ぼやき日記


2月11日(水)

 キユーピー人形をご存知ない方はいらっしゃらないだろうが、これを勝手に商標に使うと著作権の侵害になるというのはどうだろうか。
 2月11日付「日刊スポーツ」(大阪版)に、日本興業銀行が著作権の侵害を理由に約10億円の損害賠償などを求められているという報道があった。訴えているのは「ローズ・オニール遺産財団」。同紙によるとこの財団はキユーピーのイラストを1902年に初めて発表したローズ・オニールという画家の遺産管理をしている団体である。日本では2004年5月まで著作権が保証されているそうな。
 日本興業銀行は1953年以降、ずっとキユーピーさんをマスコットとして使っていたというが、まさか著作者に著作権料を払わなければならないとは思いもよらなかったのだろう。
 ミッキーマウスやスヌーピーは作者がはっきりしている。しかし、キユーピーさんの作者の名前なんてよほどの事がない限り知っている人は少なかろう。私もこの記事を目にするまでキユーピーさんが著作権法によって保護されているなんて全く知らなかったのだから。
 キユーピーさんというのは空気みたいなキャラクターだ。気がついたらもう当たり前のように存在しており、マンガの主人公でもなければ特別なマスコットキャラクターでもない。誰が最初に描いたのかなどということを気にすることもない。日本興業銀行が最初にキユーピーさんをマスコットとして採用した時も、多くの人に親しまれているキャラクターであるという認識だけしかなく、誰か作者がいてその著作権を管理している団体があるなどとは考えもつかなかったに違いない。
 いってみれば、招き猫とか福助とか日本にある昔から引き札なんかに使われてきたキャラクターと同じように考えていたわけだ。もともと天使をもとにした「キユーピー」なる人形が民間伝承みたいな形で伝わっているというように思っていたのではないだろうか。私は浅学非才なもので、そうとばかり思っていた。
 するとですね、今度気になるのは「キユーピーマヨネーズ」である。ここなんか商号としても登録しているぞ。日本興業銀行の場合、年間1億円が著作権使用料として算出されたそうだが、キユーピーマヨネーズならそれどころではなかろう。はたして同社はちゃんと「ローズ・オニール遺産財団」に使用料を支払っているのだろうか。気になるなあ。どなたかご存知ありませんか。

2月12日(木)

 風邪が流行している。私の勤務する養護学校でも、休んだり早退する生徒が日替わりのように続出している。妻も会社で風邪をもらってきてしまい、鼻をしきりにかんでいる。これで私がうつらなければどうかしているというものだが、平生から小さな風邪をしょっちゅうひいているくせに、こういう時には風邪をひかない。
 とはいいながらも、鼻の調子がよくなく痰もからむ。平熱より0.5℃ほど体温も上がっている。体もだるい。でも仕事ができないほどではない。これが実はしんどい。出勤して仕事をしている間は集中もしているし、それほどだるさは感じないのだが、一段落ついたらどっと疲れが出る。それまで元気そうに仕事をしていたわけだから、ひと休みしていてさぼっているように思われても嫌だ。
 実は3年前の今頃、インフルエンザにかかって苦しんだことがある。一週間近く休み、やっと治って出勤したら、また別のインフルエンザにかかってすぐにダウン。結局二週間はインフルエンザで苦しんだわけだ。引っ越してきて間もない頃だったのでどの医者にかかればよいのかもわからず、妻は仕事から帰ってきていきなり人の寝ている布団に足を突っ込んで「あったかーい」とこたつ扱いする。まいったまいった。あれ以来、しばらく頬の肉が落ちたきりで会う人ごとに「やせたね」と言われたものだ。
 不思議なもので、それから現在にいたるまで、高熱を発するような大病はしていない。今回もこんなあやふやな感じで一冬越しそうだ。なんかじんわりと疲れがたまっていくようで嫌なものである。だからといって3年前みたいに二週間も寝ていなければならないのもかなわんしなあ。ああしんどい。

2月13日(金)

 先日、郵便局で絵はがき「手塚治虫コレクション」を買う。これは官製はがきだから、最初から50円切手が刷り込まれている。先週買いに行ったが売り切れで、今週の始めに再入荷され、やっとこさ手に入れた。近畿地方限定発売だそうだ。五枚組のセットもバラ売りもある。図柄は「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ブラックジャック」「火の鳥」の五種類。いずれも雑誌掲載時にカラー口絵などで発表された見慣れた図柄だ。なにもわざわざそんなものを買う必要もないのだが、そこはそれ、ファン心理というものであります。買わないでいると落ち着かない。
 私のメンタリティが形成されるにあたって、手塚マンガのおよぼした影響は大きい。小学校高学年の頃、親戚の家で初めて読んだ「火の鳥・未来編」の衝撃を今でも覚えている。人間が滅びた後、ナメクジが進化して地球の主人となる。そしてまた滅び、新たな人類が誕生するが同じことの繰り返しなのだ。なんと人間というものをシニカルに描いていることか。小学生でこんなものを読んでしまったのだ。手塚治虫は文明を信じていなかった。私も文明を信じたくなくなった。不死となった主人公は延々とその繰り返しを見せられる。これ以降、どんな宗教が不死を説いても「不死なんてまっぴらごめんだ」と思うようになった。
 私にとって手塚マンガは毒であった。手塚ヒューマニズムなどと簡単にいわれたが、とんでもない。手塚ニヒリズムとでもいえるなんともいえない毒をヒューマニズムのオブラートにくるんで私に呑ませてくれたといっていい。
 それ以来、マニアックではないものの、私は手塚ファンであり続けてきた。今日、何気なく「手塚治虫の世界」というCDを取り出して聴いていたら、「リボンの騎士」のところで胸の奥から熱いものが込み上げてきてなぜか涙を流してしまった。いったいあれはなんだったのだろうか。何度考えてみても、よくわからない。

2月14日(土)

 今日は「日本芸能再発見の会」の例会。これは放送作家の新野新さん(関西ではラジオやTVで活躍している有名人です)が主宰する会で、芸能に関する生き証人と呼べる人たちの講演や会誌の発行をしている。これまでにTVプロデューサー、演芸作家、宝塚歌劇の演出家、吉本興業の専務などなどバラエティにとんだ講師の話を聞くことができた。今日は歌舞伎の演出家、水口一夫さん。くわしい内容はこちらに書いておいた(会員であることを書き漏らしてたのでプロフィールも更新しました)。
 会員はお年寄りが多い。講演を聞くだけになることが多いので、なかなか交流できない。もともこちらに基礎知識がないから突っ込んだ質問ができないということもある。それでも会員から講師に出る質問はかなり深いものがあり、さしもの新野さんも感心して聞いている。
 こういう会に参加することで得る刺激はかなり大きい。なんといっても講師の方からポロリと出る裏話が凄い。芸能界とは面白く、そして恐ろしいところであるなあ。芸の世界とは奥の深いものであるが、見巧者になるためのかんどころをこの会では教えてくれるのである。
 会員でなくとも講演を聞くことはできるので、興味のある方は私にお知らせ下さればご案内ぐらいはできます。会場は大阪の心斎橋。交通の便もいい。

 「本の雑誌」3月号の”読者アンケート 私のイチ押し雑誌コラム”にて私の投稿したハガキが採用されました。たいしたことは書いていませんが、お暇つぶしにご覧いただければ幸いであります。

2月15日(日)

 今日は私の主宰するおしゃべりサークル「たちよみの会」の2月例会。
 会員のY氏はぼそぼそとだがなかなか面白い話をしてくれる。
「友だちとな、居酒屋へ行ったんや。そこの居酒屋のメニューにはサラダがなかってな、野菜が欲しかったからつけあわせのキャベツがあるやろ、あれだけを出してくれ言うたんや」
「そんなん出してくれへんやろ」
「それが出してくれたんや。いくらか聞いたらな、タダや、言いよるねん。それでなすぐに食べては『おかわり!』。3杯も食べた」
「ようそんなことするな」
「お勘定の時に、ちゃんとキャベツ代、つけとるねん。『タダ言うたやん』て、文句言うたった」
「おかわりしといて、よう言うわ。で、どうなったん」
「粘ったらな、1杯だけまけてくれた」
「それ、なじみの居酒屋か」
「いや、初めて行ったところ」
 落ちまでついている。これが実話なのだ。上方落語の『上燗屋』を地でいく男である。どうも私のまわりにはこの手のおかしな友人が集まる。類は友を呼ぶというが、私のようなしごくまっとうな人間のまわりにどうして集まるのか、世界の七不思議の一つとして数えたいぐらいである。彼のバカ話はまだあるが、おいおい紹介していくことにする。いっぺんに放出するのはもったいない。

2月16日(月)

 中学校で「持ち物検査」を容認する教育委員会が各都道府県に出ているそうだ。ナイフを所持しているかどうかを調査するためだという。かつて中学校に勤務していた一教師として、なんともやりきれない。教師は実際のナイフよりも心の中のナイフを見い出すべきである。それは持ち物検査などではわからない。日頃の生徒の様子などを先入観なしに見つめること、これしか方法はないのだ。
 「持ち物検査」は生徒の人権を侵害するから容認できない、という教育委員会もある。ごもっともな言い様である。しかし、きれいごとすぎる。人の鞄の中を疑わしいと覗き込むということは、つまり相手を信用していないということではないか。人権云々をいう前に、生徒と教師との信頼関係をぶちこわすことだと言ってほしかった。
 「教師なんて最初から信頼していない」と中学生からは言われるかもしれない。そう言われるとしたら、それは教師が普段から生徒を信頼していないということの裏返しである。せっかく生徒を信頼し、なんとか人間関係を築き上げた教師でも、上からの通達で生徒の鞄を覗くことによって何もかもぶち壊しになってしまう。その責任を教育委員会はどうやってとるというのだろうか。
 鞄の中にナイフが入っていなくても、持ち物検査のために心の中にナイフが生じるかもしれない。そのことの方が重要なのではないだろうか。自分の経験からいうと、中学生は教師がその場限りのちょっとした言い訳をするだけで、信じられないほど反発してくる。特に女の子の反発は想像以上のものがある。授業中のおしゃべりを頭ごなしに怒鳴ったことがどれだけあとをひいたことか。持ち物検査なんてもってのほかである。
 形ばかりの持ち物検査で学校外からの「学校は何をしているのだ」という非難をかわせると思ったら大間違いである。持ち物検査など、家庭に任せておくべきだ。学校のすべきことは他にあるはずではないだろうか。

2月17日(火)

 今朝の朝刊各紙でプロ野球・セントラルリーグの新会長が、元経済企画庁長官、高原須美子さんに決定したと報じている。高原氏は日本体育協会会長職の経験もあり、また、ヤクルトスワローズ後援会の初代会長を勤めた野球ファンであり、スポーツ紙では歓迎するような報道の仕方である。
 確かに女性がこのような組織の長となるのは画期的なことであり、イメージとしては新風を吹き込む感じになり、歓迎すべきことなのかもしれない。
 しかし、私は反対である。
 第一に、特定の球団のファンであることをここまではっきりさせていること。これまでは故鈴木竜二会長のように巨人ファンとして特定のチームに肩入れした会長がいて、江川問題のような事態を引き起こしたことを忘れてはならない。
 第二に、この人事が渡辺恒雄読売巨人軍オーナーの主導で行われたらしいこと。人選から要請までが、「球界の盟主」を公言してはばからないチームのオーナーによって行われたということに危惧を感じるのは私だけだろうか。
 第三に、この人物が球界出身でないこと。これまで球界はマスコミ出身者や法曹界などから「天下り」のような形でコミッショナーやリーグ会長を決めてきた。今回も同様の形である。つまり会長はお飾りになるという危険性を孕んでいる。
 ここは球界出身で特定のチームに片寄らない人物を選んでほしかった。たとえば伊東一雄元パシフィックリーグ広報部長や豊田泰光元西鉄内野手のような人である。男性であろうと女性であろうと、オーナーたちの操縦しやすい「天下り」人事で決まった人物に信がおけるのだろうか。
 星野仙一中日ドラゴンズ監督の次のコメントに、高原氏は適合しているだろうか。
「基本的にはだれでもいいと思っている。プロ野球のことを心から愛している人。プロ野球のためなら命をかけられる、それくらいの固い決意を持っている人ならば、だれでもいい」。

2月18日(水)

 トップページのアクセスカウンターが昨日の深夜、10000をヒットした。開設後4ケ月と少しで大台に乗ったのだ。このようなやくたいもないページでも、ご愛読していただいている方たちがいるのだと思うと、ありがたいと同時にこれからもぼやき続けていきたいと思う。また、冬樹蛉さん野尻抱介さんをはじめ、リンクをはっていただいている方たちにも感謝の気持ちでいっぱいである。
 みなさん、今後もよろしくお願いします。これからも毎日なんとか更新し続けていきたいと思っております。

 明日は二十四節気のひとつ、雨水(うすい)である。「新明解国語辞典 第五版」によると「雨水の肌に与える冷たさが和らぎ、草木が芽ぐみ始める時分の意」とある。
 うそだーい、昨日なんか大阪でも昼間に粉雪が舞っておったぞ。インフルエンザで休んでる生徒はまだまだ多いぞ、と暦に毒づいても仕方ないか。
 とはいえ、今日、団地の掃除当番で中庭を掃いたら、楠の葉が先月に比べてかなり落ちていた。春になると青々としたままで風が吹くたびに落葉する。勤務先の裏庭にも楠が植わっていて、歩道など落ち葉で歩きにくくなる時期がある。春は少しずつ近づいているのだ。
 うちは団地がかたまっている地域で、それほど季節感を感じさせるものはない。妻など緑に囲まれた土地で生れ育ったから、ここらあたりの汚い空気に辟易している。そんなところにも、このように季節の変わり目を感じさせるのだ。不思議なものである。
 しかし、庭掃除をしていて季節の変化を感じるというのもおよそ情緒のないことではあるなあ。もう少し詩的に春を感じたいものだよ。

2月19日(木)

 自由民主党の新井将敬代議士が自殺した。日興証券との株取り引きで利益供与を求めていたという疑惑の中心人物であった。彼は昨日まで「私は何もやっていない。悪いことをしている政治家は他にもっといる」という意味の主張をし続けていた。
 内閣から逮捕許諾請求が衆議院に提出された矢先の自殺であった。
 さて、この自殺は何を意味しているのだろう。
 私はこれを書いている時点で速報しか見ていない。その段階での感想であることをことわっておく。
 これまで政治家の金銭に関わる事件でこのように疑惑の当人が自殺するということはなかった。たいていは秘書か「金庫番」と呼ばれる人物が泥をひっかぶるような形で証言を墓の下まで持っていっていた。政治家本人はのうのうと生き残り、知らぬ存ぜぬを決め込む、というパターンだ。
 新井氏は無実を主張していた。ならば裁判で白黒をつければよかっただろうに。有罪判決を受けてその罪を認めた政治家でも大臣にしてもらえるのが自民党ではないのか。罪を認めての自殺なのか。自分ばかりが集中砲火を浴び、頼みの首相も逮捕許諾請求を出した、そのことに対する抗議の意味なのか。
 本当のところは続報を待たなければならないが、せめて自殺するのなら、自分より悪いことをしているという政治家の名前を全て暴露した遺書でも残しておけば、その死の持つ意味が大きく変ってくるだろうに。
 しかし、子分を殺して生き長らえる政治家たちと比べると、新井氏は潔いというべきか小心だったというべきなのか。なんとも不可解な自殺である。

2月20日(金)

 月刊誌「まんがパロ野球ニュース」を毎月買っている。プロ野球をおちょくった四コマ漫画を中心とした雑誌である。
 野球四コマのブームを作り出したのはいしいひさいちの「がんばれ!! タブチくん」であるが、柳の下の二匹めのどじょうを狙いいろいろな雑誌や出版社がいしいひさいちに続く野球四コマの書き手をデビューさせた。当時かなりの新人がデビューしたが、最後に残ったのがやくみつる(はた山ハッチ)である。いしいひさいちが特定の選手を自分のキャラクターとしてカリカチュアライズしてみせたのに対し、やくみつるはマニアックなまでにデータをそろえ現実の選手をからかいあるいは批判するという手法をとった。
 そして、ここ数年ではみずしな孝之が「まんがパロ野球ニュース」の顔となっている。高校時代にデビューして以来、遊び感覚に満ちあふれた独自の世界を切り開いている。いしいひさいちとやくみつるの折衷型で、描かれている選手たちはみずしな孝之独自の感性で料理され現実とはかり違うキャラクターに変えられている。しかし、選手や監督のデータはかなり細かいところまでチェックしてある。だから、野球を知らない人(私の妻のように)でもキャラクターものの四コマとして楽しめるし、野球が好きな人(私のように)でもそのデフォルメの妙を笑うことができる。ただし、先行する二人には悪意や毒が読み取れるのに対し、みずしな孝之にはそのような印象はない。野球選手と漫画の中で遊んでいるような、そんな感じなのだ。
 「まんがパロ野球ニュース」で連載中の「ササキ様に願いを」は横浜ベイスターズの佐々木主浩投手をキャラクター化した四コマだが、妻は先述のようにこれを純粋に漫画の世界のキャラクターとして楽しんでいる。だから、私が野球中継を見ていて「おーい、ササキ様が投げてるよ」と教えても「違う、ササキ様はもっと丸顔」と現実の佐々木投手を偽者のように扱ったりする。記号化されたキャラクターは、現実の存在を否定するほど強いのである。


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