ぼやき日記


10月9日(木)

 7月の末にインターネットに加入し、ネットサーフを始めた。8月には既に気に入ったホームページを見つけ、ページ作成者の方たちにメールを送りつけ始めた。9月には「ポストペット」をダウンロードし、見知らぬ人とのメールのやり取りを、ヴァーチャル・ペットを仲立ちにして楽しむようになった。10月にはいると、掲示板に書き込みを始め、自分の発言に対して反応がある喜びを感じている。
 書評に対する批評というのは、ありえない。いくら気張って本を読み、いろいろ考えて書いても、ファンレターが来るわけもない。しかし、自分の知らないところで評価されたり、反応があったりしていたんだということを知ると、要求はますますエスカレートしてくるようになった。
 かくして、ホームページを作りたいという欲求が生じてきた。つまるところ、私は自分のしていることを認めてほしい、目立ちたい、そういう人間である。そういう人間の行き着く先がホームページによる発信なわけだ。それは、誰もが持つ欲求だろう。でなければ、これだけ個人ページがどんどんできている理由を説明できない。
 幸い、私には商業誌という意見発表の場があった。しかし、そうでない人たちのほうが大多数なわけだ。同人誌の隆盛は現在も続いている。そして、個人ホームページ……。
 面白いページはたくさんあるし、今さら私がそれに加わったところで、はたして読者を獲得できるかわからん。でも、まあ、自己満足のオナニーのと言われてもええわい。いつ公開できるかわからんが、ぼちぼち作っていくことにする。
 そやけど、HTMLとかタグとか、ややこしいのう。ありがたいことにワープロ感覚でホームページを作ることのできるソフトがあるからええけど。

10月10日(金)

 風邪をひいている。熱がどっと出るわけではない。くしゃみ、鼻水、咳がこちょこちょと出、微熱が続き、体がだるい。運動不足もあるのかもしれない。妻も同じような症状で、ふたりして毎日「改源」をのんでいる。あまりきつい薬をのむとかえって、ふらふらしてしまうのだ。必要以上に鼻水や発熱を抑えてしまうので、喉がむやみと乾いたり、体温が下がりすぎたりするようだ。
 夜更かしもいけない。ホームページを作るために時間をとったり、メールを送ったり、掲示板に書き込みをしたりしていると、1時間2時間はあっという間に過ぎてしまう。翌朝は定刻に出勤しなければならないので、睡眠というより仮眠といったほうがいいような睡眠時間になってしまう。
 幸い近くにディスカウントの薬店があるので、「改源」も比較的低価格で買える。わが家の常備薬はまずなによりも「改源」なのである。
 そんなことをしているくらいなら、医者に頼んでブドウ糖注射を一本打ってもらったほうがよっぽど効くとは思うのだが。
 友人Yは「喜多君はいつも風邪ひいてるな」というが、風邪ひきが体質になってしまっているのだろうか。

10月11日(土)

 やっとというか、今さらというか、「もののけ姫」を見にいった。公開直後に大阪は梅田まで妻といっしょに見にいったのだが、立ち見の上に3時間は行列で待ってなければならないという盛況ぶりに、体力がついていけないと判断し、「どうせロングランになるだろう」と先送りにしていたのが今日になってしまったのだ。
 大阪はどうせ混んでいるだろうと、京都の「京極東宝」に行く。この映画館は3つの部屋に分かれていて、「もののけ姫」を上映しているのは試写室のようなこじんまりした部屋。
 幸いすいていて、ゆっくりと座って見ることができた。
 さて、映画についてだが、宮崎駿が「これで私は引退します」と言った理由がわかるような、いわば監督の集大成というべきものだった。私は、子どもの頃に見た「太陽の王子ホルスの大冒険」「長靴をはいた猫」「どうぶつ宝島」から、ずっと見てきているので、カットごとに「あ、これはコナン」「これはホルス」「カリオストロじゃ」などと思いながら見てしまう。いやな客やね。
 しかし、ラストにきて、結局宮崎監督は、これまでの自分の作品を超えることができなかったなあ、と感じた。こう言ってはなんだが、「もののけ姫」は日本を舞台にした「風の谷のナウシカ」ではないのか。人間はその存在が自然を食いつぶしていくものであり、自然との共生はできない。だったらどうしたらいいのか。自然のままに置いておくべきところには手をつけず、時々訪れて心を癒しにいけばよい。解決する方法は人間にはないのだ。とまあ、こんなことを言っているように思う。
 おそらく、宮崎監督は今後何を作っても、そこから逃れることはできないだろう。限界と言ってもいいかもしれない。私は、宮崎駿の最高傑作は「未来少年コナン」だと思う。あとは、その再生産である。
 とはいえ、この映画が凡作だというわけでは決してないよ。今のアニメーションの水準としては、最高のものを持っている作品だ。
 「もののけ姫」が「エヴァンゲリオン」みたいに論議の対象にならないのは、そのためではないかと思う。完結した世界につけ込むすきはないのである。
 それはそうと、「もののけ姫」サンを石田ゆり子が演じているが、最初、また島本須美が声をあてているのかと思った。宮崎作品のヒロインは、だれが演じても島本須美になってしまうのか。うーん。

10月12日(日)

 今日は、甲子園で、阪神タイガースの最終公式戦がある。相手は横浜ベイスターズ。去年も最終戦は見にいった。中西投手と木戸捕手のお別れ先発があったからだ。
 今年は、引退して打撃コーチとなる長嶋清幸外野手、戦力外通告を受けた御子柴進投手、猪俣隆投手、亀山努外野手のお別れ試合なので、奮発して一塁側内野特別指定席での観戦。亀山は3回裏に代打で登場(くわしくはここ参照のこと)、御子柴は6回表に登板、長嶋は9回裏、最後の打者として代打で出た。こうなると勝ち負けなんて気にならない。ひたすら彼等の出番を待って、出てきたら盛大に拍手を贈るのみ。
 試合終了後、勝った横浜の応援団は、タイガースナインがマウンドのところに整列してファンにシーズン最後の挨拶をしているのに、かまわずドンジャカドンジャカやっている。こんな失礼な話があるか。ベイスターズは嫌いなチームやないけど、応援団は嫌いになったぞ。
 亀山以外の3選手はお子さんから花束を受け取る。亀ちゃんは離婚してもうたんで、名コンビの新庄から受け取る。
 セレモニーが終り、感動の余韻を大切にしようと、すぐに席をたつ。タイガースの応援団の人たちは、一般の観客に「今年も一年応援していただき、ありがとうございました」てなことを言うとる。あんたらは球団職員か。まあ、それはいい。
 ライトスタンドの応援団は、なんじゃあれは。球場が感動に包まれているというのに、一画だけでトランペットを吹き鳴らし、今日スタメンで出た選手の応援歌をがなり、しまいにはバースや掛布の応援歌までやっておる。何を考えとんねん。今年最後の甲子園、騒げるのも今日限り。あんたらはほんまに騒ぎたいだけやねんな。そんな人は別にタイガースであろうとジャイアンツであろうと、どこでもええのやろ。それやったら千葉ロッテか日本ハムのファンになったり。そして、寂しいスタンドをにぎやかにしたり。
 せっかく胸がいっぱいになったのに、すぐに雲散霧消してしまった。なんともはや。

10月13日(月)

 ホームページを公開したら、メールをいただいたり、リンクの連絡を受けたり、ありがたいことだ。昨日の深夜にアクセスカウンターをつけたら、一日で60を超えるアクセス数になった。公開したばかりのホームページをそんなに多くの方が読んで下さるとは、ありがたいことだ。内容をほめて下さった方もいて、ありがたいことだ。
 「ありがたい」も三連発もしたら、ありがたみがないなあ。とにかく、ありがたいことを伝えたいのです。こういう時は感謝すべきことだ、とか、かたじけない、とか、言い回しを変えればいいのかな。いや、それではかえって相手をおちょくっているみたいだな。日本語は難しい。
 しかし、三連休だから、ここまでページを作ることができたわけで、さすがに昼に出勤していると、書き込みの時間がなくて困る。仕事をずる休みするという手もあるが、それもなんだか。帰ってきてメールチェックをすると、たくさんお便りがきているので、夕食の支度をしながら、ひじきを煮ているあいだにお返事を書く。あっという間に時間は過ぎ、妻が帰ってきたら夕食だ。
 しまった。本を読んでいる時間がないぞ。よく考えたら、大変なことを始めてしまったのかもしれないぞ。まあ、いいや。ぼちぼちやっていこう。先は長い。

10月14日(火)

 17時30分ごろ、夕立ちにあう。雷を伴ったかなり激しいもので、原チャリ通勤の私はずぶ濡れになってしまう。幸い上にウインドブレーカーを着ていたので、上半身はそんなにひどいことにはならなかったが、ズボン以下はずくずくになってしまった。やはり、雨合羽は常に携帯しておかねばなるまい。
 と、書いてきて、つまらぬことにひっかかった。今私は常に言い慣わしているように、「原チャリ(げんちゃり)」と書いたが、これは全国的に通用する言葉なのだろうか。
 私の愛車は、「ホンダ・ジョルノ」という排気量50ccのスクーターである。法律上は「原動機付自転車」、いうところの「原付」だ。関西では自転車のことを「チャリンコ」という。「原動機付チャリンコ」、略して「原チャリ」というわけ。もっと省略して「原チャ」ということもある。
 この「チャリンコ」であるが、はたして関西だけで通用する言葉なのか、全国区なのか。これが全国区だとしても、「原動機付チャリンコ」を「原チャリ」と呼ぶものであろうか。ここらへん、関西からほとんど出ることのない私にはようわからんのや。
 聞くところによると、名古屋では自転車のことを「ケッタ」というらしい。ならば、名古屋では「原チャリ」のことを「原ケッタ」とか「原ケッ」とかいったりするのだろうか。
 しょうもないことでも、一度ひっかかると気になってしかたない。どなたか教えていただけないものか。

10月15日(水)

 今朝の「日刊スポーツ」に角川春樹監督の映画「時をかける少女」の紹介が載っていた。昭和40年代を舞台にし、全編モノクロで制作されているという。主人公を演じる中本奈奈は、スチール写真を見るかぎり、独特のムードをもっていて、期待できそうだ。
 ところで、「時かけ」の映像化はこれで何度目になるんだろう。NHK少年ドラマシリーズの「タイム・トラベラー」やろ、原田知世主演の映画やろ、内田友紀主演のTVやろ。私の知る限りでは、4度目か。しかし、数ある「ジュブナイルSF」のうち、なんでこの小説ばかりこうも繰り返して映像化されるんやろ。やっぱり、「ラベンダーの香り」という言葉のひびきが美しいからかな。今読み返すと、登場人物の台詞の言い回しとか、かなり古くさいのだけれど。
 ところで、少年ドラマシリーズの「タイム・トラベラー」には、石山透のオリジナル脚本による「続・タイム・トラベラー」というのがあったはずだ。石山透自身が小説化したものが鶴書房から出ていた。どんな話だったか忘れたが、どこかで再刊してくれないかな。古本屋にもあまり出回っていないみたいだし。石山透でいえば、人形劇「新八犬伝」もNHK出版(日本放送出版協会)から出ていた。これは私はちゃんと持っているが、今読み返してもなかなか面白い。石山透が亡くなって久しいが、「プリンプリン物語」とか、面白い作品をたくさん書いている。どこか再評価する奇特な出版社はないものだろうか。とりあえず、「続・タイム・トラベラー」と「新八犬伝」だけでもいいからさ。

10月16日(木)

 藤岡信勝や西尾幹二、小林よしのりといった「自由主義史観」を唱える人たちが教科書問題で「正しい歴史を教えよ。今の教科書の記述は”自虐史観”によって書かれている」と主張し、特に「従軍慰安婦」の記述を求めている。これについては、どちらの主張が正しいという材料を私は持っていないので、意見を差し控えるが、軍が関与したという資料が残っていないことを理由にそれを主張するのは、少し根拠が弱い気がする。たしか軍は機密資料をかなり燃やしてしまっているからね。燃やした中にそういうものがもしあったとしたら、見つからないのはあたりまえだろうから。まあ、自分の知らないことについてはエラソーな口をきいてはいけないと自戒しているので、それぐらいしか言わないけど。
 でも、「従軍慰安婦」だから強気に出ていられる人も、「七三一部隊」が教科書に載るようになったら、やはり”自虐史観”というのだろうか。あれこそ、肝心の資料は建物ごと燃やしてしまい、残った重要な書類は石井四郎自ら米軍に売り込むために渡してしまったのだから。「資料がない」というのは攻撃の材料にはならんだろうし、「”マルタ”になった者は自ら望んで細菌の実験材料になったのだ」とは主張できないだろうしなあ。もしサヨクの人たちが「七三一部隊」で反撃してきたらどうするんだろう。他人事ながら、心配だ。
 いや、そんな話をしようとしたかったんじゃない。
 「自由主義史観」だろうと「自虐史観」だろうと、歴史の真実なんてものは解釈によってどうにでもなるのだ。だから、もっと正しい史観を唱えようという一派がいる。
 それは、私の友人で京都の老舗の若旦那のA氏である。彼の唱えるのは、「京都主義史観」である。私もこれを支持する。
 彼はこう言う。「薩長は維新の時に京都の町をようけ燃やさはったんやさかい、鹿児島県と山口県は京都市に補償をせなあかへんのとちゃいますか」と。説得力のある意見ではないか。私も言いたい。「お天子さんは、行幸の途中で江戸城にお入りやして、そのままお帰りやないのやから、日本の首都はまだ京都のはずやおへんか」と。なんと説得力のある意見だろう。
 「自由主義史観」も「自虐史観」も正しい歴史を教えてくれない。正しい歴史を教えるのは「京都主義史観」なのだ。
 (本気にせんといてな)

10月17日(金)

 10月15日にJR京都駅の新幹線下りホームにて二件続けて線路に人が降りて新幹線が停止するという事件が起きたと、昨日の朝日新聞の記事にあった。
 一人は28歳のアルバイト男性で、売店で弁当を買うために出した一万円札が風に飛ばされてホームに落ちたので拾いにいき、もう一人は43歳の土木労働者で、酒を買いに売店にいくために線路を渡ったのだそうだ。
 アルバイト男性は悪意がないので厳重注意にとどまったが、土木労働者は悪質なので「新幹線特例法」違反で逮捕されたとある。
 ここで私はこう思う。
「アルバイト男性にとっては、一万円は大金やもんな、しゃあないなあ。土木労働者か、どうせ酔っ払って真っ赤っかの顔してホーム渡ったんやろな」
 そして、汚れた作業服で競馬新聞片手にしたおっさんの顔を想像するという具合である。
 しかし、よく考えてみると、これはとても危険なことであるな。この肩書きという奴が出来合いのイメージでもって新聞記事を読ませてしまう。”土木労働者=土方のおっさん”というイメージ。赤ら顔で酒臭いおやじのイメージ。実際に見たわけでもないのに、そんな絵を想像してしまう。実際はスーツを着ていたかもしれないのに。
 人間というのは肩書きに弱いものだ。私の肩書きは世間一般には「教員」であるが、SF界では「書評家」、児童文学界では「新人童話作家」ということになる。そして、それぞれの世界でその肩書きを使い分けているわけだ。
 このページを読んでいる人は、私に対してどのようなイメージを持つのだろうか。そう考えると、”土木労働者=土方のおっさん”という紋切り型のイメージを持つようなまねはしてはいかんのやないか、と思う。
 しかし、新聞記事はこわいなあ。こういう肩書きでポンと投げ出されたら、ついつい紋切り型のイメージで読んでしまう。そんな風に読んでしまう私に問題があるといわれればそれまでだけど。ちょっと極端だが、「松本サリン事件」で最初に容疑者として扱われた人物のイメージも、新聞紙上では「なにやら怪しげな薬物を家でいじっている男」ではなかったか。

10月18日(土)

 14日の日記で「原チャリ」について書いたところ、いくつかメールをいただいた。関東および、四国、広島方面では「原チャリ」は通用しているようである。関西方言はかくして標準化していくのだね。吉本興業木村常務の唱える「全国吉本化計画」は着々と進んでいるらしい。しかし、名古屋方面の「ケッタ」が「原ケッタ」になるのかどうかはまだ不明だ。そちらの方で教えて下さる方がいらっしゃいましたら、こちらまでお願いいたします。

 17日の日記で、新幹線の線路を横切った男の話を書いたら、冬樹蛉さんも同じネタで日記を書いていた。しかし、話題の切り取り方が全く違う。同じ新聞記事でも、人によってこうもとりあげる箇所が違ってくるのかと、妙なところで感心した。興味のある方は、読み比べてください。

 今日、昼食を食べに中央環状沿いの「ミサワランド」という店に寄った。ここは、ゲーセンと本屋とCDショップとボーリング場とレストランが一緒になった変な店だ。一種のアミューズメント・エリアを意識しているのだろう。ここでCDを買うと、ボーリング場やレストラン、CDの値引き券がもらえる。その券があったので、そこで食べることにしたのだ。
 レストランにマライア・キャリーのポスターがはってあったが、そこに「マライア・カレー」と大書してある。あはは、書きまちがいしとる、と思ったら、それはメニューであったのだ。「神戸レトロカレー」という商品に「マライア・カレー」という別名をつけて売っているのですね。
 なぜ「マライア・カレー」なのか。ポスターについたキャプションにはこうある。
「口あたりは甘く、食べると辛い、4オクタープのおいしさ!」
 ううむ。たしかにその通りの不思議な味のカレーであったが、「4オクターブのおいしさ」にはまいった。2度目はともかく、1回は食べてみたくなったわけでその点ではうまいネーミングであることよ。

10月19日(日)

 昨日の日記で書いた「原ケッタ」の件、曲直瀬某さんからのメールで判明した。名古屋から豊橋のほうでも「原チャリ」と呼ぶのだそうだ。つまらないことかもしれないけれど、これで喉に刺さった小骨がとれたようにスッとした。ありがとうございました。

 今日、サークルの例会で京都に。例会終了後、高瀬川に沿って木屋町通りを歩く。夜になると酔客でにぎわうこの通りも、夕方だとデートのカップルにはよく出くわすが、ゆったりとしていい気分だ。「丸善」へ行く細い道がある。その角に最近パチンコ屋ができた。パチンコ屋の前にはどこかで見た人形が立っている。ターバンを巻いてにこやかに立っているその人形をよく見れば、かつて嵐山にあった「北野印度會社」というカレー店の看板ではないか。これはビートたけしが経営していたカレー店で独身時代に妻といっしょに入ったこともある。もうつぶれたという話は聞いていたが、そのビートたけし人形がパチンコ屋の看板になっていようとは。
 そういえば、あの手の人形の看板というのはタレントショップによくあった。特に京都はなぜかタレントショップが多く、嵐山や清水にいろんなタレントが店を出していた。地元の老舗から抗議がきた店もあったが、バブルの崩壊とともに次々と閉店してしまった。
 その名残がパチンコ屋のビートたけしか。にこやかに微笑む人形に、いろいろあったんやなあ、おまえ、と声をかけたい気持ちになった。
 ところで、他のタレントショップの看板人形はどうなったのだろう。田代まさし、山田邦子など、まだあったはずだ。とうに廃棄されたのか、それともこのビートたけしのようにどこかで生き延びているのか。見かけた方は教えていただきたい。

10月20日(月)

 18日の日記で「マライア・カレー」を食べた店「ミサワランド」だが、ここのCDショップは実は”マイナー音楽好きの間でちょっと知られた店”なのだそうだ。「原チャリ」でも情報を下さった大久保潤さん(東京の学生さん)からいただいたメールによると、この店では「ガバ」と呼ばれるアングラなテクノのCDを大量に売っていることで、なんと東京でも噂の店なんだそうだ。知らんかったなあ。私は「ガバ」自体を知らなかったのだが、そういえば「クイック・ジャパン」で紹介された記事をコピーして貼っていたぞ。海外のダンス・ミュージックのCDが大量に置いてあることは知っていた。また、試聴機がやたらと置いてあったり、「白のたまごっち」を12000円で売っていたり(それは関係ないか)と変わった店だと思っていたら、ねえ。
 私はここの在庫チェックのずぼらさが好きで、ちょくちょく利用しているのだ。というのも、とうに廃盤になったCDでも新譜と同じように並べていて、買い損ねた名盤や珍盤をゲットできるからだ(ほめ言葉になってない)。それと、「300円値引き券」をたくさんくれるので、それも魅力である。桂雀三郎の「ヨーデル食べ放題」という珍品はここで見つけた。
 しかし、ここは自前のレーベルをつくってアーティストを売りだしたり(坂本龍一の推薦文のついたポスターを貼っていた)、ただのCDショップではないとは思っていたが、すごい店だったのですね。意外と地元にいるとわからないことが多いものだなあ(知らんかったのは俺だけか?)。
 他にも近くに「知らなかったけど実はすごい店」というのがあるのかもしれない。なんか変だと思ったら、よく観察してみることだな。


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