ぼやき日記


5月1日(金)

 えらく道がすいていると思ったら、世間には早くも仕事を休みにして4月29日から5月5日まで1週間の連休にしているというところもあるそうだ。景気が悪いのにそんなに休んでていいのか。それとも景気が悪いから開けていても仕事にならないので思い切って休みにしてるのか。まあ、こちらはカレンダー通りに休む教育公務員。夏休みがあるのだから文句を言っていると天罰が下る。
 昔は5月1日というと教師の半数以上がメーデーのために不在で学校はほとんど自習、午後から帰宅なんていう時期もあったのだが、最近の教職員組合は祭りよりも仕事優先らしく、ちゃんと出勤している。組合員なら組合員らしくメーデーに参加すればいいのに。そしたら私のように組合に入っていない者も、午後からゆっくりできるのに。いや、最近は管理職の締め付けが厳しいから、メーデーに参加する教師が多くても午後もちゃんと授業をさせるのかもしれないな。スーダラ教師には厳しい時代だ。

 本日発売の、読み聞かせお話雑誌「おひさま」6月号(小学館)の次号予告を見たか。いよいよ来月号に拙作「おおごえこぞう」(飯野和好・絵)が掲載されるのだ。「あの大人気画家が久々に登場!!」というキャプション。飯野和好さんが主であるのは、これはしかたない。絵本の雑誌なのだから。紹介文には「期待の新人作家と大人気画家コンビの力作」とある。前作「おどりじいさん」も飯野さんの絵で飾ってもらったのだ。しかし、2作だけでコンビと呼んでもらえるのはなんだか面映い。
 妻がそれを見て「『期待の新人作家』って、誰?」などという。
「この”喜多哲士”という人やろう」
「期待の新人作家、鼻すすってるで」
 風邪が直らないのだ。ほっといてくれ。
 4月25日の日記にも書いた通り、私は嬉しがりである。いくら決まり文句とはいえ、「期待の新人作家」と書かれて嬉しくないはずがない。あと1ケ月か。待ち遠しいな。しばらく次号予告のページを毎日開かずにはいられなかったりして。そこまで舞い上がってどないする。

5月2日(土)

 大学にはいるまでSFファンダムには縁のなかった私である。大学内のSFサークルに入り、そのファンジンがファンダム内で知名度を上げてきたので、「DAICON IV」「京都SFフェスティバル」などに行商に行くことにした。なぜそのコンベンションを選んだかというと、日帰りで行けるからというだけの理由である。
 それまで、大学の先輩から「ファンダムはな、こわーいところやぞ」などと要らぬ知恵を授かり、びくびくしながら行ったものである。
 ところが、SF雑誌などで名前を聞いたことのある先達たちは、私に気軽に声をかけてくれ、極めてジェントルに接してくださった。わけわからんことをまくしたてるのは一人だけで(南山鳥という人)、あとの人はそうではなかったのだ。
 そうこうしているうちに同世代の仲間ともよく話をするようになり、ついには東京まで行こうかという気になってしまった。そこで行ったのが、「SFセミナー」である。「京都SFフェスティバル」で知り合った人たちからも誘われ、鞄に行商用のファンジンをつめこんで、夜行列車に揺られて行ったものだ。
 タイガースが優勝する前だから、13〜14年ほど昔の話。タイガースが優勝してからは、「Daicon5」にスタッフとして参加しただけで、「京都SFフェスティバル」以外のイベントには顔を出さなくなった。不精ものなのである。「SFセミナー」の場合、開催期間が5月の3連休のころというのもよくない。ちょうど私はその時期には甲子園へ行きタイガースの試合を見ることにしているのだ。その時期に行くと、したじきなどのおまけがもらえるのである。私はSFとタイガースを比べたら、タイガースを取ってしまう男なのだよ。
 それくらい「SFセミナー」とはご無沙汰していたのだが、今年はご招待を受けたこともあり、10年以上の時をおいて参加することになった。
 私は東京に行くとなんか意識過剰になってまるで浜村淳のようなねとねとした京都弁を使うか、まわりに影響されて「青年の主張」のような面妖な関東弁をしゃべってしまう。今回は肩の力を抜いて普段の雰囲気そのままでいきたいと思っている。
 本会には午後には顔を出す予定。合宿では「架空戦記の部屋」に出演します。「SFセミナー」に参加される方で、喜多哲士とはどんなアホな奴やろうかと興味のある方は、そちらを覗いてやってください。

 というわけで、明日は関東の地にいます。次回更新は月曜の深夜の予定です。

5月4日(月)

 「SFセミナー」に行ってきました。
 今日の午前中まで遥けく遠き東京の地にいたというのに、夕方には狭いながらも楽しい我が家でくつろいでいるのだから、新幹線というのは便利なものだ。ありがたい。などと呑気なことを言っていられるのは無事に帰ってきたからで、実は行きは少々あせったのである。
 9時4分新大阪発のひかり号に乗って本を読んだり居眠りしたり弁当を食べたりと快適な旅を楽しんでたのだが、浜松あたりで突如減速。車内の電灯は切れるし換気扇は止まるし。何事ならんと思ったら、車内アナウンスで「停電のため停止します」ときたもんだ。
 「地震が起こり、停電いたしました。復旧するまでしばらくお待ちください」。
 先日は線路のボルトが抜かれる事件も起こったということもあり、ちょっと不安に。でも、止まったということは一応安全な状態にあるということだし、じたばたしたってしかたない。本でも読んでゆっくり待つか。てな感じでいたら、近くの席の子どもがわあわあ騒ぐ。親は静かにさせよ。本に集中でけへんやんか。
 電灯がついた。換気扇も回った。それでも保守点検かなんかがあるらしく、まだ動かない。車内アナウンスでは「そうとう遅れます」だと。やっと走り始めたら「安全のため70km走行で運転いたします。かなり遅れます。申し訳ありません」とくりかえしている。
 地震なのだからしかたないではないか。何を謝ることがあろう。安全を確保できずに無理に走って事故でも起こされてから「申し訳ありません」と言われたら腹もたつが、乗客の無事を優先しているのだ。JR東海はもっと堂々としていてもいいのに。
 というわけで、定刻より40分遅れで東京駅に着く。会場の全逓会館に入ったら、今回私を招待してくれたスタッフの鈴木力さんや岩田恵さんたちが心配そうに待っていてくれた。携帯に電話しておけばよかったが、そこまで気のまわらなく、迷惑をかけてしまった。申し訳ないことをした。
 本会は、鈴木さんとの打ち合わせとかもあって、あまりじっくり聞くことができなかったのでレポートは書かないけれど、初めてお会いする人たちと言葉をかわしてみたり、「オールタイムSF投票」に参加したりと楽しく過ごせた。
 合宿については写真もとってきたので日を改めてじっくりレポートします。

5月5日(火)


 甲子園に行ってきたのだ。友人Yと待ち合わせ。これは毎年ゴールデンウィークの恒例となっていて、今年で8年目。昨日までは東京、今日は兵庫と東西行ったり来たりだ。
 甲子園は、いい。何回来ても、いい。なんともいえない空気がある。
 今年は前売り件が内野指定席しか残っていなかったので、銀傘の下、投手や打者を真横から見る席で観戦。たいていは外野で見る。
 内野と外野、どちらがいいかときかれると、返答に困る。
 試合をじっくりと楽しみたい時は内野席がいい。応援団も少なく、トランペットの音も遠い。投手の球筋も打者のバッティングフォームも内野手のフォーメイションも一望にできる。野球というスポーツそのものを楽しみ、一人前の批評家みたいな口をきくこともできる。
 ひたすら騒いでストレス解消をしたい時は外野席だ。景気のいいトランペットに合わせメガホンを打ち鳴らし、選手の応援歌をがなる。ヒットが出る度に立ち上がり得点が入れば万歳三唱。相手投手が降板すると螢の光と六甲おろしの大合唱。喧噪と熱狂の中に身を置き、勝利に酔いしれる。
 今日はタイガース対ドラゴンズの試合。上り調子のドラゴンズを連敗中のタイガースが迎え撃つ。久慈や関川といったトレードでドラゴンズに行った選手のプレーを生で見、こっそりと応援するのも密かな楽しみ。あらあ、外野席では久慈や関川の名がアナウンスされるとみんな拍手しているぞ。タイガースファンは情が深いのだ。そうでなければとっくに愛想をつかしている。
 試合は途中までリードしていたタイガースが土壇場で追いつかれながらも8回に本西のタイムリーで再度リードし、最後はリベラがおさえ、連敗を2で止めた。確か昨年はこのあとすぐに退団したグリーンウェルのタイムリーを生で見るという貴重な体験をしたのだった。
 試合終了後、球場は「六甲おろし」が鳴り響き、ハラハラしながらも心地よい興奮に身を浸すことができた(写真は勝利に酔う外野スタンド:みんな立ち上がって選手の応援歌を歌っているのだ)。
 いや、やっぱり甲子園はいい。今年は最低あと一回は行きたいな。

 「SFセミナー」の合宿レポートは明日以降にちゃんと書きます。なにしろ甲子園に行くと私は我を忘れてしまうので。その興奮覚めやらぬうちに書いておきたかったのだ。

5月6日(水) SFセミナー’98合宿私的レポート(その1)


 さて、5月4日の日記に書いたとおり、「SFセミナー」の合宿潜入記をお送りいたします。
 星敬さん、牧眞司さん夫妻といった「S−Fマガジン」でおなじみのSFライターの方たちに加え、作家であり「異形コレクション」(廣済堂文庫)というオリジナル・ホラー・アンソロジーを監修している井上雅彦さんと廣済堂出版の編集者の方ともに夕食をとった私は、合宿会場の「ふたき旅館」へと向かったのであった。などと書くと先頭切って歩いていたようであるが、東京の地理などかいもくわからん私であるので、星さんたちに置き去りにされたら本当に迷子になってしまう。本郷かいわいで赤門の近くらしいのだ。それがどうした。京都の町なら通りの名さえわかったら見当もつくが、東京の地名など名前をきいたことがあるだけでそれが東京駅の北だか南だか西だか東だか、それすらわからん。
 そんなことを自慢していても仕方ないので、おとなしくついていく。
 実は星敬さんとはゆっくり話したのはこれが初めて。私は東京に行かない、星さんは大阪・京都に来ない。ゆえにすれちがいというわけだ。しかし、「SFアドベンチャー」や「S−Fマガジン」など同じ雑誌で長年ずっと仕事をしているということもあり、十年来の知己のように話をする。
 これでは合宿レポートではなく道中レポートではないか。先を急ごう。オープニングでは私の出演する「架空戦記の部屋」の解説を企画者である鈴木力さんにしてもらう。私はヨタ話をしてればそれでいいらしいので説明することも特にない。それでも司会の創元SF文庫・小浜徹也さんより場つなぎに「何か一言しゃべれ」と言われたので仕方なく「喜多です、どーも」とだけ挨拶する。
 さて、合宿企画一コマ目は「日本SF全集」の部屋に行く。これは元・出版芸術社の日下三蔵さんの企画。在職中にたてた幻の「日本SF全集」の出版案を公開。なにせ現実に出そうとしたものであるからして、他社で容易に入手できる作品や作品収録をさせてくれない特定の出版社の作品を除くという限定つきなのだ。だから部屋にいるうるさ方からは「落ち穂拾い全集」なんてからかわれたりしてリストアップした日下さんや星敬さんも苦笑。
 大野万紀さん、水鏡子さん、大森望さん、小浜徹也さん、三村美衣さん、山岸真さん、冬樹蛉さんといった強敵が、日下さんに「この作品はだめだ」「こっちを入れろ」「これはどうだ」と注文をつける。誰かが注文をつけると、他からクレームがつく。
 日下さんの鉾先は「S−Fマガジン」編集長塩澤さんに。「こういうのは早川書房が出してくれてたら、こんな苦労はしないのに」。
 みんな好き勝手いいながらも、それを楽しんでいる。そういうムードがいい。なんだか強引にまとめて、次の企画にバトンタッチとなった。おっと、「架空戦記の部屋」に行かなくちゃ。急いで部屋を出る。
 えらくいっぱい書いてしまった。この続きは次回にしましょう。
(写真の前列左より山岸真、大野万紀、日下三蔵、星敬。後列左より水鏡子、小浜徹也。なんだか楽しそうですね)

 明日は所用で遅くなります。次回更新は金曜の深夜になります。

5月8日(金) SFセミナー’98合宿私的レポート(その2)

 世間ではX JAPANのhideという人の自殺だのサッカーの日本代表チーム決定だのでわあわあ騒いでいるが、私はどちらにも関心がないので「SFセミナー」の合宿潜入記を続ける。もうじき1週間になろうというのに、こんなことでいいのか。いいのだ。

 さて、いよいよ私の出番である。合宿企画は「架空戦記の部屋」。裏番組になかなか強力なプログラムが組まれていたので入りを心配していたが、どうしてどうしてけっこう多くの方たちが来てくださった。ありがたいことだ。
 アトリエサードの鈴木力さんによる企画の主旨説明のあと、私のヨタ話いやいや架空戦記ストーリー解説が始まる。あまたある架空戦記の中から特に笑えるものを紹介。珍兵器、ご都合主義などその手のネタはふんだんにある。とは言いながら、私は頭が悪いので、新刊を1冊読むたびにトコロテン式に以前読んだ本の内容を忘却してしまう。だから、前日に作成したリストを見ながら、タイトルから内容を思い出しておしゃべり。
 もともと教師なんていうものを本業にしてると、しゃべり出したら止まらない。そのうえサービス精神旺盛なので、とにかく受けるように受けるようにもっていってしまう。堺三保さんや鈴木さんがうまく合の手を入れてくれたおかげで私の独りよがりなものにならずにすんだ。
 見に来てくださった方たちは普段あまり「架空戦記」はお読みにならない人が多く、「どのような読者層に支えられているのか」「なぜブームになったのか」ういった質問が飛び交う。私なりに考えたところを述べる。そうです。けっこう硬い考察もしたんですよ。読者層は二分化していて、マニア層と元少国民のおっちゃん層であること。ブームになったのはこれまでタブーであった太平洋戦争を完全なフィクションとして楽しむことのできるジャンルが登場したのじゃないかというようなことなど。
 企画は盛況のうちに終わった。いろいろと質問や意見を出していただいたおかげで私自身もとっても楽しいひとときを過ごさせてもらった。
 しかし、これでますます「架空戦記の喜多」というイメージが定着したら困るなあ。まあ、私は(たぶん)世界でただ一人、商業誌上で架空戦記のレギュラー書評欄を持ってる書評家なのだから、しかたないといえばしかたないのだが。伝奇アクションだって読んで評を書いてるんですよ。
(写真は熱弁をふるう喜多哲士。左でフォロー体制を常に整えているのが鈴木力。堺三保さんに撮ってもらいました)
 自分の企画だから、たくさん書いてしまった。続きはまた明日。

5月9日(土) SFセミナー’98合宿私的レポート(その3)

 手塚治虫文化賞発表。マンガ大賞に「坊ちゃんの時代」(関川夏央&谷口ジロー)が、優秀賞に「ナニワ金融道」(青木雄二)が、特別賞に石ノ森章太郎がそれぞれ選ばれている。以前候補作が発表された時にうすうすこのへんかなと思ったものが選ばれたという感じ。順当すぎて面白くない。文春漫画賞の方が「なんでこんなやつ」と思わせる人選が時々あったりするのと好対照だ。


 1週間前の事をだらだらレポートしててもしかたないので、今日は駆け足でまとめてしまおう。3コマ目は悩んだ末に「セキララ作家生活」の部屋に。大場惑さん、岡本賢一さんを囲んで、フルタイムの作家生活についておしゃべりしてもらうというもの。出版界の細かな事情については星敬さんがフォロー。『学校の怪談』のノヴェライゼーション裏話、篠田節子さんの逸話(岡本さんが共同で仕事場を借りて、同じ場所で仕事をしているのです)、オリジナルとノヴェライゼーションの仕事の違いなど、少々内部事情にもふれながら歓談。途中で「メフィスト大賞」を受賞してデビューの決まっている浅暮三文さんがフルタイムの作家になるための最低ラインはどのへんかという質問をしたとろで話は切実に。まさに”赤裸々”という言葉がふさわしい話になった。私から見れば「メフィスト大賞」受賞ハードカバーデビューというこのうえなく恵まれた条件を備えた羨ましい人だと思うのだが、フルタイムになるというのはまた別問題ですわね。なんか聞いてて辛くなってしまった。(写真は左から岡本賢一、浅暮三文、大場惑。かたわらの一升瓶とつまみが切実さをあらわしている)


 次は古本自慢の「ほんとひみつ」の部屋に行ってみるがいっぱいだったので写真だけ撮って大広間に。
 
冬樹蛉さん森山和道さんたちとポテトチップスを食べながら架空戦記の話をしたり、「SFオンライン」の坂口さんから瀬名秀明さんが学会誌に発表した批評についての批評(ややこしい)を読ませてもらったり(一文一文が胸に突き刺さる厳しいお言葉でした)、アトリエサードの岩田恵さん、鈴木力さんとおしゃべりしたり。午前3時ごろ、部屋で布団にもぐりこむ。もう徹夜をする体力も気力もない。同じ部屋に寝息の大きなおっちゃんが二人寝ている。やかましなァと思いつつ寝る。朝起きたら大野万紀さんと星敬さんであった。失礼!
 古田尚子さんによるあっさりしたエンディングで散会。牧眞司さん夫妻と喫茶店で朝食。
 帰りの新幹線はがらがら。地震でストップすることもなく、無事帰阪。大阪に帰ると空気がねっとりしている。ああ帰ってきたわいという気持ちになる。
 「SFセミナー」事務局のみなさま、アトリエサードのみなさま、お世話になりました。
 これにてレポートを終わります。もし事実誤認などあればお知らせください。

5月10日(日)

 母の日にプレゼントを送る。父の誕生日の贈り物もいっしょに買う。この、なんというのか私の場合、人にものを贈る時は多少の出費はいとわない傾向がある。自分用にはまず出さないであろう金額のものを平気で買ってしまうのである。
 これが飲み食いになるとまたちがう。あまり人におごるということはしないのだ。たいていは割り勘か自分が飲み食いしたものがはっきり区別できる場合はその分のみを払う。
 これはいったいどういうことなんだろうか。
 例えば、自分の衣料品なんかはリーズナブルな価格で販売していることがウリの店でしか買わない。オシャレに関心がないということもあるんだけれど。だのに、人に贈り物として衣料品を買おうと思うと、値段を気にせずに「うむ、これがいい」と品物だけを見て決めてしまう。値札を見てギャッと思うことはよくある。予算からあまりにもかけ離れている場合は選び直したりするけれど、代わりによいものがないと結局最初に決めた品物を目をつむって買ったりする。
 相手が喜んでくれることはもちろん期待している。だからといって喜べと強制するわけではない(そういう人、たまにいる)。「なあんや」と言われればそれまでであるし、それは私の鑑識眼が間違っていたせいで相手が失礼なわけではない。
 贈り物にも種類があり、贈り物の内容を重く見る場合と贈るという行為を重く見る場合という分け方もできる。私は、行為としての贈り物にはあまり関心がない。中元歳暮のたぐいは仲人さんだけと最低限に絞っている。この場合、毎年贈る物と金額は決めてある。
 おごるとかおごられるとかいうのは、どちらかというと金額よりもその行為自体に意味がある。そこには貸しだの借りだの義理だのといったしがらみがついてまわる。たぶん私はそれが嫌なんだろう。
 そういうのが好きな人もいるわけで、そこらをどういうスタンスでつきあっていくか。これが私にとってはなかなか難しい。できればそういう人といっしょに飲み食いはしたくないものである。


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