ぼやき日記


12月11日(土)

 雑誌の著者校正刷りが届く。依頼の枚数通りに書いたつもりやのに、なぜか6行もオーバーしてしもうている。私は400字詰めに換算して書いたんやけれど、改行の関係などで計算とずれてしまうみたいやなあ。幸い筆がすべって書きこんだ遊びみたいな文章を削れたんで、すぐに直して返信。最近はレギュラーの仕事やなく特集のために複数の執筆者と並んで書くということが多いから、実際に雑誌に掲載された時に自分の文章が全体の中でどんな感じで入ってるか、バランスを崩してないかが気になる。そこらあたりは編集長におまかせしているとはいえ、前回の「Jコレクション特集」の時は調子の硬さでは私が一番という感じやったからなあ。さて、月末に届く雑誌が楽しみです。怖くもあるが。

 今日、外出先の書店で新刊のチェックをしていたら、近くに立っていた中年男性のポケットからバカでかい声が聞こえてきた。
「殿ぉーつ! メールでござるうっ! 殿ぉーつ! メールでござるうっ! 殿ぉーつ! メールでござるうっ!」
 くだんの男性はおもむろに携帯電話を取り出してボタンを押していたけれど、ああいう「着声」って、恥ずかしいもんなんですなあ。私も携帯用にあれこれ着声をダウンロードして新野新さんの声で「もしもし、電話でっせ」といわせてみたり、中村正さんの声で「奥様からですよ」といわせてみたり、桂春團治師匠の声で「あ、メール来てるで」といわせてみたりしてますが、ボリュームは絞った方がよろしいな。まあたいていはマナーモードにしてるから公共の場で携帯から横山ホットブラザーズさんの「お〜ま〜え〜は〜あ〜ほ〜か」という着声が響いてきたりはあんまりせんわけですが。それでも時々マナーモードにするのを忘れたりして職員室に新野新さんの「はよ見んかいな!」という声が響いたりして笑われたりするのであります。
 くだんの男性はやけに落ち着いていたけど、恥ずかしくないんかなあ。もっとも、デフォルトのピーピーピーという音に比べたらユーモラスで場が嫌な雰囲気にならんという利点はあるんやけどね。

12月12日(日)

 最近よく聴くCDが、大野雄二作曲のサントラ盤で、「犬神家の一族」「キャプテンフューチャー」「ルパン三世 カリオストロの城」などなど。曲自体が和風であってもアレンジがフュージョンで、さすがに今風とはちがうけれど、聴いていておしゃれでかっこいいのですね、これが。あの頃は「なにかというと大野雄二かあ」などと偉そうなことを言うてましたが、わかってなんだんやなあ。
 もっとも、「キャプテンフューチャー」の主題歌「夢の船乗り」「ポプラ通りの家」は私のエヴァー・グリーンでありまして、飲み会でカラオケに行ったりしても、SF系の人といっしょでなくてもこれらを歌わずにはいられんのです。「カリオストロの城」の主題歌「炎のたからもの」も聴いているとなんか胸が熱くなる。私の高校生の頃に聴いた曲ですわ。あの時期に好んで聴いたものは、今でも色褪せんもんなんかもしれん。「ルパン三世'80」のアレンジはあの頃も「ルパン三世」のテーマのアレンジとしては一番しゃれてると感じてたけれど、じっくり聴き直すと音の作りが非常に贅沢なんがわかる。テレビサイズのアレンジやない。
 結局はどれだけ手間ひまかけてるか、なんでしょうね。売れっ子でいろんな仕事を集中してやってても、手を抜いてへんのが聴こえてくるわけです。
 というわけで、今の私の「マイ・ブーム」は25年前の大野雄二であります。「犬神家の一族」は特に絶品ですぞう。

12月13日(月)

 三村美衣さんより著書「ライトノベル☆めった斬り!」をいただく。ありがたいことです。というだけやないのです。私なんかよりもよっぽど活躍したはる書評家であるにもかかわらず、著者名としてその名義がクレジットされた本としては初めてなんやないかなあ。私の記憶に間違いがなければ初めてのはず。彼女くらいのキャリアであってもそうやねんから、書評家の仕事というのはなかなか大変なもんやなあと、自分の立場も忘れてそう思う。
 しかも、この本は大森望さんとの対談という形で作られてるわけやから、これまで彼女がやってきた仕事は、いわば出版物という形態では雑誌のバックナンバーを掘り起こさんと読まれへん状態なわけですね。私は自分のやってきた足跡を少しでも残したいのでこのサイトで一部を公開しているわけやけど。彼女の場合はそうやない。彼女の書いたものは、軸足もしっかりしていて納得できるものがほとんどなんで、これを機会にまとまった形で出版されてもええんやないかと思う。
 書評は読み捨て。それでもええかもとも思うけれど、書評家の仕事を評価する場というのは限られてるわけやから、せめて出版というような形で評価されるべきやないかと思う。私はともかく、彼女のような優れた書評家については、特にその念が強いのです。

12月14日(火)

 6月12日に続いて、図書委員の生徒といっしょに書籍取次店のブックセンターへ行く。前回と違い、今回はけっこう余裕をもってセンター内を見てまわれた。書店員の方ならば見慣れた光景なのかしれんけれど、私のような者にとってはいろいろと興味深い。
 存外、在庫が少ないんやなあ、というのは、前回も感じたけれど、今回は特にそう思う。ベストセラーが思うたよりもストックがない。大型書店には平積みされてるような本が、取次ぎでは払底したりしている。今回、話題になっている本を何冊か探したんやけれど、意外に見つからなんだりした。
 探しにくい配列やなあというのは、特に今回は感じる。また、小さい出版社は棚自体がなかったりする。もっともこれは大阪屋の場合だけなのかもしれんが。日販や東販やとまた違うのかもしれん。今回、国書刊行会の本でちょっと図書室に入れておきたいと思うたものがあったんやけど、国書刊行会の棚がない! ううむ。
 けっこう無造作に本が並べられていて、私たちのように慣れていない者が本を探しているとひっかけたり汚したりしそうで怖いですね。本というのはかさばるもんなんやなあと再認識。
 いろいろとバランスよく本を購入。職権濫用かもしれんが、Jコレクションから何冊か選んで購入したりもした。うちの生徒が読むかどうか。ま、ここらあたりは賭けですな。せっかくやから、SF普及を少しでもしたいのです。
 今回は「生徒に読ませたい本」という視点で自分が読んで面白かったものを重点的に補充。それを高校生が楽しんでくれるかどうか。ちょいと心配ではあるけれども。

12月15日(水)

 コンビニで予約していたDVD「カンテーレ ハチエモンCM集」を購入。ハチエモン関西テレビのステーションキャラクターでありまして、一見可愛い系のキャラクターに見えるんでありますが、いろんなもんに変身したりするスポットCMのナンセンスさは他のステーションキャラクターにない個性を発揮しておるのでありますね。なによりも、とぼけたキャラクターでありながら、声がおっさんなんでありますから。東京の局ではこういう展開の仕方は無理やろうなあ。なにを考えとんねんというあほらしさで売るという発想はないんやなかろうか。関西のテレビ局のステーションキャラクターではテレビ大阪のたこるくんが全国的にも人気が高いわけやけれど、ただタコといっしょに踊っているだけのたこるくんもとぼけてて可愛らしいんやけどね。インパクトではハチエモンに勝たれへん。
 私は別に関西テレビのまわしものやないけど、このDVDはお薦め。特に一度もハチエモンCMを見たことのない他の地方の方々にはぜひ見ていただきたい。いやほんま。強烈やねんから。製作はあの大阪電通。センスが違う。

12月16日(木)

 書店で「頭がよくなるモーツァルト」というようなCDつきの本を見かけるたびに思うんやけど、モーツアルトの曲がいかにすばらしかろうと、演奏次第ではなんじゃこりゃというものになるということかてあるということを考慮してるんかしらん。
 例えば、古楽器というてモーツアルトの生きていた時代の楽器を復元したもので演奏された曲と、現代の楽器で奏でられる曲では、手触りそのものが違う。同じ曲ではあるんやけど、聴いていて受ける印象はかなり違う。さらに、新進気鋭の奏者が奏でるエネルギッシュな演奏や、練達の大家がつむぎだす奥行きのある演奏とを比べると、これまた曲のイメージが違ってくる。あまりうまいとはいえないけれど全身全霊で演奏されるものと技巧的にはすばらしいけれど全く感銘を与えない演奏というものも存在する。
 クラシックの音楽を楽しむというのは、つまりは同じ曲が演奏家によってどのように違っているかを楽しむということでもある。そして、音楽というのは何かのためになるから聴くんやなしに、聴くということによって自分の感情に何かを与えるということやないかと思う。そやから、自分の気に入った演奏を聴くことで心身をリフレッシュさせたり感動を呼び起こしたりする。モーツアルトやったらなんでもええというような性質のもんやないと思う。
 正直、クラシックをふだん聴かない人がこの手の本に収録されている演奏を聴いたからというて、それがその人の好みにあうかどうかはわからんのやないやろうか。そういうところを無視して、モーツアルトの音楽を聴くと脳波にα波が増えるというように単純に割り切れるもんなんやろうかと思うのでありますね。
 そして、この手の本の付録のCDを聴いた人が、もっといろいろな演奏を聴き比べてみようとCDショップに足を向けるかどうか。たぶんその可能性はあまり高くないのやないかと思う。
 こういう聴き方をされるという音楽は、なんというのか不幸な音楽やないかなあと感じたりするんでありますね。

12月17日(金)

 ここ2週間ほど、公私ともにいろいろと精神的にきついところがあって、この日記に書くわけにはいかんというようなことでもあり、しんどいなあ、朝起きられんなあと思うていた。
 今日、エレベーターにのって鏡を見たら、うわ、かなり白髪が目立つ。白髪は確実に増えとるやん。妻によるとこういう時にできた白髪は気持ちが安定してももうもとには戻らんらしい。
 酒を飲んでうさを晴らすのは好きやない。博打はもとより打たん。女遊びできるほど粋でもない。結局ビデオを見たり本を読んだりCDを聴いたり。ああ、いつもと変わらんやんか。
 こういうストレスを創作にぶつけたらええもんが書ける、というわけでもないように思うけど、別世界に遊んで気持ちを変えるというのはええ方法かもわからんな。
 いやあ、白髪が増えるというのは、ストレスがたまってるのを目のあたりに見せつけられて嫌やね。なにとぞこれ以上増えませんように。

12月19日(日)

 今日は「たちよみの会」。校正刷りをチェックしていたら、京大SF研の大澤さんが来てくれた。今月末に出る「S−Fマガジン」では「京都SFフェスティバル」のレポートを書いてはるそうです。楽しみ楽しみ。

 校正刷りをチェックしていて思う。私はこれまでそれなりにいろいろな編集者と仕事をしてきた。校正刷りが出る前の段階で、編集者の方から連絡をもらい、いろいろとアドバイスを受けながら原稿を直したりしてきた。校正刷りが送られてきた段階では、誤植などをチェックするだけでいいという状態になっている。それが当然やと思うてきた。時には字数がオーバーしたりしてそれを削って調整してほしいという状況のものもあったりする。その場合は、私の裁量で改稿をする。そして、編集者の方も全面的に私に任せてくれる。
 これは、信頼関係があるからやね。そして、その信頼関係を作り上げるまでには、時には自分の主張を通したり、時には相手の主張に納得をしてそれを全面的に受け入れたりしてきた。原稿というものは、そういう信頼関係をもとに共同で作り上げていくものやと思うし、そうやってできた原稿には私自身も満足ができる。
 そういう意味で、編集者さんとの関係は非常に大切やと思う。私のような三文零細書評家でもそう思うんやから、作家の方たちとなるとよけい重要なんやろうなあと思う。

12月20日(月)

 高知競馬の今年度の赤字は7920万円なんやそうですな。前年度がハルウララ人気のおかげで約8170万円の黒字やったというから、妙に帳尻が合うていておかしいね。だいたいブームのフィーバーのというやつはこれやから困る。それまでなんでもなかったものをねぶりつくしてしまい、ブームの去った後は死して屍拾う者なしという状態になる。25年ほど前の「マンザイブーム」がそうやった。面白くなりかけていた漫才コンビが過剰に消費され、ブームが去った後は刀折れ矢尽きた形でコンビ別れをしたりしてしもうた。
 だいたい競馬で勝たれへん馬に人気が集まるということ自体けったいなことやなあと思うていたけれど、その馬を追いかけて高知までいった人たちは、地方競馬の魅力も何も感じとろうとしないままに日常生活に戻っていったんやねえ。それでええんかと思う。
 なに、今「ヨン様」を一目見ようとして怪我したりした人も、来年の今ごろは「そういえばヨン様はかっこよかったわねえ」てなことを言いながら遠い目をして茶でもすすってるに違いない。韓流ブームが本当の意味で日韓の交流を促進するものになるとは私には思われんのですね。ブームとはつまりそういうもので、決して信じてはいけないものなんですよ。


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