ぼやき日記


12月1日(月)

 私が子どもの頃、今から四半世紀ほど前、駄菓子屋というものがあって、いかにも体に悪そうなお菓子やたいした景品が当たるわけでもないあてもの、怪獣やプロ野球選手のブロマイド、ゴム風船などの玩具を売っていた。子どもの小遣いなどたかがしれているのでそういったものをしょっちゅう買っていたわけではないが、そろばん塾の帰りに親に内緒で駄菓子屋で買い食いなどしていたことを思い出す。
 なぜそんなことを思い出したかというと、今日、ちょいとコンビニエンス・ストアによってなにかつまむ菓子を物色していたら10円や20円の駄菓子が目についたのでつい買ってしまったからだ。いずれも「菓道」という茨城県にある製菓会社の製品である。
 まずは「BIGカツ とんかつソース味」30円。鱈のすり身をとんかつ風の衣でくるみソースを塗ってある。この衣はちょっといける。ただ中身がかたい。鱈のかまぼこにしては噛みちぎるのに難儀する。袋の裏に「本品は新鮮な原料をベースに吟味された味付により、たいへんソフトで口あたりのよいものに仕上げております」」とあるが、ソフトとはいえないぞ。
 次は「甘いか太郎 キムチ味」20円。これはいかにものしいかにキムチ風の味付けをしたものに見えるが実体はやはり鱈のすり身。「イカ粉」なるものを混ぜているらしい。ベトベトしていて袋から出すと手がにちゃにちゃする。味はキムチというより醤油味。あまりに薄いので紙をかじっているみたいだ。
 続いては「蒲焼さん太郎」10円。中身は「甘いか太郎」と同様鱈のすり身を紙のようにのばしたもの。味は醤油とみりんを使って蒲焼き風にしているが、甘い。しかし、見た目は工夫してあって鰻の蒲焼きのように表面に細かな筋をいれていてさもうまそうに見せているところがミソ。
 最後は「酢だこさん太郎」10円。中身は「蒲焼さん太郎」と全く同じもの。蛸などどこにも入っていないのに「酢だこ」を名乗るところがらしくていいではないか。味はただ酸味料がきついだけ。安物の酢を使ってるのか酸っぱいだけで旨味がない。それでも、酢の物を子どもが食べるとこういう印象になるのだろうという味付けだ。
 いかにもな駄菓子を食べてみて、自分が子どもの頃に駄菓子屋や露店で食べていたものもこんなキッチュなものだったなあという懐かしさが込み上げてきた。今の子どもも塾帰りにこういった駄菓子を買い食いしているのだろうか。10円〜30円という価格設定がにくい。ペラペラで腹のたしになるものでもないしたいしてうまいわけでもない。しかし、ちょっと手にとってレジに持っていくには手ごろな値段だ。遠足のおやつにもいいかもしれない。今の小学生は遠足にどんなお菓子を持っていくのかしらないが、300円くらいの予算なら、こういったものをこまごまと買うと楽しそうだ。
 もっともこれらはお菓子のコーナーの最下段に並べられているもので目につくところにはポケモンやキティちゃんのおまけ付きのお菓子がたくさん並べられている。となると、私の気性としてこのようなキッチュなお菓子を応援したくなるではないか。「これだからタイガースファンは……」と言われそうだな。他にも「うまい棒」シリーズとか「どんど焼き」なんていうのもある。それにしてもコンビニエンス・ストアというのはたいしたものである。大人の生活必需品から子どもの駄菓子までカバーしているのだから。今の子どもが大人になった時、コンビニに郷愁を抱くようになるのだろうか。

12月2日(火)

 気がついたらもう12月なんですね。早いものだ。「S−Fマガジン」の「年間ベストSF投票」と書評原稿は昨日入稿。「年間ベスト」は今年は海外SFを選ぶほど読めなかったのでパス。国内作品も伝奇アクション中心のものになった。
 これで年内に送稿する分は全て終わったと思ったが、よく考えてみれば「年間総括」というのも書かなければならないのだった。「S−Fマガジン」の書評は私の場合は奇数月の月末が〆切りなのでこれまでついぞ年末進行というのに引っ掛かったことはなかったが、今年はそうもいかなくなったわけだ。これは例年ならば2月号に載っている「年間総括」が500号記念特大号のために一月ずれたためにこうなったものだ。昨年の今頃はレギュラーの書評と「年間総括」の二つの原稿を一度にやらねばならず苦労していたのだなあ。
 新聞のはさみこみチラシには通販の正月料理の広告が載っている。「喪中につき新年の御挨拶はご遠慮願います」のはがきも何通かきている。書店に行けば年賀状の図案集や来年用の手帳・カレンダー類が平積みにして売ってある。そういえば今週末は一つ目の忘年会だ。自分が幹事なのにこんなに呑気なことでいいのかよ。
 こうやって、ああもう12月なんだなあと実感していくのだ。商店街に「歳末大売り出し」の幟が立ち、そこら中で聞きたくもないクリスマスソングを聞かされ、年末だ年末だと追いまくられる。冬休みに向けて2学期の通知表を書かねばならない。まわりから追い立てられて季節を知るというのはあまり気持ちのよいものではない。自然の流れのままに「日が落ちるのがこんなに早くなった。木枯らしが吹いている。ああもう冬なんであるなあ」と感じるくらいがちょうどいいのにね。ちょうど今日の冷え込みみたいに。

12月3日(水)

 一昨日駄菓子の話を書いてまた今日もお菓子の話となると、私が四六時中お菓子をむさぼり食っているような印象を与えるかもしれない。いくらなんでも食事中や仕事中や入浴中や睡眠中にはお菓子は食べられない。ま、チョコレートは家でも職場でも常備していることは事実だが。
 昨日コンビニで「ロッテ『麩』チョコレート」なるものを発見したのでつい買ってしまう。吸い物などに入れる焼き麩にチョコレートをコーティングしたもので、これまで「麦チョコ」とかビスケットにチョコレートをコーティングしたものはあったが、焼き麩とは考えたものだ。確かに歯ざわりはよく、パクパク食べられる。しかし、麩に関してはやはり専門家に試食してもらった方がよい。
 京都の麩の老舗の若旦那に食べてもらうことにした。彼は10月16日の日記で「京都主義史観」を提唱した論客でもある。まずは一口。口の中で転がすように味わっている。続いてもう一口。うんうんと頷き、一言。
「えらいメリケン粉が多いなあ」。
 そら、しゃあないで。彼の店では生麩や麩饅頭、餅麩などグルテン100%の高級な麩を作っているのだ。駄菓子に使うような麩と比べてはいけない。彼の店の麩は乾燥させたものの場合、夕食の料理に使うためには朝から水につけて戻さないと芯が固く残ってしまうような上等な品物なのだ。そのかわり、炊くとすぐにトロトロになるようなものではなく腰がしっかりしていてあんなにうまいものはない。
 「こんなもん、売れへんやろう」と水を向けると、「いや、売れてもらわな困る」。
 その理由は、「これで若い女の子に麩のブームが起きてくれたらやな、うちの売り上げがあがる」。いやその、それはないと思うがな。
「ところで、この麩を卸してるのはどこや。まさか『××麩』と違うやろな!」とライバルの老舗の名をあげた彼だが、全国でも有名なそんな老舗が駄菓子に自店の麩を卸すわけがないでしょうが。
 専門家にご試食願ったのが間違いであったようだ。やはりこれは若い女性に試食してもらった方がいいのでしょうな。

12月4日(木)

 急激な冷え込み。ここは夕飯に体の暖まるものをと思い、粕汁を作る。我が家の場合、結婚する前に特に細かい役割分担を決めたわけではないが、共稼ぎなので「先に帰った方が夕食の支度をする」ということにした。ところが、私はたいてい定時の17:15までには仕事が終わり、特に残業もなく、帰りに書店に寄ったりスーパーマーケットで買い物をしたりしても、どんなに遅くとも19:00には帰宅できる。ところが妻は残業も多く、帰ってくるのはたいてい20:00ごろ。ウィークデイには必ず私が夕食の支度をすることになる。おかげで結婚以来料理はそれなりにこなすことができるようになった。
 これを聞いて信じないのは実家の家族である。それはそうだろう。帰宅したら自室にこもりひたすら読書をし、「ごはんができたよ」の声がかかるまで茶の間におりても来なかった息子なのだ。自分だってこんなに毎日料理をするようになるとは思わなかった。
 レパートリーはそう広いものではない。帰ってからすぐに支度して妻が帰ってきた時にはすぐに食べられるようにしておかなくてはならない。いや、ならないということはないのだが、持ち前のサービス精神がそうさせるのだ。カレーなどのシチュー類、ひじきの煮つけ、肉じゃが、鍋しぎ、野菜炒め、焼飯、すき焼き風煮、鍋物や汁ものなどをローテーションのようにして作る。間に出来合いの餃子を焼いたり、塩鮭や塩鯖を焼くなどして変化をつける。とにかく仕事からの帰り、頭の中は「今晩のおかずはなににしよう」というようなことばかり考えている。だから、仕事が少しでものびると気が気ではない。そういう時は「ええい、今日はスーパーのお惣菜で我慢してもらおう」と手を抜く。
 感覚は完全に兼業主婦である。しかし、この経験、決して悪くはない。自分の作った料理を相方に食べてもらい「おいしい」と言ってもらった時の喜びは何ものにもかえがたいものがある。だいたい自分の好きなメニューを毎日食べられるのだ。また、週末や休日は妻の手料理を食べるのだが、まず自分は作らないレパートリーのものを食べることができる。人に作ってもらうことのありがたみを知ることもできた。いや、自分が結構料理を苦にしない方だと知ったのも驚きである。なにが契機で自分の意外な一面を発見できるかわからないものだ。
 自分で作った粕汁は、まあまあいける味。やはり冷え込んだ時はこれに限る。

12月5日(金)

 忘年会のシーズンだが、この冬はどれだけ忘年会が開かれるのだろう。妻のスケジュールは、昨年など忘年会がけっこう入っていたが、今年はあまりそういう話もでないという。やはり景気が悪いとパーッと飲んで騒いで忘れましょうなどというのは難しいのだろう。会社が倒産したり廃業したりしていては忘年会どころではあるまいし。公務員だからそんな呑気なことを書いていられると言われれば、返す言葉もないけれども。零細企業に勤め社長の病気で自主廃業せざるを得なかった父親の会社のことを思い出すと、他人事ではない。
 拓銀と山一の関係でキャンセルされた忘年会も多いのだろうか。そういえば、今回私が幹事をすることになった忘年会は、わりとギリギリになって予約の電話を入れたのに、あっさりととれたっけ。大阪はキタにあるちゃんこ鍋屋だから、それほど暇だとは思えない。今年はやはり予約が少ないのかしれないな。
 話はそれるが、拓銀といえば、先日妻が拓銀の前を通りかかったらシャッターが下りていて、「ああ、倒産したんやなあ」と感じ入っていたそうだ。で、もう少し行くと住友銀行のシャッターも閉まっていて、「えっ!」と思ったら、時間は午後3時10分だったとさ。彼女もやはり関西人。オチをつけないと治まらない。

 というわけで、明日は忘年会。遅くなりそうだ。幹事なんかしてるとせめて2次会くらいはつきあわなあかんやろうしなァ。たぶん次回の更新は明後日になると思います。

12月7日(日)

 忘年会第一弾も無事終わり。同期採用の面子で作っている親睦会の一応幹事。なんとか出席者に楽しんでもらえたようで、やれやれ。
 幹事をしていていうのもなんなのだが、なんで忘年会なるものをするのか、少し疑問に思っている。というのも、この国では会計年度は4月〜3月を1年としており、1年間の慰労をするのは3月末がふさわしいのではないかと思うのである。12月というのは、正月をひかえてなにかと忙しい時期。できれば飲み会に時間をとられずに仕事をしたい時期でもある。また、そのため、ウィークデイは疲れているので休みの日にはゆっくりと疲れをとりたい。そんな時に年忘れも何もないように思う。いや、これが1回だけならいいのだ。なんやかやでつきあいごとに忘年会をするものだから、12月だけで何件も忘年会に行くことになる。
 嫌なら行くなといいたいところだが、付き合いというのはそうはいかないし、だいたい根が好きな方だから日が空いていたら「出席」に丸をつけてしまうんだな、これが。昨日の忘年会は実は他のが重なっていて、もし幹事をしていなければ別口に行きたかったのだ。そちらは、放送作家の新野新さんが主宰する「日本芸能再発見の会」の忘年会で、芸能に関する生き字引みたいな古老から若い芸能ファンまでが集まるので、いろいろと話を聞きたかった。まあ、幹事を引き受けた以上、そちらに行くわけにもいかず、泣く泣く断念。
 今日は朝から団地の自治会による年末共同清掃があり、溝掃除など酒を飲んでくたびれた体にむち打って掃除にせいを出す。ホントに年末はあれこれと忙しく、休みたくてもなかなか休めない。ドリンク剤にカフェイン錠とあまり体にはよくないと思いながらも薬でもってだましだまし仕事に励まねばならない。誰だ、忘年会なんて考え出したのは。

12月8日(月)

 忘年会の二次会はカラオケボックスに行った。なぜそうしたかというと、梅田界隈に知っている店がなかったからである。とりあえずカラオケにしておけば無難であろうというだけの理由で「Hanakoちび」というガイドマップに掲載されていたボックスに電話したまでのことだ。個人的には「カラオケは嫌い、歌が好き」という趣味なので、歌うことは歌う。ただし、場を盛り上げるような歌ばかりだ。昨日は嘉門達夫を中心につボイノリオや山本正之などで派手に陽気に明るくやりました。
 今のようにどこもかしこもカラオケとなると、宴会芸というものが廃れていく。私は学生時代は口三味線や声色で場を盛り上げたものである。十八番は「笑い袋」。昔はみやげもの屋には必ずあったが、最近は見ないなあ。あれはコツがあって、口を手で隠し「ウワーハハハハハッ、ハーハハハハ」と高いキーの声を少々つぶし気味に出し、少しずつ手を開いていくのだ。一度開いてまたすぼめていく。これは必ず受けた。
 口三味線では「津軽じょんがら節」。口法螺貝というのもやった。尺八の音色で「新日本紀行」を奏でたりもした。最近はそんなことをする雰囲気の場がないので練習してないからできるかどうか。
 最近では12月3日の日記でも紹介した若旦那A氏と組んで「昭和天皇の園遊会」というのを持ち芸にしている。彼が昭和天皇、私が元高見山の東関親方の声色を受け持つ。あの園遊会での天皇と招待客とのやり取りというのは独特の間と味があるが、A氏はそこらへんの空気を作り出すのがうまく、こちらも吹き出してしまうほどだ。
 カラオケのおかげで、宴会芸、あるいは密室芸というものが片隅に追いやられていく。できあいのものですましてしまうのではなく、自分が面白いと思う芸を真似するだけでも宴会というものはもっともっと楽しくなると思うのだがなあ。
 そんなことを言うのなら、幹事自らカラオケボックスに電話なんかしなければいいわけなんだけれど。まさか口三味線を聞かせるために二次会をセットするというのもちょっと恥ずかしい。ああいうのはだんだん雰囲気がよくなってきたところで自然に出てくるものなのだ。そういう雰囲気の場が少なくなっているというところが寂しいのですね。

12月9日(火)

 最後に寝小便をしたのはいつだったろうか。
 小学生の頃にした記憶があるが、何年生だったかは定かではない。
 早朝4:00頃のこと。私は困った夢を見ていた。なにか用務を遂行しようとするのだが、その度にトイレに入ってしまうのである。いったい何の用務を遂行しようとしていたのかは覚えていないのだ。とにかく何かをしようとして部屋に入るとそこはトイレ。そしてまた困ったことにそこで必ず用を足そうとしてしまうのである。トイレに入ると条件反射的にもよおしてしまう。
 しばらくそんなことを繰り返すうちに、「これは夢ではないか。おそらく俺は本当に小便をしたいのだ。早く起きて小便をしなければ」と自覚するようになった。そこで今度はちゃんとトイレを探し、さて用を足そうとするのだが、これが出ない。「ううむ、いかんいかん。これはまだ夢なのだ。このまま小便をしたら、きっと寝小便になってしまう。早く起きて小便をしなければ」とまたまた自覚。これを何回かやってから、やっとのことで目を覚まし、這いずるように布団から脱出し、震えながらトイレにたどり着いた。
 もちろん、「これは現実だ」としっかり確かめてから勢いよく放出。小便をするというのはこんなに気持ちのいいものかと実感した。
 たしか最後に寝小便をした時は夢の中で思い切り小便をして気持ちよく眠った記憶があり、夢の中という自覚がなかったのではないか。
 夢についてはフロイト以来いろいろな説が発表されているがいまだこれという決定的な説はないはずだ。しかしまあ、小便をしたい時の夢だけは深層心理もそこのけでひたすら小便したいという欲求を伝えてくれることだけは確かだ。なぜか大便をしたいという夢を見た記憶がない。これは大便は括約筋がはたらいて寝ている時は外部に漏れないようにできていて、小便の場合は膀胱炎になりやすいために体が排出を要求しやすいのかもしれない。いや、これは単なる想像ですよ。実際はどうだか知らない。
 でも、そうとでも考えないと小便の時にだけこのような夢を見るという事実に対して合点がいかないのである。
 寒くなると小便が近くなる。みなさんもこんな夢を見たりするのでしょうか。そういう夢の話ばかり集めて「夢小便」とかいうようなアンソロジーを作ると面白いかもしれない。そんな本が売れるわけないって。

12月10日(水)

 「週刊朝日12月19日号」でナンシー関さんが紹介しているのだが、「うつみけいこ」というポップス歌手がいるそうだ。演芸ファンにとって「うつみけいこ」といえば「内海桂子・好江」を思い浮かべるのは当たり前。東京漫才の大御所で、残念ながら好江師匠は先般病没されたが、桂子師匠は健在である。ポップス歌手の「うつみけいこ」は宇都美慶子と書くのだそうだ。ナンシー関さんは他にもいくつか例をあげていて、佐藤愛子佐藤藍子岩崎宏美岩崎ひろみの名を書いている。後からデビューした方が、イメージのダブりを気にしないことや先輩に遠慮をしないことについて感想を書いてらっしゃるわけだが、なに関西人にとってはもう10年以上も前からこんなことは経験ずみだ。中山美穂がデビューした時、思わず目もとの小じわを指差して「これは飾りよ」とつぶやいた関西人は多かったに違いない。私の記憶ではSF作家の堀晃さんが「なかやまみほ、ゆうたら吉本新喜劇に決まってるやないか。なんちゅう名前つけるんや」とおっしゃったのを聞いた。関西人にとって「なかやまみほ」は中山美保なのだ。
 最近では「かわむらりゅういち」で同じ経験をした。私はこの名前を聞いて、かつて毎日放送「ヤングOH!OH!」の司会をしていたDJのことだとばかり思っていたが、CDの売り上げがどうとかいう話になって、自分が勘違いをしていることに気付いた。河村隆一という歌手がいるのですね。川村龍一ではなかったのだ。河村隆一が「ハッピー?」と言って客席をまわり観客に質問したりはしないのである。ええと、つまり「ヤングOH!OH!」というTV番組のオープニングで川村龍一がそういうことをしていたのですね。
 ところでナンシー関さんは「耳なじみのある名前は、そのおなじみ感を利用しなければ損、とさえ思っているのかもしれない」と書いてらっしゃるが、宇都美慶子内海桂子という漫才師のことを知っていたのか。おそらく知らなかったに違いない。中山美穂中山美保を、河村隆一川村龍一を、そんな人物の存在することさえ現在でも知らないのではないか。
 こうなると話し言葉は不便である。歌番組で「それではうつみけいこさん、どうぞ」と司会が言った時、思わず和服姿に三味線を持った貫禄のあるおばちゃんが登場して小唄をひと節という場面を想像してみたり、TV番組の紹介で「なかやまみほ主演」と聞いて知らず知らずのうちに食堂の壁を模した書き割りのセットが頭に浮かんだりしてしまう。
 これはその人の住む文化圏や世代を知るためのリトマス試験紙みたいなものかもしれない。少なくとも佐藤藍子のファンと佐藤愛子のファンとはきっと重なりあうことはないだろう。若い人と話をする時は特に気をつけねば、とおっさんは思うのであった。


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