ぼやき日記


12月21日(日)

 今日は私が主宰するサークル「たちよみの会」の例会。
 会を始めてから9年ほどになる。毎月第3日曜に例会をし、京都は四条河原町の近くにある喫茶店でバカ話に興じ、その後みんなで本屋へ立ち読みに行くという会である。もともとは「本が好きで本の話をしたいけど、そういう相手が近くにいない」という人を集めて本についての情報交換をする場として作った会だったのだが、会員も固定し、なんでもありの会になっている。それはそれで楽しくてよい。しかし、会員募集をほとんどしていないのでここのところマンネリになっている。興味のあるお方はここまで御連絡ください。お待ちしています。
 いや、つい会員募集をしてしまった。近いうちにきちっとした会員募集のページを新たに設けることにしよう。もちろん今すぐこちらに連絡をしていただければ嬉しいのだけれど。
 だからそういう話をしようとしていたのではないのに。
 例会で「丸善京都店」へ立ち読みに。ここは品揃えの量もさることながら、質のよさで定評がある。今日は文庫のコーナーで面白い特集を見つけた。「山田風太郎コーナー」である。ここ最近廣済堂文庫やハルキ文庫などで絶版となっていた風太郎の作品が続々と出版されているが、このコーナーではそれだけではなく文春文庫、徳間文庫、富士見時代文庫、朝日文庫などでとうに目録から消えていたはずの風太郎の本をかきあつめ、それも並べているのだ。いかにも倉庫に死蔵されていたようで小口のところにやすりを書けてきれいにした跡がある。よくまあこんなのが残っていたものだと感心する一方で、これらを発掘してコーナーを充実させている「丸善」のスタッフの熱意に感動してしまった。実際、「魔天忍法帖」「忍法八犬伝」など、まだ復刊されていない作品が多数あり、私も買い漏らしていて探していたのを2冊入手した。
 風太郎のリバイバル・ブームがあっての企画だろうが、品切れと思われていた本を入荷して並べるというのは書店側の工夫なしではできないことだろう。こういう工夫をしてくれる書店がもっと増えてくれるといいのにね。

12月22日(月)

 映画監督で俳優の伊丹十三の訃報に接する。飛び降り自殺だったという。遺書には「死をもって潔白を証明します。何もなかったというのは、これ以外の方法では立証できないのです」とあったそうだ。”潔白”というのは写真週刊誌で彼が若い女性と交際しているという記事が掲載されることに対してだといわれている。
 これについてはコメントしようがない。自殺するからにはそれなりの理由があったはずだし、それは余人には理解できない心の動きがあったはずだからだ。「写真週刊誌の暴露記事くらいで死ぬ人ではない」と我々や彼に近しい人たちが考えたとしても、それはそれまでの彼の言動からの推測に過ぎない。彼の本当の心のうちを誰が知ろう。写真週刊誌の暴露記事は彼にとっては死に値するほどの大事だったのかもしれない。松田聖子なら何回自殺しても足りないようなことが、伊丹十三には衝撃だったのかもしれない。
 他に死にたい理由があったのだが、この記事が引き金になって全てが噴出したとも考えられる。それとて推測でしかないが。創作上の悩みということも考えられる。最近は「〜の女」というパターンの映画しか撮れていなかったし、遺作となった「マルタイの女」は興行上も成功したとは言い難かったそうだ。推測ばかりしたってしょうがない。彼が死んだという事実をありのまま受け止めるしかないのだ。
 伊丹十三というと、私にとっては「屈折したインテリゲンチャー」を演じさせれば右に出る者のいない俳優というイメージがある。彼に匹敵するのは米倉斉加年ぐらいだろう。最近の若手俳優でこのタイプの人は誰かいるだろうか。
 映画産業の衰退などで俳優の層が薄くなっている。個性的な俳優の供給源は専ら小劇団だ。ところがなぜか小劇団出身でテレビや映画に出る俳優には伊丹十三、米倉斉加年タイプの役者がいないのだ。
 映画監督となってからの伊丹十三は俳優として活躍することはほとんどなくなった。だから「屈折したインテリゲンチャー」俳優としての伊丹十三を語ることはあまり意味がないのかもしれない。それでも、彼がそういった役の似合う得難い俳優であったことだけは記憶しておきたい。少なくとも私にとっては映画監督としてよりも俳優としての伊丹十三を悼む気持ちが強いということだ。

12月23日(火)

 今日は休日。
 妻といっしょに高槻市の文化会館へいき「クリスマス・ファミリー・コンサート」を聴く。これは私の勤め先の同僚で音大を卒業したばかりのフルート奏者が出演している関係でチケットをいただいたもの。アマチュアのコンサートではあるが、ほとんどが音大出身で学校の先生などをしながら演奏活動を続けている人たちなのだ。演奏レベルはなかなか高いものがある。今回はシューベルト・イヤーということでオール・シューベルト・プログラム。
 職場の同僚が出しあいで買った花束を抱えて会場に。「クリスマス・ファミリー・コンサート」というから子どもたちが走り回ったり騒いだりするのではないかと危惧していたが、客質もよい。お目当てのフルートはなかなかの熱演。
 しかし、なんといってもエレクトーン編曲による未完成交響曲が今日の聴きものであった。エレクトーンというと、店先のデモンストレーションでポップス曲を弾いたりしているような印象があったが、今日の演奏はそんなものではなかった。エレクトーンのスイッチを次々と切り替えながら様々な音色を重ね、フルオーケストラの演奏もかくやとばかりの厚みのある音を奏でる。シンセサイザーでも同じことができるのだろうが、あらかじめプログラミングしたという感じではなく、いまそこで音楽が生み出されているという迫力があった。
 楽器というものは、演じ手によって音色が変わることはよくわかっていたつもりだったが、エレクトーンがこんなに凄い楽器であるとは思ってもみなかった。私の認識不足。「クリスマス・ファミリー・コンサート」というとなんだかお手軽なイメージを持ってしまいがちだが、今日のコンサートは値打ちのあるものだった。
 帰りに阪急高槻市駅前で古本屋を発見。妻は「パトレーバー」全冊揃いを購入。私は「ナニワ金融道」の全冊揃いを探したのだが、見つからず残念。歳末で大掃除の時期に物を増やそうというのだから、自分で自分に呆れてしまう。この悪癖、一生直らんのだろうなあ。

12月24日(水)

 「S−Fマガジン」3月号に掲載される年間総括の原稿を送る。毎年これには苦労するのだ。1年間というのは長いようでも劇的な変化というものはなく、何年かまとめてみないとどう変化したかわからないケースが多い。したがって、文章の内容も毎年たいしてかわりばえしないものになってしまう。これではいかんとない知恵を絞って書いていくのだが、私は書いているうちに頭に血がのぼってかなりえげつない表現が出てきてしまう。一日寝かして冷静な頭になってからでないと、つるし上げを食らうようなはめにおちいるのだ。今回も脱稿してから一日置いて見直す。
 うわっ。わしはいったい何を書いておるのだ。こんなもんがそのまま載ったらえらいことになるぞ。
 そんな原稿を見て、ひたすら穏当な表現に書き換える。それでも実際に活字になったものを読むと頭を抱えてしまうことになる。表現は穏当でも内容はえげつないからだ。京都人独特の嫌みったらしい言い回しになってしまっていることが多い。だから三村美衣に「あんたの原稿が一番はらはらするんだよ」などと言われてしまうのだ。
 さて、今年の総括原稿はいかに。自分では穏当なつもりだが、読者や業界の人たちにはどう受け取られるだろう。お手紙などの反響がないだけに、ますますもって不安になる。
 まあ、書いてしまったものはしょうがない。嘘は書いていないわけだし。ああ、こんなことだから野尻抱介さんに「泣く子も黙るヤング・アダルト書評家」などと言われてしまうのだなあ。

12月25日(木)

 昨日、「S−Fマガジン」500号が届く。日本SFのベスト50が発表された。長篇の作品解説を私は7本書いている。悲しい性でついつい他の人の文章と比較し、やはり自分の文章が紋切り型の見本市だなあと確認し、げっそりする。冬樹蛉さんが間歇日記でご自分の担当したものについて「おれのガチャ文」と書いておられるが、そんなことはない。少なくとも私のように「集大成」だの「金字塔」だのという陳腐な言葉で文章をまとめるようなことはしておられない。まあ、人と比較ばかりしていてはキリがない。しかし紋切り型の文章ばかり書いていたらお座敷がかからなくなってしまう。ああいった紹介文は、やっぱり難しい。
 ところで、今回のベスト50を見ていると、意外な結果が目につく。実は原稿依頼の時にもらったリストを見た時点で気がついたのだが、平井和正、田中光二、豊田有恒、かんべむさし、横田順彌、森下一仁といった人たちの名前がないのである。「ウルフガイ」なんてこれまでならベストテンの常連だったのになあ。特に品切れ絶版が多いからというわけではあるまいに。それならまず「果てしなき流れの果てに」が1位になるはずがない。うーむ。そんなに評価が低かったはずはなかったと思うんだけど。
 ジュヴナイルは1本くらい入っていてほしかった。「ねらわれた学園」とか。日本SF史を語る際にはジュヴナイルの存在を抜きにはできないし、かなり質は高かったと思うのだが。まあ、自分もそれに投票してないのに言えた義理ではないんだけれど。
 しかし、この企画、こういう通常の号でやるのではなしに、別冊としてまとまった形にして発売すればいいのにと思う。早川書房の内部事情もあってなかなかそうはいかないらしいが、一月で書店から消してしまうのは惜しい。以前文庫で「SFハンドブック」というのを出していたけれど、ああいう風にまとめるとかできないものか。とにかくせっかくこれだけのことをしたのだ。SFに注目してもらういい材料になると思うのだがなあ。つくづく営業の下手なジャンルであることよ。

12月26日(金)

 ここ数日、冬休みに入ったこともあって部屋の大掃除にかかっている。結婚してから3年、読み散らかしてきた本は読んだ順にそこらへんに積み上げている。それを見た妻は「また、タケノコが伸びた!」とあきれたように言う。タケノコとは言い得て妙だ。いやいや、そんな感心をしている場合ではなかった。業を煮やした妻がスチール書棚を買ってきた。しかし、私はなかなか組み立てない。
 やる気がないというわけではない。私にはいろいろなものが欠けているのだが、特に欠けているのが整理能力なのだ。お恥ずかしい話だが、幼い頃から部屋は散らかし放題。これまた業を煮やした母に何度叱られたことか。
 いや、そんなことは言ってられないのだ。伸びたタケノコは次第に傾いてきている。本を積み上げた部屋は、あたかも遊園地にある「不思議な部屋」のごとく一歩踏み込むと平衡感覚がおかしくなってしまうではないか。これでまた地震でもあったら、「不思議な部屋」は「崩壊した部屋」に変じてしまう。
 というわけで、スチール書棚を組み立て、そこにCDや本を入れ、段ボール箱にあまり引っ張り出すことのなさそうな本は全部詰め込む。ここ3日で少しずつ部屋に空間が広がってきた。
 整理能力がないというのはどういうことかというと、片付いた状態がどういう状態であるかというのを見通せない、つまり設計図を書けないということだ。最小の労力で最大の効果をあげるという合理的な片づけ方ができない。目の前にあるものをとにかくきっちりと収納しようとするのでやたら時間がかかる。とまあ、そういうことだ。これだけわかっているのに、実行に移そうとすると最大の労力で最小の効果しかあがらないというムダな方法でしか片付けられない。自分でも嫌になる。
 部屋はまだ全て片付いたわけではない。年末までに伸びたタケノコを刈り取らなければならないのだ。
 それなのに、明日は今年最後の忘年会の予定が入っている。日曜からは再び力を入れて片付けなければ。

 と、いうわけで、次回更新予定は日曜の深夜ということになります。

12月28日(日)

 昨日で今年予定されていた忘年会は全て終了。友人が肝不全で入院する騒ぎもあり、バタバタした一日となる。けっこう疲れました。

 今朝の新聞で、広島県の中学校教諭が痴漢行為で逮捕され懲戒免職になったという記事を見る。どうせ中年の教師であろうと思ったら、何と22才の新任だという。8月下旬にジョギング中の女子大生に背後から近づいて胸を触ったり、11月下旬には女子高生に対して下半身を露出してみせるという古典的な変質者をやっていたそうだ。供述では「ストレスがあった」とか言っているらしいが、とんだ解消法である。ソープランドに行く度胸もなかったのかねえ。
 22才の新任の教師がこういう行動に出たというのは、一面わからないでもない。というのも、年齢からいくと大学を出てストレートに試験に合格している勘定になり、勉強だけはよくできるのだろうと思う。ところが、こういう新任教師というのは生徒に対する接し方など、全くわからないままに合格してしまっており、特に勉強はよくできるけれども教えることができないという者もよくいるのである。
 私は中学校には講師として3年ほど勤務したことがあるが、この年代は特に難しい。子どもから大人への端境期で、身体と精神のバランスがとれていない上に、いや応なく「成績」という競争に投げ込まれ不安定になりやすい。
 こうした生徒と接するにはやはり様々な社会経験が必要になってくるだろう。ところがストレートに合格した教師というのは学生時代のアルバイトも家庭教師が多く、世間というものを見る機会も少ない。全てにおいて経験不足なのである。せめて合格するまでに何年か講師でもやれば、自分に教師としての適性があるかどうかも判断できるのだが。
 だからといって同情はしない。教師だとかなんだとかいう前に、人間として恥ずべき行為であるという常識もなく、ストレスを解消する方法をそれまでに学習することもせず、精神的に病んでいるという自覚があればカウンセリングを受ければいいのにそれもできない。そんなものを同業者であっても弁護する気にもならないのだ。
 付け加えて言うに、広島県教育委員会の採用試験の方法も問われるべきだろう。ペーパーテストで優秀であっても、面接試験のやり方次第でその者が教師としての適性があるかどうか、ある程度判断できるはずである。それを見抜けなかったというところに問題があるのだ。
 教師というのはひとつ間違うと社会的常識が麻痺してしまいがちだ。私はなるべく同業者以外ともつきあい社会感覚を麻痺させぬようにしているのだが、それでも時々妻に「やっぱり先生やねえ」と指摘されることがある。そうやって指摘してくれる妻がいてくれることがありがたくもある。
 今回逮捕された新任教師には、相談する相手がいなかったのだろうか。それはそれで寂しい話である。

12月29日(月)

 いよいよ1997年も押し詰まってきた。
 今日は正月用の買い物に出かける。といっても、お節料理の材料だのなんだのというのではない。年始に持っていく手みやげと親戚の子どもにあげるお年玉用のおもちゃである。
 年始といっても特にあらたまった所に行くわけではない。お互いの実家に行くだけである。手みやげといっても菓子折りだけである。このようなつきあいは虚礼という向きもあるだろう。とはいえ、子どもの頃からそのようにしつけられてきた京都人は何も持っていかないとなんだか座りが悪いのである。身に染み付いた体質とでもいうべきか。
 お年玉だが、これは子どもがまだ幼いので現金で渡すよりもおもちゃで渡すことにしている分である。実はこれが難しかった。女の子と男の子用に二つ買うのだが、まず金額にあまり差をつけたくない。値札がついてないからわからないようなものだが、これも気持ちの問題だ。女の子にはKittyちゃんのままごと道具にすぐ決まった。その子はKittyちゃんが大好きなので全く問題ない。問題は男の子用の物である。すぐにウルトラマンのコーナーに行ってしまうのは習性になっているからしかたないが、なにしろ相手はまだやっとあんよができるようになったくらいの赤ちゃんである。あまり難しいのは考えものだ。飲み込んでしまうような小さな物もいけない。アンパンマンの自動車なんかがよかろうと思ったが、著作権料の関係か同じようなおもちゃでもKittyちゃんより少々高い。結果、動いたり鳴いたりする犬の人形を買った。これなら性別関係なくその年頃の子どもなら喜ぶだろう。
 大人への買い物ならば定番があり、予算さえ決めておけばどうにでもなるが、子ども相手というのは難しい。相場も何も関係ない。その子どもの好みや年頃によって、価値基準が全く変わってくるからだ。大人の目で「この程度の物でいいだろう」などと適当に選んだ物には目もくれないのだ。しかも、今の子どもは我々の子どもの頃とは価値基準がまた違う。要は自分が常日頃から子どものような感性を失わないこと、なのだが。
 頼むから、犬のおもちゃで喜んでくれよ。なんだなんだ、妻がえらく欲しそうにしているではないか。ならば、大丈夫かもしれないな。

12月30日(火)

 今日、やっと年賀状を出す。雑誌の付録CD−ROMに入っていた画像を使ったお手軽なもの。毎年いろいろと趣向をこらした年賀状をいただいているのに、なんか申し訳ないが、年賀ハガキを買ったのが29日で、それから図案を作り出したのだから、お手軽にならざるを得ない。とまあ、言い訳をしておこう。それとは別に親戚筋や管理職などには毎年出している季節の俳句や短歌を書き添えた年賀状を用意した。今年は自作の俳句を入れてみたが、われながら凡句。句作なんて常にやらないにしてはまあまあというべきか。おもしろいから俳号も作った。「暮灼」というのだ。「ぼやき」を当て字にしたのだが、そうと知らなければなかなかそれらしいではないか。これは今後も使えそうだ。「喜多暮灼」、おお、俳人のようだ。
 年賀状は虚礼のようだが、長らく会っていない人たちと年に一回音信をとるという意味では大事にしている。だから、常に親しくつきあっている人たちよりも小学校時代の担任や学生時代の友人からの年賀状が途絶えていないことが嬉しい。実際、高校時代のクラブのOB会で名簿を作る時に、私だけが連絡をとっていたという人もいた。そういったつながりというものは、金よりも何よりも大事な財産だと思っている。
 だから、私はたとえ面倒臭くても毎年年賀状だけは欠かさぬようにしているのだ。一枚一枚が、私の大切な財産なのだ。

 今年も残すところあと一日。ホームページ開設以来、2ケ月半でカウンターは6000を越えた。開設当初はまさかこんなに短期間でこんな数字になるとは思ってもいなかっただけに、本当に嬉しい。ぼやいてばっかりのページなのに、飽きずに読んで下さっている皆様のご幸福と、読んでいらっしゃらない方のご……、ご多幸をお祈りいたします(しかし、ギャグのセンスのない人がギャグのつもりで発した言葉の見本やね、あれは。本人は面白いと思っているのでしょう)。来年もよろしくお願いいたします。
 では、よいお年をお迎え下さい。

12月31日(水)


 あけましておめでとうございます。
 この文章を書いている時点ではまだあけてもいずおめでたくもないのですが、書いている人間がおめでたいやつなので、まあ、よろしい。
 新年を迎えるにあたり、個人的な抱負を書き残しておこうかと思う。こうやって宣言しておけば、自分へのプレッシャーになってよいだろう。
 98年は童話を書くことに力を入れていきたい。97年にはさぼっていたというわけではないのだが、一本書き上げてから返事をもらうのにかなり間があき、少々気力を失いかけていた。しかし、「おひさま」編集長の武田仁さんが直接原稿を見てくれるようになり、新たに書き上げた作品も98年に掲載される予定である。となると、気持ちが盛り上がるのは人情。本業と書評とを並行させながら書いていくのはしんどくもあるのだが、どうやらチャンス到来らしいので、ここは一発気合いを入れてやってやろうという気になっている。現在、新しい作品のアイデアを練る一方で、一度不採用になった作品も改稿して日の目を見せてやりたいと考えてる。それらが掲載されるのは99年になるだろうが、腰を据えて取り組む決意である。
 書評については、「ぼやき日記」でまとめた考えをこちらに一つの文章として残すことにした。98年はこれをもとにして伝奇アクションと架空戦記の秀作を漏らすことなくみなさんにご紹介できたらと思っている。そのためにもちゃんと新刊を馬力入れて読んでかんといかんのでありますが。ここんとこたまり気味であるしねえ。
 ホームページも少しずつ充実させていきますので、みなさん新年もご愛読の程、よろしくお願いいたします。


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