ぼやき日記


4月21日(火)

 こまったことになってしまった。
 拙作「おどりじいさん」がある学習塾のテキストに使われているのがわかったのだ。それも一部の引用ではない。4ページに渡って全文を掲載、虫食い、傍線などをほどこし内容を考える質問を作っている。いわゆる「お受験」をする予定の小学2年生向けの問題である。
 これは著作権侵害ではないのか。そのテキストは市販されているわけではないが、塾の生徒からは教材費を取ってそれを作っている。つまり、作者の私の知らないところで作品に手を加え、無断で掲載した上で限定つきとはいいながら販売をしているのである。むろん、私にも小学館にも著作権料を払ってはいない。
 何を困っているか、すぐに抗議すればいいではないかという声もあるかもしれない。
 ことはそう簡単ではない。
 例えば、実際の入試に使う分には、作者に著作権を払わなくてもいいと聞いたことがある。問題集の場合はどうなのだろうか。そこのところがあまりよくわかっていないのだ、私は。
 それから、その塾というのは、私の友人が勤務しているところだということだ。実際、そのテキストのコピーは彼から入手した。もし小学館からこの塾に抗議がいったとしたら、彼はその塾にはいづらくなるだろう。友人としてそういう形になることは望むところではない。
 しかし、そのテキストを読んでいると、悲しくなってきた。「おどりじいさん」という童話は、私にとって記念碑的な作品なのである。自画自賛することになるけれども、これはなかなかの傑作なのだ。そのおかげで、「第2作はより面白いものを」と肩ひじを張り過ぎてうまくいかなかった。それを勝手に使われたくないのだ。
 私はこの作品を子どもたちに楽しんでもらいたくて書いた。けっして問題にして苦しめるつもりはない。
 はたして、これは抗議すべきものなのかどうか。初めての経験なのでよくわからない。一応小学館「おひさま」の編集長に相談するつもりではいるが。
 こういうことにくわしい方、いらっしゃいませんか?もしいらしたら、こちらまで教えていただけますでしょうか。
 とにかく、こまったことである。

4月22日(水)

 いやあ、来ましたね。
 地震ですよ、地震。
 夕食をもう少しで食べ終わろうとしている時、ベランダの窓が揺れる音がした。妻が気にしているので、「風とちがう?」などとのんきなことをぬかしていたら、今度は食器棚が揺れだした。これは風ではない!
 隣の部屋で大きな音がする。
 スチール書棚の上に置いて本を入れていたカラーボックスが落ちたのだ。
 妻が立ち上がろうとするのを制止する。なぜ立ち上がったのか自分でも覚えていないそうだ。
 「電灯が落ちたらいかん」などと口走るのは私。釣り下げ式でないから落ちてくるわけがない。
 二人してうろがきてたのだ。
 なにしろあれを経験しているのだ。正直いって怖かった。
 震度は3くらい。震源地は岐阜県。実家に電話をしたら、京都市西部ではけっこう揺れたようだが、八尾市東部ではほとんど揺れがなかったらしい。地域によって差があったみたいだ。私たちの住まいはもともと沼地で蓮根畑だったところに造成したもので、その上団地の3階だったので、かなり揺れたのだ。
 かなり長時間揺れていた。そのあとでぶっ壊れたカラーボックスをベランダに放り出し、コンピュータの周辺に散らばった本を片付けなければならなかったので、よけいしんどかった。
 ともあれ、事故がなくてよかった。大きな揺れを体験していると、やはりどこかにその時の記憶がしまわれているのだろう。ほんとにうろがきてしまうのだ。

 昨日の日記について、メールでご教示をいただきました。とても参考になりました。ありがとうございます。

4月23日(木)

 NHK「ラジオ英会話」のテキストの最後の方には毎月大量の広告が載っている。大別すると、”テープ教材”、”英会話教室”、”海外留学・ホームステイ”の三種が多い。
 妻に指摘されてわかったのだが、最近は留学斡旋の宣伝が多いのだ。英会話教室は考える人がドアの前で悩んでいるものがやたらページをとっているが、それ以外は実におとなしくなっている。
 なんでこんな事を書いているかというと、今朝の新聞で英会話教室「トーザ」の倒産を知ったからだ。一時は「トーザでどーだっ」なんてCFをTVで流していたのに最近あまり見ないと思ったら、経営難だったのですね。
 確かに英会話教室はバブル景気の頃は駅の近くに何軒もあって、駅前で毎日のようにチラシを配っていたなあ。実家の最寄駅には「ECC」「NOVA」「ジオス」と三つも教室があって、そこの講師らしい白人がコンビニに買い物にきたりしていたぞ。その講師にべったりくっついているいかにもミーハーな女というのが必ずいて、あれはなんだか知らんが見苦しかった。
 あの状態じゃ過当競争になってつぶれるところがでてもおかしくはない。4月16日の日記でコンビニについて書いたけれど、よく似たようなもんだ。老舗の「バイリンガル」だって知らん間につぶれてたんだ。これからもつぶれるところはまだまだでてくるだろう。
 バブルがはじけたという事もあるが、要はなんとなくお手軽に駅前の教室にいっても、自分に伝えたい事のないものが語学を身につけようとしても無理、そこらへんがわかってない者をあてにしていたのが、だんだんあてがはずれてきたということなんではないかな。
 留学斡旋の広告が増えているということは、駅前留学では身につかないので実際に留学すれば身につくと、これまた本質がわかっていないで短絡的にホームステイしようという者が増えているのだろうか。
 それならば留学斡旋の会社だって早晩同じ運命をたどることは目に見えている。
 まあ、ラジオ講座を毎日適当に聞き流しているだけでまるで身につかない私が偉そうにいうことではないかもしれないが。必要にならなければ言葉なんて身につかないものだろう。
 そんなことをとりとめもなく考えたのであった。

4月24日(金)

 今日も例によって最寄駅前の書店に寄る。コバルト文庫とスーパーファンタジー文庫の発売日で、どっさりと新刊を買う。「春の書店くじ」なるものをレジでもらった。これは確か去年までは「愛のサン・ジョルディくじ」とかいって配っていたものだ。「サン・ジョルディの日」が定着しなかったので名前を変えたのかな。
 店の入り口に「書店くじ」のPRポスターが貼ってある。モデルは宝塚歌劇団月組の女優さんで、彩音瑛花という人。私はヅカガールにはくわしくないのでどれくらいのランクの人だか知らない。作家の田中啓文さんならご存知かもしれない。
 よく見ると、千社札みたいなシールが貼ってある。わざわざこんなものまで書店に配っているのかいな。同じポスターが並べて貼ってあるが、そちらには千社札ではなくプラスチック製の透明なシールで、やはりその女優の名前が書いてある。しかもその下にはマジックでサインまでしてある。最初はいたずらがきかと思ったが、そんなところに嘘のサインをわざわざするというのも変だ。たぶん、直筆サインなのだろう。
 これは、キャンペーンのために全国的に直筆サインとシールのついたポスターを配付してるのだろうか。日本には何軒書店があるのかしらないが、ご苦労なことだ。いやまて、それはないだろう。他の書店で確かめてみなければわからないが、たぶん全ての書店でそんなことはしていないと思う。
 そこでその書店に千社札+直筆サイン入りポスターが貼られている理由を考えてみた。
1.店長が彩音瑛花の親戚である。
2.バイトの女の子が彩音瑛花のファンで追っかけをしている。
3.彩音瑛花の実家が近所にある。
4.実は店長が彩音瑛花のファンで追っかけをしている。
5.実は彩音瑛花はそこの店でバイトをしていた。
6.実は彩音瑛花はその書店のオーナーであった。
7.実は彩音瑛花は店長に借金をしている。
 疲れで頭が硬直しているので気のきいた理由を考えられない。
 ともかく、なぜそこに千社札+直筆サイン入りポスターが貼られているのか、なんだか謎である。他の書店にはそのようにしたポスターは貼ってあるのだろうか。全国各地をくまなくリサーチすることは到底できないので、もし見かけた方がいらしたら教えてください。

4月25日(土)

 「S−Fマガジン」6月号が送られてくる。今月は私の書評が載っている。毎度思うが、1ケ月くらいたって自分の文章を読み直すと、その時の精神状態だのなんだのがはっきりとでていて嫌になる。この時は仕事が忙しくってへろへろだったのだ。ちょうど新作童話の直しをしていたので、その時に考えたことをそのまま書いたりしている。あまり読み返さない方が精神衛生上いいかもしれない。
 ところが、私は自分が書いた文章が活字(とは言わんか、今は)になると何度も読み返してしまうのである。なんだか嬉しかったりしてしまうのである。商業誌に自分の書いたものが載るようになって10年以上たつのに、まるで素人だ。結局、なんらかの形で目立つのが好きなのかなあ。書評のページなんて目立たないものの筆頭だとは思うんだけど。
 たとえば、SFのイベントでゲストに呼んでもらうと妙に嬉しい。といってもこれまでゲストとして呼ばれたのはただの1回「京都SFフェスティバル」でパネラーをした時だけなんだけど。実は、先日急に三村美衣さんより電話がかかってきて、今年の「SFセミナー」の合宿企画”架空戦記の部屋”のゲストでこないかと言われたのだ。通算2回目ね。本会でないところが私らしいかもしれん。ものぐさな私は東京に行くというだけで面倒臭く、15年近く「SFセミナー」には参加していない。しかし、ゲストとなるとほいほい行ってしまう。こういう人間を子どものころ私らは”うれしがり”と呼んだ。
 ”うれしがり”が服を着て歩いているような人間ですが、「SFセミナー」の会場で私を見かけたら、声の一つもおかけください。うれしがり、調子にのって芸の一つもするかもしれない。つるしあげられないことだけを祈っています。

4月26日(日)

 4月24日の日記で宝塚女優のサイン入りポスターについて書いたところ、作家の田中啓文さんよりご教示いただいた。って、名指しで「ご存知かもしれない」なんて書いたのだ。催促したようなものです。
 まず彩音瑛花という女優さんについて。
「彩音瑛花は、去年、初舞台を踏んだところで、月組最下級生です。もちろんまだ役なんかついていないと思います」とのこと。新人の人だったのですね。
 さて、ではなぜ彼女の千社札+サイン入りポスターが門真市内の書店に貼られていたのか。
「出身が門真なので、そういった関係でサインがあったんじゃないでしょうか」
 ということは、”3.彩音瑛花の実家が近所にある”というのが正解に近かったわけだ。
「宝塚市内の書店でも、例のポスターにはサインが入っていました。
 タカラジェンヌというのは実にこまめにサインをする習性があり、自分の公演のポスターなどは、サインをして、知ってる店全てに配付しているように思います。宝塚市にいらっしゃれば、レンタルビデオ屋から油でぎとぎとの大衆中華屋、どう考えてもジェンヌの出入りのないとおぼしき場末の飲み屋に至るまで、例の千社札がカウンターや壁にべたべたと貼られているのを見ることになりますが、そういった店には、必ず、現在行われている公演のポスター(サイン入り)がはってあります。おそせらく、みんな、毎月、何百枚という枚数のポスターにサインをしまくってるのでしょう(仕事として)。だから、彩音瑛花はおそらく、たまたま『実家のある門真の書店と、日頃、暮らしている宝塚の書店』にサイン入りのポスターを配ったのではありましょうが、もしかしたら、必死になって、あきれるような枚数のポスターにサインをした可能性もあります。タカラジェンヌというのはそういうことをしかねない連中なのです」
 うーむ、そうだったのか。人気商売とはいえ、そこまでやるのでありますね。関西を基盤としている劇団ならではのサービス精神とでもいうのか。すごいなあ。私も童話の掲載誌が発売になったら本屋におしかけてサインをしに行こうかしらん。誰も欲しがらんか、そんなもの。
 なお、私は同日の日記に宝塚の女優さんの事をヅカガールと書いた。これについては。
「ヅカガールという言葉は死語です。普通はタカラジェンヌといいます。ヅカガールというのはOLBGというぐらい古いように思います」
 あひー。私はどこでヅカガールなどという言葉を覚えたのだろう。そういわれれば新聞などでもみんなタカラジェンヌと書いているなあ。知らぬ間に言葉というものは変化するものなのだなあ。おいこら、わしゃいったい何才やねん。お恥ずかしい。
 田中さん、どうもありがとうございました。これで謎が解けてスッキリしました。『悪魔の発明』(廣済堂文庫)に収められた短編、ちゃんと読みます。

4月27日(月)

 4月21日の日記で記した拙作「おどりじいさん」無断使用に関する問題が一応の解決をみたので、ご報告しておく。友人の勤務する学習塾のテキストに拙作を私に断わりなく使用したことがわかったので、抗議しようかどうか悩んでいた。とりあえず掲載誌である小学館「おひさま」編集部と相談して態度をきめることにした。なぜなら「おどりじいさん」は同誌の「おひさま大賞」優秀賞受賞作で、版権及び著作権は小学館に帰属するという条項が応募規定に書かれてあったからである。
 結論からいうと、同社から学習塾に対して直接抗議をすることはせず、そのテキストに「喜多哲士・作、飯野和好・画、読み聞かせお話雑誌小学館『おひさま』掲載作より」という文言を明記すれば、今回に関してのみOKをだそうということになった。これは、私の友人がからんでいるために事を荒立てないよう配慮してくれたということになる。ただし、今後「おひさま」から引用する場合は事前に一報するようにという条件もついている。当たり前の事であるが、学校や塾などはその当たり前の事をしないですますケースが非常に多いのだ。
 この件に関しては、ある会社の出版部門で広告・宣伝の仕事をしておられたという福岡庸一さんより著作権についてメールでご教示いただいた。以下、一部引用する。
「結論から言ってしまえば今回の件は立派な著作権法違反です。細かい法律の内容は省きますが、文部大臣が検定した教科書だろうと学校教育放送だろうと、著作権者に無断・無料で使用することはできません。
 試験問題にしたって『営利を目的として入試や検定の問題に使用する場合でも通常の使用料に相当する補償金を支払わなければいけない』と著作権法には定められています。
 要は、人様のものを無断でつかったら、いかん!! ということですね(^_^.)。学習塾のテキストなんて、完全に営利目的ですので、これはもう立派な違反です。
 ついでに言うと、私学の先生が授業に使用する資料として無断で生徒にコピーを配るのも違反だったりします。(私学の場合、営利目的と判断されます)。公立学校の場合でも、本の内容全てを、担当するクラスの生徒全員に無断でコピーして配ったりすると、著作権法にひっかかったりします。
 ただ通常は、良識のある(^_^.)先生の方から事前に出版社に相談を受ける場合が多いので、そんな時は無料使用OKにしちゃうんですけどね。教材費だってそんなにかけられないだろうし、逆に出版社側から本を無料で送ってあげる事もよくありました。試験問題にしても、小説の全文引用なんて無いんで、事前相談の場合はタダのケースが多いようです」
「今回の件で喜多さんも感じられていると思いますが、日本人の著作権に関する認識は、欧米のそれと比べるとかなり低いようです。これは文化・風習・環境など諸々の要素がからみあっての事でしょうから、今すぐ改善されるような事にはならないでしょう」
 今回は著作権は小学館に帰属しているために全面的に小学館の判断に任せたけれど、今後、童話を書き続けていけば、再び同様のケースに出会うこともあるだろう。福岡さんのお便りは、そうなった時に私はどのような姿勢をとればいいのか、多くの示唆を与えてくれた。また、私自身も著作権についてもっと知っておかなければならないことが多いと痛感させられた。
 福岡さん、どうもありがとうございました。

4月28日(火)

 いよいよ世間ではゴールデンウィークというまとまった休日のある時期がやってきた。
 とはいっても、3日の憲法記念日は日曜日。本来なら振り替え休日となるべき4日は、国民の休日でもとから休み。火曜の子どもの日だけがまっとうな(?)休みという気がする。例年と比べるとなんだか2日も休みを損したような気がする。これで土曜日が休みであればまだましなのだが、私の勤務先は第2・4土曜日だけが休み。ゴールデンウィークという感じではないなあ。
 ところで、休日というと、成人の日や体育の日を現行のものから第2月曜日という曜日指定の休日にするとかいう話である。私はこれに反対である。なんでも泊りがけでリゾートする人を増やして経済を活性化させるのが目的らしいのだが、休みの日まで金儲けに結び付けないでほしいものだ。
 飛び石連休というのはしんどいように見えてありがたい時もある。例えば、水曜日や木曜日のように週の半ばに臨時の休日が入るのはとても嬉しい。心理的に週の半ばというのは峠みたいなものでけっこうしんどいのだ。そこに休日が入るとちょっとしたアクセントになって気が楽になる。しっかり休もうという気にもなる。休日というのは読んで字のごとし、休む日であって遊びに行く日ではないのだ。遊びに行くにしたって、好き好んで金を落としに行くわけではない。遊んだ結果金を使っているということ。何が嬉しくて政府に「休みの日は遊びに行け、金を落とせ」などと言わんばかりに休日を押し付けられてたまるものか。抜本的解決を図らずにそんなせこい方法で景気回復をしようなんて、政治家も官僚も人間というものをなんと心得ているのか。
 休日は休み、仕事に向けて鋭気を養う。その方が勤労意欲を高めてより経済を活性化させる、とまでは言わんが、効率的であるように思う。そう思わんかね、龍太郎君。

 またまた4月21日の日記について。
 この日記を読んでくれた例の学習塾に勤める友人から電話があった。事実誤認があるということなので、ここで訂正しておく。私は「そのテキストは市販されているわけではないが、塾の生徒からは教材費を取ってそれを作っている」と書いたが、教材費は市販のテキストを使用する際の実費で、オリジナル教材については授業料として支払われたお金から使っているということだそうだ。細かいことではあるが、塾の経営というところでは重要なことでもある。
 だからといって著作権法違反にならないということではないけれどもね。

4月29日(水)

 休みを利用して滋賀県の石山寺に近いいとこの家に遊びに行く。ハイキングコースのそばにあり、自然を満喫。特に川の水が透明で美しい。浅いところに手を差し入れると、なんというのか、質感がある。水道の水からは感じられない種類のもので、生きた水だという気がする。手をふくのがもったいなく感じられ、風にまかせて自然に乾燥させる。それが、心地よい。

 JR石山駅の前でうどんやに入る。アルバイトの女の子たちが談笑しているが、不快ではない。調理の補助でもしているのだろう、タイマーのスイッチを押してどれだけ早く自分の仕事ができるのか競っている。それがいかにも楽しそうなのだ。私語雑談で無駄な時間をつぶしているわけではない。だから、注文してから待っている間も、おお作っておるな、てな感じでいられるのだ。そういう彼女たちのやり方を許している職場環境なのだろう。いい環境だな、と思う。

 JR京橋駅の自動券売機の前に並んでいると、隣の券売機で小学生らしきふたり連れの女の子が切符を買っている。
 一人は標準語、一人はベタベタの大阪弁。
「あたし、漢字、読めないんだ」
「えええーっ!!!」
「だって読めないんだもん」
「そんなん、どうすンのン!」
「ちょっと、漢字読めないくらいでそんなに驚かなくてもいいじゃない」
 ううん、こうやって文字にするとニュアンスが伝わりにくいなあ。とにかく「えええーっ!!!」の声が大きくて、まわりの者がみなふりかえるほど。
 なんというのか、しゃべくり漫才の間を思わせる。標準語の女の子のなんともいえないほんわかした雰囲気と、大阪弁の子のどぎついリアクションが対照的なのである。
 漢字を読めないというのは、目的地の駅の漢字がわからないのか、それとも帰国子女で漢字が苦手なのか。
 「英語だったら読めるんだよ」などという落ちがついてたらさぞかしおもしろかろうとは、妻の弁。決して頭が悪いようには見えないのですよ、その子は。
 いったいどこに行こうとしていたのかな、あの二人。追跡してみたくなった。それくらいいい味を出している。

 以上、本日の外出で感じたあれこれ。なんだかエッセイストみたいな切り口になってしまったぞ。

4月30日(木)

 私はいったい何をしているのだろう。
 しなければならない仕事もあるのに。
 書きたい童話もあるのに。
 じっと一つの画面を見つめて、焦り、おののき、安堵し、怒り、一瞬空しくなり。
 4時間50分もの時間が空疎に流れようとしていく。
 その一瞬がなければ、私のその時間は、全てが無価値なものとなる。
 一昨日も、昨日も、そんな無価値な時間を過ごしたのだ。
 しかし。
 4時間51分目が刻まれた時、その時間は歓喜とともに心に安らぎを与えてくれた。
 ふと、歌が口をついて出る。
 六甲颪に颯爽と、蒼天駆ける日輪の、青春の覇気うるわしく、輝く我が名ぞ、阪神タイガース。

 ええい、ポエム調なんぞ、やめじゃやめじゃ。
 5−0で楽勝の試合やないか。なんで同点に追いつかれるんや。やっとの思いで6点目をとったのに、土橋にパコーンと一発打たれて同点やて。その土橋がエラーしてくれたおかげでそのランナーが7点めのホームを踏んだわけやから、プラスマイナス0とはいうもののやね、それやったらあんな土壇場で同点ホームランなん打つな。土橋のせいで11時まで野球を見てしもたやないか。こらスワローズ。負けるんやったらあっさり負けんかい。
 スワローズ対タイガース5回戦、7−6でタイガースの勝ち。延長11回。試合時間4時間51分。試合開始は18時20分だから、試合終了は23時11分。
 プロ野球は試合時間が長過ぎるぞ。せめて3時間以内に決着をつけてくれよ。
 ああしんどかった。


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