ぼやき日記


6月11日(土)

 青山学院高等部の入試英語問題で、「ひめゆりの塔」の語り部の気分を害する文章が出題され、学校関係者による謝罪が行われたという新聞記事を読んだ。
 記事によると、その例文は「防空壕を見て衝撃を受けたあとで語り部の方の何度も繰り返されているであろう語りには感動できなかった」という主旨のもんやったらしい。
 語り部の方は、自分たちの思いを理解してくれなかったことが悔しいという意味のコメントを出しているけど、私にはなにかひっかかるところがあるんやなあ。
 語り部によって戦争の記憶が風化せんようにして行くのは大事なことやと思うし、それを否定する気はあらへん。ただ、この例文を作った教諭は、自分がほんまに感じたことをベースにしたという。それに対して抗議したりするのは筋違いやないかと思う。語り部の証言をどう受け止めようと、それは個人の自由やしなあ。語り部の方たちは、自分たちの思いが伝わらなんだと相手を非難する。自分の語りがうまくなり過ぎて、人に感動を与えられんようになったかしれんという視点を欠いている。
 自分の言うてることが、思い通りに伝わらんなんていうことは、普通の社会ではあたりまえ。そこをうまく伝えるにはどうすればええんか。自分を絶対正義の立場において物事を進めたんでは、多くの人々を犠牲に追いやった戦争指導者と変わらんのやないかな。極論過ぎるかもしれんけれど、ねえ。

6月12日(日)

 1日24時間あるとして、今日は半分に近い10時間ほどテレビを見ていた勘定になる。中に30分の番組を一気に3本続けて見たり、2本まとめて見たりというようなものもあったりして、それをここにずらずらと書き並べてもええんやけれど、書き始めたらいささか恥ずかしくなってきたんで、書くのはやめ。こうなるとHDDレコーダーに追いまくられているという感じになるなあ。機械に使われていてはいけません。チャップリンも映画「モダンタイムス」で笑い飛ばしてるやないですか。あの映画でチャップリンが自動食事装置みたいなものの実験台になる場面があったと記憶しているんやけれど、今あれを見たら、たぶん笑われんと思う。今日の私はそんな感じやったからね。
 それにしても10時間もテレビを見たら、さすがに疲れるね。ああしんど。われながら自分はもしかしたらアホと違うかと思いますわ。

6月13日(月)

 5月19日の日記に書いたように、いよいよ教育実習生を受け入れ。私自身、指導するのは初めてなんで、できる限りのサポートをしてあげたい。
 というのも、私が教師になりたいと思うたのが教育実習の時やったからね。
 それまでは資格だけでもとっといたらという気持ちやった。ところが、指導教官が実習2日目で病気で長期休業にということになってしまい、講師の先生が新しく来るまでのつなぎみたいなことになってしもうた。新しい指導教官は、高校時代にお世話になった世界史の先生。この先生が生徒指導部長で忙しく、授業を見てくれたのも1回かそこらだけ。その分、責任を感じながら緊張感を持って授業がでけた。高校時代の担任の先生のクラスに入り、生徒たちといろんな話をしたりしていると、ものすごく楽しかった。実習期間が終ったあとも、文化祭に遊びに行ったりして交流を深め、クラス会にも呼んでもらえるようになった。「先生」と、まだ大学を卒業もしてへん(6年まで留年したもので……)私に呼びかけてくれる。これはほんまもんの教師になるしかないなあと思うようになってきた。そのうちの1人は、今は結婚して母親になっているけれども、今でも年賀状をくれる。それが嬉しい。
 というわけで、今では塾講師の時代を含めると19年間も「先生」と呼ばれる仕事をしているわけです。教育実習がなかったら、今の私はないと、これだけは断言できる。
 今回の実習生にも、そういう思いを持ってもらえたりしたら嬉しいなあと思う。そやからというて病気で倒れるわけにはいかんけどね。
 さあ、これから2週間。忙しくなるけど、ええ実習期間を援助してあげたいなあ。

6月14日(火)

 左肩がパンパンに張って痛いくらいです。なんでこんなに肩がこっておるのか。97人分のテスト答案を2日間で一気に採点したから? いやいや、今までそんなんでこんなに肩が張ったことはないぞう。妻に肩を揉んでもらう。左側の背筋が鶏のささ身みたいな感じではっきりと張っているらしい。骨も少しずれているのか、左肩が少しばかり上がってるそうな。体が歪んでますねん。それで毎日だるいんか。
 今週末は野球中継もあらへんし、マッサージ店に行って揉みほぐしてもらおうかな。
 別にオーバーワークというわけやないとは思うけど、仕事で受けるプレッシャーやとか、そういうもんがあるんかもしれん。もともとプレッシャーに弱い方やからね。芸人さんやないけれど、毎日人前におのれをさらして仕事をしてるわけやし。昔は芸人さんにも憧れてたけれど、私のような性格やったらつぶれてたかもしれんな。
 というわけで、暇を見つけては肩をまわしたり上げ下げしたり首をまわしたりしてほぐしています。動かすたんびにかすかにコリコリポキポキ音がしてるぞ。コッキコキのポッキポキと調子にのって首をまわしていたら、バキッと大きな音がした。あいたたた。無茶をしてはいけませんね。
 このところ汗はシャワーで流してたけど、今日は風呂に入って血行をよくしよう。肩こりがましになったらイイナ。

6月15日(水)

 体には疲労物質なるものがたまるそうです。じとっとした汗をかいても、その物質は排出されへんのやけど、運動なんかをしてさらさらの汗をかくと疲労物質が体内から流れ出るんやそうです。スポーツのあとの汗が気持ちいいのは、そのためなんやそうです。
 ここまで妻の受け売りです。
 で、昨日、日記を書いたあと、風呂に入り、体の芯までぬくもって汗をがんがんにかいた。さらさらした汗がぼたぼたと落ちる。なんかええ気持ちやあ。
 ここ数日寝覚めが悪く、予定よりも1時間くらい遅く起床する日が続いていた。ところがやね、驚いたことに今朝は目覚ましの時間通りに起きられ、実に軽やかに体が動くし、眠気がぶり返してこない。入浴効果がさっそく出たみたいや。肩の張りも心なしかましになってるように思うし。
 夏になるとシャワーですますことが増えてくるけど、風呂の効果とは比べ物にならんね。週に1回は風呂に入って疲労物質排出に励むとするか。

6月16日(木)

 家に帰ったら、妻に怒られた。
 昨日の日記の書きようでは、妻が何もものを知らんようにとられるというのですね。
 スポーツで汗をかいても、疲労物質は排出されへんのやそうです。運動のあとにすっきりするのは、それによってストレスが発散されるからなんやそうです。
 いかに私が人の話をええかげんに聞いているか、ということですね。

 明日はいよいよ教育実習生が初めて授業をするのです。今日も、授業の内容について質問され、それに対して自分なりにアドバイスをしてました。実習生の緊張が何やしらん私にまで伝染してきたね。
 今日は風呂に入ってしっかり汗を流して、心身ともにリラックスして明日に臨むことにしましょう。

 タイガースとライオンズの試合を見ていたら、「おかわりくん」こと中村内野手にホームランを打たれて負けてしもた。そやのに、あんまり悔しくないのは、中村選手の持つ独特のユーモラスな雰囲気のせいかもしれんなあ。こういう選手はジャイアンツには出てこんね。というよりも、高校出のええ素質を持った選手がいてても、ジャイアンツではまず一軍で使うてもらわれん。そのくせよそのチームから大枚をはたいて大物を獲得したりする。それではチームが活性化せんわな。なんやかんやといいながら、タイガースには自前で育てた選手がちゃんと戦力として活躍してるもんね。
 ナベツネ氏はそういうところは見ておらんのやろうなあ。ジャイアンツが今年こんなに負けているのは、監督のせいだけやないと思う。よそのチームの主力を引っ張ってきては若手のやる気を失わせ、チーム全体から活気を奪ったから、勝たれへんチームになったんやないかと思うね。
 それにしても、「おかわりくん」はまるで1950年代の月刊少年誌の「ゆかいまんが」に出てくるような雰囲気の選手やね。山根赤鬼さんあたりが作者で、タイトルもずばりそのまま「おかわりくん」。貴重なキャラクターでっせ。つぶさんように大事に育ててや、と思いながらテレビを見ていた。まあ、ライオンズやったら大丈夫かな。

6月17日(金)

 昨日の書きようで、私が疲労物質についてほとんど理解してへんということを妻に看破された。疲労物質については、ここここに書いてある通りです。風呂でかいた汗が疲労物質を流し出すというわけやないのです。私が無知やったんであって、妻は正確な知識をもとに私に話をしているのです。お間違えのないように。

 イタリアの指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニさんの訃報に接する。享年91。死因は不明やそうやけれど、まあ年齢からいうても天寿を全うしたという感じやね。
 ジュリーニとくればオペラということになるんやろうけれど、私はオペラにはあまりくわしくないんで、そちらについては他の方に譲るとしましょう。私の愛聴盤はベルリン・フィルを振ったベートーヴェンの交響曲第9番や、ウィーン・フィルとのブラームス、ブルックナーの交響曲、シカゴ響とのマーラー交響曲第9番やシューベルトの未完成交響曲、というところ。いずれもゆったりとしたテンポやのに、重苦しくならず、味わいのある演奏になっていて、そういうところが好きやったのです。
 録音も若い頃から活発に行っていて、同じ曲を若い頃から晩年まで年齢に応じてレーベルを変えて再録音していた。なんでも録音するというわけやない。そやけど、一定の曲ばっかり振る頑固ものでもない。巨匠、というほどものものしくない。でも、うわべだけなぞるような演奏は残していない。
 熱狂的なファンによって神格化されるということもなかった。地味な演奏はないけれど、派手な話題もない。と、ここまで書いて、ジュリーニの非凡さを感じたりするのですね。こういう指揮者はそうそう現れんやろうなあ、と。
 というわけで、お気に入りの未完成交響曲を聴きながら、その静かにゆったりと流れる時間を味わいつつ、ええ指揮者やったなあという思いを新たにしたのでありました。
 謹んで哀悼の意を表します。

6月18日(土)

 昨日の帰りに買うたCD2枚。いずれもテレビ番組のサウンドトラック盤です。1枚はアニメ「英國戀物語 エマ」、1枚は特撮「仮面ライダー響鬼【音劇盤】」ですわ。どちらも音が的に質が高い。「エマ」は同じテーマをさまざまに編曲し、アコースティックな響きを堪能させてくれる。「響鬼」は音を聴くだけでテレビの場面がまざまざと蘇ってくる。それだけ番組の中で効果的に使われているということでもあるし、ひとつひとつの曲の作り方がていねいであるということでもあるやろう。
 作曲は前者が梁邦彦、後者が佐橋俊彦。ええ仕事をしているなあ。近年、アニメやドラマというても、音盤として完成度の高いCDがよく出ているけれど、今回の2枚もそうやね。この前は上野耕路の「ファンタジック・チルドレン」のサウンドトラックが非常によかったけれど、こうやって半期ごとにええサウンドトラックCDが出てくるのは楽しみが増えてええことですな。

6月19日(日)


 この日記は林譲治さんの日記ではありません。

 今日は「たちよみの会」6月例会。15時30分になっても人がこなんだので「今日は私一人か……」と心配したけど、なんとか京都SFフェスティバル実行委員長のRさんが来てくれはって、やれやれ。ちょうど読み終えたところの本の話やなんかをする。「丸善」からは東京から帰ってきたばかりのOさんも合流。夕食を取りながら、東京のSFセミナー宴会のみやげ話を聞く。写真は木屋町沿いの小学校跡でひなたぼっこをする猫。なんか我が家のリビングでごろごろしている私たち夫婦みたいなのでつい撮影。来月は両名ともSF大会に参加するので来られんとのこと。うーむ、どなたかSF大会に行かん方で来られる方はいてませんか。
 散会後、CDショップで「ケロロ軍曹」の主題歌「全国無責任時代」「勝手に侵略者」のシングルを購入。ガガガSPはこれまで聴いたことがなかったんやけど、昭和の香りのぷんぷんする絶叫ロックで、しかもクレイジーキャッツにかなり傾倒してるみたいなんで、興味が出てきた。TUTAYAで何枚か借りてみて、気に入ったら購入してみようかな。
 書店ではついつい大量に本を買うてしまう。ここのところの読書ペースを考えると、こんなに買うて大丈夫なんかいと自分自身にツッコミをいれてしまいそうになった。ええい、読んでやる。意地でも読んだるでえ。
 ああ、なんか今日の日記はほんまに「日記」という感じやなあ。たまにはこういうのもありということで、どすか?

6月20日(月)

 JR福知山線が運行再開。運転手も車掌もさぞかし緊張したことやろうね。遺族の方々は運行再開に完全に納得してへんということやそうやけれど、1日も早く運行再開を望んでいた乗客も数多くいたはず。こういう時に各種報道機関が遺族の視点をことさらに強調して感情的な報道をするのはどうかなあ。
 むろん、私が遺族やったら再開された路線には乗りたないと思うやろうし、JR西日本の対応に不満を感じもするやろう。そやけど、遺族が運行再開に納得がいかんのと同じくらい、運行ストップのままに納得がいかん利用者もいてるわけで、そのバランスを欠いた報道は、もはやジャーナリズムとはいわんのと違うかな。
 もっとも、喉元過ぎれば熱さ忘るというのがニッポン人気質といわれるから、私が今後報道機関に望むのは、JRがもとのような安全よりも効率という運転にいつの間にか戻ってしまわんようにチェックをし続けてくれることですわ。1年後に思い出したように追悼記事を載せていかにも正義の味方でございなどというスタンスをとるというようなことだけはせんといてほしい。
 JRが安全重視の運転を続け、報道機関がそれを常に確認しつづけることこそが、犠牲にならはった方たちへの最大の供養となるのやないかと思う。


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