ぼやき日記


11月11日(火)


 11月1日の日記で、神奈川県の「ゆめ国体」のマスコット「かなべえ」が「ホシヅル」を起用していると書いたが、なんと神奈川県は姑息にもマスコットのイラストを前から見た図にして、「ホシヅル」の盗用を隠蔽していることが判明した。
 写真は「ふれ愛ぴっく」のパンフレットに掲載されていたものをデジタルカメラで接写したもので(スキャナがないからしかたない、とほほ)、画像が荒くて申し訳ない。
 「ホシヅル」を正面から描いたのは吾妻ひでおさんだったと思うが、こうやって正面から見ると、かなり印象が違うな。このキャラクターは公募だったのだろうか。どうにも着ぐるみにしにくいデザインではないか。おそらく審査員はそこまで考えてこのキャラクターを採用したわけではなかろう。実際、この手のキャラクターはどんなイベントであってもたいてい着ぐるみとなって出没し、頭のでかさにおいて人々を震撼しからしめるものである。
 私も3年ほど前にボウリング場のエレベーター内で「なみはや国体」キャラクターのモッピーといっしょになり、その窮屈さに辟易した経験がある。その時は小さな子もいっしょにエレベーターに乗っており、モッピーは子どもに握手するついでに私にも握手をした。私はモッピーと握手するというあまり人に誇れない経験があるのだった。余談だが、私は梅田の「旭屋書店」前で「お自動さん」から直接ポケットティッシュをもらうという経験もしている。「お自動さんはあなたの近くにいます」という宣伝は嘘ではなかったのであった。そういえば「お自動さん」の頭もでかかった。
 話を戻そう。この「かなべえ」を見てもわかるように、マスコットキャラクターを立体化すると必ず無理が生じる。ここにあげたイラストからいったい誰が「ホシヅル」を連想するであろうか(ぜひ11月1日の日記をご覧いただきたい)。逆に神奈川在住の方が「かなべえ」の着ぐるみを見て仰天したのではないだろうか。こういったものの審査をする難しさを改めて感じる今日この頃である。

11月12日(水)

 今日は私と妻の3度目の結婚記念日である。月日の過ぎるのは早いもので、3年前の11月12日は土曜日であったが、今日は水曜日である。
 なんでも3年目の結婚記念日は「革婚式」といって革製品をプレゼントするとものの本に書いてあった。レザーの下着や鞭のやりとりをする夫婦もいるのだろうか。
 毎年結婚記念日にはホテルのラウンジでフランス料理を食べながら夜景を見て過ごす、ということはせず、駅前のケーキ屋でケーキを買って二人で食べるというつつましいならわしになっている。今日もチーズケーキとアップルプディングを買って帰った。
 私は酒も飲むが甘いものも大好きで、特にケーキには目がない。安売りチェーン店の100円ケーキなどは買わない。気に入ったケーキ屋を見つけたらそこに決めてその店で売っているいろいろなケーキを順番に買って味わうたちである。
 私の現在の住まいはあまり住環境のよいところではない。空気も交通マナーも悪い。駅からの交通の便も悪い。なぜそんなところに住んでいるかというと、ただ単に官舎の空がここしかなく、家賃が安いからである。
 ところが、そんなところに奇跡的にうまいケーキ屋があるのだから不思議である。そのケーキ屋はなんと夜の9時まで店を開けていて、そんな店だからたいしたことないだろうと結婚当初は侮っていたのである。しかし、百聞は一見にしかず。一度ためしに買ってみたら、あっさりとした味で後を引かず、なおかつ上質のスポンジケーキで歯ざわりもよく、生クリームもしつこくなく、とにかくうまかった。以来、ケーキはそこで買うことにしている。
 というわけで、今日は結婚記念日である。そもそも二人の馴れ初めなんかどうでもいいことだが、第25回SF大会”Daicon5”のスタッフとして知り合い、9年間だらだらとつきあい続けて3年前に結婚したという、よくある話である。したがって結婚生活も、毎日コンベンションの合宿を二人でやっているような毎日。まあよくある話である。
 結婚にはタイミングというものがあり、もっと早くで結婚していたら、お互いわがままなものだから我慢できずにけんかばかりの毎日になっていたかもしれない。とりあえずどちらかが出ていくような大げんかも今のところないのだから、まあうまくいっているのだろう。と、のろけてもいいだろう。なにしろ結婚記念日なのだから。

11月13日(木)

 今日は帰ってからひたすら原稿書き。「S−Fマガジン」の「オールタイム・ベストSF」投票でベスト50に選ばれた日本SFのうち7本の作品紹介を割り当てられたのだ。書き手は他に三村美衣さん、冬樹蛉さん、石堂藍さんといった鋭い文章を書く方たちばかり。その中にまじるのだから、大変だ。
 どんな作品の紹介を依頼されたかについては、今ここで書くと楽しみがなくなるのでばらさないが、とにかく長いものが多く「こんなんどないして400字にまとめたらええねん!」と苦しみながら書きあげた。
 どうも私は何か書き出すとだらだらと文章を垂れ流してしまうたちで、字数の決まっているものを書くときはあっちを削りこっちをはしょりと苦しんでガイコツみたいな文章になってしまう。ところが、今回はなるべくネタバレをしないようにと極力内容紹介を簡単にしたので、字数が余ってしまいどのように引き伸ばすかに苦労してしまった。こんなことでは、雑誌に掲載されているのを見たとき、絶対落ち込んでしまうのであろうなと今から覚悟している。
 ついでにいうと、このホームページの「読書感想文」もネタバレしないように気をつけている。元になる文章はプライベートな日記に三行ほど書いた感想なのだが、これは自分の心覚えのために書いているので、あまりにおそまつな結末で怒ったりしたことも正直に書いている。ところがホームページの場合、まだその本を読んでない人が参考にするかもしれないのでそれをそのまま写すわけにはいかない。思いつきみたいなことを書いているようで、けっこう苦労しているのである。
 話を戻して、今回の原稿は定評のある名作ばかりなので、書いていて楽しかったのは事実だ。ただ、話の内容をなかなか思い出せず必死で読み返しているので、そちらのほうに苦労した。短い本ばかりならいいけど、何冊にもまたがっていたり、一冊でもかなり分厚い本だったりして新刊を読めない日もあった。読んだ時はものすごく面白かったのに、全然内容を覚えてないなんていうのは、かなりショックだよ。次から次へと新刊を読んでいるせいで、トコロテンのように記憶が押し出されていっているのだろうか。全く困ったものだ。

11月14日(金)

 明日から2日間、「第16回京都SFフェスティバル」が開催される。京都大学主催のコンベンションである。私は第1回と第13回を除いて後は全て参加している。というより、ここ10年ほど、他のコンベンションには参加していないので私がSF空間に入れる唯一の場所といっていい。第1回はまだファンダムに首を突っ込んだばかりでコンベンションに参加するところまでいっていなかった。第13回は私と妻の結婚式と重なり、いくらなんでもハネムーンを「さわや本館」(合宿の行われる旅館)でというわけにはいかなかったのだ。1回だけだがゲストとしてパネルディスカッションに出たこともある(第12回)。主催者がこりたのか、私がまともにSFを読んでいないのがわかったのか、ゲスト参加はその1回だけだったが。
 というわけで、今日は「京フェス」の思い出をいくつか。
 初めて「京フェス」に参加した第2回は本会のみの参加。合宿から小浜徹也くん(現東京創元社)が私の自宅に電話をくれた。実はその前に一度「DAICON4」であっただけだったはずだ。「illusion」という同人誌の編集をしていた関係で、名前を覚えていてくれたらしい。あの電話がなければSFファンダムへの私の入り方もまた違ったものになっていたであろう。
 第4回はタイガース優勝の年。しかも合宿当日は日本シリーズでライオンズを下して日本一に輝いたその日。酒をのみ「六甲颪」をがなりたてて迷惑をかけた。
 第5回は交通事故で骨折しており、本会のみ松葉杖で参加。若かったとはいえムチャクチャなことをしたものだ。
 書き始めたらきりがない。「京フェス」は私にとって、SFとの同窓会のようなもの。年にただ1回、懐かしい人たちと会い、また新たな人との出会いを楽しむ。今年はどんな出会いがあるだろうか。

 というわけで、「ぼやき日記」、明日はお休みです。ホームページ更新もお休み。「京フェス」の様子はまた明後日の「ぼやき日記」で。それでは、行ってきます。

11月16日(日) 京フェス私的レポート(その1)

 11月15日(土)の17:00。私は「丸善京都店」の前に行った。野尻抱介さんの掲示板で「CDの買い出しをしたいのでよい店を教えてほしい」という内容の書き込みが野尻さんよりあったので、私から案内をかって出たら、他に京フェスに参加する方たちも名乗りをあげ、ここで待ち合わせということになったのである。メンバーは、野尻さん、松浦晋也さん、水城徹さん、にのらさん、谷田貝和夫さんと私の計6名。私はむろん初対面。でも、私がハンチングにひげ、茶色のショルダーバッグといういでたちを知らせておいたので、すぐに声を掛け合い、全員そろう。
 「CD買い出しツアー」は、「JEUGIA SANJO」というCD店。私や松浦さんのお薦めクラシックCDを野尻さんは数枚手に。ヴォーン・ウィリアムス、ショスタコーヴィチなどのCDである。
 京阪三条駅から丸太町駅まで電車に乗り、合宿会場の「さわや本館」に入り参加受け付け。
 6人でラーメン屋に入り、夕食をとる。おっちゃんが一人分忘れるというハプニングもあったが、しっかり夕食をとる。
 19:00より大広間でオープニング。ゲスト参加の野尻さん、松浦さん、水城さん、冬樹蛉さん、三村美衣さんといった方たちをはじめ、プロの方や古くからファンダムで活躍しておられた方たちを東京創元社の小浜徹也さんが例年通り紹介。これがないと「京フェス」らしくない。私も紹介され、なんか適当に自己紹介する。「S−Fマガジン」の原稿を送稿したことを自慢げにいうと、大森望さんから「早く送っても水曜日まで読んでもらえないよ」と絶妙の突っ込み。特別号の編集で「S−Fマガジン」編集部はかなりのハードワークのようだ。
 オープニングが終わり、私は初対面になる田中啓文、牧野修さんにごあいさつ。また、古くからのお知り合いにもごあいさつ。折り紙名人の志村弘之さんには妻からの伝言を伝える。「志村さんの顔を折って」というリクエストだが、「特定の人の顔は難しいんですよ」。
 一通りごあいさつが終わり、米村秀雄さん、寺尾公博さんらとなぜかクラークの話をする。   
 2Fに上がると、冬樹さん、三村さん、尾之上俊彦さんが明日のパネルについての打ち合わせ中。私は横からチャチャをいれる。ごめんなさい。
 「『京フェス』の歴史を語る部屋」へ。昔話から、裏話など、大森、小浜両氏が中心になつかしい話、知らなかった話など、いろいろなエピソードが出る。人間の記憶の曖昧さと、証拠写真により記憶が喚起される様子など、手にとるようにわかる。その後、金子のぶおさん、橋本喜代太さんとなぜか岡田斗司夫の話をする。
 廊下の向こうのスペースで車座になっている。田中さん、牧野さん、冬樹さん、山岸真さんたちと昔の特撮映画やテレビをネタに、ようここまでというくらいギャグの応酬。私は途中で京大SF研の現役会員数名より呼び出しを食らう。私が「S−Fマガジン」10月号に書いた書評について、納得できない若手たちが私をつるし上げる企画が、いや、意見をいう部屋が急遽でき、返答することになった。いったいどんな話になるのだろう。いささか不安な気持ちで部屋に入った。(続く)

11月17日(月) 京フェス私的レポート(その2)

 サッカーのワールドカップ予選で日本がイランに勝って出場権を得たのですね。おめでとうございます。とはいえ、私はこういうナショナリズム的高揚というものをあまり好まないので、熱狂的にはなれないのだ。

 さて、京フェスの合宿で、私は京大SF研の人たちのご指名で書評についていろいろと話をすることになった。問題の書評とは「S−Fマガジン」10月号に掲載されたもの。清水文化『正しい台風の起こし方』を私はこう評した。
 「アイデアは面白いが、ストーリーがない。登場人物がただ暴れているだけのものを小説というか、普通。ギャグは笑わせようという意図が見え見えでしらけてしまう(笑芸ファンである私は笑いには厳しいのだ)。アイデアとキャラクターだけではもたないのだ。(後略)」
 たしかに叩っ切るという感じで、かなりキツい書き方をしている。活字になったのを読み返し、書き過ぎだと自分でも思った。しかし、書いた内容については自分なりに信念をもっている。くだくだしく弁解はしたくない。
 京大生諸君にとっては、ここまで書かれなければならない程のものなのかという疑念があったそうだ。気象情報は正確であるし、知識を使ったギャグは面白い。たしかに小説としてのできはいいとはいえないが、「S−Fマガジン」の書評なのだから、SF的部分はよいのだということを押さえた上で批判してほしかった、とのこと。
 これに対し私は11月5日の日記からしばらく続けた書評に関する考え方をもとに小説としての面白さを求めたいこと、光る面はあるがこの作品は最終選考でとどめておき、次作のできを見てからデビューさせたほうが作家のためではなかったかということなどを述べた。
 立会人の小浜徹也さんは編集者の立場から、将来性を考えてデビューさせるべきであろうということを述べた上で、反論を会誌や「S−Fマガジン」の読者投稿欄で発表すべきではないかとOBとしてのアドバイス。
 下読みをした三村美衣さんは私に対し、書評欄でとりあげたことでその作品をある程度認めていると読者に思ってもらうというのは甘えだと指摘、額面通り受け取られるということを認識したほうがよいと忠告。
 いろいろ話をした中でやはり書き過ぎであることは私も認めた。自分の商業誌での発言の影響力、特に新人に対する評価には気をつけるべきだという認識をもった。
 だいたい言いたいことが出尽くしたところで、野尻抱介さんがこう言った。
「清水文化さんがこの熱い討論を聞いてたら、涙を流して感激すると思いますよ。これだけ真剣に自作を論じてもらえることは、ヤングアダルト小説ではまずないんですから」。
 山岸真さんも加わり、話は午前6時ごろまで続いた。本会の最初のパネルに出演する三村さんは「今寝たらもう起きられないよ」と完全徹夜宣言。私と山岸さんも完徹。とばっちりで野尻ツアー参加者の谷田貝さんもおつきあいして下さった。かくして熱い熱い夜は過ぎていったのでありました。ああ、しんどかった。(続く)

11月18日(火) 京フェス私的レポート(その3)

 京フェスのレポートも本日で3日連続。だいたいメモをとっていないので、日が過ぎる度に記憶が曖昧になり、印象に残ったことを書きとめるといった程度になってしまうが、ご容赦願いたい。事実誤認などあればここまでお知らせください。
 さて、合宿のすんだ徹夜明け、山岸真さんといっしょに歯を磨きながら「俺たちもう35だぜ」と完全徹夜のきかぬ体になったことを二人して嘆いていた。同い年なのですね、実は。
 朝食は野尻抱介ツアーご一行とともに喫茶店でモーニング。ところが、6人分頼んだのに出てきたコーヒーは5人分だけ。「京都のお店では5つまでしか数えられないんですね。それ以上は”たくさん”」と野尻さん。昨日のラーメン屋とあわせて、偶然とはいえ、困ったものだ。

 本会の第1企画は「SFのジャンル意識について」。パネラーは写真左から冬樹蛉さん、尾之上俊彦さん、三村美衣さん。尾之上さんが「最近SFが面白くなくなってきた」ので、「沈没しそうになった船から逃げる鼠」のようにSFから脱出したいという発言がもとになったパネル。どうも、自分が面白いと思ったSFと他のSF評論でほめられるSFに食い違いが出てきたあたりから、そのように考えだしたそうである。具体的な例が尾之上さんより出、三村さんも「頭の悪い主人公が出てきたらイライラするんだよね」とやはり具体的な例をあげつつも、それはSFというジャンルの問題ではなく、小説としてのできにかかっていると発言。冬樹さんは、「読む度にモードを切り替え、”これはこういうものなのだ”と思って、どの作品もそれなりに面白いと思っている」といった内容のことをいう。「SFファンとなるべき遺伝子をもった人ともたない人がいる」とユニークな言い回しで締めてくれた。会場からは今村徹さんが「社会人になったらSFより面白いものがたくさんあることを知り、SFだけを読むことはなくなる」という意見。これには共感、というより、私はSFファンになる以前からSFより好きなものがわんさかとあるのだ。
 断片的でわかりにくいので、私の主観でまとめてみる。尾之上さんはSFが好きなのだ。嫌になんかなってないのだ。面白くないとは心底思っていないのだ。でも、ライターとして活躍していたら一ファンであったときのような読み方ができなくなる。そこにもどかしさを感じているのではないだろうか。一ファンであったら、わざわざパネルで言わなくても読むのをやめたらいいことだし、心から嫌になったのなら原稿依頼を全て断わればいい。でも、彼にはそれができない。三村さんが言ってたが、書店で「SF」と銘打たれていると買って読まずにはいられないという、その心理なのだ。そういう意味では尾之上さんの遺伝子はSF者のそれである。
 まあ、煮つまってくれば誰でもそういう心境になるものだ。そして、それを人に言いたくなるものだ。だから、尾之上さんの気持ち、わからなくはない。ただ、これは本会のパネルよりも合宿企画向きの話のように感じられたが、どうだろうか。
 終了後、冬樹さんに「ごくろうさま」と声をかけたら、「来年はあんたしてや」と言われてしまった。うーむ。(続く)

11月19日(水)

 今日は早めに職場を退出できたので、帰宅したらあれもするぞこれもするぞとウキウキしながら原チャリを走らせていた。自宅のすぐ近所にあるDIYストアの横を通りすぎようとしたとき、いきなり目の前に右折車が。
 いかん!
 両手のブレーキを思い切り握りしめる。急ブレーキ。しかし愛車ジョルノは自動車の左側に衝突、はずみで横転。
 ちょうど道は渋滞していて、私は止まっている車の列を横目に見ながら比較的低速で走っていた。おかげで怪我はなかった。打ち身を少々したが、歩行に支障もなし。相手車は渋滞で止まっている車の隙間を通ってDIYストアの駐車場に入ろうとしていたのだ。
 家の近くだったので、愛車を近所のバイク屋まで押していく。その店で買った原チャリなのだ。相手車の運転手はしきりに謝る。単車は前輪の車軸が曲がってしまい修理が必要である。修理代はもちろん相手もち。相手は年配の大工さんだった。すぐに車で近くの総合病院へ。
 念のためにX線写真をとる。特に異常なし。やれやれだ。保険払いをしてもらうためには事故証明がいる。警察を呼んでもらい、事情聴取などがなされた。むろん、私は被害者だ。調書の用紙を確認したら、「被害者調書」と書かれていたので、示談の際には有利にはたらくことだろう。
 調書もマニュアル化されている。例えば、「加害者に対してどのように罰してほしいか」という問いがあり、選択肢は3つ。「厳罰に処してほしい」「罪には問わないでほしい」「どちらともいえない」から一つを選択するのだ。この場合、警察や検察にお任せするわけだから「どちらともいえない」を選択することになっているみたいだ。
 明日は診断書を医者に書いてもらわねばならず、午前中は仕事を休んで病院へ行き、書いてもらった診断書を警察署へ持って行かないといけない。
 精神的ショックが大きい。11年前の今ごろ、私はやはり原チャリに乗っていて自動車と接触し、右足くるぶしを骨折しているのだ。その記憶がまたよみがえってしまった。とりあえず大怪我をしなくてなによりであった。

 「京フェス私的レポート」の続きはだいたい考えてあったのだが、とても書く気にはならない。今日はお休みにします。

11月20日(木) 京フェス私的レポート(その4)

 イベントのレポートなどというものは速報性とか正確であるとか詳細まで書かれているとか必要条件があるとは思うのだが、どうもこのレポートはそういう売りがないように思える。しかし、始めたからには一応決着をつけておきたいので、明日までおつきあい願います。

 昼食は「S−Fマガジン」の海外SFレヴューでおなじみの渡辺英樹さんといっしょに喫茶店でとる。本職のほうでも同業なので、修学旅行の話など学校関係の話題もできる。空き時間に教材研究をしてるふりをして本を読……そんな不謹慎なことを渡辺さんも私もするわけがないじゃないですか。とにかく、共通の話題が多いのはいいことだ。
 2つめの企画は「芸術とSFの交点」とかいうタイトルの作家インタビュー。「ムジカ・マキーナ」「カント・アンジェリコ」の高野史緒さんに大森望さんが迫るというわけ。
 かいつまんでいえば、本当はSF作家と名乗りたいしSFファンにもSF作家と認められたいけれどもそんなことをすると本が売れなかったりSF以外の小説を書くとファンから裏切り者と罵られると思い込んでいる作家が、自分が「SF作家」と名乗らない理由をクラシックを例にだし、実はそんなものクラシックおたくから言わせれば例にもなんにもなっていないという話をしていたのであった。
 高野さんは、「SF作家」というレッテルを貼られることをなぜか極度に恐れている。その理由として、ピアニストのクリスティアン・ツィンマーマンを引き合いに出した。これが大間違い。確かにツィンマーマンは「ショパン・コンクール」受賞直後はショパンばかり弾かされたかもしれない。しかし、クラシックファンなら誰もが彼のことを「ショパン弾き」とは思わないくらい、現在のツィンマーマンは幅広いレパートリーで知られている。いや、デビュー直後にカラヤンとベルリン・フィルの伴奏でシューマンとグリーグのピアノ協奏曲を録音している。ショパンばかり期待されたわけではない。
 高野さんは、「テクノとクラシック」を引き合いに出してクラシックの演奏家が違う分野の音楽に手を出したら業界から異端者として見られるようなことも言っている。これは明らかにウソである。現代最高のヴァイオリニストの一人であるギドン・クレーメルはアルゼンチン・タンゴの作曲家アストゥォーロ・ピアソラのアルバムを録音した。これはクラシック界に衝撃を与え、つまはじきどころか各レコード会社がこぞってクラシックのアーティストによるピアソラのアルバムを発売したくらいだ。むろんクレーメルの評価はクラシック界では揺るぎない。他にもギタリストのイェラン・セルシェルによるビートルズ・ナンバーのアルバム、指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスとジャズの女王サラ・ヴォーンのジョイント・コンサート、ソプラノ歌手バーバラ・ヘンドリックスのモントルー・ジャズ・フェスティバルのライヴなどクラシック・アーティストのクロス・オーヴァーは例をあげだしたらきりがない。
 また、高野さんは明らかなウソをついた。大森さんが「米良美一が『もののけ姫』のテーマ曲を歌うようなものですね」とクラシック・アーティストが他の分野で名前を出すことについてきいた。これは、上記の「異端者」「つまはじき」という文脈での質問である。彼女は「ええ、そうです」と答えた。米良美一の最新アルバムはクラシックの名曲を集めたものだ。そのライナーノートは『もののけ姫』でサンの声をあてた石田ゆり子が書いているのだ。クラシックのCDを売る側は異端者どころか、「『もののけ姫』の米良美一」として売っているのだ。
 彼女は自分が「SF作家」と名乗らない理由をクラシック・ファンが聞けば明らかにウソとわかる例を出して正当化しようとした。なぜそこまでする必要があったのか。私がこの文章の冒頭で彼女のことをどう書いたか読み返していただきたい。私の解釈はその一点に尽きる。
 私はあそこで彼女に突っ込まなかった。それを後悔している。もしあのインタビューが「S−Fマガジン」に載るようなことがあれば、私はここに書いたのと同じ主旨のことを「テレポート」欄に投稿したいと思っている。SFファンはクラシックに疎いと思ったら大間違いなのです。(続く)


過去の日記へ

ホームページに戻る