さん自らが印刷してきたいくつかの短編のシノプシスは、作品世界を深めるだけやなく、アイデアの膨らまし方など非常に興味深い。時間があったら、シノプシスと完成した作品を読み比べてみよう。きっといろいろと教えられることが多いはず。
 それにしても、ここまで読者に対しオープンになれるという菅さんは凄いと思う。もし、私が「書評の書き方」なんていう企画に出たとしても、ここまでのことはでけんやろう。
 なお、この企画には私だけやなく妻も聞きにきていたんやけれど、別に二人相談していっしょの企画を選んだんやなく、たまたま同じ企画に行きたいと考えが一致しただけやねんな。で、またたいてい同じ企画を選ぶんよ。いっしょにいると趣味や嗜好が似てくるもんなんか、そういう趣味や嗜好やからひっついたんか。鶏が先か卵が先か。
 続きはまた明日です。わざと小出しにしてるんではなく、疲れててこれ以上書かれへんのです。かんにんな。

8月24日(火)

 朝刊に野村総研の発表として「オタク文化はもうすきま産業ではない」という記事があったけれど、今さら何をという気がする。時代はもうとっくにオタクが動かしてると思うていたけどなあ。趣味や嗜好の多様化はここ数年の間に始まったことやないし、IT産業なんかはオタクの存在抜きには語れんやろうと思う。「オタク」の関わる分野をアニメ、ゲーム、アイドルなんかに限定している視点自体が古いのと違うかな。今やあらゆる分野で、「オタク」としかいいようのないマニアックな層がコアとして存在しているように私は思う。逆に、アイドルオタクなんかは実体としてはもう過去のものやないかという気もするし。何なんやろうね、このわかってなさ加減というのは。ずれとるぞ、野村総研。

 さて、G−con私的レポートの続きです。2つ目の企画に行く前にディーラーズ・ルームをうろうろ歩きいろんな人たちとおしゃべりしたあと、「デンキネコ粗大上映会」へ。私は2本目の「デンキネコ対メカデンキネコ」の途中から見る。パソコンの汎用ソフトと素材集のみを使用して作り上げた自主制作の3Dアニメやねんけれど、そのセンスのよさはやっぱりすごい。やはり上映会を見ていた妻といっしょに大会参加者用の休憩所で軽く夕食をとる。
 続いてはやっぱり会場内をうろうろ歩き、「SFファングループ連合会議総会」をこれまたおしまいの部分だけ覗く。妻が「自主映画上映会」の企画を見に行っているはずなんで、ホールの出口近くにあるソファに座って企画が終るのをまっていたら、bk1の福原俊彦さんと出会いしばらく話し込む。企画が終了したころに福原さんと別れ、妻と合流。
 飲み会のお誘いもあったんやけれど、体調が悪く、残念ながら断わる。妻とともに岐阜駅前のホテルに直行しようとバス停まで行くが、なんと最終バスは企画終了時間と同じ20時ちょうど。うーむ、宿の斡旋は大会実行委員会から送られてきた旅行会社のプランを利用したのに。宿に行くバスが終るまでに企画を終らせるという配慮はほしかったなあ。あるいはそのためにマイクロバスを用意するとか。同様の参加者が大量にいて、タクシー乗り場にもルネッサンスホテルの入り口のところにも人がいっぱい。
 結局タクシー乗り場に戻り、タクシー待ちをしている人に呼びかけて相乗りをする。幸い私たちを含めて4名そろったんで、タクシーで駅前に。ああ助かった。ホテルにチェックインしてベッドに寝っ転がってくつろぎ、妻とおしゃべり。しばらくしたらドラマ「冬のソナタ」の最終回が始まる時間になったのでテレビをつける。私はその間にシャワーを浴びて汗を流す。バスルームから出てもまだドラマをやっていたんで、最後まで見る。実は、「冬ソナ」をきちんと見るのはこれが初めてやったんですね、私は。ほうほう、なるほど、確かに何かというと泣くねえ。目薬さしっぱなしで目がふやけたんと違うかというくらい泣く泣く。しかし、このドラマは家でちゃんと録画してるはずやねんけどなあ。なんでわざわざ岐阜のホテルで見てるかなあ。
 かくして1日目は終了。2日目の様子はまた明日以降。

8月25日(水)

 今日から授業開始。久しぶりに教壇に立って話をしていると、汗が止まらん。空調はきいていて生徒からは「この部屋、寒くない?」ときかれたりしているのに。で、思い出したのが、以前プロ野球解説で投手出身の人が「ピッチャーがマウンドに立って汗をかくのは、あれは実は冷や汗なんですよ。緊張しているから汗が吹き出てくるんです」という言葉。今日の私の汗もマウンド上の投手と同じ質のものやったのかもしれんなあ。

 というわけで、G−con私的レポートの続きです。ホテルを出てから、昼食用のパンなどを仕入れ、バスで会場に行く。私は2日目の一番目の企画「GURE GROOVE ライブ!(ノンアルコール版)」に出演することになっている。浅暮三文さんをかこんで牧野修さん、そして私がおしゃべりをするという企画です。担当は尾山ノルマさん(写真はこちら)。会場は国際会議場ではなく、隣のルネッサンスホテルの「会議室」とのこと。ゲスト控え室には行かず、直接企画部屋に行こうとする。ところが、「会議室」なるものがどこにあるか全くわからん。ホテルのロビーで立ち往生していると、女性の係員の方が「どちらのご宴席ですか」とききに来てくれた。「『会議室』というのはございませんけれど……」と言われて、困ってしまう。と、彼女が手にもっている紙にボールペンの手書きで「GURE GROOVE」と書かれているのを見つけた。「これです、これはどこの部屋ですか?」。「3階の”桃”です」。
 ”桃”!
 何が何やらさっぱりわからんが、とにかく階段を登って”桃”を探した。大安吉日かなんか知らんが、結婚式がやたら多く、緩いカーブを描くようにした階段の途中でウェディングドレス姿の花嫁さんが立ち止まり、写真をとってもろうたりしている。そこをかきわけて上がるのは勇気がいるよ、実際。なんとか”桃”を探し当てる。”桃の間”と言うてよ、お姉さん。隣の部屋は結婚式の親族控え室。そんなところでバカ話をするわけですか。
 9時40分くらいには部屋につく。ところが、誰もいてへん。しかたなく椅子に座って待っていると、時々ホテルの職員の方が覗いたりする。怪しまれてるんかなあ。一度ゲスト控え室に行くか。階段の花嫁をまたもやかきわけて会議場へ向かうけれど、会場の構造を把握してへんから、ゲスト控え室がわからん。水鏡子さんや志村弘之さんに会って話をする。いや、こんなことしてる場合やない。部屋に戻ろう。花嫁の消えた階段をのぼって部屋に戻ると、スタッフの人がいてた。しかし、開始時間の10時になっても……誰も来ない。出演者だけでお客がいてへんという事態になるのでは。
 やきもきやきもきやきもきしてたら尾山さんをはじめとして浅暮さん、牧野さん、そして参加者の人も団体で到着。ほっとしたのが顔にそのまま出たんやろうね。牧野さんに冷やかされました。もっとも、参加者の方も数えられるくらい。ねこちさんと桐生さんと遠藤さん。おっと、3人だけかよ。もっとも、途中から井上剛さん、森下一仁さん、そし私の妻も加わって、企画出演者と聴衆が1対1になるということは避けられましたが。もっとも、テレビ「ごきげんよう」で使われているさいころを参加者の方にも振ってもろうたり、全員に自己紹介してもろうたりとむやみにアットホームな雰囲気にはなったけれど。一応、「ガダラの豚」の読書会という準備はしてたんやけれど、そうすんなりはいかんのでありました。浅暮さんと故中島らもさんが大阪のコピーライター塾で同門やったことを初めて知った。
 いや実に、あの会場でこの企画、しかも朝一番。これは合宿企画で酒を片手に夜中にやる企画でしたね。私は浅暮さんの突如自分のリングに引っ張りこむ語り口や、牧野さんのボケつつもツッこむ話芸に横で笑うばかりでしたけどね。
 企画部屋の場所がわからず参加を断念した人もけっこういたんやないかな。それが残念。そやから、あの場所で何が起こったかは11人しか知らん秘密の出来事なのであります。知ってどうする。
 では、この続きはまた明日。まだまだのばすぞ、引っ張るぞ。

8月26日(木)

 さあさあ、いつになったら終るG−con私的レポート。いつまで引っ張るG−con私的レポート。必ずしもその日にあったことを書くというわけではないこのぐうたら日記らしい展開ではあるが。
 「GURE GROOVE」終了後、しばらくはディーラーズ・ルームやサイン会場にいたりして、コーヒーラウンジに移動。「八杉将司インタビュー」を途中から聞く。出演は第5回日本SF新人賞の受賞者である八杉さんと、その時の選考委員の久美沙織さん、野阿梓さん、そして第3回の受賞者である井上剛さん。インタビューという企画ながら、新人賞作家と選考委員を並べるというのは異例のことやないかな。そして、八杉さんへのインタビューになぜか井上さんが参加しているというのも不思議。井上さんは新人賞の先輩としてアドバイスをするという立場なんかなあと思うたら、司会の勝木という方は、八杉さんと同じような新人としての扱いで話をすすめる。
 内容的には、久美さんと野阿さんの選考委員という立場からの考え方、選考に臨む姿勢なんかが聞けて面白かった。特に野阿さんが八杉さんの作品に対してまるで添削でもするようにアドバイスを作って編集部に送っていたりするところが、野阿さんの生真面目さを物語っていて印象に残った。ただ、この企画、タイトルとは違い「選考委員、新人賞作家に選考会のウラを教える」というような企画になってしまったのが、ちょっとまずいんやないかなあ。新人作家と選考委員を同席させるならば、ショック・アブソーバーとして編集者をつけておくなどの配慮は必要やったと思うし、司会の方が慣れていないせいか座談会をどういう方向にもって行こうとしているのかがはっきりせず、井上さんまでが俎上に上がってしまったのには正直違うんやないかと思うた。私もコンベンションで司会をした経験が何回かあるけれど、出席者の顔ぶれを考えたら、慣れてない人を司会に起用するのは(たとえそれが企画の担当者やったとしても)やめておいた方がよかったと思う。
 つまり、「八杉将司インタビュー」というタイトル通りのものにするのか、「SF新人賞」そのものについての話にするのか、そのあたりの軸足をはっきりさせてほしかった。裏話などは内容豊富やっただけに、残念なことです。
 というわけで、G−con私的レポートはいよいよ明日が最終回。もう1日おつきあいのほどをよろしくお願いいたします。

8月27日(金)

小松さんと巽さん
 いよいよG−con私的レポートも最終回。1週間このネタでもたすとは思うてませんでした。
 最後の企画は「小松左京−戦争、宇宙」。聞き手は巽孝之さん。小松左京さんもお年を召され、聞き取りにくいしゃべり方にはなってはったけれど、一つの事柄からどんどんと話が広がっていくのはさすが。今回は、小松SFの原点である「戦争」、そしてSFの大きなテーマの一つである「宇宙」について語るという企画。
 戦争をじかに知っている世代が少なくなっている現在、戦争体験をじかに聞くこと自体が重要やと思うし、それが小松さんであればなおさら私たちが今後SFを読み、あるいは書いていく時に何が必要であるかを示してくれていると思う。
 てな偉そうなことをいいながら、さすがに最後の企画では体調不良も重なって睡魔に教われ、その戦いに敗れてしもうたことをここで告白せんならん。せっかくの機会やったのに、なんちゅうもったいなことをさらすねん。ほんまに、もう。
 企画終了後、サインをいただこうと大会のプログラムブックを持っていたら、妻が「小松左京マガジン」を大量に買いこんできたので、その中の1冊にサインをしていただいた。妻が「これは、あたしの本にサインしてもらったんやからね!」と強調する。わかってますがな。
 エンディングは見ないで、バス停に向かう。帰り際に塩澤快浩SFマガジン編集長や東京創元社の小浜徹也さんと少し話をし、いとまを告げる。JR岐阜駅で特急しなのの切符を買い、出発までの時間で実家や職場への手みやげを買う。
 ホームに上がったら、行きと同様帰りも古沢さんや牧野さんと同じ電車に乗ることがわかった。そういう偶然もあるもんなんやねえ。
 電車の中で少し眠り、無事大阪に。帰宅後はさっそくテレビをつけてプロ野球のナイター中継を見る。タイガースが勝つ。前日のナイターも録画してあったんで、そちらは飛ばしたり早回ししたりしながら見てしまう。そうです、「愛すれどTigers」は、たとえ用事があってもこうやってちゃんと試合を見て書いているのですぞ。
 というわけで、いやもうあれから1週間たつんですなあ。その間に授業は始まる事務作業も増える。なかなか大会疲れのとられへん1週間でありました。長々とおつきあいいただき、ありがとうございます。お疲れさまでした。明日より通常の日記に戻ります。

8月28日(土)

 おおお、もうSF大会レポートで日記を書いてネタのなさをごまかすことがでけへんやないか。おおおおお、どうしよう。

 アテネオリンピックで金メダリストが続出しているんで、全員に国民栄誉賞を与えるわけにもいかず、小泉首相が弱っているということらしい。どうせ国民栄誉賞なんていうものは、与える規準があいまいな上に、スポーツ選手は生前授与をするけれども俳優や歌手、作曲家や漫画家なんかは死んでから追贈され(藤山一郎だけは生前授与)、というあたり、てんでデタラメな賞ですからね。小泉さんもそんなことで困るくらいなら、沖縄の米軍ヘリ墜落事故に対してブッシュJr.に抗議するかしないかで困りなさいよ。オリンピックのメダルの数で国威発揚するんやったら、自国民を危険にさらされたことに断固抗議して日本政府の地位を高める方が大切なことなんと違うかね。
 まあ、誰が国民栄誉賞をいただこうが私には関係ないことではありますが、2大会連続で金メダルを取った選手には出してもええんと違うかね。それやったら不公平にはならんと思うぞ。つまりそれくらい規準のええかげんな賞なんですな。あほくさ。

8月29日(日)

 ひたすら原稿書き。と、いいたいところやけれども、朝はテレビやたまっているビデオを少しばかり見て、そのあと寝床に横になって原稿をどう書くかうんうんうなっていたら、そのうち睡魔に襲われて午前中から午後にかけて眠ってしもうた。寝床でものを考えるからいかんので、リビングで考えていたら、逃避行動のようにテレビをつけてしまう。
 毎日放送で「新世紀漫才アワード」という番組をやっていた。録画はしてるから、生で見る必要はないんやけれど、懐かしの漫才というのを少しやっていて、つい見てしまう。新人のアナウンサーが司会をしてた。このアナウンサーが芸人さんの間というものを全くわかってない人で、司会進行が手一杯。出演者は喜味こいし、オール阪神巨人、ハイヒール、フットボールアワーという顔ぶれなんやから、放送局ももう少し人選を考えるべきやろう。いくらなんでもひどすぎる。懐かしの漫才というてもその顔ぶれについてほとんど知識がないようやったしね。「漫才アワード」というのは朝日放送の「M−1グランプリ」に対抗して毎日放送が作った後発の新人漫才コンテスト。規模といい、参加芸人の顔ぶれといい、「M−1」がやってみて失敗し、2回目から廃止した一般審査員の導入といい、どう考えても「M−1」には及ばん。それやったら最初から作らなんだらええのになあ。私は若手芸人のチェックのために見てるという感じなんやけれど。
 録画してる番組を生で見んでもええので、パソコンに向かい、原稿を書き始める。書き上げるところまではいかなんだけれど、日を置いて見直し、続きを書くことにした。ちょっとばかし気合いのはいる仕事だけに、ええもんに仕上げたいですね。

8月30日(月)

 私の勤務校では、6月に予定されてたけど台風が来て暴風警報が発令され中止になっていた芸術鑑賞が、日を改めて本日実行の予定でありました。ミクル・ミュージカル・カンパニーの演劇「パートタイム・ハイスクール」という出し物であります。ところがですね、今日もまた台風接近。先週末に台風が発生した時から開催が危ぶまれていたんやけれど、午前中はなんとか天気がもち、強風注意報の発令だけにとどまっていて、なんとか開催できた。それでも上演途中の14時30分ごろに暴風警報が発令されたんやから、数時間の差で2度目の中止になっていたかもしれん。ああ際どい。公演終了後はすぐに生徒を帰した。実際に風が強くなったのは警報が出たばかりの午後と夜半を過ぎてからで、生徒が帰った16時ごろはちょうど風も弱まっていた時間帯やったから、やれやれです。
 それにしても、芸術鑑賞日になるとは大型の台風がやってくるんやから。偶然とはいえ、関係者の誰かが過去に大平洋沖でおしっこしたとか、罰当たりなことをしたんで復讐されとるんかいなと思うくらいやね。自然を怒らせたらこわいぞう。おしっこくらいでは怒りませんか。
 もっともはらはらしたのは劇団の人たちかもしれんね。普通の公演やったら警報くらいでは中止にはならんのやろうけれども、学校公演ならではのことやからね。2回連続キャンセルとなると、稽古の時間やらなんやらいろいろなことが無駄になるわけやからね。とにもかくにも実施できてよかったよかった。

8月31日(火)

 原稿を読み直してみて、書き直さなあかんなあと思う。やたらと肩に力が入っている。むやみに読みにくい。書く時間を作らねば。

 朝のラジオで「今日で学校も夏休み最終日」と言うていたけれど、私の勤務校は前後期制のために1週間前から授業が始まっておる。気持ち的にはもう9月に突入していたような感じやな。そうか、まだ8月やったんや。なんやしらんまだ慣れんなあ。長らくしみついたリズムというものはそう簡単には変わらんもんやねんな。お子さまは宿題しはりましたか?

 プロ野球はどうやら来季も2リーグ制で進められそうな雲行きになってきた。選手会がブルーウェーブとバファローズの合併に対して合併中止の仮処分を裁判所に申し立てたために、代表者会議も議事が一旦停止という状態になった。8月末までに「もう一つの合併」が決まらんことにはリーグ統合の話が進まんということやったから、締切りがデッドラインをこえたということになるわけやね。わずか2ヶ月ほどでリーグ再編なんていう大きなことを決めてしまうのは無茶やから、選手会の主張通り1年間かけて制度全体の見直しをしていくということになりそうなんで、ほっとしている。
 現状ではまだパ・リーグの各オーナーたちは1リーグ推進を主張しているけれども、印象では意固地になって身動きが取られんようになっているという感じがするなあ。振り上げた拳の降ろしどこを失ったというか。もうそのまま手をあげっぱなしにしといたらええのんと違いますか。
 今回の騒動で、制度の全面見直しが必要なことははっきりしたわけやしね。そのためにも検討する時間は必要やし、選手会も話し合いの中に入れるべきやろう。もともとプロ野球に興味のない妻などは、とっくの昔に「もう飽きた」と言うてたけれど、ずるずると引っ張ってたら、プロ野球ファンからも飽きられてしまうやろう。そうならんためにはとりあえずの決着をつけ、1年間で最善の方法を確立することやね。私自身もええかげん厭になってきたしなあ。
 それはともかく新聞などがプロ野球界から離れたはずのナベツネ氏の「5チームずつの2リーグ制」案を紙面で取り上げるのはいかんでしょう。そういうことをやるからナベツネ氏の「院政」などが可能であるかのようになってしまうんですな。今後は氏の言動は無視、黙殺すべきやね。誰も相手にせんようになるのが最善の方法やないかなあ。まあ、新聞はネタになったらそれでええ、というようなもんなんやろうけれど。


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