ぼやき日記


6月11日(木)

 草思社から出ている『他人をほめる人、けなす人』という本がベストセラーになって、便乗企画が続々と出ている。『◯◯な人、××な人』というタイトルの本がぞろぞろと出てきたわけである。
 これはまあ、タイトルさえ決まればあとはそれに合わせていかにもそれらしいことを書き並べてもなんとかなるわけで、最初に便乗本を出したところは、そのはしたなさは別としておいしいところにさっと飛びついたという点ではたいしたものだ。
 著者だって中谷彰宏、斎藤茂太といった有名どころから経営コンサルタント、心理学者などうまくまとめられる人を起用しているようだ。
 朝日新聞の書評欄でもやっていたように、ここでそれらのタイトルや内容を紹介するつもりはない。
 それよりも、この『◯◯な人、××な人』というパターンで遊ぶ方が面白かろう。
 つまり、便乗本のタイトルを考えるわけ。売れるかどうか知らないが、思いつくまま書いてみよう。
 『目立ちたい人、隠れたい人』、『理性的な人、感情的な人』、『物を捨てられる人、捨てられない人』、『一言多い人、言葉の足りない人』、『犬の好きな人、猫の好きな人』、『右足から歩く人、左足から歩く人』、『わたし作る人、ぼく食べる人』……。
 頭が悪いので面白いのができない。面白いのを思いついた方、教えて下さい。

6月12日(金)

 私が毎月買っているインターネット雑誌「MacFan internet」の裏表紙には、So-netの広告が必ず掲載されている。これがなかなかセンスがある。So-netといえばポストペット。私もネットにつないですぐにダウンロードして以来愛用している。最初にできたピンク色のテディベアはモモという名前がつけられていて(自分の好きな名に変えることはもちろんできる)、最近ではこのモモがSo-net全体のペットマークというような使われ方をされている。
 2月号ではモモがどアップでこちらに突進している絵柄で「クマまっしぐら」。So-netに加入しましょう、という広告なのだ。
 5月号からはモモの着ぐるみ(生モモという)が引っ越しトラックにのって広告スペースの外へ出ていこうという図柄。コピーは「引っ越しました」。ドメイン名の変更を告知しているのだ。
 今月号は河原の土手を自転車に乗って走る生モモを下方向から撮ったもの。コピーは「お買い物に行こう」。オンラインショッピングをプロバイダのホームページでどうぞ、というわけ。
 「クマまっしぐら」はモモを全面に押し出しているが、あとの二つは日常風景の一部分という感じで、しかもクマのピンク色がしっかり目にはいるようになっている。うまいのだ。
 コンセプトとして「インターネットを使って楽しく遊ぼう」という気持ちが伝わるようにできている。それも、ピンク色のクマを使うだけのことでやってのけている。
 妻に聞くと、このピンク色は「フーシェ」という名の色で、日本人にはあまり好まれずアメリカ人がよく使う色だとか。つまりわれわれのまわりではそれほど目につかない色だということだ。だから、よけいにモモの姿が印象に残る。
 もっとも、この広告ではポストペットを使っていないユーザーにはあまりその意味が伝わってこないのではないか。何事にも欠点はあるのだけれど。
 ところで、私が接続しているプロバイダはJustNetである。それなのに他のプロバイダをこんなにほめちぎっていいものかどうか。
 いいのだよ。経営が苦しいジャストシステムを助けるようにソニーが資金援助をしてる。だから、もうSo-netとJustNetは兄弟分なのだよ。わっはっは。
 とにかく、So-netの広告、ポストペットファンである私と妻はそのセンスのよさとかわいらしさに感心しているのである。

 昨日の日記で「◯◯な人、××な人」の新ネタを考えたところ、さっそくメールをいただきました。もし他の方からもメールをいただいたら、まとめてご紹介したいと思います。

 明日は老舗の若旦那A氏の結婚式。披露宴に呼ばれています。よって、次回更新は14日(日)の深夜の予定です。

6月14日(日)

 昨日は老舗の若旦那A氏の結婚式。さすがに京菓子や京料理の老舗の社長なんかがあいさつをしたりして、大変なことだ。
 いっしょのテーブルになった年輩の女性は私の姓を知るなり、「染工場してはる喜多さんがいてはったけど、ご親戚ですか」「もしかして、◯◯さんですか」「そうそう、◯◯さんと××さんのご兄弟」「はい、親戚にあたります」。京都は狭い!
 二次会にも参加。余興で高校の先輩と二人で三題噺をさせられる。むろん、会場からお題をいただいて、即興でやるのだ。これがしんどい。ほとんどが知らん人の前でやるわけだから、あまり内輪ネタにも走れないし。
 題は「ろうそく」「手切れ金」「姉さん女房」。結婚祝いの席なのに、シャレがきつすぎまっせ。
 簡単に再録すると、こんな感じ。

「ようきたな、ま、こっちにお入り」
「結婚の披露宴に行ってきましてな」
「ほう、どやった」
「余興がいろいろおますのやな」
「余興というやつがあるかい」
「あれなんですか、ろうそくショー、いうんですか」
「裸になってむち持った新郎新婦でもいたかい」
「いえね、新郎新婦が火を持ってろうそくにつけるんです」
「それもいうならキャンドルサービスやがな」
「お色直しいうんですか、途中で着替えて、手を洗う」
「なんでお色直しで手を洗うんや」
「ごちそうを食べるのにばい菌が手についてたらいかんので。手、きれい、菌のないように」
「なに?」
「手、きれい、菌、てきれいきん、てきれきん、のないようにね」
「くるしいな」
「あのね、お客さんもいっぱいいて、男の人と女の人と並んで座ったりしてね。あれ、兄妹か夫婦かわからなんだんで、隣の人に聞いたんです。あの人、あー、姉さん? 女房?
「なに?」
「あーねえさんにょうぼう」
「ますます苦しいな」
「めでたいもんですなあ」
「そやけどなんやな、結婚式にろうそくとは縁起が悪いな」
「なんでですねん」
「昔から忌み言葉というて、めでたい席では、別れる、切れる、する、流れる、こういう言葉は禁句やろう。ろうそくに火をつけたらろうが流れる。これは縁起が悪い」
「なにいうてますねん。ろうそくがあるから、夫婦に一本すっと通るんでっせ」
「なんでや」
「ろうそくだけに、中に芯が入ってます」

 むろんこんなにスムーズにいったわけではない。いらんことをごちゃごちゃと入れているし、つっかえたり舌がまわらなかったり。でも、即興でなんとか形がついたのだから、やれやれである。これを毎週やっているのだから、桂ざこばと笑福亭鶴瓶はすごいと思う。ともかく、もう余興で三題噺は二度としたくないな。

 「読書感想文」のファイルが本日更新分で200冊になった。1冊読むのに1.2日のペースである。もう少しペースをあげたいと思っております。みなさん、今後もよろしくお願いします。

6月15日(月)

 なんか、新聞はサッカーのワールドカップ一色という感じだ。日本人って、こんなにサッカーが好きだったっけ、という感じ。Jリーグの方は創設期の勢いはもう既になく、経営不振のチームもでているわけだから、サッカーが好きなんじゃなくって、「日本代表」というのが好きなんだな、きっと。
 えらくでかでかと扱われているから勝ったのかと思ったら、負けているのだ。まあ、南米のチームに0−1というスコアで試合をまとめたのだから、日本チームの実力からいって勝ったも同然という扱いなのかも。
 オリンピックもそうだけれど、普段よく見てもいないスポーツでも、どうしてこう熱狂的になったりにわか評論家になったりできる人がいるのか。そこらへんがよくわからない。
 あのね、古い話になるけれど、高校の頃、「漫才ブーム」というのが起きた時に、「昨日のザ・ぼんちは面白かった」とか「やすしきよしはさすが」なんていうようなことを言う連中が増えて、そのくせ彼らはダイマル・ラケットもいとし・こいしも知らなくって、子どもの頃から漫才が好きだった私はやりきれなくなったのだけれど、何かそういうのと似てる。
 あのね、ちょっと前になるけれど、若花田と貴花田が出てきて「若貴ブーム」というのが起きた時に、「昨日の若花田の相撲はよかった」とか「貴花田はいつ大関になるのか」なんてことを言っている人たちに限って大乃国や北勝海や双羽黒が上がってきた頃のことなんかその時よりも何年も変わらない時期だったのに全然知らなくって、子どもの頃から相撲が好きだった私はばかばかしくなったのだけれど、何かそういうのと似てる。
 ブームというのはそういうものだし、別にそういう人たちのことを非難するつもりはない。ただ、実業団時代からサッカーの熱烈なファンの人たちは、たぶん、「漫才ブーム」や「若貴ブーム」の時の私とよく似た気持ちになるんだろうなあと思うだけだ。だから、ワールドカップの中継は見る気もないし、結果についても気にしないようにしている。本当に好きな人に対し失礼であるような気がするから。
 へそまがりかもしれないが、そのかわり世間がいかに見捨てようと私は相撲を見続ける。本当に好きなものをとことん追いかけていくというのが、私の性分であるから。

6月16日(火)

 7月に参議院の選挙があるので、近頃とみに政党のポスターが目についてきた。
 地元選挙区の選出議員と橋本首相を並べるオーソドックスだが逆効果になりそうなレイアウトの自由民主党。
 土井たか子、辻元清美といった女性議員の顔写真を変な体にはり付けた気持ちはわかるがやめといた方がいい社会民主党。
 菅直人、羽田孜ら党幹部がニコニコ笑って並んでいる「船頭多くして船山にのぼる」を地で行く民主党。
 ざあます夫人みたいな党首のポートレートをでかでかとポスターにした何を考えてそんなポスターにしたかわからん公明。
 いつのまにか消費税廃止ではなく消費税3%を主張している日本共産党。
 あれ、自由党はどうした、さっぱり目立たんぞ。
 そのかわり、女性党とかいうはじめて聞く名前の政党ポスターがやけに目につく。昔、中ピ連の榎なんとかいう人が「日本女性党」というのを作って政界に打って出て玉砕したことがあったけど、あれとは関係ないのだろう。
 どれもこれもセンスがないぞ。しかし、ポスターでも貼ってないと、今は何という党があるのかわからん人も多かろうから、党名の周知徹底という意味では効果がなくもないかも。
 悲しくなったのは、公明の演説会のポスターで、地元選出議員と元力士の旭道山を二人並べているポスターだ。どうせ客寄せパンダとして擁立された候補、というように私は感じた旭道山の立候補だったけれど、当選してからも結局はそのように扱われているように感じるのは私だけだろうか。普通は党の幹部を呼び寄せると思うぞ。なぜ旭道山なのだ。地元選出議員だけなら後援者しか来ないだろう。しかし、旭道山もいっしょとなればいっぺん生で見てやろうというような聴衆もあらわれるだろう。私だって、いったい旭道山がどんな演説をするのか、興味はなくもない。しかし、そんなことのために政党に使われる旭道山の姿なぞ、見たくないという気持ちもある。
 タレント議員の効用というのはむろんそうやってことあるごとに看板として利用できるということにあるのだろう。そんなことは百も承知だ。
 でもねえ、旭道山はまげをつけてまわしを締めて土俵に立ってこそ生きる男だ。まげを切ってスーツを着ている旭道山はただの大男でしかない。政治家として活躍するのなら、本名の波田和泰でいってほしい。
 毎日信号に引っかかったところでそのポスターを見てしまうのだ。そのたびにそんなことを思う。

6月17日(水)

 「キユーピー人形の著作権」について2月11日の日記に書いた。キユーピーをキャラクターに使っていた銀行が「ローズ・オニール遺産財団」というところから累積していた著作権料を要求されたという話だ。その時に私は「キユーピーマヨネーズはちゃんと著作権料を払っているのだろうか」といらぬ心配をしたものだ。
 なんとこれがやっぱり払っていなかったのである。6月17日付朝日新聞朝刊によると、今年の5月に「ローズ・オニール遺産財団」から日本での著作権を譲り受けたという「日本キユーピークラブ」の代表が、総額10億円の損害賠償とイラストや商標の使用禁止を求める訴えを裁判所に起こしたのだと。
 ややこしいことに、「キユーピーマヨネーズ」は1922年に国内で、1965年には本家本元のいるアメリカでも商標登録をしているのである。つまり、「キユーピーマヨネーズ」がキユーピーのマークを使うことは、法律で保証されているといっていい。それがたとえ著作権侵害ではあっても。
 日本での著作権保有期間は2004年の5月までだから、「キユーピーマヨネーズ」に勝ち目はないと思うでしょう。しかし、これは「日本キユーピークラブ」代表の方が作戦を誤ったと私はみている。前回の訴訟時の試算では、過去にさかのぼって支払われるべき著作権料は年間1億円ほど。つまり、「キユーピーマヨネーズ」が商標を登録した年から勘定すれば、未払いの著作権料を請求するだけで70億円以上の金額になる。「日本キユーピークラブ」代表が損害賠償として請求したのは10年分くらい。損をしているぞ。しかも、使用禁止は、たぶん不可能であろう。商標登録されて70年以上たつ。その間、「キユーピーさん」はただ単にマヨネーズ会社の商標以上に人々に親しまれ、一般的なキャラクターになっている。これを使用禁止にしたところで、「日本キユーピークラブ」代表には何の得もない。それよりも、ここは著作権料支払いの訴えにとどめておいて、「キユーピーマヨネーズ」にキャラクターを使わせたまま2004年まで毎年著作権料をいただいた方が実利がある。
 「日本キユーピークラブ」なるものがあるということを私は知らなかったが、会員は300名ほどだそうだ。その300人だけでキユーピーを独占しようとしているということなのかな。なんかフェチシズム的なものを感じてしまう。
 私は法律に暗くてよく知らないのだが、著作権と登録商標は、どちらが強いのだろうか。
 今回の場合、「日本キユーピークラブ」代表は「キユーピーマヨネーズ」の存在を知りながら、「ローズ・オニール遺産財団」に知らせもせずに、銀行との訴訟があった後でそれならとばかりに日本での著作権を取得し、いきなり損害賠償を請求したという印象を受けた。
 というようなことを考えると、「日本キユーピークラブ」代表のあざとさばかり目についてしまう。さて、真相はいかに。裁判がどのくらいかかるかわからんけれど、秘かに決着のつくのを見守ることにしましょう。

6月18日(木)

 コンピュータゲームのお話。
 といっても、私はシューティングもRPGもギャルゲーもやらない。だいたいプレイステーションもセガもニンテンドーも持っていないのだ。
 唯一持っているのがゲームボーイ、そしてパソコン(ゲーム機じゃないって)だ。
 ゲームボーイでは「テトリス」。職場のWindowsでは「マインスイーパ」、そして自宅のMacでは「まきがめ」。見事にパズル系、しかも単純で奥深いゲームにはまってしまうたちである。
 「テトリス」はとにかくあきない。どんなタイルが落ちてきても対応できるように、しかも四段一度に消せるように積むのだが、これが難しい。積み過ぎたら一気にゲームオーバー。いかにちょびちょび消しつつ、テトリスのチャンスを待つかが勝負の鍵。
 「マインスイーパ」は地雷の隠されているコマに旗をたてながら地雷のないコマを開いていくわけだが、地雷のないコマに書かれている数字から地雷の在りかを推理していくのが面白い。最後の方になるといくら推理しても2つのうちどちらかわからないというような局面にぶちあたる。ここで運試しをするわけだ。全部開いた時はとても嬉しい。
 「まきがめ」は5種類のコマがランダムに積んであって、隣り合っているコマのところをクリックするとそこからどんどん消えていく。これはつい最近やりはじめたので、まだコツをつかんでないが、手当りしだいに消していっても積み残しが出るだけで、あるかたまりを消した時、次はどう画面が変わるかを考えながらクリックしなければならない。
 ポイントは、コンピュータはあくまでランダムに画面を作り、それに対する人間は極めてロジカルに解決を図らなければならないという点。もうひとつ、つけ加えていうならば、ゴールというものがないということ。RPGなどは一定の結末を迎えたらそれでおしまいという感じになるのだが、パズルの場合はたとえクリアしてもまたやりたくなる。えんえんと時間を費やさなくてもいいというのもあるかな。でも、それについては「もう一回」「あと一回」と延長戦をしてしまうのだから、あまり関係ないか。
 とにかく、ゲームというものはシンプルである方がはまりやすい。何度も何度もチャレンジしてしまう。むかしむかしに「ドラゴンクエスト」ばかりやっていたこともある私だが、結局はよくできたパズル系のゲームに戻ってしまうのであります。
 今は、油断していると妻がMacの前に座って「まきがめ」をやる。椅子取りゲームのような様相を示してきた。つまり、二人してはまっているのです。

6月19日(金)

 「この文庫がすごい!'98年版」(宝島社)を買う。毎年買っているのだ。いつも思うのは「金をかけた”本の雑誌”」やなあ、ということ。
 企画のアイデアは「本の雑誌」とそう大きく変わらないんであるが、ライターの選び方とか、取材の仕方とか、宝島社らしい展開で読者に提示している。
 たとえば、「泣ける文庫王決定戦」が巻頭の目玉企画になってる。これは「本の雑誌」の「今年のタイトルベスト」とやり方はほとんど変わらない。というか、パクリといわれても仕方のない企画ではないかと思う。その上、選出メンバーに「本の雑誌」のレギュラー執筆者が2人も入っているからややこしい。
 まあ、宝島社のやることだから、いちいち目くじらをたてる必要もないのだけれど。要は中身が面白ければそれでいいということである。
 不満がなくもない。
 私はヤングアダルト小説の書評をしている。だから、買う文庫とくればたいていはコバルト文庫とかX文庫とかソノラマ文庫とかになる。これらはほとんどが文庫書き下ろし、あるいは文庫オリジナルだ。しかも品切れ絶版のサイクルが短い。だから、こういう年刊本でちゃんとフォローしてほしいと思うのだ。ところが、企画としては「人気ティーンズノベル作家の仕事部屋をガサ入れ!」というページで小林めぐみ、中村うさぎ、ごとうしのぶの3人を取材しているだけではないか。
 普段よく知られていないティーンズノベル作家の実情をお知らせしよう、というような企画なのだが、それよりも作品の方を紹介してほしいぞ。だいたい取材している茶木則雄さんもこれらの作家の本をどこまで読んでいるのかよくわからない。なんか、普段われわれが分け入ることのない秘境を探検、といったノリだ。毎日分け入っている私は、そのようなイロモノ扱いはしてほしくないのだがなあ。
 いや、茶木さんはそんなつもりはないのかもしれない。でも、私にはなんだかそんなふうに読めてしまうというだけのことだ。だいたい、ティーンズノベルという名称を使っているとこらへんからずれているような感じがするのは私だけなのかなあ。ヤングアダルト文庫の作家のみなさんはどのようにお感じか、感想をきいてみたい。
 それとも私がヤングアダルト小説に愛着を感じるあまり、贔屓の引き倒しをしているのかも。どうなんだろ。
 ところで、「この新書ノベルズがすごい!」という本は出ないものだろうか。一番冷たい扱いを受けているのは新書ノベルズなのかもしれないね。

6月20日(土)

 なんで土曜日に学校で授業などというものをしなければならないのか、理解に苦しむ。

 この日記を書いている横に妻が座っている。なんでかしらん書きにくい。こらこら人の顔をおもちゃにして遊ぶんじゃない。こら、重い。人を座椅子にするんじゃありませんよ。白髪を探さなくてもよろしい。こらこら、なにするんですか。あーーーーーーっ!


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