ぼやき日記


5月21日(木)

 もう10年以上前になるが、フジテレビ系列で「月曜ドラマランド」という1時間半の単発ドラマのシリーズをやっていた。
 今そのラインナップを思い出すと、例えば現中村橋之助夫人の三田寛子主演の「はーい、あっこです」、現羽生善治夫人の畠田理恵主演の「バケルくん」、現名前を忘れたけれど会社員夫人の斉藤由貴主演の「野球狂の詩」などなど。つまり、当時のアイドルを主演にしてごくお手軽にドラマを作るという企画であった。他にもおニャン子クラブ総出演のドラマとか実写版の「ゲゲゲの鬼太郎」なんてのもあった。
 当時はこの「月曜ドラマランド」、非常にバカにされていたものだ。
 主役に演技力がない。脚本が漫画的である(マンガを原作にしてるものが多いんだ。しかたないだろう)。演出がクサい。セットがちゃち。要はチープなイメージを集約すれば「月曜ドラマランド」になったということだ。
 ところが、トレンディドラマ以降、どうもテレビドラマの形が変わったようだ。
 マンガを原作にとるものがかなり増えた。しかもコマ割りや擬音までそのままもってきて過剰な演出になっているというような。
 いやなに、私はほとんどテレビは見ない。たまにスポーツ中継の合間にちらりと見るくらいだ。そうやって見たものに「気まぐれなKISS」だの「おそるべしっ音無可憐さん」だのがある。そして、昨日は声優の戸田恵子が顔出しをしているというだけの理由から「ショムニ」というのを見た。
 これがどれもみごとに「月曜ドラマランド」的なのだ。
 先ほど書いた「月曜ドラマランド」の特徴をどれも備えている。もっとも演出はより過剰になっているしそれなりに金がかかっている。でも本質は変わらない。かつて傍流であったものが気がつけば主流になっていたということなのか。カトリーヌあやこみたいにあらゆるドラマを追いかけているわけじゃないので、というより全然テレビドラマなんか見なくなったのでそこらへんはよくわからないが。
 それが悪いと言っているのではない。だいたい私はアイドル大好き人間であったりするので「月曜ドラマランド」的なものを否定するものではない。ただ、あれだけバカにされていたものが主流になってしまうというのに時代の流れを感じるのみ。
 特番で「月曜ドラマランド」を再放送しないかな。羽生夫人の意外な過去、とかいう興味で見てもいいけど、もしかしたら最近のワンクールドラマより面白いかもしれない。新鮮な気持ちで見返してみたいものだ。

5月22日(金)

 昔、スターログが健在の頃、「SF方言講座」という連載があった。確か中島梓だったかと思うが、記憶があいまい。間違ってたらごめんなさい。
 これは「SF小説にはその中でしか通用しない言葉が多い。これを『SF方言』と名付け、説明する」といった主旨の連載だった。
 そのデンでいくと、「スポーツ新聞野球方言」とでもいうものが存在するように思う。これは読み慣れると気にならないけれど、私は引っかかるものを感じる時がある。
 例えば、「◯◯神話」というやつ。
 これは特定の選手がホームランやヒットを打つとそのチームの勝率がダントツにいい時に使われる。「八木選手が代打で打点をあげるとタイガースが勝つ」というように使われる。たいていはその選手が活躍したのにチームが負けた時に「八木神話が崩れた」と、悪い時によく使われるようだ。
 なぜ、「神話」なのか、その根拠がもうひとつよくわからない。八木はだいたいチャンスで代打に起用される。そこで打てば勝つのは当然だ。「神話」などというおおげさなものではない。これが「藪が10安打以上打たれた試合はなぜか必ず勝つ」とかいうのであればこれは不思議なジンクスであるし、「神話」扱いしてもいいかもしれないけれど。
 「守護神」というのも好きでない。これはそのチームのリリーフエースのことを指すのだが守り神というのならたいして活躍しないのにいつもベンチに入っているとなぜかチームが好調で、二軍に落とそうものならなぜかチームが負けはじめるというような選手の方が「守護神」らしいではないか。それでは「座敷わらし」か。おおかたどこかの監督がリリーフエースを指して「彼はうちの守護神ですから」とかいったところからきてるんじゃないかとは思うのだが。そうであればジャイアンツの長嶋監督あたりがくさい。
 長嶋とくればその手の造語の名人。チームの勝ち越しの数を貯金、負け越しの数を借金と表現したのはこの人が最初だ。これは瞬く間に球界に広がった。勝ちパターンの投手交代を「勝利の方程式」と呼んだのも長嶋。それ以来、「弓長、伊藤、田村、葛西とつないだタイガース、リベラで決めれば勝利の方程式の完成です」といった調子で使う。どこが方程式やねん。
 しかし、長嶋のこのセンス、有象無象のコピーライターでは追いつかないセンスの持ち主である。長嶋には監督などやめてもらってリーグの広報担当となり、この手のキャッチフレーズを大量に作ってほしいものだ。選手を売り出すニックネームなんかも作らないものか。
 それはともかく、今挙げたフレーズはどこのスポーツ紙も同じように使っている。もっと独創性のあるフレーズを使いこなせる記者はいないものか。こちらの方面でもいつまでも長嶋頼みでは情けないと思うぞ。

5月23日(土)

 今朝の朝日新聞1面トップ記事は「入試点数、塾に情報提供 西日本の私立中・高13校 受験生了解、得ず 数校は発表前に合否も」というもの。洛南中・高、明星中・高、西風南海中、西大和学園中・高、帝塚山中・高、愛光中・高、岡山白陵中・高の13の私立学校で個人データである入試の得点を大手学習塾に知らせていたということだそうだ。
 私の経験でいくと、この程度のことはやりかねないと思う。
 私は大学卒業後すぐ学習塾に入社して、中学受験をする小学生を教えていた。その時、ある私立中・高の招待を受けてパーティーに出席したことがある。学校の先生が塾の経営者たちに「なにとぞ優秀な生徒をわが校に」と挨拶し、酌をしてまわった。場所は大阪は天王寺にある都ホテル。料理がうまかったのを覚えている。
 相手は塾だから、パーティーは昼だ。その夜の授業に真っ赤な顔をして出るわけにはいかないのでさますために水をがぶのみした。その学校の先生も授業を抜けてわざわざ接待をしているのである。酒をついでもらいながら「学校の教師ともあろうものが、なにやらうさん臭いおやじに酌をしてまわっているのは見るに耐えないな」と思ったものだ。
 当時はまだ子どもの数もそれほど少なくはなっていなかったし、その程度のサービスですんだのだろうが、今は事情が違う。私立学校も学習塾も生き残るためにはあの手この手を使わねばならないのだろう。どんどんエスカレートしていってこのようになったんだろう。
 学校の経営も大変なんだろうけれど、これでは生徒はただの数字だ。そんな学校に自分の子どもは入れたくないなあ。
 こういう記事を見ていると自分がわずかでもそのような現場にかかわりを持ったことがあるだけに、なんだか辛くなるのだ。

5月24日(日)

 妻が「安眠枕」なるものを買って使っている。これは彼女が通っているカイロプクティックで売っていたもので、首や肩に負担がかからない作りになっている。素材も、硬すぎず柔らかすぎず。効果はてきめんで長時間眠るが眠りの浅い妻がぐっすりと眠れるようになった。
 妻は頭の大きさと肩のバランスがよくなく、子どもの頃から肩こりに悩まされてきたそうだ。私もよく肩がこる。肩こりだけではない。頭を振ると首の骨がゴキゴキ鳴る。妻への効果を見て、私も買ってきてもらうことにした。価格は15000円くらい。しかしこれでしっかり眠れ、首や肩にも負担がかからないと思うと、安いものだ。
 で、さっそく昨晩使ってみた。
 これがなかなかいい。首がゴキゴキいわなくなったのだ。寝覚めも悪くない。もっとも首の方はしばらくしたらすぐに鳴るようになってしまったが。いやいや、一晩だけでそんなに劇的な効果があがるわけはない。しばらく使い続けて効果を待つべきものだ。
 問題は、これにしばらく慣れたところで修学旅行に行かなければならないことだ。ただでさえ枕が変わると寝つきが悪いのに、寝心地のよい枕から普通の枕に変わったらまたもとに戻ってしまう。まあ、それは仕方あるまい。まさかあのでかい安眠枕を修学旅行に持っていくわけにはいかないからねえ。

5月25日(月)

 最近の家庭の風呂は便利なもので、スイッチを押すとごぼりんごぼりんと湯が湧き出てくる仕組みになっていたり、蛇口から湯が出て決まった水量の所で止まるとか、沸かし過ぎや水の入れ過ぎがないようになっている。
 しかし、我が家の風呂は旧式の風呂釜だ。種火をいったんつけてからコックを全開にし、時間を計って湯加減をみて栓を閉める。冬と夏とでは沸かす時間も違う。タイマーで時間を計って沸かし過ぎのないようにはしているが。
 この風呂釜の種火がつかなくなった。いくらカッチンカッチンやっても火がつかない。ガスは出ているのだ。シューという音がかすかに聞こえる。しかたない。ライターの火をつけて点火口に近づける。ポという音がして着火。でも油断はできない。もう大丈夫だろうとコックを放すと暖まっていない時は火が消えてしまう。再度やり直し。全く不便でしかたがない。
 あれはどういう仕組みになっているのか知らないが、電池ケースが見あたらないところをみると、直接電源につながっているのか。それとも摩擦熱でつけているのか。
 ガス会社に電話したり明るいうちに調べればいいのだが、そういう時は他のことを考えていて風呂釜のことなんか頭から消えている。カッチンカッチンやってから、おおそうであったと思い出すのだ。なんたる頭の悪さであろうか。
 妻がいうには「切れた電球とおんなじやね」。なるほど。蛍光灯も暗くなってつけてから点滅しているのを見て、帰りに買うのを忘れたことに気がつくのだ。
 ほんとに目の前のことしか頭にない。われながら嫌になる。

 森下一仁さんのSF創作講座の方たちが今年のSF大会で「SF創作講座」を開かれるそうです。興味のある方はこちらのページをご覧ください。

5月26日(火)

 やりました。
 我らが阪神タイガースの川尻哲郎投手が、今日、倉敷マスカット球場で行われた中日ドラゴンズ9回戦で、日本プロ野球史上66回目のノーヒットノーランを達成したのである。
 私は明日からの修学旅行の準備をしたり、手早く夕食をとったりしながら、ラジオでこの試合の模様を聞いていたのである。
 えらく、テンポの早い試合だなと思ったら、川尻は8回まで許したランナーは2四球1失策のみと好投を続けているではないか。最終回、いてもたってもいられなくてテレビをつけて食い入るように画面を見る。
 川尻の顔がアップで写る。厳しい、いい顔だ。サンテレビの谷口アナウンサーが興奮している。後で、ノーヒットノーラン試合を実況するのは初めての経験で興奮してしまったといっていた。
 ドラゴンズの神野内野手がゴロを打つ。今岡内野手がていねいに捕球し、スナップスローで一塁へ送球。その瞬間、川尻は大きくバンザイしながら破顔一笑。それまでの表情から一気にくしゃくしゃの笑顔。そのコントラストがいい。
 今朝のスポーツ新聞は若乃花の横綱推挙の記事を追いやって、松田聖子の再婚が一面トップ。それもたいした内容のない、他のタレントのコメントと見出しと過去の写真でつないだような記事で4ページもうめている。
 しかし、明日はそんなものを吹っ飛ばして川尻の快投が一面を飾ることだろう。
 これで気持ちよく旅立てるというものである。

 というわけで、明日から北海道(洞爺湖、札幌方面)へ修学旅行です。次回更新は、29日の深夜になるでしょう。それまでみなさん、お元気で。行ってきます。

5月29日(金)


 修学旅行から帰る。
 行き先は北海道、洞爺湖、昭和新山、札幌方面である。
 いやいや、こんなに気を遣うものとは思わなかった。けっこうゆったりと時間をとっているのに、あの生徒はちゃんと来ているか、この生徒はわけのわからないところに行ってはいないかなどと目配りをしているうちに時間が過ぎてしまう。
 幸い添乗員さんがよくできた人だったので私のいいかげんな部分をカバーしてもらって、事故なく帰阪。それでも生徒が迎えに来た保護者と帰路につく姿を見ると、どっと疲れが。やはり一人だけでこういう大きな行事を担当するのはしんどい。
 旅行そのものを無条件に楽しむというわけにはいかなかったが、昨年に行った下見の時には気がつかなかった新しい発見などもあり、それなりに楽しめた。
 たとえば、洞爺湖畔の「洞爺サンパレス」という宿に泊まったのであるが、バスガイドさんがそこのコマーシャルソングを教えてくれた。
「ここはお風呂の遊園地。
 なんてったって宇宙一。
 行ってみたいなサンパレス。
 行ってみようよサンパレス」
 とにかく風呂がでかい。でかいだけではなくて遊戯用のプールまで併設されている。プールの間をぬけて浴場に行くのだ。なんというか、発想が妙だ。それに、なぜ「宇宙一」なのだ。「日本一」でも「世界一」でもなく、「宇宙一」なんですよ。そこらあたり、どういう思考経路をたどったのか、まあ、わからなくはないけれど。でも、臆面もなく「宇宙一」とやってしまうところがなんだかすごい。
 もちろんあたり一面見渡すばかりの牧場だとか、空気が澄んでいてネオンがごちゃごちゃしていないのが美しい札幌の夜景だとか、いいものをたくさん見て来たのではあるが、それよりもホテルのキャッチフレーズの方に気がいってしまうのだ。我ながらあまり性格がよくないねえ。
 今度はプライベートで行ってみたいなサンパレス、ではなくて北海道、という旅でありました。

5月30日(土)

 旅行というのは非日常。特に今回のように修学旅行の引率などということであると、ゆっくり新聞も読んでられないしTVも見られない。パキスタンの核実験は旅先のTVでニュースのヘッドだけ見た時にやっていたので知っていたが、後は帰宅してから新聞のまとめ読み。頭は浦島太郎状態である。
 午後、「おひさま7月号」が小学館より送られてくる。私の童話「おおごえこぞう」がとうとう掲載されたのだ。飯野和好さんの絵がついたものを見るのは初めて。
 すごい。
 おはなしの本質をわしづかみにしてとりだしたような、迫力のある絵である。このため、お話がよりわかりやすくなり、子どもたちに強烈な印象を与えてくれることは間違いないだろう。絵本というのはそうしたものなのだということを、皮膚で感じとることができた。
 私のようなペイペイの新人のお話がこうやって一流の画家の方に飾っていただけるのだから、なんという幸せなことか。与えられたチャンスを生かすのは今しかないのだという気持ちが強くなった。
 もう早いところでは書店に並んでると思いますので、興味がおありの方は一度手にとってみてください。

5月31日(日)

 昨日、アルゲリッチのコンサートから帰ったあと、トイレでゲロを吐く。どうやらここんとこ無理をしていた反動がきたらしい。毎朝でかける時に「休みたいよう」と情けない声をだしながら、それでもちゃんと仕事をしにいっていた。気持ちというものは正直で体の調子が悪ければ「休みなさい」と声をかけてくれているのだ。妻に言わせると「しんどいのを根性でおさえつけていた」ということ。私は体育会系ではないのでそのような思い込んだら試練の道を行くがごとき男のど根性など持ち合わせていない。しんどい時は無理せず休んでいた男が、慣れないことをするからゲロを吐くはめになる。
 本を読もうという気力もわかず、ただだらだら過ごす。「ぼやき日記」のネタをひねり出そうと新聞や雑誌に目を通すが頭が働かない。
 なのに、なのに、「S−Fマガジン」の書評、締切りがきてしまったではないか!(実は旅行から帰ってきた時点ではすっかり頭から抜けていた。ゲロを吐いた時になぜか思い出した。そういうものだ)
 まだ編集長から催促の電話はない。だから書かなくていいというわけではない。逆にそれがプレッシャーになる。
 さあて、童話が載ったなどと浮かれていないで原稿を書くか。
 休みが休みにならへんやんけえ。


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