ぼやき日記


12月11日(日)

 飛浩隆さんが短篇集『像られた力』で日本SF大賞を受賞したとのこと。おめでとうございます。私がまだ学生やった頃に初めてお会いして以来、長年のブランクはあったものの、ずっと書き続けてきはったからこそこの栄誉があるんやね。
 私も毎日のようにこうやってぼやき続けてますが、どなたか大賞をくれませんか。無理ですね。同じ続けるにしても、もっと実のあることを続けてなあかんわな。ほんまに。
 私のことはどうでもよろしい。飛さんのことです。「SFマガジン」の「ショート・ストーリー・コンテスト」でデビューしはって、何作かの短篇を発表しはった頃に、京都SFフェスティバルか星群祭かどちらか忘れたけれど、とにかく京都で行われたローカルコンベンションの合宿でご挨拶した時から、ずいぶんたっているのに、あまり大きく印象が変わらん方です。貫禄をつけたがったり、偉そぶったりしないというところに飛さんの人徳というものを感じるのですね。
 作風は精緻で、感受性が豊かなものやし、こういう短篇をかける人はなかなか出てこない。貴重な人材やと思うから、今回のように高い評価を受けたのはすばらしいことやと思う。
 心からお祝したい人の一人ですね。

12月13日(火)

 昨日の忘年会は楽しいお酒。アルコールが入って、教育論を熱く語る同僚もいて、すごいなあと感心したりする。いやいや、感心ばかりしてたんではあかんのですがね。

 今朝の朝刊によると、今年の「M−1グランプリ」の決勝進出者が発表されていた。本命は、笑い飯、対抗に麒麟、南海キャンディーズというところがあげられていたけれど、私は決勝初挑戦の女性コンビ「アジアン」が、対抗馬としては面白いと思うている。このコンビ、「間」がええんです。2人の体格や容貌のコントラストを生かした細かなギャグがツボにはまれば、意外に上位に食い込むんやないかと思う。
 久しぶりに現れたしゃべくりの達者な女性コンビなだけに(海原やすよ・ともこ以来、これという女性コンビがあまり見あたらなんだもんなあ)「アジアン」にはかなり期待してる。ダークホースとして注目したいところですね。あとは雰囲気に呑まれへんことか。年末が今から楽しみになってきたぞ。

12月14日(水)

 今日は午後から生徒たちの施設実習の付き添いで、冷え冷えとした気候のもと、自転車で淀川を越える。橋の上は強い横風が吹きつけて、寒い冷たい苦しい助けて。しかも坂道が多いもんやから、普段運動してへん身にはかなりこたえる重労働。施設についた時には、体は寒風に吹きつけられて冷えているはずのに、運動をしたもんやからどんどん汗が出てくる。体は熱いが気温は寒い。室内に入ったら暖房がきいていて、かいた汗が乾かんだけやなく、中途半端に冷えてきてこれまたこたえる。やっとこさ汗疹ひいて落ち着いてきた頃に、生徒とともに学校へ帰る。また淀川越えや。帰ったらすぐに担任クラスのショートホームルーム。汗をしたたらせつつ放課後に突入。また学校という建物は暖房が切れたら冷え込むようにできてるんや。汗をかきながら寒い寒いと震えているんやから体にはようない。
 仕事が終ってようよう帰宅したら、下腹が気持ち悪くなってきた。おなかが冷えてぴーぴーですわ。首筋に貼っていたカイロは汗ですぐにはがれるし、いやもうほんまに難儀しました。
 寒いのに熱くて汗が冷えて寒くて、これでは体温調節もなかなか大変だ。さぞかし体がびっくりしたことやろうなあ。変温動物の私にはたまらん1日でした。

12月15日(木)

 今日の私はきな臭い。
 いやなに、午後からのホームルームで生徒たちとレクリエーションをしたのですが、私が担任をしているクラスでは、焼き芋をしたのですね。バーベキュー用のコンロで炭をいこして、いこってきたら、濡れた新聞紙とアルミホイルでくるんだサツマイモをどんどん入れていき、その上から落ち葉をたっぷりかぶせる。1時間ほどで蒸し焼きにしたサツマイモがほくほくの状態で完成した。焼き立てあつあつの焼き芋はおいしいね。生徒たちも楽しそうにレクリエーションの時間を過ごしていた。
 私は防火の責任もあるんで、ほとんどコンロに貼りついていた。おかげできな臭くなったというわけ。
 帰宅したら、妻が「お風呂の匂いがする」という。帰ってすぐに石鹸で手を洗ったからかと思うたが、実は妻の実家は昔は薪でお風呂をたいていたのですね。木の焼ける匂いがただようと、風呂の時間ということやったという。妻にとっては焚き火の匂いはお風呂の記憶につながってるというわけやね。私の実家はずっとガス風呂やったから、ガスが燃える時に出る独特の匂いがお風呂の記憶につながってくる。もっとも、最近のガスは天然ガスで昔の都市ガスの匂いはしないから、ガスコンロをつけても風呂の記憶を呼び起こさんのです。
 というわけで、今日の私はお風呂の匂いなのです。

12月16日(金)

 プロ野球オリックスバファローズ前監督、仰木彬さんの訃報に接する。死因は肺ガンによる呼吸不全。享年70。
 ついこの前までユニフォームを着てグラウンドに立ち、チームをAクラスまであと一歩のところにもっていくという力量を見せてくれていただけに、この訃報はショックが強かった。まさか、なんで、という感じがした。
 子どもの頃の記憶では、仰木さんは近鉄バファローズの三塁ベースコーチという印象の方が強かった。監督が西本幸雄さん、関口清治さん、そして岡本伊三美さんと変わっていっても、三塁ベースの横では仰木さんがサインを出していた。
 そんな仰木さんが監督に就任したのは、バファローズの大エースやった鈴木啓示さんを監督にするまでのつなぎという役割が求められていたからやったと記憶している。ところが、この人はそんなつなぎの座に甘んじる人やなかった。西本監督退陣後、優勝に縁のなかったチームをみごとに闘う集団にし優勝させたほかに、のちに米メジャーに移籍する野茂英雄投手の力をあの個性的なトルネード投法をいじることなく開花させたりした。それだけの力を持ちながら、鈴木監督就任にあたり、あっさりと身をひく。近鉄バファローズ衰退の遠因がここにあったというと極端かもしれんが、これだけの名監督を結局当初の予定通り「つなぎ」として扱うた近鉄球団もすごいなあ。
 1年おいてオリックスブルーウェーブの監督に就任した時は、「近鉄では長年コーチをしていたから監督として成功したんであって、いきなり別のチームの監督になって通用するのか」とさえ言われたのに、二軍でくすぶっていた鈴木一朗外野手に「イチロー」の登録名を与え、レギュラーに抜擢した。震災で苦しむ神戸の人たちを励ますように2年連続の優勝を決め、2年目には日本シリーズ優勝という栄冠に輝いた。
 仰木さんのすごいところは、球界改革騒動の中でブルーウェーブとバファローズが合併した時に70歳にしてなおも監督の座を引き受けたことやね。寄せ集め集団をまとめあげ、一つのチームにしたんや。まさしく「仰木マジック」。しかも、病魔は仰木さんの体をすっかり蝕んでいたのに、それを決して外には見せなんだ。普通でけへんよ、これは。命を削って監督をやってはったんや。それもこれもオリックスが近鉄バファローズを吸収合併するということがなかったら監督の座につくことのなかったはずですわ。つまらん合併が一人の優れた野球人の命を奪った、とまでは言わんけど、言いたくもなるよ。
 野球という競技に「演出」の要素を意識的に加えていくことのできる数少ない監督の一人やった。応援企画を演出するんやない。プレーそのものの面白さを「演出」できるということやねんな。野球の楽しみ方を実戦の中でファンに教えてくれた、それが仰木さんという監督のすばらしいところやった。
 とうぶんこういう「魔術師」系の監督は出てこんやろうと思う。仰木さんのおかげで、ずいぶん野球を楽しませてもらえたもんなあ。
 実は、星野仙一さんがタイガースの監督に就任せなんだら、仰木さんがタイガースの監督になっていたかもしれん。タイガースのユニフォームを着た仰木さんも一度見てみたかった。いやいや、仰木さんはパ・リーグ一筋の方がよかったんや。それで、ええんや。
 謹んで哀悼の意を表します。

12月17日(土)

 怖いもの知らず、というのはこういうことかなあ。
 女子フィギュアスケートのグランプリ・ファイナルでの浅田真央選手ですわ。世界最高の舞台の一つでしょう。1日眠るごとに伸びているというのか、のびやかで勢いのある、思わず注目してしまうような、そんな凄さがある。
 15歳やもんなあ。中学生やもんなあ。若いというか、ほんまはまだ子どもというか。いや、それやからこそあれこれと不要なことを考えずに演技ができるんかもしれん。そやから、4年後の冬季オリンピックの時に、今みたいな演技ができるかどうかはわからん。というよりも1年後にどうなっているかも予想でけん。このあと押し寄せる取材の波というものをどうかわしていくか。注目されることをどう受け止めていくか。
 15歳の今やからこそできる演技というものがあるんやないかと、素人の私でも感じるもんな。フィギュアスケートというのは競技寿命の長いものらしいから、ここから先が長いわけやしね。彼女がどう変わっていくか。ただ、マスコミには、これだけの逸材なんやから大事に育てるというような方向でとりあげていってほしいものです。つぶさんといてや。

12月18日(日)

 今日は「たちよみの会」例会。師走の忙しい時期なんで、参加者は少ないやろうなあと予想してたけれど、今日も私一人という状況でありました。まあ、たぶんそうなるかなと覚悟はしてたから、読書をじっくりできはしたけどね。
 それにしても京都は寒かった。粉雪がちらついていたもんな。喫茶店にこもったり書店に入ったりしてたから、そこそこ暖かく過ごしはしたけれど、外に出るとてきめんに寒い。大阪は風が強くて寒かったけど、風がない時の空気そのものは京都ほど冷たくなかった。京都は気温自体が低く、腹の底からじんわり冷えていく感じがしたな。
 大阪の梅田のナビオ阪急の前あたりでは黄色いサンタのコスチュームを着た若い女性が携帯電話の広告を配っていた。このコスチュームがミニスカート式で、寒風吹きすさぶ中ずっとあそこに立って「フォーマ902ですー」とやってるんだ。あれは寒いで。私はパッチをはき重ね着をしという完全武装やったけど、それでも寒かった。いくら若いというても、あの仕事は酷やで、ほんま。また黄色いサンタというのは恥ずかしいくらい目立つんだ。たぶんアルバイトやと思うけど(契約社員かな?)、あの服を渡されて「これを着て立って」といわれた時は嫌やったんと違うかなあ。バイトとして、時給をはずんでもらわんとやってられんで、あれは。正社員にやらせてるんかなあ。その方がバイト代を上げるよりも率がええかもしれん。
 いらんことばっかり気にかかる、寒い寒い日曜日でした。

12月19日(月)

 今日放送のアニメ「ブラックジャック」は、コインロッカーに捨てられた赤ん坊をスケ番が育てる話で、先週予告で見た時から気になっていた。というのも、1970年代後半に書かれた原作では、コインロッカー・ベビーもスケ番も時事ネタやったから成立した話やと思うからですね。ところが、そこから30年近くたっている現在、これを映像化するのにどこまで説得力をもたせられるかというところがミソやないかと思うた次第。
 スケ番はお嬢さん学校に通う不良という感じの設定になっていた。そうかて、みなりがきちっとしすぎてるんやもんなあ。スカートが短いくらいで。ブラウスの第一ボタンまでぴちっとはめて、胸のリボンは全員同じものをきちっとしている。不良やなかっても、校則違反をあえてするような子はもっとだらしないかっこうをしてるよなあ。
 コインロッカー・ベビーは突発的に起きた事件という感じで処理してあって、まあこれは違和感なく見られたな。
 それにしても、数多いエピソードの中からわざわざ時事ネタを扱ったものを選んで映像化したのは、時事ネタではあっても手塚治虫の訴えるテーマには普遍性があるということを強調したかったからかな。それよりも「ダーティー・ジャック」やとか「ふたりのピノコ」みたいな(私にとっての)名作が映像化されず、原作の中ではあまり目立たん時事ネタが選ばれたりするというあたり、作品選定規準がどうなっているのかを知りたいところではあるね。

12月20日(火)

 夜明けが遅いせいか、朝は思うような時間に起きられない。今朝なんか、なかなか楽しい夢を見ていて、その途中で目覚まし時計が鳴り、スイッチを切ったあとまた寝て夢の続きを見たくらいや。
 なんか、道場にいるんですね、私は。しかも高校生。道場の娘とは幼なじみらしい。そして、どうやらその子のことを好きらしい。で、道場主の家の手伝いみたいなことをしていたら、その娘ともう一人誰か(誰だか覚えてへん。ちゃんと設定はあったと記憶してるんやけれどね)と3人でいきなり免許皆伝を許されて、お猪口についだ酒を頭上に捧げて「献杯!」とやっている。それを飲まずに全員が庭にぶちまける。そこで目がさめた。
 私はだいたいどんな夢を見てもあんまり細部は覚えてへんのやけれど、今朝の夢は妙に細かいところまで覚えているなあ。たぶん、再度熟睡して起きるという眠りのパターンに逆らって無理矢理起きたからやと思う。そないせんと遅刻してしまうもんな。
 それにしても、私が好きやった道場の娘はいったい誰やったんやろう。今まで一度も会うたことのない顔やったんやけれど。夢をネタにした物語の構想はあるから、この夢なんか意外に使えそうな気がする。このままでは無理やけど。
 ほんまに夢というのは面白い。妻はけっこうドラマチックな夢を見て、それをしっかり覚えてて教えてくれたりするけど、その気持ちがちょっとわかるような気がした今朝の目覚めでありました。


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